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フツーの家族が、日本一周の旅に出た。濃密すぎる100日間がもたらしてくれたもの / フリーランスライター・エディター 池田美砂子 reasons why we travel

2019年6月、家族4人で旅に出た。100日間日本一周、キャンピングカーに乗って、0歳と6歳を連れて。

断っておくと、私たちはごくフツーのサラリーマン家庭だ。東京近郊に暮らし、主人は会社員で、私はなんちゃってフリーランス。住宅ローンを組んで家を建て、週末は子どもたちと近所の公園や海で遊ぶ。旅といえば実家に帰ったりキャンプに出かけたりする程度で、5年に一度のハワイ旅行が一大イベント。フットワークは軽い方ではなかった。

家族の時間は有限、なのだから

そんな私たちが旅に出た理由。最初のきっかけは6年前、娘が生まれたことだった。結婚10年目の私たちに訪れた、子どもを授かるという奇跡。主人は3ヶ月間の育休を取得し、家族の暮らしをともにつくった。子どもの成長に一喜一憂し、家事もシェアし、小さなことでも分かち合って。24時間、暮らしのすべてを共有する濃密な時間が、私たち夫婦を“家族”へと育ててくれた。

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2013年、主人は3ヶ月の育休を取得。ゆっくりゆっくり、ほとんどの時間を自宅で過ごしたかけがえのない時間だった(撮影:菅野政昭)

主人の育休が終わり日常に戻ると、やはり家族時間の濃度は薄まっていった。主人は平日、娘の寝顔にしか会えなくなった。そのときハッと気づいたのは、家族の時間は有限であるということ。保育園に通い始めると、ともに過ごす時間は当然のように少なくなっていく。小学校に入り、さらに中高生になると一緒に出かける機会は加速度的に減っていくだろう。「それならば子どもが小さいうちに、濃密な時間を過ごしたい。家族で冒険をしたい」。そんな思いが、いつしか「家族で長期の旅へ」という願いへと変わっていった。

とはいえ会社員の主人にとって、長期間休むのは現実的に難しい。会社を辞めてしまうのも、今は考えにくい状況。であれば、そう、育休だ。もし2人目を授かることができたのなら、もう一度育休を取得して、そのときは旅をしよう。当時はただの夢でしかないと思っていたこの妄想が、5年半という歳月を経て現実となる。2人目となる男の子を妊娠・出産。娘もまだ小学校入学前の今なら長期間でも休みやすい。夢を叶えるのなら、今しかないかもしれない。

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2015年、ハワイにて(提供:池田美砂子)

子どもたちの健康や安全、娘の興味関心など、様々な角度から検討を重ねるうちに、日本をキャンピングカーで巡るという手段を思いついた。「“バンライフ”が流行っているけど、親子旅にこそ、キャンピングカーがぴったりなのでは?」主人の提案で、一気に視界が開けた。キャンピングカーは知人の紹介もあり、運良く格安でレンタルできることになった。主人は育休取得を会社に申請。子どもたちの健康状態も良好。あれよあれよと、何かに導かれるように旅立ちの条件は整っていった。

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題して「育休キャラバン」。知人が旅のロゴまでつくってくれた。出会った人、お世話になった人に手渡した名刺は、300枚を超えた(撮影:大塚光紀)

誰かの“いつもの暮らし”をそのまま体感する旅

こうして私たちの日本一周の旅「育休キャラバン」が始まった。目的は、“家族で濃密な時間を過ごす”こと。決して47都道府県を巡ることじゃない。だから無理せず、安全と健康を第一に、いつでも辞められる状態で。ビビリで慎重派の私は、そんなことを念仏のように唱えながらキャンピングカーに乗り込んだ。

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2019年6月1日、「育休キャラバン」スタート。初日の夜は興奮と少しの不安で眠れなかったのを覚えている(撮影:大塚光紀)

運転にはすぐに慣れ、子どもたちもまるで小さな家のような広い車内でテンション高く、好調な滑り出し。いつでもお昼寝できるし、子どもたちが寝ている間に移動できるし、ちょっとした自炊もできる。キャンピングカーのおかげで旅が本当に自由に感じられた。

