「生きづらさ」とは
はじめまして。
ぎ。と申します。
私は元ひきこもり当事者であり、
現在は福祉の現場で人を支援する仕事をしています。
医療や若者支援のNPOから支援を受け、社会に出て働けるようになりましたが、今でも生きづらさを感じながら日々を過ごしています。
この「生きづらさ」というものはとても厄介で、
自分ではなかなかコントロールすることが出来ません。
そしてひとりで抱え続けると、余計につらさが増してしまう。
そして、生きづらさはマイノリティ特有の悩みであるために、
身近にいる人でも共感を得るのが難しい。
でも、同じように生きづらさを持つ人と気持ちを分かち合ったとき
「自分だけじゃないんだ」 「ちょっと勇気が持てた」と
とても嬉しい気持ちになったことがあります。
その経験から、私は「生きづらさ」をひとつのテーマとして記事を書き、身近ではないどこかにいる生きづらさを抱えた人が読んでくださることで、その人と繋がりたい、気持ちを分かち合いたいなと思っています。
困難を抱える人同士で支え合うことを ピアサポート といいますが
このnoteでそれを実現していきたいと考えています。
一口に「生きづらさ」と言っても、その中身(困っていること)は人それぞれだし、あまりに幅が広いかも知れません。
ただ、「生きづらい」という感覚をもつことは、誰かの生きづらさに思いを馳せる上で役に立つのではないか、そう私は思っています。
私が今感じている生きづらさとは
・周囲からの評価(どう思われているか)に過敏
・自己コントロールの弱さ
この2つに大きく分けられます。
それらについて
"社交不安症(SAD)" ”HSP” ”発達障害” ”ADHD”
”アダルトチルドレン(AC)” ”回避性パーソナリティ”
などいろいろな言われ方があります。
(ちなみに診断はSADとADHDと付いています)
ですが、どんな診断が付いているか、自分でどこにラベリングするかは
あまり重要ではなく、
大切なのは
・どんなことに困っているのかをできるだけ具体的に把握して
・どうすれば困らなくなるか あるいは 困り感が和らぐのかを考えていくこと
なのではないかと思います。
私自身、病名にこだわりすぎていて、自分自身を見失いかけた過去があります。
そうではなく、
”困っていること = 自分自身の生きづらさ”
に焦点を当てて考えることで自己理解が深まり、
和らいでいったように思います。
もちろん、症状が重い場合など、医療のケアを十分に受ける必要がある場合、医師の診断とそれに沿った治療は必要だと思います。
私は、それとは違う見方で生きづらさについて考えていきたいと思います。
初めての投稿でうまく書けた気がまったくしない...
上手くいかないことも含めて自己表現だと思って、今回は筆を置くことにします。
ぎ。
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