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ふたつの『平家物語』

小林秀雄には1948(昭和23)年の『私の人生観』をはさんだ、二つの『平家物語』がある。戦火が深まりつつある1942(昭和17)年に発表した『平家物語』と、戦後15年が過ぎて高度成長期真っ只中の1960(昭和35)年に発表した『平家物語』だ。前者はこれまでに触れた『当麻』や『西行』などと合わせて同年に単行本『無常という事』に収録された。後者は1964(昭和39)年に大ヒットとなった『考えるヒント』の一つである。

戦中・戦後と18年という時間を経た2つの批評は、まったく趣が異なる。

戦中の『平家物語』は、合戦における躍動感や、生活者としての喜怒哀楽、さらには「笑い」など、軍記『平家物語』(以下『平家』)につきものの哀調とはまったく異なる面からの魅力を語っている。

それに対して戦後の『平家物語』は、甲冑に対する随想からはじまり、哀調についてはさらりと指摘し、『平家』は甲冑のような工芸品めいた性質があると論じる。

並べて読んでみると、前者は文章そのものに明るさや躍動感があり、分かりやすい称賛の論調だ。後者は『考えるヒント』シリーズらしく、随想から本質をとらえ、穏やかな口調ながらきりりと締めている。

軍記物語としての『平家物語』と一口にいっても、琵琶法師が口承で伝えてきた「語り本」と、読み物として整理されてきた「読み本」と二種類ある。どちらが史実を正確に伝えているかは問わない。そして、どちらが原初の形態である「古態」をとどめているかは定かでないようだ。

小林秀雄が、「語り本」と「読み本」のどちらを読んだかは分からない。しかし、戦後の『平家物語』で興味深いのは、『太平記』をはじめとする軍記物語の一つとして『平家』を観ているのではなく、あくまでも「語られる」物語としてとらえていることだ。

「平家」と甲冑との間には、「平家」に扱われた最大の主題が合戦であるということだけではすまされぬ深い縁があるようだ。語り手と聞き手達との間に成立したこの文学には、本質的には、工芸品めいた性質がある。(中略)「平家」は甲冑のように、生活の要求の上に咲いた花だとさえいえるようなものがある。

『平家物語』(「考えるヒント」)

合戦で用いる甲冑が、合戦に際して動きやすさと身を守る防御の性質を合わせ持つ、つまりは現場からの要求に従うべく造られたように、『平家』も、知りたい、教わりたい、笑い飛ばしたいといった日常的な要求を満たすために語られてきたのだ小林秀雄は考える。

『平家』につきものの無常観についても、「滅びの美学」を論じるようなことはしない。むしろ無常と常住を語ることが『平家』の魅力だとみている。物語の登場人物が力いっぱい生きては死ぬ様子を「語る」一方で、合戦の舞台である山や海、そこに浮かぶ月などは素朴な描写であったとしても、いつの世も自然だけは変わらない様子で聞き手の心を揺さぶると指摘している。

小林秀雄は、戦中に『平家』を愛読していた。そして戦後も折りにふれて読んでいたという。熟読玩味が、ここにもある。

(つづく)

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