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小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(12)


12

 ロンドン郊外の南西部で、中心部をテムズ川が流れる風光明媚なリッチモンド。其所はかつて英国王室の宮殿があった歴史的に重要な地域だ。ヒースロー空港とロンドン中心部の大凡中間地点に位置し、そのリッチモンドという名が示すように住民は富裕層も多く、比較的に治安の安定した高級住宅地としても知られている。最近は世界的に有名なインターネット関連企業のPayPalやeBayなどが英国における支社をここリッチモンドに拠点を移した事で、より多くのICT産業がこの地区に集積し始めているのも興味深い。 
 その牧歌的豊かさを感じるリッチモンドの丘には、テムズ川とその周辺の自然が一望できるエレガントなヴィクトリア様式の佇まいの老舗ホテル「ピーターシャム・ホテル」がある。英国を代表する風景画家のターナーが此処からの眺めを愛してやまなかったというホテルだ。

 現在そのピーターシャム・ホテルの大広間ではアレイオーン・ファイナンシャル・グループの傘下企業役員や投資家達など富豪や世界的な要人が集まり、今後の世界情勢を見据えての投資先対象の選定やグループの事業拡大の為の企業戦略を話し合う会食を兼ねたグループの定例会議の最中だった。
 この会議の幹事兼議事司会進行を務めるのが、如何にも英国紳士風のwell- dressed(身なりのいい)なロマンスグレーの五十代の男性、英国貴族称号を表す爵位の公爵を持つアレイオーン・ファイナンシャル・グループCEOのオーエン公爵ことサミュエル・オーエンだった。
 貴族出身の彼の人脈と、グローバルなグループ企業というシナジー効果を活かした成長戦略で、グループは次々と新規事業を成功させてきた。今回も彼を中心に、新しい提案や提携について白熱した議論を展開していた。

 ホテルの周辺はまるで主要国首脳会議(サミット)のような物々しい警備車両とシークレットサービスが配置されていた。
 今回この会議の警備を請け負ったのはブラック・サイン・コーポレーション(BSC)だった。ホテル前にはテレビ局の中継車のようなBSCの本部車両が置かれ、車両内部では何人かの要員がホテル内外に設置した監視カメラの映像をモニタリングしていた。

 定例会議がそろそろ終盤に近づいた頃、ホテルの玄関前に1台のベントレー・フライングスパーが到着した。
 BSC本部車両の監視モニターディスプレイにも丹念に磨き上げられ黒光りする高級車のボディが映っていた。
「今着いた車を拡大してくれ。それとゲストのリストをこっちへ!」
 モニターを監視している監視員の背後からコックニー訛りの強い口調でカメラの遠隔操作を指示したのは、BSCのセキュリティチームのリーダーで、ブラックサインコーポレーションの装備や機器システムの考案や設計をしている技術開発セクション主任技師のトッド・マクガイヤーだった。
 彼は体重140kgという巨漢の男で、同僚や仲間達の信頼も厚く、親しみを込めてみんなからはビッグマックと呼ばれていた。
 ギークシックな黒縁の大きな眼鏡、洗いざらし感のある紺色のマーガレット・ハウエルのノーカラーシャツ、オフホワイトのハーフパンツにビーチサンダルを履いたビッグマックは監視員からリストを受け取ると、手に持っていたラグビーボールぐらいの小さなオックスフォード生地のバッグのファスナーを開け、中から幾つかのパイプ状の物と折畳まれた布を無造作に取り出した。韓国のヘリノックスというアウトドアブランドのチェアワンという折り畳み式のコンパクトな椅子だった。幾つかに見えたパイプは全てゴム製のショックコードで繋がっており、ビッグマックは全てのパイプが繋がった中心のパイプを掴んでカンフーに出てくる三節棍のように何度か振り回した。するとその勢いでゴムの伸縮しながら、パイプ同士が勝手にジョイントして椅子のフレームが出来上がった。次に傍らにあった折り畳まれた布地の座面シートを広げ、椅子のフレームの高さの違う4箇所の突端に座面シートの四隅に設けられたポケットをはめ込むと、ものの見事に立派な椅子が完成した。彼はその出来上がった椅子にドカッと腰掛けた。彼が座ると布製の座面がパンパンに膨れ上がり、見た目には支えのパイプが撓って今にも折れそうで華奢に感じるが、航空機にも使用される最高強度の超々ジュラルミン製のパイプは実際にはビクともしなかった。
「もう少し扉に寄って……そう、そんな感じ」
 無精髭を撫でながらビックマックがオペレーターに指示をすると、上空を旋回していた監視用ドローンと、高解像のLiDARイメージングユニットを搭載した人の背丈ほどある自律移動型警備ロボットのカメラが対象者を自動追尾するようにベントレーのドアを捉えていた。
「セキュリティチェック開始」
ビッグマックがそう言うと、自律移動型警備ロボット上部の各種センサー機器が忙しく動き始め、セキュリティチェックの状態のメッセージがディスプレイに表示された。
 これらの装備はBSCで次期配備予定の自動警備システムで、設計を担当したのもビックマックだった。今回は実証実験を兼ねて警備現場で彼自身がモニタリングしているのだ。
 警備ロボットから送られてくる情報が警察など各種機関とネットワークで繋がれたBSCのクラウドコンピュータの個人情報データベースと照合され瞬時に経歴や犯罪履歴などが表示されてセキュリティ判定されるのだが、今回、其処には意外な判定結果が表示された。それは犯罪者のデータなどではなくビックマックがよく知る人物のデータだったのだ。
 そして次の瞬間、ベントレーのドアが開いて中から女性が降りてきた。
「――ん!? これはどういう事だ?」
ビッグマックは渡された参加ゲストの写真とカメラで映し出された女性の顔を見比べながら驚いたような顔をした。
「――至急、本社のレナに電話を繫いでくれ! 緊急回線で頼む! あとカメラとセンサーの解析データの詳細を本部のデータベースと照合してくれ」
 モニターの監視役とは別のオペレーターがビッグマックの指示で電話を繫いだ。正面に配置されたモニターディスプレイ画面の一画にレナの顔が映し出された。
「――どうしたの?」
 レナの声が車内のスピーカーを通して聞こえてきた。
「例の訓練中のお嬢ちゃん、今回こちらで使う事になっってるのか?」
「――アカリの事? いや、それは無い。彼女は先日の最終テストの後イースト・サセックスのLDVU(回収地点)で回収したばかりで、今は回復治療中よ……」
「そうか、わかった!」 
 ビッグマックは振り返ると背後の警備スタッフに指示をした。
「警戒レベルを上げておけ!! 配置人員は全員装備アルファで状況確認!」
「一体何があったの? 報告して!」
 電話の向こうでレナが言った。
「今カメラ映像を切り替える」
 そう言ってビッグマックは自分が写っているセルフィーのカメラ映像を外の警備ロボットのカメラ映像に切り替えた。
 其処に映っていたのは、パープルの髪の毛に鮮やかな赤が眩しいオールドイングランドのクラッシックダッフィルコートを身にまとった見覚えのある女性だった。
「――其処に居るのは、ネオ・フォービドゥン・プラネットのクラブシンガーのジューシー・パイン?」
 レナはその画像を見て呟いた。
「会議の主催者のオーエン卿が今日のゲストとして呼んだクラブシンガーなのは間違いない。だが、今回我々が新たに配備している警備ロボットのバイオスキャナーによるAIセキュリティチェックデータと、うちの衛生軌道上にあるコンピューター衛星で解析したデータを照合すると、どうにもこの女性シンガーと訓練中のお嬢ちゃんのアカリが同一人物という判定をAIが示すんだ。ジーン・マトリクス(遺伝子配列)も含めて全く一致しているという……これって? もしかしたら以前あんたが言っていた例のアリシマの……?」
 何かを確認するかのように、ビッグマックがレナに尋ねると、回線の向こうで彼女が静かに答え始めた。
「――多分そう、貴方の予想の通りでしょうね……そのジューシー・パインって子はアリシマ邸の地下実験施設から消えた実験素体の一つだと思うわ。其れについてプライベートで貴方に少し話しておきたいことがあるんだけど、回線を切り替えてくれる?」
「解った。俺の携帯にかけ直してくれ」
 ビッグマックはそう言うと、巨体の割には素早く立ち上がり、監視車両の外に出てホテルの方に歩き出した。入り口のエントランスを過ぎた辺りでシャツの胸ポケットに仕舞い込んだ携帯が鳴った。


