この物語をマイケル・チミノとベルドナルド・ベルトルッチとテレンス・マリックとブライアン・デ・パルマとミロス・フォアマンとダルのどを愛した人々すべてに捧ぐ

第一稿 承

あれやらされるのか?

「俺は監督だ!依頼主のダーク・ディグラーは一京七千兆億円以上の収入得るんだぜ?商業利用されたらな?しかも?あれやらされるのか?」

「文芸部です。政治扱って尚且つ精神扱ってますからね。出来ます。」

「俺は監督だ!日本から警官汚職が無くなるな.............アッナルほどってくらいな」

「プロデューサーだ!ダーク・ディグラーは笑えてこの世で最も残酷な地獄で無尽蔵以上味わせるのが趣味だ!今でも想像して笑ってるんだ。予行練習用にな」

「俺は監督だ!政治家も同じ運命だろうな............アッナルほどってくらいな罰考えてるが汚職警官でこれだぞ?安倍晋三や麻生太郎や森喜朗や菅義偉や二階俊博や橋下徹や小池百合子や河村たかしはどうなることやら?同意書なしの前例出来たら処刑リストのメンバーどうなることやら............」

「プロデューサーだ!敵に回したらいけない人間敵に回したんだ?」

アイデア出すのが監督だ。

「俺は監督だ!まあアイデア出すのが監督だ。夏の章で大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねさあ?スクール水着脱がせて高寺のどかも水着脱がせて裸で海水浴でヘインとSEXし褐色の肌でシャワー室でSEXしヨアンナの別荘のプールでSEXってアイデア思いついた」

「文芸部です。描写にこだわるとシュチュエーションが失われますが単語では文芸では生きます。後は演出次第です」

「アタシャ助監督よ!演出意図は?」

「俺は監督だ!生の実感と性の実感だ!そして命だ!海は母だそこで命を実感するんだ!そこでヘインを求めることによりヘインの子を宿したいとエモーションで魅せる超ロリコンエロハーレム媒体だ!幼い生と性に必然性が欲しいしもう一つの濡れ場が欲しい。エモーションのみだ。字では表現できないから演出家の感性が必要な場面だ」

「音楽担当だ!俺の出番だな?こういう場合は音楽がもの言うんだ」

「俺は監督だ!だからトニー・スコットは天才だよ?必然的にラブシーンをこうして構築するんだ。MTVでな。町山智浩はMTVの必然性すらわからないからな。『グッドフェローズ』って編集と音楽のセンスってミュージカルだよ?だから飽きないの?トニー・スコットってMTV監督だよ?それ出来るの?画面がチャカチャカ?アクションって重厚に撮ればアクションじゃないのジャン・リュック・ゴダールもジョン・フォードもトニー・スコットみたいな立場だよ?カットバックの編集って時代が変わっても変わらないの?マイケル・ベイもだよ。リズム感だよ。正直トニー・スコットもマイケル・ベイも上手いよ。躍動感がある。マーティン・スコセッシ出来ないんだ。これ?だから『ディパーテッド』って『インファナル・アフェア』の方が編集上手いの?あれも画面チャカチャカしてるんだよ。それで映画秘宝は『インファナル・アフェア』シリーズが上で『ディパーテッド』下だ。町山智浩は『インファナル・アフェア』シリーズと『ディパーテッド』?同じ?正直『インファナル・アフェア』シリーズってトニー・スコットやマイケル・ベイのMTV撮影と編集の技術が無いと成り立たないの?MTVのチャカチャカ撮影と編集で成功したの?退屈じゃないの?MTVのチャカチャカ撮影と編集?それでいて町山智浩は深夜アニメ退屈?トニー・スコットとマイケル・ベイに謝れよ。『トップガン マーヴェリック』ってトニー・スコットの技術と撮影と監督術無しでは成り立たない映画だよ。CG極力排して尚且つトム・クルーズの安全第一でスカイ・アクションやるには『トップガン』のトニー・スコットの監督術で無いと不可能だよ。ジョセフ・コシンスキーもトニー・スコットの撮影術が如何に優れてたか知ってるからトニー・スコットにみんな敬意払ったんだ。そう描写も台詞もない映像のみで起承転結考えるのがトニー・スコットだ。だからMTVの監督でトニー・スコットとマイケル・ベイは別格なんだ。わかった?音楽と原画のラフ絵で起承転結考えるの?これも演出家育成だよ」

「セカンドのパップルです。これはオリジナルの曲の領分になりますよ」

「音楽担当だ!だから声優ソングだ。ここで流す必然的なMTVだ。しかも映画館や円盤だろう?最近のテレビは画面デカいし画質も良いからここも作画の勝負所だな?ファスト映画ってあるだろう?監督?」

「俺は監督だ!よくある海賊版で今も昔も変わらないよ。ネタバレってしょっちゅう昔はあったからな?MTVってどう編集するんだよ?ファスト映画さあ?全部見せ場だからMTVだよ?『フラッシュ・ダンス』ってそれで儲けたの?タダで宣伝してくれるからね?MTVって音楽が主力の媒体だから著作権法違反になるからね。本編音楽流したらYouTube動画でね。音楽も著作物だよ。使用料払うの?だから海外アニメリアクション勢やアニメリアクション勢は音消したり画像にモザイク掛けるの?ワーナーブラザース五月蠅いからワーナーブラザースのアニメはリアクションしないの?これもトニー・スコットとマイケル・ベイの監督術だよ。MTVって武器になるの?著作権法違反と言うね。」

「セカンドのパップルです。高寺のどかと大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねの裸ですが基本は圧倒的に膨らんでないおっぱいで性器丸出し?」

「俺は監督だ!当たり前だ!何のためのR18+だ!しかも恋愛行為だ!わいせつ目的じゃない無論局部挿入もモザイクなしだ。恋愛行為だ」

これオーディション大変よ?

「ブラボーオヤジ―デで振付師だけどさあ?これオーディション大変よ?女性声優で発声も出来て演技上手くて歌も上手で喘ぎ声も上手くてしかも子供声よ。これ声優の基本と応用よ。R18+だから代表作に成り難いけど評判にはなるわね。高寺のどかと大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねの役はね。しかも海野あきらは少年声出せて子供声の喘ぎだから難役よ。だから同意書ね。安全第一」

「俺は監督だ!そうだ!ポルノじゃないんだ!濡れ場だ!あくまでな!だからキャスティングは命だ。無名を使いスタンや大人は有名声優を使う事で遡上効果だ!だから高寺のどかと大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかね役のアンサンブル演技の場面はあるにはあるが高寺のどかは中学生で大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねは小学生だ!共通項はヘインとのSEXだ。第一稿があると言う事は第二稿も用意するのが逆探知ホイホイシリーズの基本だ!ただし次は金をとるのが逆探知ホイホイシリーズの定番だ!『るろうに剣心』小池徹平が舞台でやるがもう緋村剣心=佐藤健の時代は終わったな?振付師?」

「ブラボーオヤジ―デで振付師だけどさあ?もう佐藤健賞味期限切れなの表示」

「ブラボーオヤジ―デで振付師だけどさあ?もう一つ表示佐藤健」

「ブラボーオヤジ―デで振付師だけどさあ?典型的な昭和の銀幕スターね。勝新太郎みたいなね?勝新太郎もサービス精神旺盛なのよ。仕事控えてる割りには企画発表が無くてYouTube動画番組よ?勝新太郎そのものね?頼みの綱の『るろうに剣心』も奪われちゃったね。小池徹平って個性派俳優よ。努力家で演技派よ。だからミュージカル『るろうに剣心』の緋村剣心に抜擢されたの?ミュージカルって映画よりも大変なの歌って踊ってアクションもあるの単純だけど難物至極なのがミュージカルでその主演って役者としての技量が無いと一切成り立たないの佐藤健って「ロミオとジュリエット」以外やってないわね?舞台?舞台って発声と演技力問われるのにね」

「俺は監督だ!振付師言うなよ?可哀そうだろう?佐藤健さあ?もう『るろうに剣心』フランチャイズから戦力外通知を小池徹平から渡されたんだ?こうなればテレビドラマ版作れるな?『るろうに剣心』のな?それが目的なの?ミュージカル『るろうに剣心』ってね?もう佐藤健でなくてもいいだろう?緋村剣心?ジャニーズやLDHは御断りの企画だ。新人発掘の山のフランチャイズ企画が『るろうに剣心』なんだよ!無論『ゴールデンカムイ』もその路線だ。だから和月伸宏と野田サトルは死んでも食えるんだよ。和月伸宏と野田サトルは時期が来れば超ロリコンエロハーレムやるな?」

「プロデューサーだ!時代劇ってこうしてライセンス取ればオールOKなんだ!だから西部劇勉強すれば必然的に史劇で時代劇作れてオールラウンドの創作者になれるんだ」

テストだ?ジェロスとジンジンとタクミ!

「俺は監督だ!テストだ?ジェロスとジンジンとタクミ!聞きたい?何故高寺のどかは嫉妬しない?よくラブコメの定番だと嫉妬展開あるだろう?『うる星やつら』がわかり易い?だがヘインハーレム存続できる理由を知りたい?」

「フォースのジンジンです。簡単です。プリキュアの趣味の共通項です。」

「フォースのタクミです。そう『美少女戦士セーラームーン』だと成り立たない仕組みです」

「サードのジェロスっす。設定考えるならフランチャイズの寄生で高寺のどかの他にも事前に同じ体質の女の子に寄生してオリガの拡散化考えるなら体質と思考がある種同一の女の子選ぶっす。つまりは生まれる前から高寺のどかと大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねは運命の女の子で発生源考えたらヘインハーレム成り立つっす。『美少女戦士セーラームーン』はタキシード仮面とセーラームーンの軸っす。プリキュアって発生源同じだからハーレム成り立ち更に恋人設定練ればそうっす。『ヒーリングっどプリキュア』の設定........................脚本家志望っすよ?ジェロス?普通考えたらダルイゼンの設定なら恋愛考え付かないバカは無能以下のバカ以下っす.......................機界戦隊ゼンカイジャーになりたくないっす」

「俺は監督だ!世の中にいるんだな...................亡霊志望が...................ありがとう!ジェロスとジンジンとタクミは良い監督や良い脚本家になるな。ジンジンとタクミ?聞きたい?大河内みすずと三ツ矢あかねは深夜アニメファンだ。特に大河内みすずは濃い深夜アニメファンだ!何故だ?」

「フォースのジンジンです。大河内みすずはこの設定で説明が付きます」

名門旧家の能楽の大河内家の一人娘で大河内伝次郎は50歳で大河内清子は40歳でようやく生まれた子

清楚なお嬢様で知性的で6歳とは思えなくらい利発で礼儀正しく意思が強いその反面感情的になり易く取り乱しがち

それ故大森よつはと仲良くなり親友になり海野あきらとも仲良くなる

私立聖光徳女学園初等部に入る予定だったが佐和山小学校に幼稚園の友達の大森よつばと海野あきらと三ツ矢茜の友情を優先して佐和山小学校に入学

演芸やお唄や琴や生け花や書道など大河内清子から習いどれも師範を驚かせるほど卓越ぶりを披露してる

「フォースのジンジンです。ある種の神童ですからプリキュアにアニメに目覚めて名門旧家の能楽の大河内家で演芸やお唄や琴や生け花や書道など大河内清子から習いどれも師範を驚かせるほど卓越ぶりを披露してるですから当然親の大河内伝次郎と大河内清子はアニメには寛容になりますからそれで深夜アニメ中毒になる程アニメマニアになります。でも基本はプリキュアです。だから私立聖光徳女学園初等部に入る予定だったが佐和山小学校に幼稚園の友達の大森よつばと海野あきらと三ツ矢茜の友情を優先して佐和山小学校に入学です」

「フォースのタクミです。三ツ矢あかねもこの設定で説明が付きます」

毎週欠さずプリキュアの時間になると親の手伝いも把握して見るほどプリキュアが好き

F県F市M町のスーパー三ツ矢の一人娘で頭がよく利発でしっかりもので大人しくレジ打ちも親の代わりにやるほど頭がいい

だが天然でよく幼稚園の男の子にいたずらされてオーバーリアクション取るほど感情豊かな面がある

家の会計や経理など数学が得意で赤字や支出など具体的な数字が出るくらいわかる

それ故スーパー三ツ矢の金庫番でもある

それを海野あきらや大河内みすずや大森よつはが守ってる

父親の三ツ矢圭一は24歳で母三ツ矢恵理子は20歳で中学時代に恵理子が生んだ子祖父三ツ矢雄三と祖母三ツ矢恵子は一切反対せず世間から息子夫婦を守った

それ故三ツ矢茜あかねを守ってる

「フォースのタクミです。父親の三ツ矢圭一は24歳で母三ツ矢恵理子は20歳で中学時代に恵理子が生んだ子祖父三ツ矢雄三と祖母三ツ矢恵子は一切反対せず世間から息子夫婦を守ったから娘には甘いんです。しかも家の会計や経理など数学が得意で赤字や支出など具体的な数字が出るくらいわかるでそれ故スーパー三ツ矢の金庫番でもあるですからプリキュアに興味持ったから次の段階のアニメに移行してそれで配信で深夜アニメファンです。」

「俺は監督だ!合格だがこれも重要だ大河内みすずは清楚なお嬢様で知性的で6歳とは思えなくらい利発で礼儀正しく意思が強いその反面感情的になり易く取り乱しがちだからオタク気質だ。三ツ矢あかねも天然でよく幼稚園の男の子にいたずらされてオーバーリアクション取るほど感情豊かな面があるからオタク気質だ!ここも掘り下げられる。もう一つ聞きたい?何で大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねは『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』や『SPY×FAMILY』にハマらない?ここはジェロスの領分だ?話の広げ方と文芸のキャラの組み立てだ?言っとくぞ?日常性やら番組の売りやらはナシだ!高塚金治郎?あいつみたいなこと言ったら業界で生きていけないぞ?」

「サードのジェロスっす?言うわけないっす。オタクの妄言っす。それ?佐和山小学校ってF県F市M町の田舎っす。放送されても今は配信もあるっす。そもそも田舎って都会とは違い死ぬほど暇だから小中高生はアニメっす。だからアニメファンになり易いっす。でも『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』や『SPY×FAMILY』って週刊少年ジャンプの漫画っすジャンプのアプリあるとはいえ田舎っす。ジャンプの媒体は紙媒体が基本っす。田舎は紙媒体遅いっす。SNSでは話題に入れないしアプリ購入しても通信が遅いからSNSでネタバレも早いっす。だからプリキュアっす。それに大河内みすずと三ツ矢あかねは深夜アニメファンで今更全国ネットの『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』や『SPY×FAMILY』にハマってもしょうがないっす。と言うか世界観考えてたら週刊少年ジャンプの漫画読まない子が大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねっす」

「文芸部です。合格です。付け加えるなら大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねの共通項です。北谷息八のラーメンです。この設定が『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』や『SPY×FAMILY』のジャンプの漫画のアニメにハマらない理由です。中華料理屋のラーメンです。ラーメン屋のラーメンではなく中華料理屋のラーメンです。飽きないです。中華料理屋はメニューが豊富だから飽きられないんです。プリキュアもどのシリーズか断定してないから飽きてないアニメで使えます。これが『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』や『SPY×FAMILY』では断定され飽きられるんです。逆探知ホイホイシリーズの基本と応用は飽きられないです。飽きられたら逆探知ホイホイシリーズの意味はないです」

「俺は監督だ!飽きられたらお終い。特に子供からね。子供は最もシビアな客だよ?大人はバカみたいに未だに『鬼滅の刃』だ!二期は深夜アニメだよ?子供興味持ってないのにお色気で教育に悪いだよ?プロデューサー?死ぬ程笑えるよな?連載終了作品に子供興味持つわけないよな?」

「プロデューサーだ!深夜アニメでも配信で子供も見るが所詮は連載終了作品だ!商売できないしufotableもう『鬼滅の刃』頼みでいつ倒産するか分からない状態だ。しかも三期は音沙汰なしだ。フジテレビも見限る前にやるのは実写化のみだよな?どう考えてもな。集英社ならそうするよ。これ以上ブーストかけるならアニメでは不可能だ。通知告知媒体が週刊少年ジャンプにないんだ。連載終了作品だぞ!ufotableのTwitterで告知のみだが早く三期告知しないとフジテレビも枠用意してるのにスケジュール滞納扱いで納期通告するのが全国ネットだぞ!TOKYO MXじゃないんだ。全国ネット甘く見るな!脱税した会社だぞ。経理も会計も出来ないし国税局のターゲットだ!しかも著作権法違反の山だぞ。だから文芸は素人の遊びじゃないからufotableって名義で著作すると責任者不在で訴えられたら連座責任でufotable社員一同著作権法違反で莫大な借金だ。怖いんだよ。だからプロデューサーは文芸には関わらないの」

「俺は監督だ!沢田ちよりの『ハートキャッチプリキュア』も断定してるが著作権法違反にはならない。何故かと言えばプリキュア名挙げてないからね。確かに『ハートキャッチプリキュア』は商品登録された番組名だ。だが意外とプリキュア名挙げなければ商売に出来るの。理由は憧れの対象だしプリキュア名は具体的な例の商品登録名だから花咲つぼみと月影ゆりで良いんだ。こうして著作権法違反はクリアー出来るんだ。同人誌は申請して著作しなきゃいけないから同人誌即売会では即売会主が許可取る必要がある。これがオンリーからコミケに至る著作権フリーの申請の仕方で正直山本弘さあ?『ビブリオバトル』シリーズで同人誌でビブリオバトルやる?同人誌は著作権クリアー出来ないの!同人誌でビブリオバトルでやると出版社から著作権侵害で訴えられるの?それだけ危険球なの?同人誌ってね?表現の媒体で訴えられるからオンリーからコミケまで許可取るの難しいから同人誌なの?それで読者の感想にストーカーの如く噛みつくか?そりゃ早川書房に見捨てられるな?だから飽きられたらお終いなんだ」

心の指紋 第一稿で『魔法少女まどか☆マギカ』の定義と脱構築出来ました。

「文芸部です。飽きられないこそシリーズでその為の文芸部です。ufotableは文芸部もなしにシリーズ作ったから著作権違反の山です。同人活動と文芸は違います。同人誌は断定し元がわかるから同人誌です。文芸は断定不明の中に定義させ脱構築も可能だからこそシリーズが作れるから商業作品です。そう定義と脱構築は創作の基本です。だからバットマンやスーパーマンは作られやすいんです。気が付きました。心の指紋 第一稿で大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねで『魔法少女まどか☆マギカ』の定義と脱構築出来ました。」

「俺は監督だ!上條恭介がヘインで美樹さやかが海野あきらで巴マミが大河内みすずで鹿目まどかが大森よつはで睦月ほむらが三ツ矢あかねだろう?佐倉杏子はあくまでネーナだ!....................................プリキュア見てる幼稚園児でも作れるぞ?『魔法少女まどか☆マギカ』をプリキュア化しただけだぞ?それで『魔法少女まどか☆マギカ』の定義と脱構築出来たぞ!」

「文芸部です。これが普通なんですが何でできないんですか?定義するだけで脱構築も出来るのが創作ですよ。.........と言うか定義と脱構築こそシリーズです。だからプリキュアは『ふたりはプリキュア』シリーズや『Yes!プリキュア5』シリーズでその後はプリキュアシリーズです。定義と脱構築が『ふたりはプリキュア』シリーズや『Yes!プリキュア5』シリーズで出来てる証拠です。『新世紀エヴァンゲリオン』も一応シリーズですが定義は何ですか?定義すら出来ないから脱構築すら不可能なのに世間では脱構築したと言ってますが何を『新世紀エヴァンゲリオン』は定義して起承転結したんですか?『機動武闘伝Gガンダム』は定義してます。ドモン・ガッシュとレイン・ミカムラの恋愛です。一貫してます。最初から最後までドモン・ガッシュとレイン・ミカムラの恋愛で定義してるから『機動武闘伝Gガンダム』は『機動戦士ガンダム』を脱構築してるんです。これが脱構築です。『新世紀エヴァンゲリオン』は碇シンジと真希波・マリ・イラストリアスとの恋愛定義しましたか?してないです。これでは『新世紀エヴァンゲリオン』はシリーズとはいえませんし栄光に縋った遺物です。」

「俺は監督だ!ありがとう。文学部。そう円環構造でシリーズって成り立つの?無理だよ?週刊少年ジャンプの漫画で円環構造作るの?と言うか週刊少年漫画誌でシリーズって稀だよ?週刊少年チャンピオンでないと不可能だ。『ドカベン』や『刃牙』や『弱虫ペダル』でないと不可能だよ。だから週刊少年チャンピオンのエンターテインメントは異質なの?死んでも続けられるのが秋田書店だよ。『ドカベン』も『刃牙』も『弱虫ペダル』も長い目で見れば『鬼滅の刃』抜くんだ。水島新司亡くなったけどそれでも『ドカベン』売れるからね。アシスタントが水島新司の未完の原稿が出てきたと言って再連載しても何ら驚かないよ。これが秋田書店のマジックだ。生と死すらもコントロール出来るのが作品だ。」

「昔ながらのアニメファンですが『魔法少女まどか☆マギカ』って見てましたが東日本大震災で話題になった程度でまぁ何であんなのに皆熱狂するのかわからないです。アニメ作ってる人も東日本大震災で日本元気づける人多かったですし別に『魔法少女まどか☆マギカ』が特別な訳ないですよ」

「俺は監督だ!だからまぐれだよ。運そんなもん。ヒット作なんてね。『鬼滅の刃』も運だよ。『新世紀エヴァンゲリオン』も運だし『機動戦士ガンダム』も運だし『宇宙戦艦ヤマト』も運だよ。ブームって運だよ」

「昔ながらのアニメファンですが『鬼滅の刃』って週刊少年ジャンプの漫画で昔のオタクが大嫌いな漫画が週刊少年ジャンプの漫画ですよ?それに昔のオタクが熱狂ですよ?そもそも友情・努力・勝利って昔のオタクが大嫌いな言葉でしたね。それが社会現象です。しかも前に流行ったのが『君の名は。』って友情・努力・勝利とは180度違いますからね。オタクって友情・努力・勝利が嫌いだからオタクな訳でまぁ『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイがオタク主人公の元祖ですからね。『鬼滅の刃』の竃門炭治郎ってなんだかんだで週刊少年ジャンプの漫画の主人公ですからね。女々しくないからジャンプで女々しいからオタクですからね」

「俺は監督だ!そうだよ!オタク媒体の主人公は女々しいの『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイって富野由悠季だよ?自分の理想がシャア・アズナブルだよ?矛盾で本当はララァ・スンをヒロインにしたかったけど逃げちゃダメだでセイラ・マスの金髪年上お姉さんだよ。金髪年上お姉さんに逃げるから作品が破綻するの『伝説巨神イデオン』で懲りたのに毎回金髪年上お姉さんに逃げて作品が破綻だ。『機動戦士Vガンダム』もスージィ・リレーンとシャクティ・カリンと言う富野由悠季の着地点だよ?それしかないのにカテジナ・ルースだよ?金髪年上お姉さんで破綻だ。そっから先富野由悠季は亡霊のようなキャリアだな。スージィ・リレーンとシャクティ・カリン作ればいいだけなのに相変わらず金髪年上お姉さんだ!だから女々しくてを肯定出来ないの、庵野秀明も同じだ女々しくてを肯定出来ずにオタク妄想に逃げ込んで『シン・ウルトラマン』に『シン・仮面ライダー』だ。『シン・ウルトラマン』は話題にはなってもオタクのみだ。特撮オタクのみで50億突破だよな?統計?」

「統計だ!40億前後で45億円くらいか?ニュース表示」

「統計だ!『トップガン マーヴェリック』がバカ稼ぎだぞ!この伸び率だと『シン・ゴジラ』や場合よっては『シン・劇場版ヱヴァンゲリヲン𝄇』抜くぞ!今年の映画では恐らくトップクラスだ」

「昔ながらのアニメファンですが正直『トップガン マーヴェリック』観ましたよ。昔の週刊少年ジャンプの漫画ってこれですよ。トム・クルーズって庵野秀明より二歳下なのにスカイアクションですよ?劇場予告で観た『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』もやるんですよ?こっちが断然『シン・ゴジラ』や『シン・劇場版ヱヴァンゲリヲン𝄇』や『シン・ウルトラマン』以上に新しく感じました。『トップガン マーヴェリック』って確かに女々しくてありましたがそれを感じさせないんです。『劇場版鬼滅の刃 無限列車編』や『劇場版 呪術廻戦0』よりも面白かったです。昔ながらのアニメファンですがこういう事アニメファンにアニメの作り手に言われちゃダメですよね」

「俺は監督だ!そう客に言われちゃお終いだよ。それ、『トップガン マーヴェリック』さあ?『スターウォーズ』のデススター攻略戦よりも比べ物にならないくらい迫力あったな?『スターウォーズ』の新三部作/プリクエル・トリロジーと続三部作/シークエル・トリロジーを『トップガン マーヴェリック』の全スタッフでやり直してほしいくらい完璧だ。可能なのはトム・クルーズとジェリー・ブライマッカ―だ。IMAX、4D、Screen Xで見る客いるのも頷ける。ライド映画の醍醐味だ!ファスト映画で見たら醍醐味失われるし話知っても体感には勝てない映画で若者特にゲーマーでアニメファンも観に行くタイプの映画だ。吹き替え声優豪華だからな........アニメクリエーターも観に行くタイプの映画だ..................マクロスの新作これ絶対パクるぞ」

「昔ながらのアニメファンですがそれが普通でしょう?昔はアニメの作り手は映画からパクりました」

「俺は監督だ!そうだよ.............昔は映画からパクらなきゃ意味が無いんだ。それをどうテレビで再現するかに四苦八苦してモノ作るんだ。今じゃアニメが主流だ。日本はな............俺もこの映像業界に出入りしてアクションが好きで入ったがそれじゃ駄目だよ。アニメや特撮やアート映画や歴史やら学んでシステム勉強したんだ。でないと予算の壁にぶち当たるからな」

「文芸部です。虚淵玄は『仮面ライダー鎧武』で実写の予算すら考えてないから特撮に次回作呼ばれないんです」

再びテスト?

