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臨床心理士になる前の不安と、なってみてわかったこと



こんばんは!オマメです。

前回、#あの選択をしたから で、
臨床心理士になったわけを考察しました。 


キイロスズメバチを目指す兄へのコンプレックスから、個別性を重んじる価値観が形成され、
心理士の仕事とマッチした…という話でした。

いや、どういう話?

こんな感じで、noteでは、
かなり自由に語らせてもらっていますが、
これがなかなか、楽しい。

安全感の中で好きに語れる場…というのが、
クライエントさんの追体験になっている
気もします。ありがとうございます。



さて、今回は、


①臨床心理士になる前に持っていた不安

②実際に働いてみてわかったこと

③心の専門知識が持つ力とは


以上の3点について書きたいと思います。

やっと適職らしきものを見つけたぞ!
そう思ってワクワクした反面、
心理士として働くことには不安もありました。


一体、なにを考えていたかというと…、


心無い人になっちゃったらどうしよう


これです。


もう少し詳しく書くと、


心を扱うことを仕事にしたら、だんだんと、
冷たい人間になったりしないかな?
という
不安がありました。


「心理学に通達してる人」って、
なんか、信用ならなくないですか。

性格悪そうですよね?(オイ)


『ほ〜う、これはこれは、承認欲求ですナ』
みたいな人には、絶対になりたくない…と、
思っていました。

心理職と対面する時、人は、
自分は知らない心の知識を相手だけが持っていて、勝手に分析されてそうな不快感、不安感
みたいなものを感じ易い気がします。


「カウンセラーって心読めるの?」と聞く人が
多いのも、このせいじゃないでしょうか。


心理職であるというだけで、
ある種の不安を与え易いんですよね。
(不安を感じない人もいます)

わたし自身、学生時代に心理職の人に会うと、
「どう思われてるか分からなくて怖い」という
感覚がありました。


心理士ってヤツは、
きっと心の中で相手を観察していて、
勝手にいろいろ分析していて、
『あ〜はいはいこういう感じね』と冷たく
眺めているような、
それはもう感じ悪い人なんじゃないかと。

自分の中に、そんな偏見があったんですね。


そんなわけで、
自分も心理士として勤め始めたら、徐々に
人間らしい心が失われていくんじゃないか…?

という怖さを感じていました。

働き始める前、信頼できる友人には、
「もし私が心を無くしてきた感じがしたら、
張り倒してくれ」と頼んだりしていました。

怪物に自我を乗っ取られかけた時に、
『やれ…俺の意識がある内に…!!』の、
イメージでした。

おっかなびっくり心理士になったわけです。


では、実際に働いてみたところ、
どうだったかというと…、


意外と心は失わない!
てか、心がないと無理な仕事だった


よかった〜〜!


これが分かっただけでも、心理職になって
よかったなと思えるくらい、
私にとっては安心できることでした。


専門知識を身につけて、
心理職として働くようになっても、
自分の心が変わってしまったなと感じることは
ありません
でした。


むしろ最近は、セラピストの人間味が重要かもしれないな…と、思うくらいです。


片方が専門の知識や理論を持っていても、
最終そこにあるのは人と人との話し合いです。

対等なんですよね。


勿論、専門的な理解を提供するという点では
提供者ー被提供者の関係がありますが、
クライエントさんに自己開示してもらうとき、
その立場は逆転します。



そもそも、専門的な理解を得ていくためには、
信頼の上になりたつ自己開示が必要
です。

つまり、信頼して話をして貰えないことには、
私たちに分析できることなど無い
のです!



心理職として勤めてみたところ、
信頼感のある関係性の中でしか、
真の理解や変化には辿り着けない
ことが
わかってきました。

なので、
もし仮に、互いに信頼感がもてないうちから
『自分が先に知ってることがあるぞ』という
顔をしてくる心理士がいたら、
その心理士のプライドやコンプレックスに課題がある
と思います。


プロとしてそこは乗り越えていて欲しい…と
思うのですが、
色んな医者がいるように、想定以上に色んな心理士さんがいるんだなぁ…というのも、
働いて分かったことの一つです。
(勿論、素敵な心理士さんもたくさんいます!)


時折みかけるマウンティな心理士さんは
専門職マウントを取らずにいられないなにか(おそらくは個人的な傷つき)があり、
専門職の羽織を羽織って、優位に立った気分を
味わおうとしてしまう
んだと思います。


ダサいですよね。


でも、ほんと、信頼関係のない場所で邪推した
理解など、殆ど意味をなさないと思うので、
「勝手に分かった気になってらぁ」という位に
思って
ください。


自分が心を開いていないのに、大事な何かが
勝手にバレていくことはないので、
初対面の心理士を恐れることはないですよ…!
というのが、伝えたかったところです。


では、心の専門知識が持つ力とは


ここまで話してきたことを一旦纏めると、

①元々は自分の中に「心理士は他人の心を勝手に分析する冷たい人達だ」という偏見があり、
自分もそうならないか不安だった。

②実際に心理士として働いてみたところ、
信頼関係なくして人は分析できないと分かり、
人間性や心がむしろ必要な仕事だと分かった。

こんな感じです。

ここまで語ってきたのは、
「相手のことを勝手に分析する/される不安」
に関することだ、ともいえるでしょう。


分析する/される不安は、
「心理士が心に関する専門知識を持っている」
という前提から生まれていると思います。


そこで、最後に、
心理士が持ってる専門知識には、どんな力が
あるの?
ということを、補足させて下さい。

心に関する専門知識は、大工さんにとっての
大工道具のようなものです。
持っているだけではアドバンテージにならず、
どう使うかにセンスが出る
と思います。

濫用不可能とはいえませんが、
それをするかは職業倫理に関わる
ところです。


例えば、大工さんはノコギリを使って人を傷つけることも可能ではあるけれど、果たして
それをしますか?という話です。

心理職に心の分析ができる(許される)のは、
"一緒に心の作業に取り組もう"と手が組めて、
適切な治療構造の中で長く対話を重ねていく時だけ
だと思います。

また、心の作業はデリケートなものなので、
環境を整えて、さまざまな条件を揃えて、
同意を得て、ようやく取り組める感じです。

手間も時間も労力もお金もかかるのです。

それくらいしっかりした足場を組んで、
そこからやっと、心の専門知識は本領発揮だと
感じます。

つまり、心の専門知識は一方的に使うことも
不可能ではないけれど、そういう場合は然程
力を持たない、
といえると思います。

繰り返しになりますが、様々な条件を揃えて、
相手との信頼関係ができた上でやっと、
治療的な力を発揮するものなのです。


まとめと後書


例によって長くなりましたが、
ここまでお付き合いくださり、誠にありがとう
ございました。

心理職になる前は、自分が心理士に対して
ビビっていたのですが、実際になってみると、
「いやいや全然怖がる必要ないって!」ということがわかったので、伝えたいと思いました。

カウンセラーも人間なので、心も動きますし
(うごきまくりです)、人間的な相性もあったり
するな…と感じます。


また、私は精神分析系の流派にいますが、
他の流派の心理士さん方には、また違った
お考えもあるかもしれません。

…というか、精神分析系の心理士さんでも、
「それは違うだろ!」って人もいるかも
しれませんわ。

心理士の方からそのようなご意見もあれば、
ぜひお聞かせください。

また、どんな方からでも、
記事に対する批判・感想・ご助言など、
自由に発言いただけたら嬉しいです。


お気軽に、コメントくださいね!

ではまた…。

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