 会議中の大広間に一人のホテルスタッフが入ってきた。すると彼は議事進行中のサミュエルの横に近寄り何やら耳打ちした。
「――皆さん! 会議の途中ですが……」
 サミュエルの言葉に全員が注目した。
「本日は皆さんの為にちょっとした余興を用意してました」 
 サミュエルはそう言いながら懐から取り出したA.ランゲ&ゾーネのトゥールビヨンの懐中時計の文字盤をチラリと確認した。時計の針は午後2時を指し示していた。
「本日の余興のゲストが到着したようです。では皆さんに紹介します!」 
 すると、会議中の大広間の後ろの扉が開き、煌びやかなステージ衣装を纏った少女が入ってきた。すると静かな会場内がザワザワとざわめいた。
「オーエン卿、本日はお招きいただきありがとうございます」
 そう言いうと少女はスタッフからマイクを受け取り、会場に流れだすカラオケ演奏に合わせて静かに歌い出した。
「Swing low, sweet chariot……」
 其れはラグビーイングランド代表の応援歌としてもよく知られている『スイングロー・スウィート・チャリオット』という曲だった。

静かに揺れる 愛しのチャリオット
僕を迎えに来る
静かに揺れる 愛しのチャリオット
故郷へと運んでおくれ

 彼女の優しくも力強い歌声が会場に染み渡った。

「成る程、噂に違わぬ歌唱力だな。さあ、皆さんに紹介しよう! クラブ、ネオ・フォービドゥン・プラネットの歌姫ジューシー・パイン! そして……」
 サミュエルはそう言いながら歌姫の横に近付くと、素早く懐からカランビットナイフを取り出した。東南アジア発祥の格闘技プンチャック・シラットで武具としても使われ、虎の爪を模したと言われる刃先が湾曲した小型のナイフで、彼は其れを素早く逆手に持ち替えると彼女の背後に回り首元にナイフを突き立てた。薄らと彼女の首筋から血がにじみ出た次の瞬間、彼女は悶絶するようにその場に倒れ込んだ。
 予想だにしなかった突然の出来事を目撃した出席者達は、誰もが驚愕した。中には悲鳴を上げる者さえいた。
 構わず、サミュエルは話し続けた。
「さあ、時は満ちた! この女こそ、現代の遺伝子工学と近世魔術によるハイブリッド技術で完成させたホムンクルス(新造人間)であり――HGA(Holy Guardian Angel:聖守護天使)のアイワス (Aiwaz) との会話(the Knowledge and Conversation of the Holy Guardian Angel)の橋渡しを司る供物となりうる存在なのだ。当に我々の目指す新しい未来を創世するための第一歩となるであろう」
 熱く語るサミュエルの言葉に、先程まで驚き怯えていた参加者達は皆一様に頷いた。
 そう、サミュエルを含めてこの会議の参加者達は、実は神秘主義的秘密結社カイオンの構成員でもあったのだ。


――――物語は13に続く――――



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