「俺は監督だ。アニメと実写は違うのに勘違いしてアニメの世界観で実写再現するバカがいる紀里谷和明がそうだ。再びテスト?ジンジンとタクミ日常だ?ヘインと大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねのSEXはいつ頃場所は?その時へインは何歳?きっかけは?」

「フォースのジンジンです無論幼稚園からです。場所は高寺家で高寺のどかと大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねの大乱交が初SEXです」

「フォースのタクミです。ヘイン10歳くらいです。きっかけは大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねが高寺家で高寺のどかとへインのSEX見たからです」

「俺は監督だ!合格!だが大事なこと忘れてるヘインは大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねを病気にしたヘインは罪悪感でもう誰にも愛されないと感じてるくらいになガーディアンに性的虐待を徹底的に受け人間性を捨てた男の子と感じるくらいだから大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねは病気の振りしてSEXして癒したんだ。これも高寺のどかがへインや大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねに嫉妬しない最大の理由だ」

「文芸部です。基本は奇蹟です。」

「俺は監督だ!コンセプトは奇蹟の確認だ。ド田舎県のF県F市M町でね?もう田舎だよ?F県って誰も見向きましないんだ?何ひとつないんだF市は政令指定都市だがもう廃れてるんだM町はもう過疎化だよ!それが田舎だ!でも奇跡見たいんだ?舞台はF県F市M町なんだ!しかし国連以上の機能を持ってるんだ!それで人類史上に残る世界平和が常にできるのがF県F市M町だ!のどかとヘインと大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねの事はしかも全員知ってるんだ!沢田ちより守るって言ったよね?本気だよ?津田恵梨香も知ってるんだ?全部?知らぬは生徒だけだ。知ってるのはかなたちゃんとモニカちゃんりょうたくんも知ってるんだ?飲んでる三人も知ってるんだ?伊丹健三も西村作文もね?当然大沢委員長もだ!凄いのはよういちやせつなはツインズだ?だから6歳の女の子5歳の4人の女の子が嫉妬もしないで一人の男の子を同時に愛するだ。それが可能なのも奇蹟だ。だからSEXだ。6歳の女の子5歳の4人の女の子がSEXして天使のような祝福をヘインに与えるそして妊娠出産だ。だから『未知との遭遇』でもあるんだ。表示してくれF県の概念の三人の武将を直江兼続と伊達政宗と立花宗茂」

直江兼続

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ナビゲーションに移動検索に移動 凡例直江 兼続

直江兼続像(米沢市上杉博物館蔵)『集古十種』にみえる、高野山金剛峰寺に夫人のお船がたてた瑜祇塔に掲げられた兼続肖像画(既に焼失)の写しを手本にして描かれた。制作に関する具体的な情報は不明

時代戦国時代 - 江戸時代前期生誕永禄3年(1560年)死没元和5年12月19日1620年1月23日)改名樋口与六/與六(幼名)→兼続(初名)→直江兼続→重光別名直江山城守あるいは直江城州(通称)戒名達三全智居士
英貔院殿達三全智居士墓所山形県米沢市松岬神社林泉寺
京都府京都市右京区妙心寺官位従五位下山城守、贈従四位主君上杉景勝出羽米沢藩家老氏族中原姓樋口氏直江氏豊臣贈姓父母父:樋口兼豊 母:藤もしくは蘭子兄弟兼続大国実頼樋口秀兼、きた(須田満胤室)、妹(色部光長室)、妹(篠井泰信室)妻(直江景綱女)子景明於松(本多政重正室)、女?(於梅?)
養子:本庄長房本多政重、清融阿闍梨?
養女:阿虎(大国実頼女、本多政重継室、実姪)、おまん御料人?(『兼見卿記』)テンプレートを表示

直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将米沢藩(主君 上杉景勝)の家老。兜は「錆地塗六十二間筋兜」 立物は「愛字に端雲の立物」[1]

目次

生涯[編集]

生誕から謙信時代[編集]

以下のように諸説あるが、これらを立証する信憑性のある史料は確認されていない。

越後上田庄(うえだのしょう)で生まれた。通説では、永禄3年(1560年)に樋口兼豊木曾義仲の重臣・今井兼平の兄弟である樋口兼光の子孫と言われている)の長男として、坂戸城下(現在の新潟県南魚沼市)に生まれたとする説と、現在の南魚沼郡湯沢町に樋口姓が多いことから湯沢で生まれたとする説がある。父・兼豊の身分についても見解が分かれている。米沢藩の記録書『古代士籍』『上田士籍』では長尾政景家老、上田執事との記載がある一方、『藩翰譜』によれば兼豊は薪炭吏だったといわれている。母は上杉家重臣・直江景綱の妹とする説と、信州の豪族・泉重歳の娘とする説と、またそのどちらでもないとする説がある。

なお後述される、後に兼続の位牌が納められた東源寺は、尾崎氏(泉氏)が開基した菩提寺である。

永禄7年(1564年)に上田長尾家当主の政景が死去すると、上杉輝虎(謙信)の養子となった政景の子・顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入り、景勝の小姓・近習として近侍したとも、仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の要望を受け幼い頃から近侍していたとも言われる。

直江家相続[編集]

天正6年(1578年)謙信急死後に起こった上杉家の後継者争い「御館の乱」が収束し、戦後処理が行われる天正8年(1580年)から、景勝への取次役など側近としての活動が資料で確認され、同年8月15日9月23日)には景勝印判状の奏者を務めている[2]

天正9年(1581年)に、景勝の側近である直江信綱山崎秀仙が、毛利秀広に殺害される事件が起きる。兼続は景勝の命により、直江景綱の娘で信綱の妻であったの婿養子(船にとっては再婚)となり、跡取りのない直江家を継いで越後与板城主となる。以後、上杉家は兼続と狩野秀治の2人の執政体制に入る[3]

上杉景勝は御館の乱に際して甲斐武田氏と同盟関係を結んでいた(甲越同盟)。天正10年(1582年)には織田信長による武田領への侵攻で甲斐武田氏は滅亡し、武田遺領には織田家臣が配置されたが、6月2日の本能寺の変で信長が横死すると武田遺領は無主状態となり遺領を巡る天正壬午の乱が起こる。景勝は武田方に帰属していた北信国衆や武田遺臣を庇護し北信の武田遺領を接収し、兼続は信濃衆との取次を務め帰参の窓口を務めている。

豊臣政権時代[編集]

天正11年(1583年)には山城守を称する[4]。天正12年(1584年)末から狩野秀治が病に倒れると、兼続は内政・外交の取次のほとんどを担うようになる。秀治の死後は単独執政を行ない、これは兼続死去まで続くことになった。当時の上杉家臣たちは景勝を「殿様」「上様」、兼続を「旦那」と敬称し[5]、二頭政治に近いものであった。天正14年6月22日1586年8月7日)、主君・景勝は従四位下左近衛権少将に昇叙転任するが、兼続も従五位下に叙せられる[6]

新発田重家の乱では重要な戦略地・新潟を巡り激しい攻防が続いていたが、天正11年(1583年)、当時新潟は湿地帯だったために豪雨により上杉勢が敗北する。兼続はこの対策として、川筋が定まらず本流と支流が網の目のように流れていた当時の信濃川に支流の中ノ口川を開削する(味方村誌)など、現在の新潟平野の基礎を造り、着々と新発田勢を追い詰め、天正13年11月20日1586年1月9日)、新潟城沼垂城から新発田勢を駆逐した。これにより新潟湊の経済利権を失った新発田重家は急速に弱体化した。天正15年10月23日、兼続は藤田信吉らと共に新発田城の支城の五十公野城を陥落させ、10月28日には新発田城も落城し、乱は収束した[7]

天正16年8月17日1588年10月7日)には景勝に従って上京し須田満親色部真長らと共に豊臣秀吉から豊臣の氏を授けられ、豊臣兼続として改めて山城守の口宣案を賜る[8]。このことから、桐野作人は「兼続は叙爵して豊臣姓を名乗っており陪臣ではない」としているが[9]宮本義己下村效[10]矢部健太郎[11]の研究を踏まえた上で、「兼続が諸大夫を従えられる清華の身分になった景勝に準じる扱いを受けただけで、秀吉の直臣になったわけではないし、「豊臣」の本姓も儀礼上の擬制的なもので、兼続がこれを名乗れたわけではなく、むろん名乗った事実も見当たらない」と反論している[12]

天正17年(1589年)の佐渡征伐に景勝と共に従軍。その功により、平定後に佐渡の支配を命じられた。天正18年(1590年)の小田原征伐でも景勝に従い、松山城を守備していた城代の山田直安以下金子家基難波田憲次若林氏らを降し、先兵として八王子城を攻略するなど関東諸城を攻略。文禄元年(1592年)からの文禄・慶長の役においては景勝と共に参陣して熊川倭城を築城。上杉領となった庄内地方においても大宝寺城の改修や、一揆の制圧などを取り仕切った。

安定した豊臣政権の中で、兼続は戦乱で疲弊した越後を立て直そうと奔走する。兼続は農民に新しい田畑の開墾を奨励した。越後の平野部は兼続の時代に新田開発が進み、現在に至る米所の礎となった。さらには産業を育成し、商業の発展に努めた。その元となったのが青苧(あおそ)と呼ばれる衣料用繊維で本座といい、魚沼郡に自生していたカラムシという植物から取れる青苧は、木綿が普及していなかった当時、衣服の材料として貴重なものであった。蒲生氏の支配時期においても青苧は特産品であったが[13]。この青苧を増産させ、織り上げた布を京で売り捌き、莫大な利益を上げた。京都へ輸出することを献策したのは、西村久左衛門乗安であった[14]。兼続の施策は越後に謙信の時代に劣らぬ繁栄をもたらした[15]

文禄4年(1595年)1月、景勝が秀吉より越後・佐渡の金・銀山支配を任せられると、兼続は立石喜兵衛、志駄義秀を金山奉行に命じた[16]

慶長3年(1598年)、秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封された際、兼続には出羽米沢に6万石(寄騎を含めると30万石)の所領が与えられている。兼続は国替えの際、前半歳の租税を徴したので、後任の堀家は返還を求めたが、これに応じなかった(『千金良文書』)[17]。またこの国替えで、上杉領は最上領によって会津・置賜地方と庄内地方に分断された。兼続は、この分断された領国の連絡路として、朝日軍道と呼ばれる連絡路を整備した。朝日連峰の尾根筋を縦走する険しい山道で、関ヶ原の合戦後はほぼ廃道となった。

関ヶ原の戦い[編集]

(詳細は「慶長出羽合戦」の記事に詳しい。以下、戦いの要点のみ記す)

慶長3年8月18日(1598年9月18日)に秀吉が死去すると、徳川家康が台頭するようになる。景勝・兼続主従は、前領主・蒲生家の居城若松城に代わり、新しい(神指城)の築城を始めており、これは戦のためではなく会津の町を新たに作り直す狙いがあったとされる。しかし、一方で兼続は本来国替えの引継ぎで半分残していかなければならない年貢を、景勝に無断で全て会津へ持ち出しており、年貢を持ち逃げされてしまった堀秀治が返還を求めても無視した結果、怒った秀治が上杉家謀反を家康に訴えると、家康は上杉家を詰問する。このとき家康を激怒させ、会津遠征を決意させるきっかけとなった返書直江状の文面は偽書、もしくは、偽文書ではないが、後世に大幅に改竄された可能性が宮本義己により指摘されているものの[18][12]、家康の上杉征伐を諌止した豊臣奉行衆の書状には「今度、直江所行、相届かざる儀、ご立腹ご尤もに存じ候」「田舎者に御座候間、不調法故」などとあることから、家康を激怒させた兼続の書状が存在したことは事実のようである。

奉行衆の諌止もあってか直江状のあとも上洛が計画されたが、讒言の真偽の究明が拒否されたため、景勝は上洛拒否を決断。関ヶ原の戦いの遠因となる会津征伐を引き起こした。兼続は越後で一揆を画策するなど家康率いる東軍を迎撃する戦略を練っていたが、三成挙兵のため、家康率いる東軍の主力は上杉攻めを中止。その後、一揆勢と交戦していた秀治の率いた軍が撤退し、東軍に所属する前田利長を攻撃する構えを見せ、三成から「堀秀治が西軍側についた」という知らせを受けた事で、兼続は一揆勢力に攻撃の中止を命令して東軍の最上義光の領地である山形に総大将として3万人を率いて侵攻した。しかし、これは秀治の策略で、利長に攻撃を仕掛けるよう見せかけていた秀治は、東軍への参戦を明白にしてすぐさま越後の一揆勢への攻撃を再開。事態に気付いた兼続は、再び一揆勢を扇動しようとするも間に合わず、秀治率いる部隊によって、一揆勢は壊滅する事になってしまった。

最上義光と上杉家は、庄内地方を巡って激しく争った経緯もあり、関係は悪かった。さらに、上杉家から見ると自領は最上領により分断されており、最上家から見ると自領が上杉領に囲まれていた。当初、東北の東軍諸勢力は最上領に集結し、上杉領に圧力を加えていたが、家康が引き返すと諸大名も自領に兵を引き、最上領の東軍兵力は激減した。義光は危機感を覚え、上杉家へ和議の使者を送りながらも、東軍諸侯に呼びかけ、先制攻撃を図ろうとしていた。義光の動きを察知した兼続は、機先を制した。義光は戦力集中のため一部の支城の放棄を命じたが、畑谷城を守る江口五兵衛などはこの命令を拒否して籠城、上杉軍は激しい抵抗を排除して攻略した。その後、同じく志村光安が守る長谷堂城と、里見民部が守る上山城を攻める。500名が守備する上山城攻めには4000名の別働隊があたり、守備側は野戦に出た。

上杉軍は約8倍の兵力を持ちながら守備側に挟撃され、大混乱の末に多くの武将を失うなど、守備側の激しい抵抗に遭って攻略できず、別働隊は最後まで兼続の本隊に合流できなかった。長谷堂城攻めでは兼続率いる上杉軍本隊が1万8000名という兵力を擁して力攻めを行ったが、志村光安鮭延秀綱ら1千名の守備兵が頑強に抵抗し、上泉泰綱を討ち取られるなど多数の被害を出した。大軍による力攻めという短期攻略戦法を用いながら戦闘は長引き、9月29日に関ヶ原敗報がもたらされるまで、上杉軍は約2週間長谷堂城で足止めを受け、ついに攻略できなかった(長谷堂城の戦い)。なお、兼続は伊達・最上を従えて関東入りする計画であったことが書状から分かっており、最上攻めは力攻めではなく大軍により最上を屈服させるのが目的であり、撤退も関ヶ原の敗報を受けたのではなく、上方の情勢を入手して反撃が激しくなった伊達・最上の動きに疑念を持った兼続が独自の判断で決断したとの説もある[19][20]

その頃、美濃国では関ヶ原本戦が行われていた。本戦で西軍が敗れたことが奥州に伝わると、上杉軍は長谷堂城攻略を中止して撤退を開始した。勢いに乗った最上軍と義光救援のために伊達政宗が援軍として派遣した留守政景軍が追撃してきて激戦になるが、水原親憲前田利益ら上杉勢の諸将の奮戦もあって米沢への撤退に成功した。この撤退戦の見事さは語り草となり、兼続は敵である義光や家康にも称賛され、旧日本陸軍参謀本部の『日本戦史』でも取り上げられている[要出典]。

しかし結果として、上杉軍の最上侵攻は山形の攻略に失敗し、反撃に出た最上軍に庄内地方を奪回され、また伊達軍の福島侵攻を誘発した。景勝・兼続主従は背後を脅かす最上・伊達を屈服させ、関東へ侵攻する構想を抱いていたが、関ヶ原本戦の決着が一日でついてしまったこともあり、実現できないまま降伏へ方針を転換することとなる。

江戸時代[編集]

慶長6年(1601年)7月、景勝とともに上洛して家康に謝罪する。家康から罪を赦された景勝は出羽米沢30万石へ減移封となり、上杉家の存続を許された。その後は徳川家に忠誠を誓い、慶長13年1月4日1608年2月19日重光に改名する[21]

兼続(=重光)は新たな土地の開墾を進めるために治水事業に力を入れた[22]米沢城下を流れる最上川上流には3キロメートルにわたって巨石が積まれ、川の氾濫を治めるために設けられたこの谷地川原堤防は「直江石堤(なおえせきてい)」と呼ばれている。松川の架橋工事の際に、土中から多数の巨石が出てきたことが判明している[23]。また新田開発に努め、表高30万石に対して内高51万石と言われるまでに開発を進めた[22]。また、町を整備し、殖産興業・鉱山の開発を推進するなど米沢藩の藩政の基礎を築いた。

上杉家と徳川家の融和を図るため、徳川家重臣本多正信の次男・政重を兼続の娘の婿養子にして交流を持ち、慶長14年(1609年)にはその正信の取り成しで3分の1にあたる10万石分の軍役が免除されるなど[24]、上杉家に大きく貢献している。のちに政重との養子縁組が解消された後も本多家との交流は続いた。慶長19年(1614年)正月には松平忠輝の居城高田城築城の際、伊達政宗の指揮の下に、主君景勝とともに天下普請を行なった。同年の大坂の陣においても徳川方として参戦し、鴫野の戦いなどで武功を挙げた。

元和5年(1619年)5月から9月にかけて景勝が徳川秀忠に従って上洛した際、景勝は兼続に命じ、将士に法令を頒布した[25]。そして12月19日(1620年1月23日)、江戸鱗屋敷(現:東京都千代田区霞が関2-1-1警視庁)で病死した。享年60[25]

景勝は兼続が病床に臥すと、大いにこれを憂え、医療の最善を尽くさせたという[26]。また兼続の死去を知り幕府は賭典銀50枚を下賜した[26][注釈 1]

墓所[編集]

米沢徳昌寺に埋葬された[26]。その後、徳昌寺と林泉寺の間に争いが起こり、敗れた徳昌寺が廃絶したため東源寺に改葬される。後に藩庁の裁定により林泉寺に合祀された[27]

昭和13年(1938年4月30日、米沢市長登坂又蔵の提案にて、市制50年記念として、兼続の英霊を米沢市丸の内鎮座の県社松岬神社に合祀した。以後、第二次世界大戦終了の1945年まで、毎年4月30日に直江祭が米沢市祭として執り行われた[28]

死後[編集]

兼続の死後、兼続の息子の早世や本多政重(後に加賀藩前田氏家老5万石)との養子縁組の解消などが原因で、直江家は断絶した。「上杉家の減移封を招いた責任を感じていたため」「高禄の直江家の知行を返上することで少しでも上杉家の財政を助けるため」に意図的に兼続が直江家を断絶させたとする説がある。これらの説に確証は無いものの、養子縁組解消した本多政重の加賀藩帰参により、多数の上杉家・直江家家臣がそれに付き従って加賀藩に仕官する事となり、上杉家は結果的に大幅な人員削減ができたのは事実である。政重と景勝、兼続には以後も親密な交流が続いており、この円満に人員削減を図ったとの見方は有力視されている[29]

兼続死去から18年後の寛永14年(1637年)に妻・船が死去。兼続と船が行っていた藩政運営は、兼続の右腕として働いていた平林正興に引き継がれた。正興は兼続亡き後の寛永17年(1640年)に製作された往古御城下絵図に陪臣で唯一「殿」の尊称がついており、別格扱いを受けていたことが証明されている。正興によって兼続の祐筆を務めていた木次左近が郡代に就任している等、米沢藩内での直江派閥である与板組の権力は保持され続けた。

