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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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#池田晶子

みずから考え、工夫し、つくり出す思想を持て

小林秀雄を私淑する哲学者の池田晶子によれば、哲学は「在る」ものではなく、哲学を「する」も…

既視の海
1年前
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ジャーナリズムは「とってつけた」他人の思想を語っているだけだ

先の戦争では、江戸時代に武士の心得として書かれた『葉隠』における「武士道と云は死ぬ事と見…

既視の海
1年前
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我々が投げるべき砲丸は何か

1940(昭和15)年に発表された『オリムピア』(「小林秀雄全作品」第13集)で小林秀雄は、砲丸…

既視の海
1年前
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なぜ徒党を組みたがるのか

ベルクソンがいう偉大な国家統治者、小林秀雄が好きな「手仕事」をするような練達した大政治家…

既視の海
1年前
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もはや大政治家は出てこない

ベルクソンとは何者か。 主要著書である『意識に直接与えられたものについての試論─時間と自…

既視の海
1年前
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『考えるヒント』が小林秀雄のプロポ(語録・哲学断章)だ

小林秀雄が生涯つうじて著書を愛読した二人の哲学者、ベルクソンとアランについて、未完ではあ…

既視の海
1年前
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「言葉」をめぐり、小林秀雄から池田晶子、そしてウィトゲンシュタインへ

「禅」とは考える、思惟すること。「考える」とは、対象すなわち「存在」と身をもって交わること。そのときに生まれるのが「言葉」である。 小林秀雄『考えるヒント』には『言葉』という随想がある。 話すにせよ、書くにせよ、言葉を真似して伝えようとするのは易しいのに対して、その言葉で伝えようとする内容すなわち意味は、なかなか伝わらないものだと、ふつうなら言うだろう。しかし本居宣長は違う。言葉こそ第一であり、意味は第二だという。 難解だといわれる小林秀雄の文章や作品も、繰り返し読む、

身をもって相手と交わり、生まれるのが「言葉」だ

禅というのは考える、思惟する、という意味である。そして「考える」というのは、本居宣長によ…

既視の海
1年前
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日想観と中将姫につらなるものは

小林秀雄は「観」という言葉の語感から、仏教思想を思い浮かべる。そして浄土宗における重要な…

既視の海
1年前
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まず「観る」なら極楽浄土?

『人生観』という言葉は西洋哲学からの訳語であり、「観」には日本人独特の語感があるとみて、…

既視の海
1年前
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「人生観」という言葉はどこからきたのか

『私の人生観』という作品の書き出しはこうだ。 『私の人生観』のもととなったのは、1948(昭…

既視の海
1年前
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“講演文学”の名手は、講演嫌い

『小林秀雄全作品』全32巻を通読する。しかし『私の人生観』という作品をこじらせているから、…

既視の海
1年前
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『私の人生観』にはメロディーがある

小林秀雄『私の人生観』は、〈です・ます〉の敬体と〈である・だ〉の常体が混在している。しか…

既視の海
1年前
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小林秀雄の“講演文学”が心地よい

例に漏れず、受験勉強の評論文で小林秀雄にほとほと懲りて、不惑をはるかに過ぎてからようやく味読できるようになった「遅い」読者である。それでも、どこか読後にざらつきがあり、繰り返し手に取っては読んでいる小林秀雄の作品が三つほどあることに気付いた。『美を求める心』『信ずることと知ること』そして『私の人生観』である。 どうしてだろうと考えてみたところ、いずれも講演録に後から加筆した文章なのだ。道理で自分に語りかけてきて、鈍い頭にも染み入るような響きがある。のちに講演CDも全巻入手し