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レンタルしたキャンピングカーは、居室の広さが魅力の「キャブコン」と呼ばれるタイプ。運転席の上の屋根裏部屋のような空間は子どもたちの遊び場兼ベッドに。後部は2段ベッドになっていて、100日分の荷物を積んでも4人家族が過ごすには十分の広さだった。長期のため通常のおよそ半額でレンタルできたため、旅の費用はかなり節約できた(撮影:大塚光紀)

ルートをかなり漠然とさせたままスタートしてしまったが、旅のテーマみたいなものはすぐに見えてきた。それは、知人・友人の暮らしを体感させていただくこと。観光地巡りは、ガイドブックや予備知識の“確認作業”で終わってしまうことが多く、子どもも大人も、あまりワクワクしない。私たちが心から「いい時間だったな」と思えるのは、友人の“いつもの暮らし”をそのまま体感させていただけたとき。その人、その家族の日常に触れ、お互いの話をして、共通点を見出して喜びあい、違いを発見して面白がって。そんな時間が、しみじみありがたく、愛おしく感じられたのだ。

北海道・札幌では、「パーマカルチャー研究所」を営む三栗祐己さんファミリーを訪ね、ともに時間を過ごさせていただいた。家族みんなで過ごす時間を何よりも大切にし、パーマカルチャーの概念を取り入れた自給自足の暮らしを目指して冒険を続ける三栗ファミリー。家はDIYでどんどんかたちを変え、食も衣料もできる限り手づくり。娘さんの通う「札幌トモエ幼稚園」は家族も一緒に過ごせるユニークな園で、お兄ちゃんは小学校には行かないという選択をし、4人全員で「トモエ」に通う日々。価値観を覆されるような出会いだったが、自分たちの大切にしたいものを大切にして自然体で生きるその姿を娘はとても自然に捉え、「私は小学校に行きたいな」と、自分との違いを楽しんでいた。

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2019年7月、札幌の三栗ファミリーと。三栗さんも育休を取得した経験があり、家族について、生き方について、初めてお会いしたとは思えないほど深い対話をさせていただいた。娘が「北海道に住みたい」と言い出した理由の一つは、この家族との出会いだったと思う(提供:池田美砂子)

鳥取県・智頭町では、一年を通して多くの時間を自然の中で過ごす森のようちえん「まるたんぼう」に通うために全国から移住してきた4家族が暮らすシェアハウスに泊めていただいた。10名ほどの幼稚園年齢の子どもたちと兄弟、その親たちが衣食住の空間をともにする“拡張家族”。喜びも、悩みや迷いも共有しながらまるごと一緒に生きているその姿は、核家族の私たちにとってはとても刺激的だった。夜にみんなで眺めたこぼれるほどの星空も忘れられない。

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2019年8月、智頭町のシェアハウスにて。オープンであたたかな空気を感じ取り、娘は一晩ですっかりこの家の一員となったような振る舞いを見せていた(提供:池田美砂子)

家族のかたち、暮らしのかたちは本当に多様で、一つとして同じではない。「違うって面白いね」。主人と娘とそんな話をしながら、旅路は続いた。

自然という未知との遭遇

素晴らしい自然にもたくさん出会った。北海道・知床では「カムイワッカ湯の滝」を訪れ、湯気が立ち上る急流を沢登りし、自然の神秘に触れた。道中にはヒグマやエゾシカにも遭遇し、動物たちの環境に人間が“お邪魔”していることを知った。

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知床の秘湯「カムイワッカ湯の滝」にて。娘はこのとき右足を捻挫していたけれど、最後まで弱音を吐かずに沢を登りきった。旅の中では、普段見せない娘のド根性を目の当たりにすることも多かった(提供:池田美砂子)

高知県を流れる“最後の清流”四万十川では、家族でSUPを楽しんだ。0歳の息子も乗せて、網を持って魚を探して。見渡す限り人工物はなく、川の水はどこまでも美しく、親子ともに心が洗われるような時間だった。