上述の通り、兼続と船は直江家菩提寺の徳昌寺に葬られたが、徳昌寺と上杉家菩提寺の林泉寺との間で争いが起こり、敗れた徳昌寺は越後に逃れたとされる。直江夫妻の墓石と位牌は尾崎家菩提寺の東源寺に移され、後に藩庁の裁定により林泉寺へと再び移された。位牌のみ東源寺に残され(一般非公開)、現在でも埋葬地について異説がある。分骨が高野山清浄心院に納められている。なお新潟県長岡市与板町に現存する徳昌寺には、米沢追放時に遺臣によって移されたとする直江夫妻の位牌が祀られている。

法名の達三全智居士は詩・文・武の三つに秀でたとの意味であり、上杉家の問い合わせによって妙心寺の海山元珠が由来を記したものが残っている。のちに院号が追加されて英貔院殿達三全智居士となる[25]

一方で、新潟県長岡市の徳昌寺に遺された位牌の法名は「直江院殿達三全智大居士」となっている。

大正13年(1924年2月11日宮内省より従四位を追贈された。なお、改名後の重光ではなく、兼続に対して追贈されている。

家族[編集]

直江兼続関連系図

(せん)正室。兼続は側室を迎えず正室だけを妻に迎えた[30]直江景明長男。清融阿闍梨?天正2年(1574年) - 寛永8年8月17日1631年高野山龍光院36世住職。一乗院14世住職や宝亀院住職も兼務している。字は良住房。若くして高野山で出家したといわれる[注釈 2]

於松(おまつ)天正13年(1585年) - 慶長10年8月17日1605年9月29日)?長女。慶長9年(1604年)直江家に養子入りした本多政重(直江勝吉)を婿に迎えるが、婚姻翌年に没した。勝吉には従妹の阿虎が兼続の養女となって再度嫁ぐことになった。法名は雪窓幻春大姉。関ヶ原の戦い後の上杉氏に対する処分が定まらなかったため、「武田信吉と直江兼続の娘(於松)が婚姻して景勝の養嗣子となり、上杉氏を相続する代わりに100万石が安堵される」という噂が立ち、そのことを島津氏の家臣鎌田政近が国元への書状に書き残している(『旧記雑録後編』)。確かに上杉氏の処分が決まった段階で家康五男である信吉への論功行賞は未だ行われていなかったが、実際には婚姻は行われず、信吉も慶長7年(1602年)に上杉氏より遅れて処分された佐竹氏の旧領に封じられた。噂が事実無根なのか、構想はあったものの信吉の健康問題で実現しなかったのか、真相は不明である[31]生年不詳 - 慶長10年1月13日1605年3月5日)?次女?。色部長実に息子・光長の嫁にと請われているが、結果的に光長には叔母(兼続の実妹)が嫁いだ。姉の於松に先だって早世。本名は不明だが、木村徳衛は嫡男の景明の幼名が竹松なので、それから推測すると「」の可能性があると指摘している[32]。法名は古山梅龍心大姉とされるが、今福匡は姉の法名よりもやや立派であるため、次女のものとは信じ難いとする。また、よりどころとされるこの法名は、『越後国供養帳』には「直江山城守為御内儀御乳人建之」とあり、お船のため乳人が建てた逆修であるとの説を主張。於松を亡くして傷心のお船の希望を容れ、乳人が建てたものであろうことを指摘[33]。実の子に女子は於松しかおらず、代わりに『兼見卿記』から、文禄4年(1595年)に養女にした「御まん御料人」の存在を明らかにした。御料人という呼称や、吉田神社をともに訪問したおせん、長女より格別に気を遣われていることから、この訪問の直後に病死した四辻家の当主公遠の娘、すなわち後に主君・景勝の側室となって上杉定勝を産む四辻殿である可能性を指摘している。また御まん御料人が四辻氏の女であるかどうかはこれだけでは断定できないが、彼女が兼続とお船の実の娘ではなく、身分の高い家柄の娘であることは間違いないであろうとしている[34]。また、古山梅龍心大姉の供養依頼日 慶長十年八月廿三日 と四辻氏の没年月日(慶長九年八月十七日)が近いことから、この法名が四辻氏のものである可能性も捨てきれないと今福は主張。「直江山城守為御内儀御乳人建之」の部分とは矛盾するが、逆修供養には、年長者が年若くして亡くなった者に対して行う場合もある[35]阿虎(おとら)生年不詳 - 寛永4年(1627年)6月10日養女。実弟・大国実頼の娘。慶長14年(1609年)、兼続の養女となり本多政重に嫁ぐ。

使用家紋一覧[編集]

兼続が用いた家紋には諸説ある。「亀甲に花菱」、「三つ盛り亀甲に花菱」あるいは「三つ盛り亀甲に三つ葉」などが見られる。また旗印も「三つ山」や「雁金」など混乱が見られる。ちなみに、「三つ盛り亀甲に三つ葉」は、歴史研究家でグラフィクデザイナーの大野信長が名付けて発表したものである[36]。一方で日本家紋研究会高澤等は「三つ盛り亀甲に三つ葉」の使用を否定している[37]

  • 亀甲に花菱

  • 三つ盛り亀甲に花菱

  • 三つ盛亀甲に三つ葉

  • 三つ山

  • 雁金

人物・逸話[編集]

直江兼続所用「金小札浅葱糸威二枚胴具足」

  • 江戸時代後期の講談や明治時代以降の講釈本などを中心に、兼続は謙信に才気と美貌を見出され、小姓・近習として近侍し、その寵愛深い衆道の相手かつ信頼の篤い近臣であったといわれている。しかし実際には、生前の謙信と兼続の関わりを示す信憑性のある史料は一切確認されておらず、青少年期の兼続が謙信に近侍していたか否かは不明である[注釈 3]

  • 天正8年(1580年)の樋口氏時代の書状は、当時の兼続が景勝の配下としてその意思を代行していたことを示すものであるとされて、若年期よりの兼続と景勝の関わりを実証し得るものとされている[注釈 4]

  • 米沢への転封の際に、上杉家は大変な財政難のため、老臣の中には家臣の減員を提案した者もいたが、兼続は断じてこれに反対し、「かくの如き際は人程大切なるものはいない、一同協力して復興を計るべきである」として新季奉公の牢人連の去る者は追わなかったが、旧来の家臣は一人も去る事を許さなかった『天雷子続』[38]。米沢はかつての領国の4分の1の石高の地で、上杉家を待っていたのは厳しい暮らしであった。しかし、兼続はここで家臣と家族3万人を養おうと、自らは質素な暮らしをしながら、国造りに取り組む。米沢市の郊外には、兼続の指示で土地を開いた武士の子孫が今も暮しており、その家の周りにはそして生垣にはウコギが植えられている。いずれも食べられる食用の木である。兼続は実用的な植物を植えさせることで、人々の暮らしの助けになるよう心を配っていた。この様に農業の振興に尽力した事から、後の元禄年間に著された「四季農戒書」(「地下人上下共身持之書」)の作者に仮託[13]されている[39]

  • 関ヶ原の合戦後、非常時に備え米沢の墓石を格子型にするよう命令した。これは兼続の発案と伝えられ、墓石の格子に棒を通し並べることで強固な石塀とするものである。今でも米沢の寺社の墓所にはたくさん格子型の墓石が並んでいる。また兼続の墓石も同様である。

  • 正室は直江大和守景綱の女で名は「おせん」である。兼続の側室はいない[40]

  • 伏見城にて、伊達政宗が同席していた諸大名に金銭を回覧させ、末座の兼続にも、これ見られよと言った時に、それを素手ではなく扇子で受け撥ねるようにして表裏を見た。政宗は陪臣である兼続に「遠慮をすることはない」と直接手に触れて見るように勧めたところ、兼続は「賎しき物を取れば汚れるので扇に載せています」と(『常山紀談』)、政宗の下へ投げ返した[41]

  • 徳川政権下の頃、あるとき直江兼続は江戸城の廊下で伊達政宗とすれ違うも、会釈すらせず素知らぬ顔で素通りした。政宗がこれを咎めると、直江兼続は「政宗公とは戦場では幾度もお目にかかっておりましたが、いつも(負けて逃げる)後ろ姿しか拝見したことが無かったため、一向に気がつきませんでした」と返答をした。

  • 『最上義光記』『家忠日記』によると、長谷堂城の戦いの撤退戦での兼続の采配振りを敵将の最上義光が感心している[42]

  • 南化玄興西笑承兌などと親交があり、文化人・蔵書家として有名であった。兼続は若い頃から漢文学に親しみ、自ら漢詩も詠んだほか、連歌もよくし、当代一流の文化人の連歌会に名を連ねている。江戸中期の儒学者新井白石は、「その詩才は疑うべくもない」と賞賛している。また古今東西の歴史書や医学書、仏教典籍を書写・蒐集している。兼続蔵書である宋版『史記』『漢書』『前漢書』は、南化和尚から贈られた物であり、いずれも国宝に指定されている。また木活字による『文選』(直江版)の出版や、米沢藩の学問所である禅林文庫(後の興譲館、現在の山形県立米沢興譲館高等学校)を創立している。

  • 兼続は朝鮮の役の際、肥前名護屋城に滞陣中のわずか2ヶ月間に300巻の医学書を書写させている。また渡海後は士卒に略奪を戒めるとともに、兵火にさらされた漢籍を救い出し、日本に持ち帰っている。また江戸初期の儒学者藤原惺窩は姜沆に与えた書中で「近世、文を戦陣の間に好む者は、上杉謙信、小早川隆景、高坂昌信、直江兼続、赤松広通のみ」と評している[43]

  • 」という字を前立にあしらったが兼続の所用として米沢市の上杉神社稽照殿に伝わっている。これは、謙信が愛宕神社に武田信玄および北条氏康の打倒を戦勝祈願した文書が歴代古案に集録されており、一般に愛宕の愛からとする説が有力である。この前立(愛の字瑞雲前立)の三日月状の台座は銀板で瑞雲を象ったもので、当時は白銀色に輝いていた。白雲に乗って顕現する神仏の表現である。この瑞雲に乗った神仏の肖像や文字をあしらった形式の前立は、伝上杉憲政甲冑(宮坂考古館所蔵)、上杉謙信・景勝甲冑(上杉神社、宮坂考古館所蔵)などの上杉家当主の兜前立によく見られるもので、兜のつくりも上杉家独自とされる二重錣であった。この兜と前立は兼続自身が作製させたものではなく、謙信もしくは景勝が拵えたものを兼続に下賜したものと考察されている[44]。また、この兜鉢には「上州八幡」の銘があり、関越の諸武将に愛用された上州甲冑師の一人によるものである。この銘は確認される限りで、兼続所用兜愛の字瑞雲前立鉄錆地六十二間筋兜)、村上市郷土資料館所蔵の本庄繁長所用兜(鉄錆地六十二間小星兜)、ドイツベルリン・サムライアート博物館所蔵の小星兜の三点のみである[45]

  • 常山紀談』、『北越軍記』によると、あるとき兼続の家臣(三宝寺庄蔵)が下人(五助)を無礼討ちした。すると、その遺族たちが兼続に「あれの粗相は何も無礼討ちにされるほどのものではなかった」と訴え出た。兼続が調べてみると遺族の訴えの通りだったので、兼続は遺族に白銀20枚を支払うように命じた。しかし遺族たちは下人を返せと言って譲らない。兼続は様々に言ったが、聞きいれようとしなかったので、すると兼続は「地獄に行って迎えに行け」と言って遺族3人の首をはね、その首を河原に晒してその横に高札を立て、そこに「この者どもを使いに出すから死人を返せ 慶長二年二月七日 直江山城守兼続」と閻魔大王への嘆願書を書いたという[46]。この逸話は、会津への国替えに抵抗する勢力を兼続が処断し、それ以来、国中の騒動が治まった史実を投影している可能性があるとされている[47]

  • 『常山紀談』によると「大男にて、百人にもすぐれたるもったいにて、学問詩歌の達者、才知武道兼ねたる兵なり。恐らく天下の御仕置にかかり候とも、あだむまじき仁体なり」とあり、それに続いて「長高く容儀骨柄並びなく、弁舌明に殊更大胆なる人なり」と兼続を高く評価している。それを受けた『名将言行録』では、「背が高く、容姿は美しく、言葉は晴朗」であったとされている[48]

  • 御館の乱の頃の兼続は、史料においても正確な行動が明らかではなく、春日山城に近侍していた顔ぶれの中にも、兼続は入っていない。ましてや景勝の家督継承を主導したとは、全くの妄説である[48]

  • 兼続の死後、主君を誤らせ徳川家康に刃向かう、上杉家を窮地に陥れた奸臣とされていたが、米沢藩第9代藩主の上杉鷹山が兼続を手本に藩政改革を行なったことから次第に再評価が高まった。

関連作品[編集]

小説

TVドラマ

TVその他

楽曲

漫画

ゲーム

伊達政宗

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この項目では、伊達家第17代当主(仙台藩初代藩主)について説明しています。その他の用法については「伊達政宗 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 凡例伊達 政宗

伊達政宗像(東福寺霊源院蔵、土佐光貞筆、江戸中期頃)
数少ない隻眼で描かれた肖像画。

時代戦国時代から江戸時代前期生誕永禄10年8月3日1567年9月5日[1]死没寛永13年5月24日1636年6月27日[2]改名梵天丸(幼名)→政宗別名仮名:藤次郎
渾名独眼竜諡号貞山公神号武振彦命戒名瑞巌寺殿貞山禅利大居士墓所瑞鳳殿妙心寺塔頭蟠桃院官位従五位下左京大夫侍従越前守
従四位下右近衛権少将陸奥守
正四位下参議従三位権中納言
従二位主君豊臣秀吉徳川家康秀忠家光仙台藩初代藩主氏族伊達氏父母父:伊達輝宗、母:義姫最上義守の娘)兄弟政宗小次郎、秀雄、千子姫妻正室:愛姫田村清顕の娘)
側室:新造の方飯坂の局於山方荘厳院勝女姫妙伴秀宗忠宗宗清宗泰宗綱宗信宗高竹松丸宗実宗勝亘理宗根
五郎八姫牟宇姫岑姫千菊姫津多花押

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伊達 政宗(だて/いだて[3][4] [5]まさむね)は、出羽国山形県)と陸奥国宮城県福島県)の武将戦国大名伊達氏の第17代当主。近世大名としては、仙台藩宮城県岩手県南部)の初代藩主である。

目次

生涯[編集]

小室達作(第2代)伊達政宗騎馬像(仙台市・仙台城本丸、2004年10月撮影)

出生から初陣まで[編集]

永禄10年8月3日(1567年9月5日[1]出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗(てるむね)の嫡男として、正室である最上義守の娘・義姫最上義光の妹)から生まれた。幼名は梵天[6]。生誕地は通説では米沢城であるが館山城とする学説もある[7]

天正5年(1577年)11月15日、元服して伊達藤次郎政宗と名付けられる。の「政宗」は父・輝宗が伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかって名づけたもので、この大膳大夫政宗と区別するため藤次郎政宗と呼ぶことも多い。梵天丸はこの諱を固辞したが、父の輝宗より強いて命ぜられた。史料上にも正宗と書かれたものがいくつかあるが、これは誤記や区別のための書き違えである。伊達家はそれまで足利将軍からの一字拝領を慣習としてきたが[注 1]、政宗の元服に際しては、当時織田信長によって京より追放されていた足利義昭からの一字拝領を求めなかった。

天正7年(1579年)10月、仙道の三春城主・田村清顕より婚儀の相談があり、御入輿の日取り、路次警固等合い調う。その冬、政宗が13歳のとき、清顕の娘、当時11歳の愛姫(伊達政宗と同じく伊達稙宗曽祖父にもつ)を正室に迎える。伊達郡梁川城で輿の引継ぎが行われ、伊達成実遠藤基信らに守られて、雪深い板谷峠を避け、小坂峠七ヶ宿二井宿峠を経て、米沢城に入輿した[8]


天正9年(1581年)5月上旬、隣接する戦国大名・相馬氏との合戦で伊具郡に出陣、初陣を飾る。また、この頃から輝宗の代理として田村氏蘆名氏との外交を担当しており、蘆名盛隆が対相馬氏戦で援軍を送ったのは政宗の働きかけによるものである[9]

家督相続から摺上原の戦いまで[編集]

伊達政宗の馬印(右)

伊達政宗の馬印(左)

天正12年(1584年)10月、父・輝宗の隠居にともない家督を相続し[10]、伊達家第17代当主となる。この時、政宗は若年を理由に辞退を申し出たが、一門・重臣の勧めを受けて家督を譲り受けている[11]。仙台藩の公式記録である『伊達治家記録』では、家督相続を10月6日から22日の間の出来事と記し、これについては現存史料でも輝宗の当主としての発給文書の終見が10月5日付[12] で、政宗の当主としての発給文書の初見が10月23日付のうえ、輝宗隠居の知らせを聞いた石川昭光(輝宗の実弟)からの問い合わせに対する回答[13] と伝えられているため、この推定はほぼ正確と思われる。

この当主交代について、小林清治は10月6日に会津の蘆名盛隆が家臣に暗殺されたことを受けて、輝宗がかつて蘆名盛氏(盛隆の養父)に対して自分の次男(小次郎)が成長したら盛氏の養子にする案を示した書状[14] を交わしていた事を理由に、9月に生まれたばかりの盛隆の遺児蘆名亀王丸(亀若。小林は「亀若丸」とする。母は輝宗の妹彦姫であり輝宗の実の甥)ではなく、実子の小次郎を蘆名氏の当主に送り込もうと計画した。しかし、常陸の佐竹義重がこれに反対して、蘆名家中に対して亀王丸の家督相続を支持する書状[15] を送ったために小次郎の入嗣計画が失敗し、それが引き金になって輝宗の隠居および政宗による蘆名氏との同盟破棄に繋がったと唱えている[16]。これに対して、垣内和孝は政宗は家督継承直後は蘆名氏との関係を修復する意向を持っていたとして、輝宗の隠居は蘆名氏の家督問題そのものよりも隣国の当主の不慮の死とそれに伴う混乱を見て、こうした危機を回避するために自分が健在のうちに次の当主への交代を決めたとしている[17]

小浜城主・大内定綱二本松城主・畠山義継と手を組み、田村氏の支配から離脱していた。大内氏は蘆名氏の支援を求め、田村氏は伊達氏の支援を求める事になった。

こうした状況を受けて、蘆名盛隆と畠山義継は輝宗父子に対して田村氏と大内氏の和睦を持ちかけていた[18]。 一方、家督継承前から蘆名氏との外交に関わってきた輝宗も蘆名氏や岩城氏と田村氏の和睦の仲介にあたろうとしていた[19]。しかし、前者は田村氏の婿である政宗が拒否し、後者は盛隆没後の蘆名氏が受け入れるところとならなかった。伊達氏・田村氏と蘆名氏・大内氏の和睦の不成立は、長く続いた伊達氏と蘆名氏の同盟に終止符を打つ事になる。

天正13年(1585年)5月に蘆名領檜原を攻めると、8月には大内領小手森城へ兵を進め、近隣諸国への見せしめとして撫で斬りを行い、城中の者を皆殺しにしている。大内定綱の没落を間近で見た義継は和議を申し出、輝宗の取りなしにより五ヶ村のみを二本松領として安堵される事になった。ところが輝宗は、所領安堵の件などの礼に来ていた義継の見送りに出た所を拉致される。当時鷹狩りに出かけていた政宗は、急遽戻って義継を追跡し、仕方なくて鉄砲を放って輝宗もろとも一人も残さず殺害した。この事件については、鷹狩中の手勢が[20]なぜか鉄砲で武装していたことを根拠に、政宗による父殺しの陰謀と見る説もある[21]。政宗はいなかった、成実が鉄砲を指揮したという説もある。

その後、初七日法要を済ますと、輝宗の弔い合戦と称して二本松城を包囲。11月17日、二本松城救援のため集結した佐竹氏率いる約3万の南奥州諸侯連合軍と安達郡人取橋で激突した。4倍以上の敵軍を相手にする、数に劣る伊達軍は潰走し、政宗自身も矢玉を浴びるなど危機的状況に陥ったが、殿軍を務めた老臣・鬼庭左月斎の防戦によって退却に成功し、翌日の佐竹軍の撤兵により窮地を脱した(人取橋の戦い)。

なお、この年の3月、正親町天皇織田信長比叡山焼き討ちによって焼失した延暦寺の根本中堂などの再建への助力のために政宗に対し、献金と引換に美作守への叙任を打診した。しかし、政宗は周辺情勢の緊迫化によって助力が困難である事から、同年閏8月に政宗は会見した青蓮院の使者に対して美作守の辞退を正式に通知している(もっとも、稙宗以来歴代当主が左京大夫を称してきた伊達氏としては美作守は格下扱いと考えた可能性はある)[22]。ところが、この時の綸旨口宣案はこの件を仲介しようとしていた青蓮院で宙に浮いてしまい、政宗の死から80年以上経った享保7年(1722年)になって青蓮院から仙台藩主伊達吉村に引き渡されたため、この叙任が『治家記録』などの後世の史料に史実として記載されている(享保当時の伊達家にも青蓮院にも、天皇の綸旨を政宗が辞退することは考えられず、戦乱のために伝達できなかったと誤認したとみられる)[23]

天正14年(1586年)4月、政宗は自ら出馬して二本松城を包囲、畠山氏は当主・国王丸を立てて必死に抵抗する。7月、相馬義胤の仲介で伊達氏と蘆名氏の間で和議が結ばれ、国王丸は二本松城を明け渡して会津の蘆名氏のもとに亡命す事となった。これによって二本松畠山氏は事実上滅亡した。その後、政宗は佐竹氏やほかの南奥州諸侯との和議を進め、一旦は平和を回復した。ところが、11月に蘆名亀若丸がわずか3歳で急死すると、佐竹義重は自分の子である義広を蘆名氏の当主に擁立した。しかし、義重は事前に白河結城氏・岩城氏などに義広の擁立に関する同意を取りつける一方で、弟の小次郎を擁するとみられた政宗には何ら通告を行わなかった。これを佐竹氏による伊達氏排除の意思とみた政宗は佐竹氏との全面対決を決意する事になった[24]

天正15年(1587年)12月、関白豊臣秀吉は関東・奥羽の諸大名、特に関東の北条氏と奥州の伊達氏に対して、惣無事令(私戦禁止令)を発令した。しかし、政宗は秀吉の命令を無視して戦争を続行した。

天正16年(1588年)2月、北方の大崎氏家中の内紛に介入して兵1万を侵攻させたが、黒川晴氏の離反と大崎方の抵抗に遭い敗北した。さらに政宗への反感を強めていた伯父・最上義光が義光の義兄・大崎側に立って参戦し、伊達領各地を最上勢に攻め落とされた(大崎合戦)。時を同じくして、大崎合戦に乗じて伊達領南部に蘆名氏・相馬氏が侵攻して苗代田城を落とされてしまう(郡山合戦)。しかし、南方戦線において伊達成実による大内定綱の調略が成功、北方戦線では5月に最上氏との間に割って入った母・義姫の懇願により停戦し、体勢の立て直しが行われた。7月、最上氏および蘆名氏と和議が成立して窮地を脱し、愛姫の実家・田村氏領の確保に成功した(田村仕置)。9月、金山宗洗を通じて豊臣秀吉へ恭順を示し[25]、秀吉は天正17年前半の上洛を求めた[26]

