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不登校に抱かれがちな3つの不安〜いち心理士の考察


都内の臨床心理士、オマメです。

前回不登校に関する記事を書いてみたところ、
言いたいことが沢山出てきて驚きました。

今回は、書ききれなかったことを補足します。
オマケ部屋です。


さて、子供が不登校になった時、
保護者の方がよく不安に思われるテーマが、

①ちゃんとした大人になれるの?
②必要な協調性が育たないのでは?
③休んでいる時間は無駄なんじゃないの?

この3つです。
今回は、これらの不安について、支援者として
考えてきたことを綴ります。

Q1:ちゃんとした大人になれるの?


まず、不登校ケースで抱かれがちなのが、
小中学校に行かずにちゃんと大人になれるの?
という疑問です。

学校は「教育を受けられる場所」、つまりは
「なにかを教え育ててもらえる場所」なので、
そこへ行かない分だけなにかの遅れをとるのが不安になるのではないでしょうか。

私が色んな方と対話してみたいのは、
この「なにか」って一体なんなんだろうね?ということです。
それが不登校支援のヒントになる気がします。

例えば、空手教室や書道教室に通う人は、
空手や書道の技術を修練をしていきます。
長く通っているほど技術が高いことが多いし、
そこへ通っていない人は空手や書道に関しては
素人同然といえます。

しかし「空手教室に通わないで、ちゃんとした
大人になれるの?」とは思わないですよね。

つまり、私たちの心のどこかに、
学校は「ちゃんとした大人になるための修練を
するところ」みたいなイメージがあると思う

ですが、いかがでしょうか。

それが間違っているとかではなく、これからの
教育を考えていくために、
「ちゃんとした大人になるために必要な修練ってなんだろう?」ということを再考したいのです。

ちょっと乱暴な理屈かもしれませんが、
身体の病気で小中学校に通えなかった子は、
ちゃんとした大人になれないのでしょうか?

そんなことはない気がしませんか。


そもそも、学校制度がなかった時代には、人は学校に行かずして大人になっていたんだよなと思ったりもします。

それでもちゃんと子供を作って育ててきたから今の私達の時代があるんだよな…と思うと、
小中学校に行かなかったら大人になれないということはあり得ないんじゃないか、と。

人がちゃんとした大人になるために必要な教育
って、なんでしょうね。

義務教育を受けた人は全員、
「ちゃんとした大人」に育っていますか?

いや〜怪しいよなぁ…と思います。

不登校状況に苦しんでいる親子それぞれから、
「この子はきちんと育っていけるだろうか」
「私はきちんと育っていけるだろうか」
という
不安を受け取ることがよくあります。

その不安は妥当で、その子の未来を考えていくためには大事な不安でもあると思います。
ただ、小中学校に行くことは、きちんとした大人に育っていくための絶対条件ではないです。

これくらいは言えそうかなと思っています。

じゃあ、何が必要なの?って、
それを考えていくのが大人の仕事なんじゃないですかね。知恵を出し合いたいところですが、
どうでしょう。

Q2:協調性が育たないんじゃない?

「学校に行かないと協調性が養えないのでは」と思われる方が一定数いるようです。

では、そもそも協調性とはなんでしょうか?

協調…利害の対立する者同士が穏やかに相互間の問題を解決しようとすること,または性格や意見の異なった者同士が譲り合って調和を図ること
協調性…周囲とうまく協調できる性質のこと

広辞苑第7版 (新村,2018)

