こま

好きな言葉 ・どんどん理想を語れ ・感情には優劣も善悪もない

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最近の記事

学び依存

「依存」って、ネガティブなものでは無いのかも? 「依存」とは 特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になること 苦痛を避けるために起こす行動 もし、求められている行動が「やめたくても、やめられない」状態になれば、ストレスが減らせるかも! 問 ・学び依存をデザインするために、何があればいいだろうか? お手伝い依存、料理依存、片付け依存、洗濯依存 こだわり、って言われることは依存ってことなのかなー? 〇〇依存、を妄想すると面白い! 生活に支障が出

    • 「遊び」は意外とすぐそばにある

      車のアクセルやブレーキには「遊び」と呼ばれる急激に作用しないような仕組みがある これが、運転のしやすさや安全性、システムの保護を目的とするのかな? この「遊び」は何に似ているのか考えてみた 法律や制度に「例外」など、あえてガチガチに決めてはいないのは直ぐに崩壊しないように「遊び」がデザインされていると言えるのかも その前提にあるのは、状況の変化に対応する ということかな? だから、想定通りにいかないことを「想定」しておくと良い、ということも遊び(柔軟に変化でき

      • ドラえもんは過去からやってくる

        ドラえもんは未来からくるものだ そういうものだと思っていた そして、今は無い魅力的な道具で助けてくれる 実際、今のあなたの力になっているものは何ですか? 未来から与えられた何かですか? 私の周りの人からよく聞く言葉は 「あの時の失敗」 今ある、苦しいとか、辛いとか、失敗 それらに向き合って何とかしようと行動して 得た小さな改善、小さな自信が 未来の自分を救う もし、ドラえもんがいるとするなら きっと未来からくるものではない 未来の自分を助けるドラえも

        • 仕事が楽しくないを変えるのに特別なスキルはいらない

          仕事が楽しくない そう思っていた 仕事が楽しい、と変わるキッカケを考えてみた 私は他の社員と比べると仕事がバリバリできる方ではない それは今も変わらない その仕事自体が好きな訳でもない だけど、仕事が楽しくてたまらない! 不思議ですよね 結論 仕事が楽しくなったのは、他人と比べる項目が変わったから。 人には得意不得意がある 仕事が楽しくないと思っていた時は、自分の苦手な分野を他人と比較していた 今は、自分の得意な分野を他人と比較している

        学び依存

          ホメて伸ばすより認めて伸ばすほ

          ホメられると嬉しい だけど、よく考えてみると ホメられたから嬉しくなっているのではない 自分のことを見てくれているとか 認めてもらえたから 嬉しく感じている 相手をホメ続けると、相手に報酬を求めることがクセになる 報酬がなければ行動しない 誰かに求められたことしかしない だから、ホメるより認めることを意識した方がいい 相手を認めるようになるには、自分自身を認めることが重要だ できないこともあるけど、これが今の自分だ できることも増えてきている 自分を認めるため

          ホメて伸ばすより認めて伸ばすほ

          反抗期ではなく覚醒期

          反抗期は、他人目線の言葉 本人目線で言うと、覚醒期 そもそも、対等な関係性であれば「反抗」なんてものはない 他人や自分自身からの束縛によるもの 仮に 考える準備が出来てきたタイミング と考えたなら、成長を感じることもできる そう考えると、反抗期がなかった人は 考える準備が出来ていないということになる 反抗期がないというのは、「正解を出す」ことに縛られているのかもしれない だからこそ、知識を得て、「正解を求めなくてもいい」と心から思えると覚醒したように変わるもの

          反抗期ではなく覚醒期

          多くの人は真面目にスイカ割りをしている

          右、右! ひだり、ひだり! と、多くの人は真面目にスイカ割りをしているように見える 企業は、真面目にスイカ割りができる人を求める 対して人は、目隠しを外してスイカ割りをする人を好きになる 私の言う真面目にスイカ割りをするとは 「目隠し」をして周りの指示を頼りに動くということ。 スイカとは目的とか指示を出す人が良いと思っているもののこと 人それぞれ価値観が違う、は疑いようがない 指示を出す一人一人が別々のスイカを見ているってことは「スイカは複数ある」ってこと だ

          多くの人は真面目にスイカ割りをしている

          背中を押す時は手を当ててから

          「押す」という行為を分解すると 1.相手に触れる 2.力を入れる 背中を押す時、大事なのは 『相手に寄り添うこと』 寄り添うという「1.相手に触れる」がないと 押すではなくて【 叩く 】になる もし 「勉強しなさい」 「早く支度して」 と相手の気持ちに寄り添うことをすっ飛ばしたのなら、自分のして欲しい力の大きさで相手を「叩いている」ことになる 物理的に誰かに叩かれると、不愉快、嫌悪感を感じることが多いのではないか? それではどうしたらいいのか? どんな時に自分のこと