天正17年(1589年)2月26日、政宗は落馬で左足を骨折して療養に入る[注 2]。その隙をついて4月になると岩城常隆が田村領に侵攻を開始し、相馬義胤も呼応した。怪我を治した政宗は5月になって漸く出陣するが、蘆名方の片平親綱(大内定綱の弟)が政宗に帰順したと知ると、方向を一転して会津方向に向かう事になる。5月から6月にかけて会津蘆名義広と争い、磐梯山麓の摺上原で破った(摺上原の戦い)。敗れた義広は黒川城を放棄して実家の佐竹家に逃れ、ここに戦国大名としての蘆名氏は滅亡した。こうして会津の大半は政宗の支配下に入り、政宗は奥州の覇者となった。この頃になると惣無事令を遵守して奥州への介入に及び腰になっていた佐竹氏側から結城義親・石川昭光・岩城常隆らが次々と伊達方に転じて政宗に服属し、なおも抵抗を続けていた二階堂氏などは政宗により滅ぼされた。秀吉は恭順と惣無事を反故にされた形となり、会津から撤退しない場合は奥羽へ出兵する事を明らかにした[28]

この時、政宗は現在の福島県中通り地方と会津地方、および山形県置賜地方宮城県の南部を領し全国的にも屈指の領国規模を築いた。これに加え上述の白河結城氏ら南陸奥の諸豪族や、また現在の宮城県北部や岩手県の一部を支配していた大崎氏・葛西氏も政宗の勢力下にあった[注 3]

小田原合戦と豊臣政権下[編集]

天正17年11月、後北条氏が真田領へ侵攻した事により、豊臣氏により征伐が行われる事になった。政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にあったため、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたという。

秀吉の小田原攻囲(小田原征伐)中である天正18年(1590年)5月に、豊臣配下浅野長政から小田原参陣を催促され、政宗は5月9日に会津を出立すると米沢・小国を経て同盟国上杉景勝の所領である越後国・信濃国、甲斐国を経由して小田原に至った。秀吉の兵動員数を考慮した政宗は秀吉に服属し、秀吉は会津領を没収したものの、伊達家の本領72万石(おおむね家督相続時の所領[注 4])を安堵した。この時、遅参の詰問に来た前田利家らに千利休の茶の指導を受けたいと申し出、秀吉らを感嘆させたという。この行為は秀吉の派手好みの性格を知っての行いと伝えられている。政宗が秀吉に服属してほどなく、北条氏政氏直親子は秀吉に降伏し、秀吉は宇都宮城奥州仕置宇都宮仕置)を行った。ここに秀吉の日本統一が達成されたが、政宗は会津領などを失い陸奥出羽のうち13郡、およそ72万石に減封されている。この宇都宮の地において宗家筋にあたる中村時長[注 5]に接見したとされている。

翌天正19年(1591年)には蒲生氏郷とともに葛西大崎一揆を平定するが、政宗自身が一揆を煽動していたことが露見する。これは氏郷が「政宗が書いた」とされる一揆勢宛の書状を入手したことに端を発する。また、京都では政宗から京都に人質として差出した夫人は偽者である、一揆勢が立て篭もる城には政宗の幟や旗が立てられているなどの噂が立ち、秀吉の耳にも届いていた。喚問された政宗は上洛し、一揆扇動の書状は偽物である旨を秀吉に弁明し許されるが、本拠地であった長井信夫伊達を含む6郡の代わりに一揆で荒廃した葛西・大崎13郡を与えられ、米沢城72万石から玉造郡岩手沢城(城名を岩出山城に変えた)へ58万石に減転封された。この頃、秀吉から羽柴の名字を与えられ、本拠の岩出山城が大崎氏旧領であった事から、政宗は「羽柴大崎侍従」と称した[32]

文禄2年(1593年)、秀吉の文禄の役に従軍。従軍時に政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束は非常に絢爛豪華なもので、上洛の道中において巷間の噂となった。3千人もしくは1,500人の軍勢であったとの記録がある。他の軍勢が通過する際、静かに見守っていた京都の住民も伊達勢の軍装の見事さに歓声を上げたという。これ以来、派手な装いを好み着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになった[注 6]と伝えられる。朝鮮半島ではとの和平交渉中の日本軍による朝鮮南部沿岸の築城に際して、普請を免除されていたにもかかわらず秀吉からの兵糧の支給を断って積極的に参加するなどして活躍した。 因みに政宗は、慶長の役には参加していない。

文禄2年以降、浅野長政が取次として伊達政宗と豊臣政権の取次ぎとなっていたが、文禄5年8月14日付の書状で政宗は長政の態度に我慢がならずに絶縁状を送りつけて絶交を宣言した[33]。秀吉に早くから服属して五大老に選ばれたような大名たちとは異なり、政宗は北条氏と同盟して秀吉と対立するなどし、ほぼ最後に服属した大名だった事から、豊臣政権で重く用いられる事はなかった。

文禄4年(1595年)、秀吉から謀反の疑いをかけられた関白・豊臣秀次が切腹した。秀次と親しかった政宗の周辺は緊迫した状況となり、この時母方の従姉妹にあたる最上義光の娘・駒姫は、秀次の側室になるために上京したばかりであったが、秀次の妻子らと共に処刑されてしまう。政宗も秀吉から謀反への関与を疑われ、伊予国への減転封を命じられそうになったが、湯目景康中島宗求の直訴の甲斐もあって最終的には赦免された。ただし、在京の重臣19名の連署で、政宗が叛意を疑われた場合には直ちに隠居させ、家督を兵五郎(秀宗)に継がせる旨の誓約をさせられている。

秀吉の死後、政宗と五大老・徳川家康は天下人であった秀吉の遺言を破り、慶長4年(1599年)、政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝を婚約させた。慶長12年(1607年)、家康の五女・市姬と政宗の嫡男・伊達忠宗と婚約していた。

伝存の基本史料を典拠とする限り、家康と政宗をはじめとする諸大名の縁辺は、法度違反の私婚として、その是非を論ずる事はできないとする説もある。この問題の決着が罰則なしの和解になったことも、亡き秀吉に代わる御意の存在を明らかにできないなど法の整備がされておらず、厳密に運用できなかったためである。家康の縁辺問題を違法な私婚とみなす通説は、一方的で客観性に欠ける[34]

関ヶ原の戦いと最上陣[編集]

豊臣秀吉死後の慶長5年(1600年)、家康が会津の上杉景勝討伐の軍を発するとこれに従い、7月25日には登坂勝乃が守る白石城を奪還した。家康が畿内を離れた隙をついて五奉行石田三成らが毛利輝元を総大将として家康に対して挙兵したため、下野国小山(現・栃木県)まで北上していた家康は西へ引き返す。翌月、家康は政宗に対して、岩出山転封時に没収され、この時点では上杉領となっていた旧領6郡49万石の領土の自力回復を許す旨の書状(「百万石のお墨付き」仙台市博物館・蔵)を送っている。これは政宗が南部利直領の和賀・稗貫・閉伊への侵攻許可を得るため、南部氏が西軍に通じているとしきりに家康に訴えていた事から、お墨付きを与える事で政宗が対上杉戦に集中するよう仕向けたものであった。

同年9月、関ヶ原の戦いが勃発。西軍の上杉家重臣・直江兼続が指揮を執る軍が東軍の最上氏の領内に侵入すると(慶長出羽合戦)、東軍に属した政宗は、最上氏からの救援要請を受けて叔父・留守政景が指揮する3千の兵を派遣し、9月25日には茂庭綱元が上杉領の刈田郡湯原城を攻略した[注 7]

関ヶ原の戦いが徳川方の勝利に終わり、直江兼続もまた最上義光に敗れて米沢に逃げ帰ると、政宗は自ら兵を率いて伊達・信夫郡奪還のため国見峠を越えて南進し、10月6日に福島城主・本庄繁長の軍勢と衝突する。宮代表の野戦では威力偵察に出た大宝寺義勝(繁長の子)が指揮を執る上杉軍を破ったものの、続く福島城包囲戦では繁長の堅い守りに阻まれて攻城に失敗、さらに上杉軍の別働隊に補給線を断たれたため、翌日には北目城へと撤退した(後世の軍記物に見えるいわゆる松川の戦いのモデル)。

この後、翌年春頃まで幾度か福島城攻略のために出兵したが、結局は緒戦の失敗を取り戻せず、旧領6郡のうち奪還できたのは陸奥国刈田郡2万石のみであった。加えて、政宗が南部領内で発生した和賀忠親による一揆を煽動し、白石宗直らに命じて忠親を支援するため南部領に4千の兵を侵攻させていた事が発覚した(岩崎一揆)。この一件は最終的には不問に付されたものの、政宗が希望した恩賞の追加は尽く却下され、領地は60万石となった(のちに近江国常陸国に小領土の飛地2万石の加増で62万石となる)。

仙台開府と慶長遣欧使節[編集]

伊達政宗からローマ教皇に宛てられた書簡

関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許可を得た政宗は慶長6年(1601年)、居城を仙台に移し、と城下町の建設を始めた。ここに伊達政宗を藩祖とする仙台藩が誕生した。石高62万加賀藩前田氏薩摩藩島津氏および福井藩越前松平家に次ぐ全国第4位である(1623年の松平忠直失脚による福井藩再編後は全国3位となった)。徳川幕府からは松平の名字を与えられ「松平陸奥守」を称した[35]

仙台城山城で天然の地形を利用した防御であるものの、仙台の城下町は全面的な開発であるため、のべ100万人を動員した大工事となった。藩内の統治には48ヶ所の館を置き家臣を配置した。

政宗は仙台藩とスペイン帝国(スペイン王国,ポルトガル王国同君連合)との通商(太平洋貿易)を企図し、慶長18年(1613年)、仙台領内において、スペイン国王(エスパーニャ国王)・フェリペ3世の使節(スペイン海軍提督)セバスティアン・ビスカイノの協力によって軍艦(ガレオン船),サン・ファン・バウティスタ号を建造した。政宗は日本全国の大名の中なかでただ一人だけ徳川家康から日本の外交権を借りる承認を得ると、豊臣秀吉文禄・慶長の役で活躍した家臣・支倉常長フランシスコ会宣教師,ルイス・ソテロを外交使節に任命し、使節団一行180余人をカトリック教会の盟主であるスペイン国王,フェリペ3世 (スペイン王)植民地の一つであるメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)、 スペイン王国 (エスパーニャ) 、およびローマ法王,パウルス5世 (ローマ教皇 (パウロ5世)のローマ (ローマ教皇庁)へ派遣した(慶長遣欧使節)。日本人がヨーロッパへ政治外交使節を派遣したのはこれが史上初であった。また、日本人で太平洋大西洋を横断した人物は支倉常長が日本史上初であった。


慶長8年(1603年)以降は幕臣との交際が多くなる。幕臣への接近は情報収集の一端であり、さまざまな贈答品に心を砕いたり、酒宴・歌会・茶会・能見物等に懸命であったりした[36]

慶長18年(1613年)に高田城の普請のために越後国にいた政宗から愛姫に送った書状には、春秋の季節感や天然自然の草木、花鳥風月について、仏教の無常感を土台に語りかけている。『枕草子』や『徒然草』が引用され、『源氏物語』の「花宴」の一句で締めくくるなど、その文言は高尚である。夫婦仲が疎遠どころか、複雑な心象を伝える間柄であったことが分かる[37]

大坂の陣[編集]

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣(大坂の役)では大和口方面軍として布陣した。和議成立後、伊達軍は外堀埋め立て工事の任にあたる。その年の12月、将軍秀忠より伊予国宇和郡に領地を賜り、後に庶長子の秀宗による宇和島藩の立藩となった。翌年、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、道明寺の戦い後藤基次らと戦った。基次は伊達家家中・片倉重長の攻撃を受けて負傷し自刃したといわれる。道明寺口の要衝小松山に布陣をする後藤隊を壊滅させた大和方面軍は誉田村に兵を進めるが、ここで伊達隊は真田信繁(幸村)の反撃を受けて後退を余儀なくされた。これに対し先鋒大将の水野勝成は、政宗に真田隊への再攻撃を再三に渡り要請するが、政宗は弾薬の不足や兵の負傷などを理由にこれを尽く拒否し、最後は政宗自ら勝成の陣に赴き要請を断った。このため信繁は悠々と大坂城に引き返し「関東勢百万と候えど、漢たるは一人も無きに見えにし候」(「関東武者は100万あっても、男と呼べる者は誰一人としていない」)と嘲笑したという。

なお、誉田村での戦闘中に政宗勢は水野家家中3人を味方討ちにし、水野家の馬を奪っているが、勝成は政宗の軍勢を待ち伏せにし兵を斬り殺して馬を奪い返した。しかし、これに政宗が異議を唱えることはなかった[38]

一説によれば、翌5月7日の天王寺の戦いで政宗は船場口に進軍し、明石全登隊と交戦していた水野勝成勢の神保相茂隊約300人を味方討ちにしたという(6日の道明寺の戦いで発生したとする説もある)。神保隊は全滅し、相茂自身も討ち死にして遺臣が水野勝成らを通じて政宗に抗議するが、政宗は開き直り「神保隊が明石隊によって総崩れになったため、これに自軍が巻き込まれるのを防ぐため仕方なく処分した。伊達の軍法には敵味方の区別はない」と主張したとある(『薩藩旧記』巻六)。この風聞は直後からさまざまな興味と憶測を生み、講談本(『難波戦記』)では休息中の神保隊に有無を言わさずに銃撃を加えたとする説や、手柄を妬んでの味方討ちとする説も書かれている。

ただし、政宗がこの事件について咎めを受けた記録はなく、幕府の記録(『寛政重修諸家譜』)にも「(神保相茂は)奮戦して死す」とのみ記述されており、幕府が政宗に配慮し抗議を黙殺した、あるいは水野家家中への味方討ちに尾ひれがついた伝聞が広まった可能性などが考えられる(詳細は神保相茂の項を参照)。

なお、この戦で敵となった真田信繁の次男である真田守信長宗我部盛親の姉妹である阿古姫とその息子・柴田朝意が伊達家に仕えた。

晩年[編集]

小室達作(初代)伊達政宗騎馬像(仙台市・仙台城本丸、1940年5月撮影)

小室達作(第2代)伊達政宗騎馬像(仙台市・仙台城本丸、2016年撮影)

世情が落ち着いてからは、もっぱら領国の開発に力を入れ、のちに貞山堀と呼ばれる運河を整備した。北上川水系の流域を整理し開拓、現代まで続く穀倉地帯とした。この結果、仙台藩は表高62万石に対し、内高74万5千石相当(寛永惣検地)の農業生産高を確保した。文化的には上方の文化を積極的に導入し、技師・大工らの招聘を行い、桃山文化に特徴的な荘厳華麗さに北国の特性が加わった様式を生み出し、国宝大崎八幡宮瑞巌寺、また鹽竈神社陸奥国分寺薬師堂などの建造物を残した。さらに近江在住の技師・川村孫兵衛を招き、北上川の河口に石巻港を設けた。これにより北上川流域水運を通じ石巻から海路江戸を移出する体制が整う。寛永9年(1632年)より仙台米が江戸に輸出され、最盛期には「今江戸三分一は奥州米なり」と『煙霞綺談』に記述されるほどになる。

家康が亡くなると松平忠輝は改易となり、忠輝に嫁いでいた長女の五郎八姫は離縁して実家へ戻った。和霊騒動では宇和島藩主になっていた秀宗と対立を起こして幕府を巻き込んだ騒動になり、一時は政宗は宇和島藩返上を幕府へ申し出るほどだったが、後に和解した。政宗は3代将軍・徳川家光の頃まで仕えたが、寛永12年(1635年)に家光が参勤交代制を発布し、「今後は諸大名を家臣として遇す」と述べると、政宗はいち早く進み出て「命に背く者あれば、政宗めに討伐を仰せ付けくだされ」と申し出たため、誰も反対できなくなった。家光は下城する政宗に護身用に10挺の火縄銃を与えた[39]。家光の治世になると、実際に戦場を駆け巡っていた武将大名はほとんどが死去していた中、政宗は高齢になっても江戸参府を欠かさず忠勤に励んだ事から、家光は政宗を「伊達の親父殿」と呼んで慕っていた。時に家光に乞われて秀吉や家康との思い出や合戦の事など、戦国時代の昔話をしたという。

健康に気を使う政宗だったが、寛永11年(1634年)頃から食欲不振や嚥下に難を抱えるといった体調不良を訴え始めていた。寛永13年(1636年)4月18日、母の菩提寺保春院に詣でたのち、昼すぎから北山・経ヶ峯・茂ヶ崎山など城下をめぐる山々を巡歴した。経ヶ峯では、しばらくたたずみ、かたわらに控える奥山常良に向かって、死後はこの辺に葬られたいものだと杖を立てて指示をした[40]。2日後の4月20日に参勤交代に出発した政宗は急に病状を悪化させ、宿泊した郡山では嚥下困難に嘔吐が伴い何も食べられなくなっていた。4月28日に江戸に入った頃には絶食状態が続いたうえ、腹に腫れが生じていた。病を押して参府した政宗に家光は、5月21日に伊達家上屋敷に赴き政宗を見舞った。政宗は行水して身を整え、家光を迎えた。しかしお目見え後に奥へ戻る時には杖を頼りに何度も休みながら進まざるをえなかった[39]

5月24日卯の刻(午前6時)死去。享年70(満68歳没)[2]。死因は食道噴門癌による癌性腹膜炎であるとされている[41]。「伊達男」の名にふさわしく、臨終の際、妻子にも死に顔を見せない心意気であったという。5月26日には嫡男・伊達忠宗への遺領相続が許された。遺体は束帯姿で木棺に納められ、防腐処置のため水銀、石灰、塩を詰めたうえで駕籠に載せられ、生前そのままの大名行列により6月3日に仙台へ戻った。殉死者は石田将監ら家臣15名[42]陪臣5名[42]。江戸では7日間、京都では3日間にわたって魚鳥を捕まえることと音曲をかなでることが止められた[42]

辞世の句は、「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く[2]」。

人物・逸話[編集]

眼帯の由来[編集]

伊達政宗肖像(狩野安信作、仙台市博物館所蔵品)。政宗の遺言に従って両目を開いた状態で描かれている。

政宗の肖像において、天然痘で失明した右目は白濁して見開いており、健全な左目はより大きく見開いている。政宗の生前の希望に従い、右目を黒く描く肖像もある。また、「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という政宗の考えから、死後作られた木像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられている。

政宗が登場するフィクションなどでは眼帯をつけているものが多いが実際には現実にある各種の記録には目を覆った様子はない[43]。政宗役の俳優が演技時に刀鍔型をした眼帯などで右目を覆う慣習は、古くは1942年の映画『獨眼龍政宗』において始まっている[44](1959年の映画『独眼竜政宗』では、豊臣秀吉の送った暗殺団の矢を右目に受けて重傷を負った)。

近年では右目を覆わない作品もある[注 8]が、創作において刀鍔型の眼帯は政宗の代名詞となっており、2016年のテレビドラマ『真田丸』では時代考証を重視しつつも「誰だか分からない」として白い包帯という折衷案を採用した[45]

「独眼竜」の由来[編集]

伊達政宗が「独眼竜」のあだ名で呼ばれるのは、江戸時代後期の儒学者・頼山陽の賦した漢詩にまでさかのぼる[46]。山陽の没後、天保12年(1841年)に刊行された『山陽遺稿』に収められた「詠史絶句」15首のひとつに、政宗に題をとったものがある。天保元年(1830年)の作とされている。

横槊英風独此公

肉生髀裏斂軍鋒中原若未収雲雨河北渾帰独眼龍

槊を横たふる英風独りこの公

肉髀裏に生じて軍鋒をおさむ

中原もしいまだ雲雨収まらずんば

河北すべて帰せん独眼龍

(出典)

伊藤靄谿注釈『山陽遺稿詩注釈』書藝界、1985年

頼成一・伊藤吉三訳注『頼山陽詩抄』岩波書店〈岩波文庫〉、1944年

「独眼龍」は、もともと中国の王朝末期、各地に割拠した軍閥の首領の1人で、その中でも軍事的に最強と謳われた李克用の綽名である。たとえば『資治通鑑』巻第255に「諸将みなこれを畏る。克用一目微眇なり。時人、これを独眼龍と謂う」とある。ただし、漢字の「眇」には「片方の目が見えない」という意味と「一方の目が他方よりも小さい」という意味とがあり、李克用がどちらであったかははっきりしない。隻眼の伊達政宗をあえて李克用になぞらえたのは山陽の詩的独創に属する。

起句の「槊」は「ほこ(矛)」であり、魏の曹操赤壁の戦いを前にして陣中で武器を小脇に挟んで詩を賦したという伝説に基づき、北宋蘇軾が『前赤壁賦』で「釃酒臨江、横槊賦詩、固一世之雄也」と詠い、一代の英雄として讃えたことを踏まえる。曹操に匹敵するほどの文武両道に秀でた英雄は、日本では政宗だけだというのである。

承句は、同じく三国志の英雄劉備の「髀肉の嘆」の故事を踏まえたもので、そんな英雄政宗も平和の訪れとともに軍を収め、体がなまったことを嘆くようになったことをいう。

転句の「中原」は黄河中流域を指し、唐の首都長安・副都洛陽を含む地域であり、古代王朝・王朝以来、中華文明の中心地として栄えた地である。当時は、李克用の終生の仇敵である軍閥朱全忠の支配下にあった。朱全忠はのちに唐王朝から帝位を奪い、自らの王朝後梁を樹立する。ここでは政治・経済・文化の中心地として、日本の近畿地方の比喩となっている。「雲雨」は戦乱の比喩である。

結句の「河北」は現在の河北省の地ではなく、漠然と黄河の北側の地域をいい、李克用の本拠地晋陽(現在の山西省太原市)が中原に対して黄河の北方にあったことを指す。ここでは日本の東北地方の比喩である。中原の戦乱が終息しなければ、つまり、織田信長羽柴秀吉による天下統一事業があれほど急速に進展しなかったならば、東北地方全域が政宗の支配下に入っていたに違いないと、山陽は政宗が「遅く生まれてきた」ことを惜しんでいるのである。

また、政宗が隻眼の行者・満海上人の生まれ変わりであるという伝説は、政宗の存命中の慶長末年のころ、遅くとも慶長19年(1614年)には知られていた[47]

弟との確執[編集]