広辞苑の定義を噛み砕いてみると、
「周りとのズレをうまいこと調整できる力」
というところでしょうか。

確かに、学校はエグい数の他者が集まるので、
"他人とのズレを調整してうまくやってく力"を
育てるのにもってこいのフィールドではある

思います。クラス替えがあればまた別の集団に出会い、いわば武者修行ですよね。

その中で鍛えられる協調力というものは、当然
あると思います。
営業マンとして働いてる人にしか身につかない
コミュニケーションスキルがあるように。

ただ、家の中にも他者はいるんですよね。

それは両親などの保護者だったり、
居れば兄妹だったり、祖父母だったり。

家族は一番身近な他人なので、
コミュニケーションスキルのベースを育てる
ことができる(直接かかわれる)距離にいます。

そういう身近な他者との間でも、生活を共に
していれば、必ずズレはある
筈です。
そういうズレをうまく調整する訓練ができれば
その子の糧になると思います。

家庭内で身につけたスキルを外で応用する機会も必要でしょうが、それは地域の人だったり、
学校以外のコミュニティで武者修行する工夫も
あってもいいなと感じます。

いずれにせよ、
学校に行かなかったとしても、家族間のコミュニケーションから協調力の土台となるところを
育てていける可能性がある
ということです。

そういう意味では、学校へ行っていなくても、
まずは家庭内でコミュニケーションが円滑に回ることを目指すといいと思います。

『いやいやウチはズレがなくて、我が子のことはなんでも分かるし、子供も私のことをなんでもわかるんです』という場合、ズレがなさすぎて苦労しているパターンもあります。

これは落とし穴なんですよね…。
親子共に心理センスも高くて、限りなく支援的にやっている筈なのに、うまくいかない。

そういう苦しさを抱える場合もあります。

ズレがなさすぎる場合は、親子間で段々ズレを
作って耐える練習ができると良いと思います。もしくは、ナナメの関係(両親の知り合いや地域の人や支援者)を作って、そのズレを調整する
練習をするとか。

まとめると、
学校でしか身につかない協調性というものはなく、工夫次第で代替的に習得可能だと思います。


Q3:休んでいる時間は無駄なんじゃないの?


不登校ケースの親御さんの中で、たまに、
"学校を休んで家にいる時間には意味がない"と思っておられる方に出会います。

特に、ご自身も頑張り屋で「何もしない時間」が得意でなく、合理的に成果を求めるタイプの方はこの不安に苦しみ易いように思えます。

これは、
「親として自分がなにもしてやれない苦しさ」
であることも多いので、責められません。

また、親御さん自身が自分の子育てに点数をつけてしまうようなプレッシャーを感じていたり、つい他の家庭や自分の理想と比べて"うまくやれていないのでは"と不安に思っていることもあります。

成果主義のような殺伐とした気持ちになってしまう親御さんは、ご自身のどこかに傷ついた気持ちを抱えていることが多いのです。

そういった方によくお伝えするのは、
「休んでいるだけ」にも色んな意味があり、
親御さんがそれを理解しようとすることがまず
大事であること…ですが、

子供が心身が元気になってきている場合には、
休んでいる間に家の中で育てられる力も実は
結構ある
とも思うんですよね。


例えば…、
・生活リズムなど、自分で健康管理できる力
・知識を収集する力(家庭教師/塾/独学など)
・勉強でなくても、自分でやるべきことを決め 
 てそれに取り組める力
・嫌なことから逃げない力
・他人との約束を守る力
・生きるエネルギーになる楽しみを見つけ力
・誰かの為に何かができる力

など。無限にある気がするので割愛しますが、
これらは家にいても養える力だと思います。

何かに取り組みたかったり、子供の成長を感じたいタイプの親御さんであれば、
子供の回復具合を見ながら取り組めそうな課題を一緒に探すこともあります。

もちろん、休んで回復に徹した方がいい時期は
ありますが、
不登校だからなにも頑張っちゃいけないわけじゃありません

休んでいることに意味があるし、
その意味を吟味した上でなら、休んでいるなりにできることがある
、と思います。

まとめ


いかがでしたか?

不登校をテーマに書いてから、
「うーんあの書き方はどうだっただろう」と、
後から反省するところもあります。

個人的には、学校の良いところについてかなり
消極的に書いてしまった気がしており、
学校の良いところ(楽しい/面白いところ)も
今度纏めておきたいかなとは思いました。

支援者の方、保護者の方、当事者の方、それ以外のどんな方でも、
気になった点や別の切り口からのご意見、
素朴な感想など、
思いつくところあればぜひご助言ください。

ではまた…。


引用文献
新村 出(編)(2018).広辞苑第7版 岩波書店

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