          背中を押す時は手を当ててから

          サラダはフォークで食べた方が良い

          サラダをフォークで食べると 何がいいのか? フォークを使うと、一口で適度な量を口に入れることになるのが良い お箸を使うと、一度に多量を掴むことができてしまうので、1回で口に入れる量が多くなり、食べるのも早くなりがち 食事ではサラダから先に食べると良いよと聞いたことがあると思うが、更に満腹感、血糖値の緩やかな上昇などを効果的にするには、「ゆっくり」食べることがキモになる どのくらいゆっくりかと言うと、推奨されている時間は10分から15分である 毎回、こんなに時間をかけ

          サラダはフォークで食べた方が良い

          戦争がやめられないならやめないでいいと思われるやり方でやってほしい

          戦争は不愉快である 人が死ぬからだ なので、人が死なない争いなら、いくらでも好きなだけやればいい 賢い人が集まればそんな方法なんて無理ではない そんな方法あるわけない? それはただ、私たちが知らないだけかも いつか、歴史の教科書を見た子どもが言うだろう 「昔の人は、どうしてこんなカンタンな方法を思いつかなかったのか不思議です」 仕事も家庭もコミュニティでの問題も 考えることをやめなければ良くなり続ける 私にはそんな力はない? 確かに、1人では難しいだろう か

          戦争がやめられないならやめないでいいと思われるやり方でやってほしい

          タイミングをはからない、自分を優先するスキル

          誰かに、疑問を尋ねたい時、助けて欲しい時、今聞いてもいいかな?と『タイミング』をはかっていませんか? 相手のタイミングに合わせるより、自分のタイミングに合わせる方が、記憶も定着されやすい。 そもそも、相手の都合の良いタイミングなんて、普段の人間関係で変わるもの。 気の許せる後輩に聞かれたら嫌な気はせず対応するけど、要領が悪いなと思う後輩から質問されたら厳しくなってしまうものだ。 結論、タイミングをはかるより、相手とのより良い関係はどうやったら築けるのか? ということを

          タイミングをはからない、自分を優先するスキル

          「答え」=意見

          結論、答えとか正解ってのは人の数以上にある 答えは受け取るものではない もう少し正確に言うと、 受け取ったものから自分で作り出すものだ 受け取ったものをそのまま答えだとすると、自分自身の首を絞めることになる 「聞いていたことと違う!」 「マニュアルには書かれていないじゃないか!」 「そんな説明(報告)なんてなかったよ」 と言ってしまっていたら要注意だ 答えとは、自分の意見のことだ 受け取ったものはあなたの答えではなく、 相手の答え、つまり、相手の意見なのだ 大

          「答え」=意見

          精神疾患は治らない。そもそも病気ではないのだから

          精神疾患をよく知らない私の戯言です。 一種の催眠状態の人をそう呼んでいるだけなのかなと思う。 病気みたいだけど、ただ思い込む力が強いだけ。 だから、薬では症状を抑えることはできるかもしれないけど、催眠を解除することはできない。 精神疾患と言われる人に対する私の偏見だけど、幼稚園生が小学生の生活を想像出来ないように、小学生が中学生の生活を想像出来ないように、海外に行ったことがない人が海外で生活した人の考え方と自分の考え方の違いを考えることすらできないように、「何となく」

          精神疾患は治らない。そもそも病気ではないのだから

          ただ生きているだけの価値

          ばあちゃんの顔を見に行ってきた 綺麗に化粧がされて、白い箱の中で仰向けになっていた ばあちゃんと最後に話したのは7年前 その頃は元気だった それからは話をしていない なのに、ばあちゃんの鼓動が止まったと聞いた時、私の支えが1つ消えた感覚があった 日常生活の中で、ばあちゃんが特別な存在だと感じたことはなかった 支えられている気もしなかった 7年間、話すら交わしていなかった 今回、ばあちゃんが亡くなったことで、ただ生きているだけにも価値があることを知った 今、何をし

          ただ生きているだけの価値

          だから私はあなたを大切にしたい

          スプーンが壊れたら、新しいスプーンを使う 私たちも、誰かをそのように扱っていないだろうか? 同じ部署で働いていたAさんが部署を異動する そして新しく入ったBさんに、異動したAさんが担当していた仕事の質を求める あの人の代わり、なんて本来存在しないはずなのに 私もあなたも誰かの代わりにはなれない 近頃では、AIに仕事が奪われる、と聞く AIなら私の代わりになれるのだろうか? 私の代わりは存在しない だから、同じようにあなたの代わりはいない と考えて

          だから私はあなたを大切にしたい

          ばあちゃんから受け取ったもの

          昨夜、ばあちゃんが亡くなったと連絡があった 静かに息を引き取ったそうだ 人はいつか死ぬ、とても自然なこと 生前、ばあちゃんの口癖は 「感謝は大事だよ」「ありがとうの気持ちを忘れたらダメだよ」 会う度、会う度、同じ話をしていた だから、私の中の感謝には、間違いなくばあちゃんの感謝の一部が宿っている もう話すことはできない もう口癖を聞くこともない だけど、私が感謝について考える度に、あなたのことを思い出すだろう ばあちゃん、私はあなたと出会えて凄く幸せだと思う 生

          ばあちゃんから受け取ったもの