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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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#小説

「人」が「生」きるうえでの「観」方

ちょうど5か月かけて読み、およそ100回にわたって論じてきた小林秀雄の『私の人生観』。あら…

既視の海
1年前
11

その人そのものを生きることが批評だ

小林秀雄の批評における起点は、論壇に登場した1929(昭和4)年の『様々なる意匠』における「…

既視の海
1年前
10

ふたたび宮本武蔵から学ぶ

四六判の「小林秀雄全作品」第17集でも61ページにわたる『私の人生観』において、最後のおよそ…

既視の海
1年前
1

「批評」の平静と品位こそ「美」である

話を『私の人生観』本文に戻す。 小林秀雄は詩人リルケの言葉を用いて、「美」についての考え…

既視の海
1年前
3

現実をありのままに描写した小説なんて箸にも棒にもかからない

近頃の小説家は移りゆく現実を受けとめて小説にするのに精一杯で、visionすなわち心眼を反映さ…

既視の海
1年前
2

「数」を過信するな

「美の問題」として小林秀雄がまず俎上に載せたのは、「現代の風潮を最もよく反映し、従って一…

既視の海
1年前
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Lettersを論じる

「話が脇道にそれました」(「小林秀雄全作品」第17集p174L17)で始まるこの段落から、『私の人生観』は「第三部」に移る。 以前記したように、『私の人生観』は単行本の刊行前に、3つの異なった雑誌に分載されて発表された。それぞれ「私の人生観」「私は思う」「美の問題」というタイトルが付けられていたが、単行本や全集などでは、すべてがひと連なりの文章となっている。「第三部」というのは便宜的に称しただけだ。それでも、もし見出しをつけるならば、「美の問題」となるだろう。 「第一部」

すぐに分かるような経験は、大したことはない

まず経験を信じよ。信じるから疑うことができるのだ。その一方で、経験もせずに軽々しく信じる…

既視の海
1年前
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文化とはたしかに家が建つことだ

批評の「批」は、批判の「批」である。だから対象の悪口であれ、単なる感想でしかない印象批評…

既視の海
1年前
2

悪口ではない。相手をほめるのが批評だ。

詩を書くような批評を書きたい。そう考える小林秀雄の試行錯誤は、戦中の『当麻』や『無常とい…

既視の海
1年前
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詩を書くように批評を書く

宮本武蔵は「みる」という営みについて、観見ふたつの目があるという。 「見の目」とは、普通…

既視の海
1年前
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反省する、信ずる、責任をとる

歴史は、上手に「思い出す」ことだ。その人物ならどう考えたか、どのような言葉を発したか、そ…

既視の海
1年前
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己に、とらわれるな。

小林秀雄の「空」に対する考察はまだまだ続く。近代科学で用いる因果関係と、仏教思想の因果律…

既視の海
1年前
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ふたつの『平家物語』

小林秀雄には1948(昭和23)年の『私の人生観』をはさんだ、二つの『平家物語』がある。戦火が深まりつつある1942(昭和17)年に発表した『平家物語』と、戦後15年が過ぎて高度成長期真っ只中の1960(昭和35)年に発表した『平家物語』だ。前者はこれまでに触れた『当麻』や『西行』などと合わせて同年に単行本『無常という事』に収録された。後者は1964(昭和39)年に大ヒットとなった『考えるヒント』の一つである。 戦中・戦後と18年という時間を経た2つの批評は、まったく趣が異