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旅立ち前は海派だった私たち。雄大な四万十川の美しさに魅了され、すっかり川遊びの虜に(提供:池田美砂子)

鹿児島県・屋久島は自然のエネルギーに満ちあふれていた。屋久杉やガジュマルの森を歩いて三千年もの月日を感じたり、リバーカヤックでしか行けない川岸で魚を探したり。

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屋久島の「猿川ガジュマル」にて。0歳の息子も目を見開いてあたりをキョロキョロ。自然の神秘を感じていたのだろうか(提供:池田美砂子)

自然という未知との遭遇は、いわば新しい世界に触れること。家族で現場に足を運び、その空気をまるごと体感・共有できたことは、本当にかけがえのない経験だったと思う。

親子旅の理想と現実

さて、「親子旅」と聞いて多くの人が期待するのは「子どもの成長」だ。旅が子どもをどのくらい成長させてくれたのか、知人からよく質問を受ける。これに関しては「うん、確かに」という感じで、0歳の息子はともかく、娘はものすごく自立・成長したと思う。旅を続ける中で暮らしに興味を持ったのか、皿洗いなどのお手伝いを積極的にするようになった。出会いを繰り返すことで人との関わりが楽しくなり、お風呂でも食堂でも積極的に知らない人に話しかけるようになった。ひとりで冒険がしたくなったのか、旅の途中、「お泊りしたい!」と言い出し、ひとり3泊4日のサマーキャンプのプログラムに参加。戻った娘の顔つきは明らかに変わっていて、自分自身で社会との接点を持とうとするようになったし、自分に自信を持てるようになったように見えた。

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新しい体験や出会いが子どもの心を育ててくれるし、日常では見逃してしまいがちな子どもたちの小さな成長もすべて間近で感じられる。これは、親子旅の大きなメリットだと思う(撮影:大塚光紀)

でももちろん、現実はそんな美しい話ばかりではない。たとえば子どもと一緒では、文化的な場所に足を運ぶことは難しい。すぐそこに訪れたかったおしゃれブックカフェがあるのに、見たかった美術館があるのに、子どもがとなりの公園の遊具にへばりついていて、気づいたら営業時間が終わってしまった......なんてことを、何度繰り返しただろうか。日々の暮らしの営みも、それはそれは骨が折れる。毎日午後4時頃からは、お風呂探しと道の駅探しが始まり、午後9時頃寝かしつけるまでは、眠さと疲れでグダグダの子どもたちと向き合い、怒涛のように過ぎていく。夕飯は地元の海鮮や郷土料理を味わいたくても、スーパー銭湯の食堂でカツ丼やカレーで済ませてしまうことのほうが圧倒的に多かった。100日間の間に、娘は3度、息子も1度熱を出し、その度に旅はストップ。見知らぬまちの小児科に駆け込み、ホテルを当日予約して休息を取った日もあった。

親子の衝突も多かった。24時間一緒にいると、お互いの素の姿があからさまになる。娘は意志が強く頑張り屋。負けず嫌いで、自己主張が強すぎるところもある。旅でのストレスも加わり、自分の行きたい場所に行けなかったり、アイスを食べそこねたり、ちょっとしたことで超絶不機嫌になり、親に八つ当たりを繰り返した。私は私で、完璧主義で押し付けがましいところが露呈してしまい、家族にも嫌な思いをさせてしまった。普段、幼稚園や職場にいて離れている時間が保っていたお互いの我慢が限界を超え、特に女同士の娘と私は何度も喧嘩した。一時期は、娘と口を聞くのも、肌に触れるのも嫌になってしまった。母としてはあるまじきことだが、そのときの私には、どうしようもなかった。

いろいろな日常の膿が表出し、一時期は本当に混沌と、苦しい時間が続いた。普段は喧嘩しない主人とも心がすれ違うことが増え、家族で一緒にいるのが苦痛にさえ思えた。旅を続ける自信も失いかけていた。