江戸時代に仙台藩第4代藩主・伊達綱村(政宗の曾孫)が作らせた『伊達治家記録』には、小田原参陣前に兄の最上義光にそそのかされた義姫によって毒殺されそうになり、義姫を成敗する代わりに弟の伊達小次郎を斬殺したため義姫は実家に逃走したと書かれており、これが通説となっていた。しかし実際には義姫はその後も伊達家にとどまっており、政宗の朝鮮出兵の頃から母子は親しく手紙のやりとりをしている。義姫が実家の山形城へ突如出奔したのはこの4年後であることが一次史料からすでに明らかになっている[48](詳細は義姫参照)。この「毒殺未遂事件」の正体は、反政宗派一掃のための狂言説もある。

徳川家への忠誠[編集]

三代将軍家光は京都の二条城へと参上する際、御三家でも許されなかった紫の馬の総を伊達に与えた。政宗が病床についた際は、医者を手配したうえで江戸中の寺社に快癒の祈祷を行わせ、死の3日前には家光自らが見舞いにきた。政宗が亡くなると、父・秀忠が死んだときよりも嘆き入り、江戸で7日、京都で3日の間殺生や遊興が禁止された。

寛永5年(1628年)3月12日、政宗は徳川秀忠を仙台藩江戸屋敷に招待して供応した。このとき、政宗自らが秀忠の前に膳を運んだが、そのとき秀忠側近の内藤正重が、「伊達殿に鬼見(毒見)をしてほしい」と声をかけた。政宗はこれに対して、「外記(正重)言はれぬ事を被申候。政宗程の者が御成を申自身御膳を上るうへ。おにする(毒見する)所にてはなきぞ御膳に毒を入るるは、早十年前の事なり十年前にも。日本の神かけて毒などにて。殺し奉るべきとは夢々思はぬぞ。一度は乗寄てこそとは思ひ候」と激怒して返答したと、『政宗公御名語集』に記されている。つまり、10年前なら、(徳川幕府の基盤がまだ磐石ではなかったため)謀反を起こす気もあったが、そのときでさえ、この政宗は毒殺などというせせこましいことはせず、一槍交えて戦おうとしただろうと正重を厳しく叱責しているのである。

ヨーロッパでの名声[編集]

支倉常長はエスパーニャとの軍事同盟交渉のとき、国王・フェリペ3世に対して、「政宗は勢力あり。また勇武にして、諸人が皆、皇帝となるべしと認める人なり」と発言している。

支倉常長はローマ教皇にも謁見した。この時代の日本人がローマ教皇に謁見した史実は、日本の外交史の中で特筆される実績であり、今でもスペインのコリア・デル・リオには現地に留まった仙台藩士の末裔と推測される人たちが存在している。彼らは「日本」を意味する「ハポン」を姓として名乗っている[49]

天下取りの野望[編集]

柳原義達作「伊達政宗公平和像」(大崎市岩出山城、2010年10月撮影)

軍記物『東奥老子夜話』によれば、政宗は幕府軍と天下を賭けて戦うことになった場合を想定し、「仙台御陣の御触に付御内試」という、幕府軍との決戦に備えた図上演習、すなわち作戦立案をしていたとされる。具体的には、名取川を人為的に決壊させて仙台平野を水浸しにし、水を避ける幕府軍を、仙台城の建つ青葉山、近隣の大念寺山、八木山におびき寄せて山岳戦を仕掛ける。奥州米流通で蓄えた豊富な資金をバックに浪人を傭兵化、組織化し、疲弊した幕府軍を江戸へと追撃し、勝利するというものであった。

元和二年大坂御陣落去以後。仙台出馬之由にて御陣触御座候。此時貞山(政宗)様御内試に。御家中の妻子人しち御取なされ。さて仙台川を藤塚閑上辺にてせき留藤塚へ番勢を被指置。御裏林より砂押へ御馬を被出。砂押御鉄砲薬蔵の南の山。にか峯に御旗を被立。御対陣可被成との御内試にて。其節ひしと御裏林よりかの地へ。御出御見分被遊候。
(仙台川(現在の名取川)を堰き止めて仙台南部を水浸しにして幕府軍の進軍を阻止し、さらに狭隘地に幕府軍を誘い込んで迎撃する一方で、一揆衆を幕府軍後方で扇動し、後方を撹乱するつもりだった)大軍を御引受。御境目之御一戦。万一御おくれの刻。右に書付御内試之通。横川筋へ御馬を被入候節。御定かかりの地と申候。自然御運命尽夫も不被為叶時節に候はば。御最期之場と思召にて、瑞巌寺御菩提所に御取立被成候よし。
(政宗は幕府軍に敗れた場合は、松島瑞巌寺にて自害するつもりだった)— 『東奥老子夜話』より抜粋

信仰[編集]

師である臨済宗妙心寺派の高僧・虎哉宗乙の影響を受け、妙心寺塔頭・蟠桃院大檀越となったほか、虎哉の勧めを受けて松島の円福寺を再興して瑞巌円福禅寺(瑞巌寺)と改称し、同寺は伊達氏の庇護の下、江戸時代を通じて繁栄した。大仙寺で戦勝を祈願し、実際に勝利を得たため号を全勝寺と改めさせたという[50]。後に綱宗が側室の振姫にちなみ孝勝寺と改めている。

兜の前立に使った三日月など当時武将の間で流行していた妙見信仰も影響している[51]

趣味・趣向[編集]

様々な趣味を持ち、太平の世になるとこれらに傾倒し晩年は1日たりとも無駄に過ごすことがない程だったことから、後世では文化人としても評価されている。

料理[編集]

当初は兵糧開発が主眼であり、岩出山名物の凍り豆腐と納豆(ずんだ)は政宗の研究の末に開発されたものであった。仙台城の築城に際し味噌を製造するため城内に『御塩噌蔵(ごえんそぐら)』を建て、筑紫国から職人を呼び寄せたのが仙台味噌の始まりとされる[52][53]

戦国の世が終わると兵糧の需要は少なくなったが、美食を極めることに目的を変えて料理研究を続けた。

『政宗公御名語集』には「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなすことである」という政宗の料理観が残されている。この金言は和・洋・中を問わず後世の多くの料理人に感銘を与え、伊達家御用蔵が母体となっている宮城調理製菓専門学校のほか、服部栄養専門学校などでも校訓に引用されている。こうした料理に対する政宗の情熱から、今日の仙台名物が政宗の考案によるものだとする説がある。ずんだ餅笹かまぼこが代表例だが、笹かまぼこについては、宮城県水産試験場の資料では江戸時代中期に生まれたものとされている。

も大変好んでおり、柳生宗矩に紹介された職人を招き仙台城に酒の醸造所(御酒屋)を建てるなどしたが[54]、本人は酒が強くなかったらしく、二代将軍秀忠との面会の約束を二日酔いが原因で反故にした(当人は仮病を装った)、将軍・徳川家光の御前で酩酊し眠りこけたなど、酒に纏わる失敗談が多い。

芸事[編集]

若年から習っていたに傾倒しており、奥小姓を太鼓の名人に弟子入りさせたほか、自身も豊臣秀吉や徳川家光の前で太鼓を打つなどしている。役者に扶持を与えるなどしており晩年、能に使用した費用は年間3万石あまりに及んだという。喜多七太夫長能の閉門を回避するために尽力するなどしたが、出来が悪かったとして帰った役者を連れ戻してやり直しを命じるなどトラブルも起こしている。

秀吉が吉野で歌会を開き武将達はそれぞれ詩歌を詠んだとき、政宗がもっとも和歌に精通し優れていた。この5首は直筆で残している[55]。詩才に関して、司馬遼太郎は短編小説『馬上少年過ぐ』の中で、「歴史上高名な武将のものとしては古代中国の曹操にも比肩すべきものとしており、政治家としての側面にはその詩心が反映されていないことも二人の共通点である」としている。

茶の湯に傾倒しており、古田織部に学んだ茶人でもある。晩年は、将軍秀忠・家光の茶会に相伴した。

も嗜んでおり、直筆の聞香記録を残している[56]

漢詩にも精通しており、特に晩年に残した『酔余口号』が有名である。

馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何 (書き下し文)馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯天の赦す所 楽しまずんば是いかん/楽しまずして是を如何にせん

前半の三句は「若いころは馬に乗って戦場を駆け抜けたが、世は太平になり自分にも白髪が増えた。天に与えられた余生が残ってはいるが」と解釈できるものの、最後の句は「楽しまずんば是いかん(これを楽しまずしてどうしようか)」あるいは「楽しまずして是を如何にせん(楽しいとは思えないのはどうしたことか)」とまったく違う2通りの訓みと解釈ができる。政宗自身がどちらともとれるように作った可能性もあるが、政宗の残した大きな謎となっている。

美術[編集]

桃山文化を好んでおり、建築や甲冑(仙台胴)に影響が見られる。

書に関しては祐筆に頼らず自筆で書くことも多かった。公式な文章の他、家臣への連絡や礼状、趣味の記録など多数の書が現代にも残っている[56][57][58][59]花押セキレイであるが目の部分に針で穴を開けており、一揆を煽動した証拠とされる密書の花押に穴が無いと主張し、秀吉に偽書だと認めさせた。なお書に秀でていたことから、相手との関係によって複数の花押を使い分けており真相は不明である。秀吉と初めて対面した際の様子を家臣に知らせる手紙では花押を間違ったと訂正を書いている[55]

絵に関しては政宗作とみられる作品が2022年までに2点確認されている[60]

  • 「梅ニ雀」 - 2015年に塩釜市の旧家に保存されていることが判明[60][61]

  • 「達磨図」 - 1933年に刊行された東北遺物展覧会の図録によると「清嶽生家伊庭氏旧蔵」とされ、出品者は大槻茂雄(大槻文彦の養子)となっている[60]。1928年に仙台市で開かれた東北遺物展覧会に出品されたが、その後行方不明となり、2022年に約90年ぶりに発見された[60]

日本刀に関しては燭台切光忠大倶利伽羅広光鎺国行鶴丸黒ん坊切景秀など様々な名刀を蒐集した他、お抱えの刀工初代仙台国包[62]越中守正俊に学ばせるなど力を入れていた。単なる美術品ではなく伊達家の象徴や献上品など、政治的な意味合いを有する物として扱っていたとされる[63]

健康法[編集]

朝は、前夜のうちに宿直の坊主衆に知らせておいた時刻にしたがって起床した。その前に目覚めても、時刻を知らされるまで床に就いているのが常であった[64]。また逆に「七ツ」と指定しながら起きられないときには、「いま半刻過ぎてから起こすように」とか「明六ツまで寝かせよ」などと、そのつど起床の指示を改めて与えたとされる。当主としての家臣への思い遣りに加え、眠気に任せて起床時間を微調整するという心得は、無理な早起きを避けて疲労回復を優先したもので、政宗の几帳面さがいたずらに硬直したものでなく、柔軟に発揮されていたといえる[65]

喫煙者で、毎日起床後・昼・睡眠前と、規則正しく3回煙草を吸っていた。遺品に、愛用の煙管(キセル)がある。

伊達政宗五常訓[編集]

ウィキソースに伊達政宗五常訓の原文があります。

明治時代以降、伊達政宗の遺訓とされるものが俗説として流布している。

これらは幕末から明治にかけて水戸光圀林子平などの遺訓とされ、伊達政宗の遺訓としては明治27年の『好古叢誌』第三編八の巻漫録「仙台黄門政宗卿遺訓」が初出だが、伊達氏に関連する史料の中にその根拠となるものは見当たらないという[66]

その他[編集]

  • 伊達邦宗(政宗の直系子孫)が著した『伊達家史叢談』に、明治天皇が政宗を「武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いを馳せて交渉を命じた。文武に秀でた武将とは、実に政宗のことである」と評したと記されている。

  • 経ヶ峰歴史公園の「臥龍梅」は、昭和54年(1979年)の瑞鳳殿再建に際して若林城跡から移植したものである。政宗が大悲願寺13世海誉の弟子として在山していた弟・秀雄の元を訪れたときに、庭にあった白萩を気に入って所望し、かわりに臥龍梅を大悲願寺に贈っている(「追って曽掛に候へ共、折節に任せ、小袖壱重ね進め候。以上。態飛脚を以って申し入れ候。先度は参り、会面を遂げ本望に候。仍無心の申す事候へども、御庭の白萩一段見事に候き、所望致し候。先日は申し兼ね候て罷り過ぎ候。預候はば恭かるべく候。猶後音を期し候。 恐惶謹言 松平陸奥守 八月廿一日 花押 彼岸寺御同宿中」)。

  • 明和7年(1770年)に仙台藩士・飯田道時が著した軍記物『伊達秘鑑』には、政宗のもとには離間・扇動工作に従事した黒脛巾組という忍者集団がいたとしている。黒脛巾組関連の人物名には実在の伊達家臣の名が借用されているが、一級史料には黒脛巾組という名称や類似の集団の記述は見当たらない。

  • 政宗の幼名にちなんだ梵天丸茄子という小型種の茄子がある。米沢市農協が中心となって窪田茄子と仙台長茄子を交配させて開発した品種で、病気に強く品質がよいと言われており、漬けると色鮮やかな青になる。米沢では夏の風物詩としてよく家庭などで作られる。

  • 2018年ミス・ワールド日本代表に選ばれた伊達佳内子は政宗の直系21代目の末裔[67]

  • 前後に長い、コーカソイドのような頭蓋骨の持ち主だった[68]

  • 筆まめな人物で有名で全国に約2000点の伊達政宗が出した書状が現存している[69]

  • 2022年1月から2月14日にかけて島根県立古代出雲歴史博物館で開かれた猫をテーマにしたミニ企画展で、政宗が江戸幕府の伝達役である野々村四郎右衛門に宛てて、譲って貰った仔猫をベタ褒めし、礼を述べる書状が初公開された[70]。現存する政宗書状の中で政宗が猫について書いたものはこの一点だけである[69]

官位履歴[編集]

居城[編集]

伊達一族は昔からよく本拠地を移転しているが、政宗の時代は領国の拡大や豊臣・徳川政権との関係でもっとも移転が多い。

  1. 米沢城山形県米沢市) - 天正12年(1584年)〜天正17年(1589年)

  2. 黒川城(福島県会津若松市) - 天正17年(1589年)〜天正18年(1590年)

  3. 米沢城 - 天正18年(1590年)〜天正19年(1591年)

  4. 岩出山城宮城県大崎市) - 天正19年(1591年)〜慶長5年(1601年)

  5. 仙台城(宮城県仙台市青葉区) - 慶長5年(1601年)〜寛永4年(1627年)

  6. 若林城(宮城県仙台市若林区) - 寛永4年(1627年)〜寛永13年(1636年)

系譜[編集]

子供[編集]

女児[編集]

愛妾[編集]

家臣[編集]

墓所・遺品[編集]

墓所[編集]

瑞鳳殿に安置されている政宗の木像。普段、扉は閉じているが、政宗の命日(5月24日)など年に数回開帳され、木像を拝むことができる。

墓所は、仙台市青葉区霊屋下の瑞鳳殿(ずいほうでん)。そのほか、位牌若林区荒町昌傳庵松島町瑞巌寺京都府京都市妙心寺塔頭蟠桃院にあり、神として青葉区青葉町の青葉神社に祀られている。また、供養墓がほかの大名などと同様に高野山奥の院にある。

瑞鳳殿は政宗の死後、伊達忠宗によって寛永14年(1637年)10月に建立された。昭和6年(1931年)に旧国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、現在の瑞鳳殿は昭和54年(1979年)に仙台市により再建されたものである。

再建に先駆けて、昭和49年(1974年)には発掘調査が行われ、遺骨の学術的調査から身長は159.4センチ(当時の平均的身長)であることや、 遺骸毛髪から血液型がB型であることが判明した。歯周病により上あごの左右の犬歯以外はすべて抜け落ちていた。天正17年(1589年)に米沢で落馬し、骨折したときのものと思われる左腓骨の骨折の跡も見つかった[73]。また、副葬品として太刀具足蒔絵を施した硯箱鉛筆、懐中日時計兼磁石、懐中鏡、煙管、銀製ペンダント、黄金製のブローチ(ロザリオ)など、30点あまりが確認されている[74]

遺品[編集]

  • 黒漆五枚胴具足(仙台市博物館所蔵) - 前立てに大きな弦月の付いた漆黒の鎧兜[75]

伊達政宗を主題とした作品[編集]

小説

長編小説

短編小説

読本系小説

  • 『伊達政宗 物語と史蹟をたずねて』(著者:竹内勇太郎

  • 『秀吉・家康を翻弄した男 伊達政宗』(著者:長谷川つとむ

  • 『伊達政宗―知られざる実像』(『史伝 伊達政宗』)(著者:小和田哲男

子供向け伝記

  • 『戦国をかける独眼竜 伊達政宗』(著者:浜野卓也

  • 『嵐の中の日本人 シリーズ14 伊達政宗』(著者:松永義弘

  • 『伊達政宗読本』(著者:伊達政宗読本編集委員会)

映画

楽曲

テレビドラマ

アニメ

漫画

雑誌

  • 『歴史群像シリーズ19 伊達政宗【独眼竜の野望と咆哮】』(学研

  • 『歴史群像シリーズ【戦国】セレクション 伊達政宗【炯眼独眼竜の雄材大略】』(学研)

  • 『歴史クローズアップ人物 伊達政宗 最後の戦国大名独眼竜の実力と野望』(世界文化社

  • 『歴史を作った先人たち 週刊日本の100人 No.007 伊達政宗』(DeAGOSTINI

ゲーム

立花宗茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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凡例

立花 宗茂

福厳寺所蔵

時代安土桃山時代 - 江戸時代前期生誕永禄10年8月18日[注 1]1567年9月20日)死没寛永19年11月25日1643年1月15日)改名吉弘千熊丸(幼名)、高橋彌七郎→統虎、戸次統虎、立花統虎→鎮虎→宗虎→正成→親成→政高→尚政→俊正→経正→信正→宗茂→立斎(号)別名通称:彌七郎、左近将監、羽柴柳河左近侍従、立左、立飛州、飛弾入道・宗茂入道
渾名:西国無双(西国一の弓取)、九州の逸物(九州の鶚鷹)[注 2]、鬼将軍[注 3]、武神[注 4]、飛将[注 5]、常勝将軍[注 6]神号松陰霊神戒名大円院殿前飛州太守松隐宗茂大居士墓所東京市下谷区圓満山廣徳寺
福岡県柳川市福厳寺官位従四位下左近将監侍従飛騨守
従三位幕府江戸幕府 書院番頭慶長8年(1603年) - 慶長12年(1607年))主君大友宗麟義統豊臣秀吉秀頼徳川家康秀忠家光陸奥棚倉藩主→筑後柳河藩主氏族高橋氏立花氏藤原氏秀郷流大友氏支族)父母高橋鎮種(紹運)斎藤鎮実の妹・宋雲院
養父立花道雪兄弟宗茂直次、甲斐、於千代、退清院[注 7]、嘉也
[異説]市郎丸(統重)、[異説]某[2]正室立花誾千代(立花道雪の娘)
継室矢島秀行[3]の娘・八千子
継々室:葉室頼宣の娘・菊子養子忠茂本多俊次正室、小野茂高室、嘉也、伊達宗勝継室、菜緒テンプレートを表示

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名大友氏の一族で、重臣。陸奥国棚倉藩主、筑後国柳河藩初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である[4]

なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。

目次

生涯[編集]

生い立ち〜立花家相続[編集]

永禄10年(1567年)8月18日、豊後国東郡筧(大分県豊後高田市)に大友氏の重臣の吉弘鎮理(のちの高橋紹運)の長男として生まれたとされる(『立斎公御年譜』)[5]。幼名は千熊丸で、後に彌七郎と改める。永禄12年(1569年)、父の鎮理が前年に高橋鑑種が討伐されて絶えた高橋氏の名跡を継いだため、高橋氏の跡取りとして育てられ、主君大友義統より編諱を賜り元服し高橋統虎(むねとら[注 8])と名乗る。

天正9年(1581年)、7月27日(一説は11月6日、同じ石坂という地で戦闘があったが別々の地で、後述の戦闘と混同の可能性がある)、実父の高橋紹運の手勢の一部を率いて、友軍の立花道雪とともに出陣し、秋月氏筑紫氏らとの第二次太宰府観世音寺の戦い(第二次太宰府石坂の戦いとも)で初陣を飾り[注 9]、敵将の堀江備前を討ち取って戦功を立てた。

同年8月、男児の無かった大友氏の重臣の戸次鑑連(立花道雪[注 10]が宗茂を養嗣子として迎えたいと希望してきた(道雪と紹運は共に大友氏の庶流にあたり、同僚であった)。紹運は宗茂の優秀な器量と、自身の長男であるという理由から最初は拒絶しようとしたが、道雪が何度も請うてきたために拒絶できず、8月18日[6]、宗茂を道雪の養子として出している。このとき、宗茂は実質的に立花家の家督を継いでいた道雪の娘の誾千代と結婚して婿養子となり、名も戸次統虎(べっき むねとら)と改め、誾千代に代わって道雪から家督を譲られた。

同年11月6日には養父の道雪・実父の紹運と共に嘉麻・穂波の地に出陣。立花・高橋の軍勢は朽網鑑康の救援に向かう途中で、鑑康が秋月種実問註所鑑景統景の大叔父)との原鶴の戦いで戦闘した後に無事撤退との情報を知り撤退したが、その最中に秋月軍の追撃を受けた。両方の激戦は立花高橋300余、秋月760の合わせて1,000を超える死傷者をだし、当地には千人塚の名が残された[注 11]

天正10年(1582年)4月16日、秋月氏・原田氏宗像氏の連合軍2,000との岩戸の戦いでは宗茂は500の伏兵を率いて、岩門庄久辺野に砦を築いていた原田氏の将の笠興長隊300人を駆逐し150人を討ち取って、西の早良郡まで追撃し原田親秀の早良城を焼き落城させる功を挙げている。

11月、立花山城で「御旗・御名字」の祝いを行い、名字を戸次から立花に改めた。12月22日の宗像領侵攻にも道雪に従って出陣した。

天正11年(1583年)3月17日の吉原口防戦にて吉原貞安を討ち取って、4月23日宗像氏貞の居城許斐山(このみやま)城と杉連並の龍徳城を落城や降伏させた。

天正12年(1584年)8月、立花道雪・高橋紹運は大友氏の筑後奪回戦に参陣。宗茂は道雪出陣後、1,000程の兵力とともに立花山城の留守を預かる事となった。この時、秋月種実率いる8,000の兵が攻め寄せて来たが、これを撃破し更に西の早良郡の曲淵房助副島放牛が拠る飯盛城など龍造寺氏の城砦を襲撃した。

立花・高橋軍は龍造寺・島津勢を破って筑後国の大半を奪回したが、天正13年(1585年)に道雪が病死すると事態は急変し、筑後における大友軍の将兵は一気に厭戦気分が高まってしまう。

