体調日誌:感覚が漏れる
7月に「竜とそばかすの姫」を見ました。音楽もストーリーもよくて感動しました。映画を見た後も流れていた音楽を聞いたり、録画していた紅白でのパフォーマンスを見たり、映画を見ていて出てきた感情を整理していました。
また、その後に美術館に行ってアートを見ました。どの作品もエネルギッシュで作者の衝動が伝わってくるような絵で、帰ってから描いた人がどんな人かとことん調べたりしました。
そんなことをしていると、最近まで現実的になっていた思考が段々と感覚寄りになってきました。
現実主義で生きていた時は体も動いて色んなことが出来ていたけれど、どこか窮屈で何かに追われていたなと感じました。
そうして、感覚的である方が自由だし、良いものに対してこころを開くことができると感じました。
だから、こっちの方が良いのでは?と思ったのですが、そうなってからはこころの中に収まりきらないある部分がはみ出してしまっているような状態で、体調や生活が安定しなくなってきました。
先生には、映画や芸術をみるにはまだ早すぎて、刺激を受けて思い出さないほうが良いある部分を思い出してしまっていると言われました。
それが何なのかよく分かりませんが、仮眠をして気持ちを寝だしする作業や、スマホのメモ機能に出てくる言葉を書き出すことが増えました。
(感覚的になると、良いものだけでなくネガティブなものも一緒に想起される。心の中で蓋をしていることが思い出されてつらくて背負うことが出来ず、それらを意識しないために寝たきりの状態になるのだろうか?感覚的にいることは悪いことではないが、過去の処理できない気持ちが風化しない限りは現実に寄っていた方が安全なのだと思う。地に足を付ける感覚。)
8月になって暑さも重なり余計に外出が億劫になったり、体が重く感じられて横になることが増えました。
楽しかったお菓子作りや料理もやる気がわかずあまりできませんでした。
9月になり夜が涼しくなると寝苦しさが解消されたり、朝起きた時の体の重さがなくなりました。
天気のいい日は気分もよく、少しずつ活動できるようになってきました。
でも、雨や台風がくると全身が重くて何もやる気が起こらなくなります。
このように、日によって本当に体調が変わって、自分の行動も中身も同じ人物かと思えないくらいです。
映画を見る前は現実を生きることができお弁当を作ったり、土日に出かけたり、お菓子を作ったり、文章を書いたりして、今思えばよく動けていました。
感覚寄りになると、ある種のストレスから解放されて自由を感じる一方で、情緒が不安定になりトラウマを引きづりやすくなります。
ちょうどいい精神と思考のバランスを保って、のびやかに生きていきたいです。まだまだ試行錯誤の日々は続きますが、いろいろなことを試しながら体調を回復させていきたいです。
気分や情緒が安定した生活を目指して、これからもめげずに暮らしていこうと思います。
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