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目的地をプロットしてつくった、ざっくりとした日本一周のルート。6月は関東から太平洋側を北上し、北海道一周。7月からは日本海側を南下し、8月は九州・四国・近畿を巡る予定だった。しかし、居心地の良い北海道に4週間も滞在してしまったり、東北日本海は地震、九州北部は水害のため訪問を断念したり、子どもの体調で旅をストップさせたり、結局はまったく違う旅程に(撮影:大塚光紀)

家族だって、違う人間なのだから

そのとき明確に感じたのは、家族とはいえ、違う人間であるということ。私にはどこか、「家族であれば自然にわかりあえる」なんて思っているところがあった。でも、違うのだ。大前提として、親と子だって違う人間で、考え方も性格も違って当たり前。衝突するのだって当たり前。子は親を選べないし、「親子だからうまくいく」なんて、きれいごとでしかないのだ。

じゃあ、違う人間同志が気持ち良く一緒に過ごすためには? その答えは、この旅が教えてくれていた。「同じところを喜び合い、違うところを面白がる」。旅で繰り返してきたことを、そのまま家族間でもやればいいんだ。いい意味での諦めと割り切り。それができたとき、肩の力が抜けて、娘を見る目が変わった。主人とも話し合い、家族の関係性は少しずつ修復されていった。お互いの嫌なところ、弱いところも責め合うことなく、「仕方ないよ」と許せる空気が私たちを包んだ。こうして旅の終盤には家族が再びチームとなって、笑顔で自宅に戻ることができた。

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2019年9月、100日ぶりの自宅前にて(撮影:大塚光紀)

キャンピングカーでの100日旅という濃密な時間の中でお互いをさらけ出し、そこから膿が出て、爆発して、出し切ったからこそ見えてきた、新たな家族のかたち。それは、正面から向き合うのではなく、家族が「旅を続ける」という同じ方向を向いていたからこそ、見えてきたものだろう。向き合いすぎると疲れる親子関係。でも家族で横に並ぶと、仲間になれる。同志になれる。この“同志”としてのあり方は、日常に戻っても、わたしたち家族の根底に流れ続けるだろう。

日常の中でも、家族で冒険をしよう

「もっと自由でいい、もっと家族で冒険しよう」。

これが、旅を終えた私たち家族の一番の気づきであり、願いだ。多様な価値観に触れ、旅という冒険の中でお互いのことを嫌というほど知り合い、それでもともに冒険する楽しさを知った。そして私たちは、日常の中でも冒険を始めた。

現在、家族内プロジェクトが3つ、進行中。家の一部を地域の人々に開放したり、民泊を始めたり、主人とビジネスをつくる企てをしたり。どれも、旅で出会った方々からインスピレーションを受けて構想が湧き上がり、娘も一緒になって「それ、いいよね」と始まったプロジェクト。日常の中でも、“同じ方向を向く”同志であり続けられたらいい。

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同じ景色を見てきたことで、家族の共通言語が増えた。会社員の主人も「人生最高の寄り道だった」と話してくれている(撮影:大塚光紀)

そして誰かが行き詰まったり、家族で迷子になりそうなときは、また旅に出ようと思う。家族のあり方は、きっと、そのたびにアップデートされていく。いつまでも人生を冒険するチームであり、変わり続けられる私たちでいたい。

さて、子どもたちは何歳まで付き合ってくれるかな。不謹慎ながら、「学校に行きたくない」とか言い出したときがチャンスかな、なんて密かに悪巧みをしていることは、子どもたちにはナイショです。

長い人生、少しぐらい寄り道しても、いいじゃない。だって家族の時間は、本当に“有限”なのだから。

【プロフィール】

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池田美砂子(いけだ・みさこ)
フリーランスライター・エディター
神奈川県茅ヶ崎市在住、2児の母。大学卒業後、SE、気象予報士など会社員として働く中でウェブマガジン『greenz.jp』と出会い、副業ライターに。2010年よりフリーランスライターとして、Webや雑誌などメディアを中心に、「ソーシャルデザイン」をテーマにした取材・執筆活動を開始。聞くこと、書くことを通して、自分が心地よいと感じる仕事と暮らしのかたちを模索し、生き方をシフトしている。
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