豊臣時代[編集]

天正14年(1586年)、島津忠長伊集院忠棟が5万を号する島津軍を率いて筑前国に侵攻し、実父の高橋紹運は岩屋城にて徹底抗戦の末に討ち死にした(岩屋城の戦い)。このとき宗茂も立花山城で徹底抗戦し、島津本陣への奇襲に成功するが、島津軍は紹運との戦いですでに消耗していたため、8月24日に撤退した。このとき宗茂は、友軍を待たずに島津軍を追撃して数百の首級をあげ、火計で高鳥居城を攻略、岩屋・宝満の2城を奪還する武功を挙げている[7]

その時、大友宗麟から豊臣秀吉へ「義を専ら一に、忠誠無二の者でありますれば、ご家人となしたまわりますよう」と要請された[注 12]

その後も秀吉の九州平定で活躍し、西部戦線の先鋒として4月初から肥後国竹迫城宇土城などを攻め落とした。更に南下して島津忠辰の出水城を攻め落として川内に島津忠長を撃退し、秀吉に代わって伊集院氏祁答院氏入来院氏から人質をとり、大口城に新納忠元を包囲した[9]

戦後、秀吉はその功を認めて筑後国柳川13万2000石を与え、大友氏から独立した直臣大名に取り立てた。このとき秀吉は宗茂を「その忠義も武勇も九州随一である(原文:その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。)」、「九州の逸物」(立花文書によると原文:誠九州之一物ニ侯。)と高く評価したという。

天正15年(1587年)9月、佐々成政移封後の肥後国で大規模な国人一揆が発生したときは、兵糧不足の佐々軍救援のため、弟の高橋統増と共に兵1,200(2,800や3,000諸説ある)と輜重隊を率いて出陣、既に一揆方の伏兵の計を察知し、これを逆用して先に兵を三隊に分けて伏兵を配置、小野鎮幸の主力隊が肥後南関を突破し南関城の将の大津山出羽守を討ち取った。そして佐々軍の平山東・西付城を包囲する一揆方隈部氏配下の有働兼元軍を統増や米多比鎮久ら騎馬鉄砲[注 13]の先陣が引き離しつつ、第二陣に守られた輜重隊が城に兵糧を搬入、長槍の第三陣が有動軍を永野原において撃破し有働志摩守を討ち取り、「火車懸」という戦術を繰り出した[10]。その内、十時連貞水野勝成安田国継三将の連携も大活躍したと伝わる。

立花・高橋軍は佐々軍に兵糧を支援し平山東・西付城に入城したが、一揆方(和仁親実辺春親行大津山家稜)3,000の兵に包囲された。その対応のため、先に輜重を運輸した人夫を使って「立花軍は明日に城を出て柳川へ帰る」との偽情報を敵陣に流し、当日は軍を三隊に分けて由布惟信十時惟由を先鋒に任じて疾駆の勢いで敵を奇襲突破したが、宗茂率いる本隊は三加和平野立尾の地で正面に和仁、左右に辺春、大津山そして後方より有働軍に挟撃され、双方の旗本武将が乱戦となる。そのとき宗茂は戸次家伝来の名刀・笈切り兼光を持ち馬上で敵兵七人を斬り伏せ、横撃して来た有働下総守と一騎討ちして討ち取った。やがて由布惟信・十時惟由の先鋒隊が反転し、小野鎮幸の後備隊が合流して全力で突破し一揆軍を総崩れにした。

その後、街道に沿う一揆方の出城を攻め落として、捕虜を城や軍隊の前に置くことで一揆軍の攻撃を避けつつ南関に近い太田黒城へ進軍したが、城将の大知越前守は弓隊を伏兵として立花軍を奇襲した。立花軍は矢の当たりにくい森の中へ500の城兵をおびき出し、十時連貞と小野鎮幸率いる300が反転して迎撃、そして由布惟信が郎党20人を率いて堀や木柵を越えて一番乗りの功を立て二の丸に至る。大知越前守は50騎を率いて迎撃したが、池辺永晟と一騎討ちして討たれた。この時、立花軍は1日に13度もの戦いを行い、一揆方の城を7城も落とし、650余の敵兵を討ち取ったという武功を上げている。また一揆方の和仁三兄弟の田中城を包囲中に小早川隆景を義父とし、小早川秀包と義兄弟の契りを結ぶ。秀包と共に城内に攻め込み、宗茂自身は和仁中務少輔を討ち取った[注 14]

12月26日、佐々成政、安国寺恵瓊と共に一揆の首謀者の隈部親永の城村城を攻め落とし、隈部一族ら12人を預かり、翌年5月27日、柳川城東南隅の黒門にて、隈部一族の武士名誉を保つように、立花家臣と隈部一族と同じ数の12人の討手と真剣勝負、放し討ちにした。放し討ちの場面に震撼された監察役の浅野長政は秀吉に報告した、秀吉は「さすがは立花左近である」と宗茂を讃えた。

同年、農業用水を確保するのために矢部川を分流して、半人工運河の花宗川の開発に着手したとされる。

天正16年(1588年)5月下旬に上洛し、7月5日に従五位下侍従、28日に従四位下に叙任される。同時に羽柴の名字を名乗ることを許され、豊臣姓を下賜された[11]

天正18年(1590年)、小田原征伐に陣中見舞い、岩槻や江戸などに参陣。2月1日、秀吉は諸大名の前で宗茂を、「東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双」と評し、その武将としての器量を高く褒め称えた[12]

文禄の役[編集]

朝鮮出兵頃より宗茂は、統虎という名乗りから鎮虎(しげとら[注 15])、次いで宗虎(むねとら)へ名乗りを改めている。

文禄元年(1592年)からの文禄の役では小早川隆景を主将とする6番隊に2,500人の軍役を課せられて参陣している。4月、諸将と共に東萊城を攻め落とした6月26日宇喜多秀家の要請で火計と釣り野伏せ戦法を使って漢城北方の朝鮮軍を駆逐。漢城会議で全羅道の攻略が割り当てたられた6番隊は忠清道から南下したが、7月9日、10日の第一次錦山の戦い対高敬命7,000兵・8月9日の梁丹山の戦い対南平県監韓楯500兵・8月18日の第二次錦山の戦い対趙憲・僧将霊圭・海南県監辺応並1,300兵など数次にわたる朝鮮軍や義兵の攻撃を受けて後方を脅かされたため侵攻は停滞した。また、7月に遼東半島から来たの援軍である祖承訓平壌を攻撃したことにより主力の小早川隆景が漢城方面へ転出したため、宗茂率いる残存兵力は全羅道の入り口の錦山や茂朱の拠点を維持するにとどまったが、7月16日の第一次平壤の戦いは小西行長の後援として、大友義統黒田長政と共に明の祖承訓と史儒を撃破した[13]、後に宗茂も漢城方面への転出を命じられたため全羅道攻略を果たせなかった。

文禄2年(1593年)、李如松の率いる明軍主力が小西行長を攻撃して平壌を攻略し更に南下を始めると、1月10日に小西行長救援のため高橋統増と釣り野伏せを連携して龍泉の戦いに明の追撃軍を撃退した。

日本軍は迎撃を企画し、碧蹄館の戦いでは宗茂と高橋統増が先陣となった[14]1月26日午前2時頃、先に森下釣雲と十時惟由ら軽兵30名が敵状を偵察。敵軍は未明の内に進軍すると予測し、午前6時頃に碧蹄館南面の礪石嶺北側二所に布陣した。先鋒500を率いた十時連久内田統続は、正面に少ない軍旗を立てて兵数を少なく見せ、査大受率いる明軍2,000を誘致して、越川峠南面の弥勒院にて正面で交戦。十時連久・内田統続・安田国継[注 16]ら三将は鉄砲組の射撃で撹乱した後、真っ先に鑓を投げて数十騎を突落し、抜刀組が明軍騎兵に斬りかかって奮戦。敵軍を望客峴という小山まで押し込む。ここで、査大受の本隊が左右から救援に駆けつけ、十時の部隊を包囲。十時勢は鉄砲でこれに応戦しますが、敵の霹靂砲の砲撃を受けて窮地になった。やがて十時は手勢を回転して明・朝鮮軍の中央を突破し中陣と替わる。

そこで中陣の戸次統直は強弓を引いて20余りの敵兵を射落し援護した。しかし連久は李如梅の毒矢を受け、帰陣して間もなく戦死[15][16]。 旗奉行の池辺永晟も連久負傷後は先鋒隊の指揮を暫任し中陣と替わるを成功させたが、後の突撃戦で戦死した。

宗茂と統増の本隊2,000は、先鋒の連久らと中陣700の小野鎮幸・米多比鎮久を陣替する際に、統増と戸次鎮林[注 17]を陣頭に立て、疾風の如く馳せて左側面から敵後詰の高彦伯の朝鮮軍数千を奇襲し撃退。さらに宗茂は800騎の堅固な備えを率いて明・朝鮮軍を猛烈突撃し、戦果を拡大した。 寡兵の立花・高橋勢はこの緒戦で奮戦した後、越川峠北方右側にて軍を休息させた。のち小早川隆景など日本軍先鋒隊が来ると疲労の深い立花勢を後方に下げ、西方の小丸山に移陣した[17]

午前11時頃、小丸山から北への丘の森陰に移動し、数が多い敵軍への恐怖を鎮めるため、兵卒たちを”敵を背にして陣す”と埋伏させた。高陽原にて小早川隆景の先鋒の粟屋景雄井上景貞が明・朝鮮軍を牽制する際、戦機を捉えるように、朝とは逆に兵一人に三本の軍旗を背負し現わせて、敵軍に「日本軍は大軍である」と騙した。そして先に鉄砲200挺を三連射し、長刀や長槍を高く揚げて白い刃と300名ほどの将兵が被る金兜で日光を反射させ、敵の将兵の目を晦ませて左側面から突襲。立花・高橋軍およそ3,000は敵本陣へ突撃し白兵乱戦になるも、宗茂自身は馬に乗って飛将のように飛び出して長槍や長刀を提げ、一騎駆し敵兵将15人を斬殺。直次も雷のような大声をあげ奮迅突撃し、全軍は敵500騎を討ち取った。

立花・高橋軍は善戦しながらも高陽原から北へ敵本陣の碧蹄館に進撃。明・朝鮮軍を同士討させ、小早川隆景・小早川秀包・筑紫広門毛利元康吉川広家・宇喜多秀家らが三方より明軍を包囲した。このとき立花軍の金備え先鋒隊長の安東常久は李如松と一騎討ちして落馬させたが、李如梅の矢を受けて戦死。その後、明副総兵の楊元が火軍(火器装備部隊)を率いて援軍に来るも宇喜多軍の戸川達安ともにこれを撃破。恵陰嶺を越え坡州への虎尾里までの追撃戦は立花軍が敵を六ヶ所破った。この際、もう一人の金備え先鋒隊長の小野成幸[注 18]や与力衆の小串成重小野久八郎と一門の戸次鎮林、そして高橋家中の今村喜兵衛井上平次帆足左平梁瀬新介も戦死したが、李如松の親衛隊も李有升など80余名戦死した。大きな被害を出しながらも立花軍が明軍を食い止めたために戦機が生まれ、小早川隆景などの日本軍が明軍を撃破した。宗茂はこの激戦で騎馬まで血塗れとなり、敵の兜首を二つずつ鞍の両側に付け、刀は歪んで鞘に戻せなくなったという。『甫庵太閤記』に「鬼神も敵す可らざる御功績もあり」と記述があるので、柳川の民からも「鬼将軍」の異名で呼ばれた。小早川隆景は「立花家の3,000は他家の1万に匹敵する」と評価し、秀吉からも「日本無双の勇将たるべし」との感状を拝領した[18][19]

6月の第二次晋州城攻防戦では、小早川隆景などの5番隊として明・朝鮮軍の後巻き部隊を牽制し、援軍を寄せ付けなかった。

上記とは別に次の武勇伝が伝わっている。

  • 攻城戦前、晋州城東北方の星州に明副総兵劉綎ら約三万余の明軍を各地に駐屯した。6月14日、宜寧に集結していた朝鮮都元帥金命元・平安巡辺使李薲・全羅巡察使権慄・全羅兵使宣居怡・防禦使李福男・助防将李継鄭鄭名世・慶尚左兵使高彦伯・右兵使崔慶会・忠清兵使黄進・京畿助防将洪季男・星州牧使郭再祐・倡義使金千鎰・義兵高従厚などの朝鮮軍5万余は咸安に到着して日本軍の進軍を止めさせたが[20]、日本軍先鋒隊の立花宗茂と高橋統増と小早川秀包と共に兵4千で釣り野伏せ戦法を連携してこれを敗走させた。部分の朝鮮軍は15日に全州へ撤退し、金千鎰を主に一部の朝鮮軍は晋州城に入る。よって日本軍は昌原より咸安・宜寧を通過して晋州城へ進軍した。

  • 『問註所家譜』によると文禄2年(1593年9月2日問註所統景問註所正白兄弟は小早川秀包の先鋒になって明の劉綎と晋州城外西南方二十里の河東郡に遭遇し以下数百兵は戦死した、宗茂は敗れた小早川軍を救援のため劉綎と対戦し、劉綎は敗れて晋州城に退却した[21]

同年後半から文禄4年(1595年)前半頃の名は正成、さらに親成と改めている[22]

慶長の役[編集]

慶長2年(1597年)からの慶長の役では侵攻軍には編入されずに釜山の守備を命ぜられた。侵攻軍のうち井邑会議に参集した諸将は今後の作戦展望として連署注進状を秀吉に送っており、その中で「南部再布陣の当初計画では釜山の守備について日本と結ぶ重要拠点であるため、当初計画した若い立花宗茂から豊臣政権に信望高い老将の毛利吉成に変更したい」との要請を行い、最終的に吉成は釜山、宗茂は固城安骨浦倭城の守備が割り当てられた。続く、第一次蔚山城の戦いでは固城倭城の守備に就いており戦闘には二日遅くに参加したとされる[注 19]

慶長3年(1598年)9月、明・朝鮮軍による蔚山・泗川順天への三方面同時攻勢の際には、固城の守備に就いていた宗茂は島津忠恒より泗川攻撃の通報を受けて9月28日付書状で返信を行っており、戦闘には参加しなかった。だが、『柳河藩享保八年藩士系図』によって、家臣の小串成信など蔚山にて戦死の記載があるので、蔚山の戦闘は実際に参加していた可能性はある。

秀吉が死去すると朝鮮に派遣されていた日本軍に撤退命令が下ったが、順天倭城で小西行長らが海上封鎖を受け撤退を阻まれていることを知ると、弟の高橋直次・島津義弘宗義智寺沢広高・小早川秀包・筑紫広門らと共に水軍を編成して救援に向かい、陳璘率いる明水軍や李舜臣率いる朝鮮水軍と戦い(露梁海戦)、一番乗りの功を挙げた家臣の池辺貞政(彦左衛門、池辺永晟の弟)が戦死したものの、行長らの救出を成功させ、朝鮮軍船60艘を捕獲した。この戦いについて、島津家臣の川上久国は自身の日記で海戦にも敵の偵察を用心し、善戦した立花高橋軍に比べ自軍の死傷甚大を嘆いていると記述した[23]

上記の他に次のような武勇伝も伝わっている。

  • 慶長3年(1598年)第一次蔚山の戦いの時、日本軍諸将は救援のため釜山から出て蔚山へ進軍した。1月2日、明将の高策率いる明軍2万2千、朝鮮軍3万は日本軍本陣を偸襲するために釜山へ進軍、般丹[24]に現れた。本陣の宇喜多秀家は、安骨浦倭城にいる宗茂に呼びかけて釜山へ出撃を求めた。宗茂は800の兵を率いて高策2万2千の兵を夜襲と火計を使い撃破し、700の首を取った戦功を挙げ、これは般丹の戦いと称えられたという[注 20]。のち、蔚山城救援の日本諸軍と比べて二日遅く蔚山に到着しても、吉川広家ら日本軍諸将と共に連携して明・朝鮮軍を撃退した[25]

  • 明将の麻貴率いる明・朝鮮軍29,500人が蔚山倭城を再度攻撃し(第二次蔚山城の戦い)、守備に当たった加藤清正が包囲され窮地に陥っていることを知ると、釜山で近所の日本軍諸将は会議を行う。日夜対策が評議されたがなかなか結論が出ず、辛抱強く議論を聞いていた宗茂もさすがにしびれを切らし「評定のみに日を送っても無駄なことです。思いますに、まず蔚山城の敵を追い払えば泗川の敵は退き、泗川の敵が退却すれば順天の敵もおのずから退却いたすでありましょう。拙者が蔚山城を救援いたしましょう」と進言した。それを聞いた総大将・小早川秀秋は「それはよいことを申された。わずか3,000にも満たない兵であれば、万一やり損なっても味方の難儀にはなりますまい」と言い放った。宗茂はわずか1,000の兵を率いて救援に駆けつけ、500の兵をわけて夜襲を敢行。別の500の兵が鉄砲で攻撃し明軍の先陣5,000人を撃退し、その後は偽情報を拡散するために先の夜襲した際の捕虜40人余を解放した。その夜、偽の陣地や営火と伏兵を使って明軍を引き出して分断包囲撃破。翌日、蔚山城に到着し、加藤清正を援助した[26] 。その後、清正も5,000の軍勢で明軍を追撃し、戦後ともに蔚山城に入り、清正から「日本軍第一の勇将」と絶賛された[27][25][28]

なお、これらの武勇伝は同時代史料に記録が無く、話の信憑性には疑問符が付く。しかし、立花家臣の十時惟由(但馬)と米多比鎮久(立花丹波)は二人自身の覚書で両度の蔚山戦闘の記述がある[29]

関ヶ原[編集]

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは、その直前に徳川家康から法外な恩賞を約束に東軍に付くように誘われたが、宗茂は「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」と言い拒絶した。家中でも重臣の薦野増時は西軍に勝ち目なしと東軍への味方を進言したが、「勝敗に拘らず」と増時を留守に残し西軍に参加した。そして石田三成率いる西軍に属し、伊勢方面に進出する。

その後、毛利元康・毛利秀包(小早川秀包)・宗義智・筑紫広門[注 21]と共に東軍の京極高次が守る大津城を攻めた(大津城の戦い)。宗茂は城方の夜襲を予見し、更に家臣の十時連貞が敵将の丸毛萬五郎・箕浦備後・三田村安右衛門三人を捕縛した[30]。この戦で宗茂は高さ一間の土塁と城からの矢弾を防ぐ竹束を置いて、千鳥掛のような幅1間半(約2.7m)、深さ1間余(約1.8m)の塹壕を掘り、ここより鉄砲射撃を行わせた。養父の道雪の発案した「早込」[注 22]を用いた立花勢は他家の鉄砲隊の3倍速で銃撃し、城方は激しい銃撃に耐えられず鉄砲狭間を閉じた[31][32]。 その機を見た家臣の立花成家[注 23]内田統続らが一番乗りを果たし、三の丸から二の丸まで突破したという。また、「立花勢、長等山より城中に大筒を打ち入れ、これより防戦難儀にをよぶ」と伝えている[33]。しかし9月15日の関ヶ原本戦には大津城を攻めていたために参加できず、本戦での西軍壊滅を知って大坂城に引き返した[34]

大坂城に退いた後、宗茂は城に籠もって徹底抗戦しようと総大将の毛利輝元に進言したが(『立斉旧聞記』)[35]、輝元はその進言を容れずに徳川家康に恭順したため、宗茂は自領の柳川に引き揚げた。なお、柳川に引き上げる時に実父の高橋紹運の仇である島津義弘と同行した。関ヶ原で兵のほとんどを失っていた島津義弘に対し「今こそ父君の仇を討つ好機なり」といきり立つ家臣たちの進言を「敗軍を討つは武家の誉れにあらず」と言って退け、むしろ島津軍の護衛を申し出でて義弘と友誼を結び、無事に柳川まで帰りついた[36]

国許でも戦が起こっており、黒田孝高(如水)・加藤清正鍋島直茂が柳川を攻める形勢となった。このとき、息子の鍋島勝茂が西軍に加担したことを挽回しようと懸命だった直茂率いる鍋島勢32,000[注 24]10月14日、二手に分かれて佐賀を進発した。これに対し立花勢は迎撃のために出陣するが、家康への恭順を示すため宗茂は城に残った。立花勢13,000のうち、城を出て八院方面へ出陣したのは家老の小野鎮幸を総大将とする約3,000(一説によると2,000、うち小野の直卒する中軍は1,000余騎)である。鍋島軍は、10月16日には筑後川を渡河して立花方の海津城を落城させ、続いて10月19日朝には先鋒隊3,000が立花成家勢200の鉄砲奇襲を受け20余人が討たれたが城島城を攻略、翌10月20日に鍋島軍の先鋒軍3,000~5,000と立花勢の小野鎮幸軍1,300と激突した(江上・八院の戦い)。

立花勢先鋒の安東範久[注 25]石松政之[注 26]らは鎮幸の与力・松隈小源の軍令誤伝のせいで、軍法を破って独断で開戦し、次々と鍋島勢の軍陣の中へ突入し、先鋒第三隊の立花統次[注 27]は鍋島軍の陣中深くまで進んで奮戦した。鍋島勢の先鋒の鍋島茂忠は本陣の五反田へ撤退したといわれている。しかし、鍋島方は、立花勢を包み込んで包囲殲滅する作戦を当初から立てており、立花方は一騎駆けで敵軍に突撃した立花統次の戦死を始め、先鋒の安東範久、石松政之もたちまち反撃を受けた。救援出陣の第二陣立花鎮実[注 28]立花親雄[注 29]新田鎮実[注 30]は横合から果敢に攻めかけたが、これも後を断たれて共に戦死した。後陣の矢島重成[注 31]千手喜雲[注 32]は戦を躊躇し接戦していないため、馬廻衆の安東幸貞[注 33]、第三陣の若武者の十時惟久[注 34]、先鋒の安東範久、石松政之も次々と戦死した。総大将の小野鎮幸は本陣前の橋を堅守して鍋島勢の包囲を受け勇戦奮戦したが、鍋島軍の反撃を受け、供回りが14・15人になるまで討ち取られた。小野自身も銃創と矢傷を負い、討死寸前となったが、水田方面の黒田如水軍を偵察していた立花成家が別動隊300を率いて敢然と奇襲をかけ鍋島勢を混乱させた隙に無事撤退した。10月21日立花勢は十時惟由らが率いて、北の蒲池城の鍋島軍からの挑発に対し、応戦して数人を討ち取った[37]

立花勢は柳川城へ篭城する構えを示したため、鍋島勢はそのまま柳川城を攻め落とそうとしたが、鍋島直茂がこれを抑え、黒田如水・加藤清正が、宗茂を説得[38]に動き、25日宗茂は降伏開城した。

島津義弘は国許へ帰ると、宗茂から受けた恩義に報いるために柳川への援軍を送った。しかし、援軍が柳川へ到着したのは開城から3日が過ぎた後だったという。

同年11月上旬の書状で、それまでの親成を改めて政高と署名しているが、程なく11月下旬までには尚政の名乗りを用いている[39]

江戸時代[編集]

開城後は改易されて浪人となる。その器量を惜しんで加藤清正や前田利長から家臣となるように誘われるが、宗茂はこれを謝絶した。そこで清正は家臣にすることを諦め、食客として遇したという。その後、清正の元を離れ、由布惟信十時連貞ら付き従う家臣を引き連れ浪人の身で京都に上る。

正室の誾千代は立花家改易後、肥後国玉名郡腹赤村の市蔵宅(現・熊本県玉名郡長洲町)に移り住んでいたが、慶長7年(1602年)7月頃から病を患い、10月17日に死去した。享年34。誾千代の死により、養父の道雪の血筋は途絶えた。

誾千代が没してから、慶長8年(1603年)江戸に下った宗茂は本多忠勝の世話で、由布惟信・十時連貞など従者らとともに高田の宝祥寺を宿舎として蟄居生活を送り始め、慶長9年(1604年)忠勝の推挙で江戸城に召し出される。宗茂の実力をよく知っていた将軍徳川家康から幕府の御書院番頭(将軍の親衛隊長)として5,000石を給されることになり、まもなく嫡男の徳川秀忠の御伽衆に列せられて慶長11年(1606年)、陸奥棚倉(南郷)に1万石を与えられて大名として復帰した。この頃の名は尚政より俊正と改めている[40]。のち慶長15年(1610年)7月25日には更に陸奥赤館・上総山辺郡2万石の加増を受けて最終的に3万石の領地高となり[41]、この頃から宗茂と名乗っている。

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣大御所・家康は宗茂が豊臣方に与するのを恐れて、その説得に懸命に当たったという、そして大坂夏の陣は2代将軍・徳川秀忠の麾下に列してその軍師参謀を兼ね警固を担当し、大野治房の軍勢動向を予言的中や秀忠軍の進退を指導した[42][43]。また豊臣秀頼が出陣しないことも予言して的中させた[44]

戦いの末、毛利勝永の軍勢を駆逐している。元和2年(1616年)、幕府に反乱未遂事件(坂崎事件)があった坂崎直盛に対して、柳生宗矩は宗茂の計謀により、この事件をよく処理した[45]

元和6年(1620年)、幕府から旧領の筑後柳川10万9,200石を与えられ、関ヶ原に西軍として参戦し一度改易されてから旧領に復帰を果たした、唯一の大名となった。元和8年(1622年)、飛騨守に転任。また戦国武将としては世代が若く、伊達政宗加藤嘉明丹羽長重らとともに、徳川家光に戦国の物語を語る相伴衆としての役目も果たした。なお、相伴衆となった晩年は秀忠・家光に近侍して重用されたようで、将軍家の能、狂言、茶会の席や諸大名の屋敷が完成した際の披露会、上洛、大坂行き、日光社参など様々な行事に随伴している。またこの頃には、健康状態(歩行)になんらかの困難があったため国元にはほとんど帰れず、特に家督を譲った後はその傾向が一層強くなり、江戸に屋敷を構えて定住して本領の統治にはほとんど関与せず、幕府の中枢を知る人物として地方の大名とのパイプ役を果たしている。

寛永15年(1638年)には前年勃発した島原の乱にも参陣し[46]、総大将の松平信綱を輔佐した。宗茂は城兵の様子から、黒田軍への夜襲を予告し、それが的中したため、家臣たちは宗茂の観察眼の鋭さに舌を巻いたという(『浅川聞書』)。

軍事進言や兵糧攻めの戦略面の指揮を執り、有馬城攻城時には一番乗りを果たして昔日の勇姿を見せ、諸大名に武神再来と嘆賞された。生涯を通じて実子に恵まれなかったので、同年に家督を養子の忠茂に譲って致仕・剃髪し、寛永19年(1642年)、江戸柳原の藩邸で死去した。享年76。戒名は大円院殿松隠宗茂大居士。俗名の宗茂がそのまま入っているのは、宗茂の名があまりに有名でありすぎるため、変えるに変えられずそうなった、との逸話が伝わる。

墓所、死後[編集]

墓所は福岡県柳川市福巖寺圓満山廣徳寺東京市下谷区)。

文政3年(1820年)には宗茂に松陰霊神、妻誾千代に瑞玉霊神の神号が贈神された。

また柳川城内にある三柱神社に養父の立花道雪と妻の立花誾千代と共に祭神として祀られている。武神軍神、水利・干拓・開田・郷土繁栄の守護神として、近年では功績をもって必勝・就職・再就職・復活の社として崇敬されている[47]

官位履歴[編集]

人物・逸話[編集]

宗茂を讃える錦絵。江戸末期、歌川芳虎筆。

  • 『名将言行録』では、宗茂のことを「人となり温純寛厚。徳ありて驕らず。功ありて誇らず。人を用ふる、己に由る。善に従ふ。流るるが如し。奸臣を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に撫するに恩を以てし、士を励ますに、義を以てす。故に士、皆之が用たるを楽しめり。其兵を用ふるや、奇正天性に出づ、故に攻めれば必ず取り、戦へば必ず勝てり」と記しているように、宗茂はその才能を、豊臣秀吉や徳川家康からも高く評価されていた。また、宗茂の関ヶ原の戦い後からの大名としての復帰も、幕府が寛大な処置を取った稀有な例である。戦上手だけではなく、常に温厚で誠実に人に接し、そして義理堅く正直な人物などから「武士の中の武士」とも呼ばれた。

  • 宗茂は軍法についてこう語っている。

    • 「特別に何流の軍法を使うわけではない。常に兵士に対してえこひいきせず、慈悲を与え、国法に触れた者はその法によって対処する。したがって戦に臨むとみな一命をなげうって力戦してくれ、それがみな拙者の功になる。その他によい方法はない」

    • 「大将がいかに采配をとって、ただ“進め”とか“死ね”とか言ってみても、そのような下知に従う者はいない。常々上は下を子のごとく情をかけ、下は上を親のように思うように人を使えば、下知をしなくとも思い通りに動くものだ」

    • 「彼(敵)のなさんとするところを、先んじて我なせば、勝たざるごとなし」

  • 立花宗茂が老境の際、養子忠茂から戦における兵の運用に関して問われ、「例えば、かの上杉謙信公は8千程度の兵を用いて戦をするのが己に適していると言われたそうだ。かく言う自分は経験上2,000程度の兵数が手足の如く操れると感じたものだ。つまり大将の才、能力に適した兵力は大将の数だけあるという事。兵力の大小に固執するより己の武の型を見極め、それに見合った兵を揃えたほうが良い結果が得られるだろう」と語った

  • 宗茂が肥後一揆の鎮圧に功を上げ、秀吉から加増しようと言われた際

    • 「もう自分が戦うに充分な兵力を養える領土は頂いてますので結構です。それより戦の際に、先鋒に使って頂ければ相応の働きをもって答えたいと思います」と断った。そして後の朝鮮役の大一番、碧蹄館にて先陣を任された宗茂の武は日ノ本随一と称えられることになる。

  • 関ヶ原の戦い後の浪人時代は、京都でその日の食べ物にも事欠く生活であったとされる(『浅川聞書』)[49]、その一方で富士谷千右衛門の由緒書き上げでは、しかるべき住居があり比較的淡々と逗留生活を送っていたように書かれていて、経済的にさほど困窮していたわけではないとする指摘もある[50]

    • 米が足りないので家臣が雑炊を作って差し出した所、宗茂は「汁かけ飯を食べたい時は、自分で飯に汁をかけるから、余計な事をするな」と怒ったと言われる。今まで裕福な暮らしをしていたので、米に困って雑炊を作るという意味がわからなかったのだという。

    • 家臣が乞食に出かける時には、宗茂が留守番をしていた。ある日家臣が残飯を干飯にするために日に干して出かけた所、その日突然雨が降ってきた。家臣たちは宗茂がちゃんと残飯を雨に濡れないように屋内に取り込んでくれたかどうかと語り合い、「そんな些細な事に気をかけるような殿では、再仕官などおぼつかないだろう」という結論になった。案の定帰宅すると、宗茂は残飯を放置して雨に濡れるままにしていた。

    • ただし、実際には有力商人や旧家臣団、加藤清正や島津氏らの支援の下、客将として支援を受けており、大名時代に比べれば経済状態は当然悪化しているが、少なくとも、その日の食事に困るような生活ではなかったので、後世に藩祖としての苦労を際立たせる為に誇張された話であろうという説もある[50]

  • 文武両道の名将で、連歌書道茶道香道蹴鞠狂言能楽舞曲料理・竹製花器・手作り仏像製作など多彩の技芸にも長けていた文化人とされる[51][52][53]

    • 剣術丸目長恵から文禄5年(1596年)10月にタイ捨流の免許皆伝を受けている、自身も抜刀術隋変流を開祖し、後年の中村天風もその剣術を修得した[注 35]

    • 弓術は天正18年(1590年)に尾村連続、慶長6年(1601年)10月には中江新八、慶長7年(1602年)には吉田茂武から日置流の免許をそれぞれ受けている[54]

    • 茶道は細川忠興からも一目置かれていたようで、忠興は子の細川忠利に対して、数寄の事は宗茂を見習う事と書き記している。また、忠興から宗茂が借金をして茶器を購入したり、逆に宗茂の茶器を忠興に貸したりという文書も残っているので、茶道を通じてかなり両者の関係は親密であったと思われる[55]

    • 香道は後陽成天皇の弟の良恕法親王より「薰物」を贈られている[56]

    • 蹴鞠は飛鳥井雅春から「鞠道」の門弟として、小早川隆景とともに「紫組之冠懸」を免許されている[57]

    • 笛は憩いのひとときに「一節切」という笛を常に吹いた。

  • 酒豪かつ愛烟家でもあった。開戦の前で常に5重の大盃「沖の石」を飲み干し、長い軍旅にも烟草を戦術を考える時や養生のために吸った[53]

  • 身長は着用甲冑で推断しておよそ180センチ程度。

  • 正室の誾千代を弔うために、山門郡瀬高上荘の来迎寺の住職で、かつての柳川城主の蒲池鑑盛(蒲池宗雪)の孫である応誉上人を招き、良清寺を創建した。

  • 宗茂が8歳の時、見世物があった。見物中、群集の中で争論が起り、ついには殺される者がでた。人々は慌てふためき逃げ散る中、宗茂は少しも恐れる様子もなく「今日の見世物はこれで終わりか」と付き添いの者に尋ねた。早く逃げましょうという付き添いに対し宗茂は笑って「お前たちが慌てるとはおかしな事だ。我々はあの争論の相手ではないのだから、どうしてこちらに切りかかってくることがあろうか。まだ見世物も終わっていないのに、ここから立ち去る必要もあるまい」といい、すべてを見終ってから帰ったという。

  • 宗茂が道雪の養子として出され実質的に立花家の家督を継いでいた道雪の娘の誾千代と結婚して婿養子となった際、誾千代とは険悪な仲だった上に子に恵まれず、道雪の死後程なくして、二人は別居したという。

  • 立花家へ婿養子に行く際に実父の高橋紹運より「高橋と立花の間に戦が起こった場合はなんとする」と問われて、高橋に味方すると答えたところ、紹運に「養子に行ったならばもはや高橋の人間ではない。立花勢の先鋒となってわしを討ち取れ。道雪殿は常日頃から未練な振る舞いを嫌っておられるので、おぬしに不覚の行跡あろうものなら義絶されよう。その時は高橋に帰ろうと思うのではなく、この剣で直ちにその場で自害せよ」と一剣(備前長光[58])を渡され諭された。宗茂はその剣を紹運の形見として、終生身辺から離さなかったという。

  • 立花家の婿になってまだそれほど経ってない頃、養父の立花道雪の供と一緒に近くの山を散歩中、棘の付いた栗を足で踏み抜いた。当然の如く近習の者に「これを抜いてくれ」と頼むと由布惟信が駆けつけ、抜く所か逆に栗を足に押し付けた。叫び声を上げようにも近くの駕籠の中からは養父の道雪が眉を吊上げて見ており、叫ぶ事も出来ずに大変困ったと後年述懐したそうである。お坊ちゃま育ち故、立花氏に来てからは大変厳しく教育された。

  • 初陣を飾った秋月氏筑紫氏との第二次太宰府観世音寺の戦い(第二次太宰府石坂の戦いとも)では、太宰府市東方と筑紫野市針摺北方の間に石坂の地で紹運は敵軍正面に弓・鉄砲・長槍隊を三段に布陣し、道雪の伏兵が側面より奇襲する戦法を採った。この合戦で宗茂は150人を率いて敵軍の側面を襲撃、騎射で秋月方の勇将・堀江備前の左腕に鏑矢を命中させた。左腕の自由を奪われた堀江は大長刀を捨てて宗茂に組みかかって来たが、相撲得意の宗茂は彼を圧倒し、家臣の萩尾治種(萩尾大学麟可)が堀江を討ち取って手柄を立てた。

  • 秋月氏・原田氏宗像氏の連合軍2,000との岩戸の戦いでは500の伏兵を率いて立花道雪の本隊1,000が敵軍に包囲された時、先に宗茂隊の300が鉄砲で側面から奇襲して、残る兵200は薦野増時が指揮して偽の旗を立てて大友氏の援軍が来ると見せかけ、遂に敵軍の包囲を解かせた。さらに宗茂は薦野増時・由布惟信小野鎮幸ら1,000騎を率いて、岩門庄久辺野に砦を築いていた原田氏の将の笠興長隊300人を駆逐し150人を討ち取って、西の早良郡まで追撃し原田親秀の早良城を焼き落城させる功を挙げている。

  • 立花道雪・高橋紹運は大友氏の筑後奪回戦に参陣した戦では、秋月種実率いる8,000の兵が攻め寄せたが、まず謀叛の素振りをみせた桜井中務・治部兄弟を粛清し、兵を三隊に分けて果敢に城から出て、夜襲や火計で敵本陣に同士討ちを起こさせてこれを撃破した。

  • 岩屋城の戦いでは宗茂も立花山城で徹底抗戦し、積極的に遊撃戦術を使った。更に詐降の計を用いて島津本陣への奇襲を成功させ、数百人の首級をあげた。この内に8月18日も岩戸にて兵糧を準備する原田信種勢2,000を伏兵で撃退し700余の首を取った。8月20日にも秋月種長隊2,000を奇襲し400余の死傷を出させた。

  • 文禄の役での碧蹄館の戦いでは敵の大軍の前にも悠然と昼食の握り飯を食べていた。この行為に疑問を持った家臣達に、昔上杉謙信小田原攻めの時もこうしたと答えたと伝わる(小野家文書による)。

  • 関ヶ原の後の柳川城攻防戦で開城当日、筑後四郡の領民達は「殿様のためなら命も惜しまない」と涙ながらに降伏開城を押しとどめようとした。しかし宗茂は「気持ちは嬉しいが、皆を戦乱に巻き込みたくないのだ。分かってほしい」と答え、領民達は別れを涙ながらに宗茂を見送った。また、柳川回歸の際、出迎えの子供達は、関ヶ原の後で生まれたけれども、宗茂の事蹟をよく知っている。それ程までに、彼は領民からの信望が篤かったと言える。

  • 徳川実紀』では「立花飛騨守宗茂入道立斎はさる古兵にて武名一時に隠れなし。当代御咄衆の第一にて御待遇並々ならず」と記述されている。家光の頃の様子について『立斎旧聞記』には「この日本の諸大名歴々たりといえども、御前にて頭巾(禿げ隠し)をかぶり、殿中にて杖をつく人は宗茂の他は一人もないとのことである。今すでに、将軍の寵遇、他に超えたり」とあり、寵遇もさることながら、江戸城中においても特別扱いが許されていることが窺える。また、「御前にて頭巾(禿げ隠し)をかぶり、殿中にて杖をつく人」とあり、晩年には宗茂の健康状態に不安があったことが窺える。

以上の逸話は『名将言行録』や『筑前博多史料豊前覚書』、『立斎旧聞記(続群書類従 三)』、『柳川藩叢書 第三集』、中野等『立花宗茂』などによる。

  • 徳川家康は宗茂を畏敬し賞賛していた。二条城に上洛した際、本多正信に、直々に絶賛した記録が残っている。武田信玄、上杉謙信、織田信長等の名だたる武将と比肩して。正信は、殿がそのように褒めるお方は誰にと問えば「家康公の仰に、天下に隠れなき立花宗茂が事よと宣ふ。」(翁物語)

  • 「西国一の猛將で、比類なき武芸の達人」(大津籠城合戦記・京極高次の家臣からの評価)

  • 九州大学大学院助教授の 中野等は「激動の時代を背景に生きた、たぐい稀なる才能を持った人物だと」評している[59]

  • 菊池寛は「秀吉は、(宗茂を)本多忠勝と比べてゐるが、本多忠勝などよりも、遥に秀ぐれた武将である。」と評している[60]

  • 現在の福岡県筑後地方南部を流れる花宗川の名は、立花宗茂の真ん中の2文字を取ったものである[注 36]

  • 温厚な人物であったというのが一般的な説である。

系譜[編集]

家臣団[編集]

立花双翼

立花四天王

  • 由布惟信

  • 十時連貞

  • 安東家忠

  • 高野大膳

  • 小野鎮幸(安東家忠隠居後に入れ替え)

  • 薦野増時(高野大膳引退の後に入れ替え)

  • 米多比鎮久(由布惟信隠居の後に入れ替え)

立花五城主

その他

母衣武者十一騎

内田監物統続(忠兵衛)、立花三太夫統次、立花兵庫助統実(新右衛門)、足達勝右衛門、安東彦右衛門連直、清田又兵衛正成、立花五右衛門鎮治(元の姓大鶴、大津留鎮忠宗秀の子)、由布大炊介惟貞(惟時の子)、森下内匠規寬、石松安兵衛政之、堀次郎右衛門秀(又介)。また、安東孫兵衛政弘、松岡外記。

立花家四十八鷹

(道雪は車返の戦いに、白鷹が軍旗の上に集まれて戦機を引導するの縁起で(井樓纂聞 梅岳公遺事 1巻 p.23)、それ以来家中精鋭の家侍48人を一隊に組み。年老・病死や戦死なのでメンバーは不特定)[62]

立花家三十二槍柱

(与力頭32人組。大先手、物見、使番などを勤める)[63]
世襲制:

  • 小野和泉守鎮幸

  • 立花鑑貞(織部助親家、三郎右衛門政辰父子)

  • 由布美作守惟信(七右衛門惟次父子)

  • 米多比丹波守鎮久

  • 薦野増時(立花吉右衛門成家父子)

  • 内田清右衛門成員(出羽守鎮高次子)

  • 原尻宮内少輔鎮清

  • 内田統続(壱岐守鎮家、元叙子)

  • 十時連久(と養子・堀盛(堀祥次男))

  • 十時源兵衛(連久婿養子、元の姓は渡辺、のち相模守)

  • 千手平左衛門


  • 田尻八郎

  • 因幡伊兵衛正良(十時連貞四子、因幡宗糺の養子)

  • 堀又介秀(堀祥長子)

  • 竹迫堪八郎虎種(竹迫統種の子)

  • 清田又兵衛正成

  • 安東彦右衛門連直(家忠の孫)

  • 石松安兵衛政之

  • 十時但馬守惟由

  • 十時與五郎連秀(右近太夫惟忠の子)

  • 世戸口十兵衛政真

  • 由布大炊助惟時(甲斐守家続の子)


  • 足達勝右衛門(足立對馬守連安の子)

  • 立花新右衛門統実(右衛門大夫鎮実長子)

  • 十時摂津守連貞

  • 清水藤右衛門連元

  • 後藤市弥太虎種(隼人佐連種の子)

  • 立花三太夫統次(森下釣雲三子、立花次郎兵衛統春養子)

  • 佐伯善左衛門惟幸

  • 池辺次郎(池辺永晟の族子)

  • 十時甚兵衛惟直(新右衛門、惟忠の弟)

  • 安東孫兵衛政弘(安東連忠の子)


立花宗茂を描いた作品[編集]

小説等

伝記

  • 白河鯉洋『立花宗茂』(岡村書店、1902年)

  • 渡辺村男『碧蹄館大戦記』(青潮社、1922年)

  • 淺川漏泉 『武神・立花宗茂(柳川藩叢書 第三集)』(昭和堂書店、1940年 、再版 青潮社、1985年)

  • 古賀敏夫『長編歴史物語戦国武将シリーズ(1)立花宗茂』(九州出版社、1974年)

  • 海音寺潮五郎『武将列伝(六) 立花一族』(文藝春秋、1975年) ISBN 416713506X

  • 中村正夫『立花宗茂 他一篇』(メイン・スタンプ、1994年)

  • 河村哲夫『立花宗茂』(西日本新聞社、1999年) ISBN 4816704884

  • 三池純正『九州戦国史と立花宗茂』(洋泉社、2013年) ISBN 4800301858

  • 江宮隆之『立花宗茂「義」という生き方』(新人物文庫、2014年) ISBN 4046004258

  • 加来耕三『立花宗茂-戦国「最強」の武将』(中央公論新社、2021年)ISBN-10 : 4121507126

漫画

楽曲

テレビドラマ

それでは枠から一歩も飛び出さないの?

「俺は監督だ!概念だ!この考え方だ。大河ドラマで武将や偉人を出すが名もなき庶民こそキャスティングだよ。『麒麟がくる』では駒は門脇麦だよ?濡れ場も出来る演技派女優で伊呂波大夫は尾野真千子で演技派女優で望月東庵は堺正章でコメディアンで菊丸はナインティナインの岡村隆史でコメディアンだ。こうすれば大河ドラマや歴史に興味ない視聴者呼び込んだり世界観の掘り下げが出来るんだ。『鎌倉殿の13人』ってこう言う人物配置できないの?三谷幸喜っていつも歴史にこだわってるが行き着く先は豪華キャスティングのみだ。それでは枠から一歩も飛び出さないの?実写漫画・アニメ映画あるだろう?あれ予算限られてるから映像化無理だしやれても映画だし『進撃の巨人』や『鋼の錬金術師』はファンタジーだよ?ハリウッドで映像化しても悪名高い実写邦画と大差ない出来だ。海外ドラマも同じだ。『オビ=ワン・ケノービ』がいい例だ。不幸しか残らないから楽しくないないの?『鋼の錬金術師』も同じで罪と罰だよ?テーマはね。『鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー』に『鋼の錬金術師 完結編 最後の錬成』は爆死想定済みの企画だよ?プロモーション金賭けてないだろう?こうなる事は曽利文彦も分かってるんだよ。ワーナーブラザースの映画だよ?『Death Note』も『るろうに剣心』もだよ?ワーナーブラザース知ってるだけ?儲けられる企画と捨て企画をね。そう確実に儲けられる企画は通すのが映画会社の役目だよ?なあチーフプロデューサー?」

青が基調の奇怪な衣装を着用し、左肩には長い黒色のマントを身につけ、黒いロングブーツを履いたチーフプロデューサーはラッキー ストライク リッチに火をつける

「チーフプロデューサーのリストルだ!『HUGっと!プリキュア』のリストルのような服装で具体化しただろう?そう企画には具体化が必要だ!だからメイキングを秘書に残させてるんだ。具体化の過程が残るからな?こうして捨て企画用意しないと会社経営成り立たないからな?ヒット作って狙って量産できないからヒット作で失敗作が殆どだ。それで映画会社運営するからな。根本順善?お前はヒット作出した事あるのか?ないから?「邦画に活気が戻った」と言うんだ。その分損失がバカデカいのがヒット作だ。量産できないんだ。『踊る大捜査線』や『海猿』ってシリーズになったがフジテレビも佐藤秀峰の許可なく勝手に商売したからなそれで『海猿』シリーズは完全封印だ。80億定期的に稼いでもメガヒット作だ。安定しないからな。実写は特にな。佐藤秀峰とは関係なしに『海猿』シリーズは破綻してたな。そうだ実写映画には安定はないからな。あるとしたら『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』のみ悲喜劇のホームドラマとホームコメディのみだ。監督に振付師に殺陣師?音楽担当?『るろうに剣心』シリーズってアクション凄いか?」

「俺は監督だ!ありふれてるよ?意外と?香港アクションで谷垣健治使ったって程度五作品見たが谷垣健治も手抜きだ。と言うか香港アクションの殺陣師はあの予算ならもっとすごいアクションやるのが香港だよ」

「ブラボーオヤジ―デで振付師だけどさあ?正直佐藤健でなくてもイケた企画よ?『るろうに剣心』って一作目は無名俳優であることが大前提の企画よ?色が付いてなければ誰でもいいのよ。イメージに合えばね」

「殺陣師だ!小池徹平の動き良いよ。円と直線で動いてる。演劇俳優で舞台配置考えてミュージカルで殺陣だ。小池徹平は完璧だ。そうだよ?動ける俳優って佐藤健やジャニーズやLDHの専売特許じゃないんだ。円と直線をマスターしている舞台俳優であれば完璧だ。『るろうに剣心』シリーズって要は東映時代劇で一作目はオーソドックスな東映時代劇で二作目以降は集団時代劇だよ。それを香港アクションでやっただけで俺でも出来たよ」

「音楽担当だ!『るろうに剣心』って佐藤直紀の過剰音楽で盛り上げるタイプの映画だ。佐藤直紀って腕良いんだがこういう仕事に毎回仕事が舞い込むから監督のオーダーで過剰音楽でいつも毎回盛り上げるんだ。『ふたりはプリキュア』シリーズや『Yes!プリキュア5』シリーズの音楽が本業だよ。佐藤直紀も女の子向けアニメやれば何時も似た仕事やらなくて済むがジョン・ウィリアムスもジャズ畑の音楽家でスティーブン・スピルバーグの常連音楽家でようやく引退だ。気が付きゃ大作専門の音楽家だ。ジョン・ウィリアムスもハンス・ジマーもね。しょうがない」

青が基調の奇怪な衣装を着用し、左肩には長い黒色のマントを身につけ、黒いロングブーツを履いたチーフプロデューサーはラッキー ストライク リッチに火をつける

「チーフプロデューサーのリストルだ!『HUGっと!プリキュア』のリストルのような服装で具体化しただろう?そう企画には具体化が必要だ!だからメイキングを秘書に残させてるんだ。具体化の過程が残るからな?続きだ『踊る大捜査線』は何故シリーズに出来ない?監督に助監督にセカンドにラインプロデューサーにガン・エフェクトに文芸部も頼む」

「俺は監督だ!基本は『踊る大捜査線』は『機動警察パトレイバー』だよ?映画化したらテロリストの日常描くのも『機動警察パトレイバー』だよ?しかも『踊る大捜査線』はサザエさん感覚のコメディ?テレビの予算で出来ないよ?しかもサザエさん?予算があっても無理だしね」

「アタシャ助監督よ!こう言うの芸能事務所が五月蠅いから現場ピリピリしたムードでサザエさんやれるわけないでしょう?しかも『機動警察パトレイバー the Movie』よ?お手上げしかも大ヒットもうご破算以上よ」

「セカンドのパップルです。小物とかでタイアップの商品の管理大変なのよ?しかもこれが増える一方で脚本の管理や監督の指揮系統滅茶苦茶になるのは必然よ?しかも芸能事務所からは横槍入るしそれで更に『踊る大捜査線 THE MOVIE』興行収入101億円よ。現場も管理出来ないわよ」

「チーフプロデューサーのダイカンだ!喜べないよ。寧ろ暗澹たる気分だよ?『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』は興行収入173.5億円だよ?維持できないよ?キャストも再結集したくても芸能事務所が最大の難関だ。サザエさん感覚だしいかりや長介も亡くなった。しょうがないから『交渉人 真下正義』や『容疑者 室井慎次』で稼ぐしかないが『交渉人 真下正義』が興行収入42億円で『容疑者 室井慎次』が興行収入38.3億円だよ?一応は当たってるが興行収入173.5億円には及ばない儲けでスピンオフにしてはお粗末だ。『踊る大捜査線 THE MOVIE』興行収入101億円の儲けが欲しいからスピンオフだよ?そうヒット作で儲けるとフランチャイズで儲けても微々たる稼ぎじゃ意味ないんだ。『踊る大捜査線 THE MOVIE』興行収入101億円の儲け維持してこそフランチャイズだよ?それで『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』で興行収入73億円採算が合わないから『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』で興行収入59.7億円で終了だよ?大予算の罠にハマったなフジテレビも亀山千広も本広克行も君塚良一もまるで庵野秀明や『鬼滅の刃』やufotableの明確なビジョンが『踊る大捜査線』としか言いようがない」

「ガン・エフェクトだ!今でも港警察署は俺たちだ?『あぶない刑事』シリーズは荒唐無稽のコメディだよ?売りは舘ひろしと柴田恭兵のコメディ演技?俺はガン・エフェクトだ?言わせるなよ?『踊る大捜査線 THE MOVIE』は日向真奈美の『セブン』みたいな犯罪者と少年犯罪で『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』でリストラ社員と沖田仁美警視正の女性官僚で『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』はハッカーと『踊る大捜査線 THE MOVIE』の日向真奈美の『セブン』みたいな犯人で『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』は『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』の鳥飼誠一(警視庁刑事部捜査第一課管理官・警視)の小栗旬と小池茂(警視庁刑事部交渉課課長・警視)の小泉孝太郎と細川典文(警視庁刑事部捜査第一課、鳥飼の側近)の貴山侑哉と倉橋大助(警視庁刑事部交渉課交渉人補→交渉課長代理・警部、交渉人)のムロツヨシと渡辺敬祐(警視庁刑事部交渉課・警部補)の石田剛太と久瀬智則(警視庁刑事部捜査第一課・警部)の香取慎吾(SMAP)だよ?もう『機動警察パトレイバー』じゃないだろう?カミヤマΔさんこと三角締めさんがブログで突っ込んでたぞ」

「ガン・エフェクトだ!俺もカミヤマΔさんこと三角締めさんと同感だ。『あぶない刑事』世代でトムとジェリーの気分だぜ」

「文芸部です。アニメと実写は違います。アニメは予算の目算が出来てキャスティングも把握したうえで脚本は書けますが実写は俳優が歳をとるし病気になりますし俳優同士のいざこざや芸能事務所の軋轢があります。それも考えての文芸です。たかだかサザエさんと『機動警察パトレイバー』で受けたからって社会派?勘違い甚だしいです。現場のコントロールすら出来ずに巨匠ですか?君塚良一も文芸の恥垢です。」

青が基調の奇怪な衣装を着用し、左肩には長い黒色のマントを身につけ、黒いロングブーツを履いたチーフプロデューサーはラッキー ストライク リッチに火をつける

「チーフプロデューサーのリストルだ!『HUGっと!プリキュア』のリストルのような服装で具体化しただろう?そう企画には具体化が必要だ!だからメイキングを秘書に残させてるんだ。具体化の過程が残るからな?『踊る大捜査線』シリーズこそ実写映画の本質だ。維持できないんだ。ヒット作は安定しないからヒット作だからね。わかっただろう?三流コピーボーイ以下の史上最悪のヒモ以下の晒し首の根本順善?お前は映画らしきものは撮った事が無いから偉そうにパワハラモラハラセクハラするんだ。だから映像業界の晒し首だ。確実に続けるには代役が効くかどうかだ。007シリーズがそうだろう。『るろうに剣心』は代役可能でテレビドラマ化も可能だ。だから安定するんだ。」

言っただろうテレビには基本と応用があるってな。

「俺は監督だ!言っただろうテレビには基本と応用があるってな。映画は金が掛かるだけでしかないから映画なの?テレビは魑魅魍魎としてるからテレビだよ。正直問題児だよ?五社英雄?でも優秀なテレビマンだから映画撮れるの。本広克行や福田雄一の代わりは腐るほどいるのがテレビの世界で映画目指す園子温や小林勇貴は映画は特別だから何やっても許されると思ってるDVヒモ野郎以下コバンザメ以下のパクリ野郎や勘違いを捨てるのも映像業界で主体はテレビだ」

「音楽担当だ!相変わらず『教祖誕生』だぜ」

関弘美プロデューサーは「20年以上前に、日曜朝枠で15年ぶりのオリジナル作品が作れる喜びに沸いた、あのスタッフルームの熱気と情熱を全話通しでご覧いただく事で、リアルに感じていただければ、スタッフ冥利に尽きます!」と感激。

 「『おジャ魔女』の主人公たちだけでなく、『クラスメイト』一人一人、『家族』『魔女』の一人一人まで、 愛情を込めて練り上げ、 つくりました。スタッフ個人の記憶の数々が、普遍的なキャラクターに昇華されていく過程を思い出すと、今でも私の心は熱くなります」と当時を振り返った。

「音楽担当だ!“心”にもない事言うよな?手柄は自分が横取りだ」

「文芸部です。思い出話ではありません。恨みつらみです。『おジャ魔女どれみ』シリーズは現場の作業覚えてるのは関弘美のみです。楽しい思い出ではありませんね。山田隆司も大和屋暁も余り喋ってないですね。普通はメイキングとか残りますよ?このような形でね?佐藤順一は途中離脱組で五十嵐卓也がいないのが象徴的です。現場混乱してる証拠です。魔法に頼らない魔法少女アニメですよ。魔法少女は魔女ですから迫害されるのが常と考えるのが文芸です。魔法が無い魔法少女は宗教勧誘のみです。気が付かないんですか?関弘美プロデューサー?時には教祖から性加害受けるのも魔法少女です。このからくりに気が付かない文芸は無能以下のバカ以下です」

「俺は監督だ!そうだよ?視点を二つに分けないと視点じゃないの?悲しいは傍から見たら笑えるが演出の基本だよ?そうだよ?文芸ってそう見ないと機能しないの?その前に救い与え得るのが監督業だよ?佐藤順一ってミュージカル上手くないの?人情が得意路線で『とんがり帽子のメモル』は人情で演出したから当時演出家として優れてたの?だから幾原邦彦に『モーレツア太郎』のギャグと人情の絶妙さが佐藤順一より上回ってたから負け認めたの?だから『おジャ魔女どれみ』の無印は初期は人情でそこに五十嵐卓也だ!少女漫画とミュージカルが大の得意だから『少女革命ウテナ』で幾原邦彦の参謀だよ?しかも藤原はづき?個性無いのを少女漫画の手腕で矢田まさるを配置したことで『おジャ魔女どれみ』シリーズを少女漫画にすることに成功したの?しかもOPはミュージカルで決めてマジカルステージもミュージカルだよ?だから『カレイドスター』はミュージカルが題材なのにミュージカルじゃないんだ。人情モノだよ?しかもギャグアリ.....................普通さあ限界感じるよな?これじゃあ?佐藤順一さあ?少女漫画好きなのに弟子の五十嵐卓也にオリジナルの少女漫画やられてるんだよ?『ふたりはプリキュア』の演出でも少女漫画やってるんだよ?.................それで『おジャ魔女どれみ ナイショ』では人情だ.................それで先輩の山内重保にハードな世界で命と再生の『昆虫の王者ムシキング 森の民の伝説』に『キャシャーン Sins』やられたらもう人情考えなくて職人監督選ぼうって気になって自覚したんだ。もう天才監督じゃないってね?そうだよ?魔法に頼らない魔法少女アニメって不幸が死ぬ程笑えるから本末転倒異常で感動呼ばないの!だから普通に魔法少女アニメ作ればいいだけなのに離婚家庭や登校拒否児?言いたくないよ?もう魔法少女アニメの範疇超えてるよ。一般ドラマも扱うのが難しい問題ニチアサで出来るわけないから中途半端に終わるの?あれ解決難しいの?社会問題はね。それで感動で“心”だよ。そうなれば必然的にオウム真理教や『バトル・ロワイヤル』の日本想起しなきゃ社会語れないの?そう日常に政治は潜んでるから政治なの?出来るニチアサで?「はづきのキラキラ星」4回に1回くらいやれて魔法少女アニメなの?この頃から麻痺してたの“心”にね。そう“心”で社会問題扱うと不幸と犯罪のデパート完成だよ。文芸部が言うようにエロが絡むんだよ?魔法少女アニメはね。これも視点がなせる業だ。だから『おジャ魔女どれみ』シリーズはデヴィッド・リンチの世界観だよ。変態性欲だ。しかも社会問題扱ってるから不幸の無尽蔵だよ。そう見せないようにしたスタッフは優秀だよ?だが関弘美は女王気取りか?」

「音楽担当だ!奥慶一いないだろう?あのインタビューメンツにな?内心憤慨してるぜ。奥慶一って今じゃクラシックの音楽家だ。クラシックって言っても現代音楽のクラシックでこれが手間暇かかるんだ。現代音楽だよ?クラシック自分で作るんだ。正直長い時間が必要なんだ。気分が乗る時でしか作曲できないんだ。こりゃあ趣味同然の作曲だ。2005年4月より洗足学園音楽大学音楽・音響デザインコースの客員教授を務めてるんだ。『おジャ魔女どれみ』シリーズや『明日ナージャ』で相当疲弊したな?だから功労賞で2009年5月、『明日のナージャBGM』で2008年度のJASRAC賞国際賞を受賞だよ?JASRAC賞の国際賞って日本の子供向け番組で繰り返し放送されるから同じアニメの番組しか国際賞は受賞しない、『明日ナージャ』は一回こっきりだ。東映アニメーションが取らせたんだ。繰り返し放送されてないからな。データーで残るのがJASRACだよ。無論『おジャ魔女どれみ』シリーズも取ってないし海外では日本の子供向け番組貴重だから海外で日本のアニメが人気だと誤解される。そう当然だが『明日ナージャ』は繰り返し放送されてないから楽曲の使用のデーター残らないんだ。俺でも憤慨したくなるよ。アニメのBGMって苦労して作っても音源扱いでバラエティー番組のコーナーで使われたりハリウッド映画のサウンドトラックも音源扱いだ。そう音楽はバカ高い分バカ安くもなるんだよ」

「俺は監督だ!だからこそテレビだ。テレビの技術は映画の基本と応用だ。そうだよ?テレビはバカ安い現場だからこそ魑魅魍魎のスタッフが集まるんだ。優秀な奴から根本順善までな。だから金と時間かけない奴が効率よく撮影できるんだよ。しかも現場で揉めないと予算オーバーしないは絶対条件でな。そう最近のバラエティー番組って低予算前提だろう?死ぬ程下手糞以下の現場だ。『ヒューマングルメンタリー オモウマい店』がまだ効率的だ?中京テレビの番組だぞ?それが全国ネットだ?効率いいだろう?これをやれるのが優秀なテレビマンだ。そこらの店だが大盛と安い値段と視覚効果の味覚と面白い店長と店員のみだ。しかも名物ADもいる。これ考えた中京テレビは頭いいね?吉本興業の芸人雇うより安上がりだし確実に笑いを提供するからな。後は安定のみだ。不況だからね。だからアニメが売れるの?アニメは貧乏人の娯楽だ。杉坂J太郎の名言だ」

そこで監督?F県F市M町の聖地巡礼事業さあロケハンで場所考えないといけないだろ?

「グッズ・担当のドクター・トラウムだよ~この企画さあ~超ロリコンエロ媒体だよな~しかも超ロリコンエロハーレム媒体のアニメだ!」

貴族を彷彿させる緑色のロングコートに紫色の服を着用し、頭部にはネジが施された黒色のシルクハットをかぶり、首元にはスカーフを身に付け、茶色のショートブーツを履いているグッズ担当がトレジャラー・ブラックに火をつける

「グッズ・担当のドクター・トラウムだよ~?描写細かいだろう?描写細かくするのがグッズなの?しかも吸ってる煙草はトレジャラー・ブラックだ!マジで煙草が美味い!監督?それが欲しかったんだ!不況で貧乏人の娯楽のアニメで山岡直子のニチアサ絵で劇場版の作画でR18+で12歳の高寺のどかに6歳の大森よつはと大河内みすずと海野あきらと三ツ矢あかねの圧倒的に膨らんでないおっぱいで性器丸出し無論局部挿入もモザイクなし女性声優で発声も出来て演技上手くて歌も上手で喘ぎ声も上手くてしかも子供声しかも海野あきらは少年声出せて子供声の喘ぎ.................普通は売れるだろう?これでプロデューサーの領分だが言わせてもらうよ。これを池田洋子が監督だ。女性視点の濡れ場だ。これ商品にしない手はないだろう?タイアップバンバンかけれるぞ?エロ系からぬいぐるみまでな?エロゲーも可能だしオンラインゲームも可能だ?女性からの性的蔑視やロリコン嫌悪も池田洋子が監督するなら言い訳可能だ。いざとなればこのメイキング使えばいいだけだ。それに益田りょうたはスパイ設定だろう?中高生のエロもフランチャイズ可能だ。川口よういちの国連軍活動も大人のエロ入れられる。そこで監督?F県F市M町の聖地巡礼事業さあロケハンで場所考えないといけないだろ?ある程度は目算考えなきゃな?」

「俺は監督だ!岐阜県や愛知県や三重県だよ?特に岐阜県は近畿と東海つなぐエリアだし愛知県は交通の要で都会だ。三重県は海の綺麗さや忍術の資料の豊富さだ?聖地巡礼事業って廃れるだろう?グッズ・担当?湯涌ぼんぼり祭りもう廃れてるよな?....................表示してくれ............虚しくなる」

「グッズ・担当のドクター・トラウムだよ~?『湯涌ぼんぼり祭り2011-2021 ~アニメ「花咲くいろは」と歩んだ10年~』で死刑執行されたんだ。湯涌ぼんぼり祭りはな?『らき☆すた』もこうだぞ!」

貴族を彷彿させる緑色のロングコートに紫色の服を着用し、頭部にはネジが施された黒色のシルクハットをかぶり、首元にはスカーフを身に付け、茶色のショートブーツを履いているグッズ担当がトレジャラー・ブラックに火をつける

「グッズ・担当のドクター・トラウムだよ~?この言葉が重く感じるくらい煙草が不味いよ?例えトレジャラー・ブラックでもな?これが聖地巡礼事業の行き着く先だ。飽きられるのそれでオタクのみうらじゅんの言うところ最先端の人たちしか集まらないんだ。そう深夜アニメは放送されないと蝉の寿命以下だ。安定しないから深夜アニメだよ~そうだよ?定着しないのにアニメツーリズム協会だよ?グッズ・担当でなくても富野由悠季殺したくなるよ」

「俺は監督だ!富野由悠季って金沢工業大学客員教授だぜ?金沢工業大学ってクリエーター育てる大学じゃないんだ。工学なのに「ガンダム創出学」の講義を担当だよ?メカニックシステムエンジニアにクリエイティブ論教えてもしょうがないだろう?高橋良輔はスタジオあかばんてん主宰。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授。倉敷芸術科学大学非常勤講師。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。だよ?高橋良輔は『MUTEKING THE Dancing HERO』の総監督で低予算だよ。どう考えても低予算で、だって『とんでも戦士ムテキング』のリメイクだ。金賭けてもしょうがないアニメなら人材育成とローテーション管理のみだ。凄いな高橋良輔はこの歳で低予算のアニメ作れるからな?富野由悠季はGのレコンギスタ IV 激闘に叫ぶ愛』『Gのレコンギスタ V死線を超えて』だよ?亡霊だな?富野由悠季が死んでも終わらないな?『Gのレコンギスタ』?殺陣師?聞きたい?ガンダムの殺陣とこの企画の殺陣どう違う?カリの組手あるだろう?何故採用しない?カリ?アクションの見栄えとかはナシだ」

「殺陣師だ!ガンダムって三隈研次の映画の大映の殺陣だ。大映って殺陣師が優れてたんだ!あれを富野由悠季が真似しただけ?カリのアクションあるだろ?ナイフアクションで『アジュシ』とかね?軍隊ナイフ術ってカリです。とは言うものの基本はフィリピン武術エスクリマって二刀術ですよ。必然的にカリは関節打専門の武術になります。そうなればフェンシングのサーブルの二刀流なだけでそれに関節打ですよ?ナイフ術としては使えますが刀剣術の基本は初手です。だから示現流は初手に命かけるんです。実戦は関節打の暇が無いから実戦で二刀術よりも大事なのは居合です。一撃必殺で燕返しが出来ますからね。幕末の暗殺事項は全部居合です。よういちくんの剣術で聖徳太子流や鹿島神流や天真正伝香取神道流や貫心流や新陰流や新陰流剣術や天然理心流や小栗目録流や直心影流剣術や心形刀流を体得してますがあれが剣術体系です。ナイフでも使え尚且つ殺陣でも使えるから日本の剣術はGHQで廃止されなかったんです」

「俺は監督だ!武術の背景って大事なの『ガンダムビルドファイターズトライ』の次元覇王流ってどういう武術?マイナーな拳法?考えたら負け
の設定?アシムレイトがガンプラバトルにおいては、ファイターが強い思い込みによるプラシーボ効果をかけることで五感をガンプラと一体化させ、戦闘能力を通常時の3倍以上に高めた状態を指す「ファイター自身によるトランザムシステム」?ちょっと文芸部?手が付けられないぞこれ?黒田洋介は設定すらわからないウルトラのバカ超えたウルトラのバカだ?『機動戦士ガンダム00』の設定表示?ジェロスお前独立していいぞ!世の中にはバカが山のようにいるぞ」

組織、国家

ソレスタルビーイング (Celestial Being)西暦2100年頃に、科学者イオリア・シュヘンベルグによって創設された私設武装組織。半永久機関であるGNドライヴ(後述)を搭載した機動兵器ガンダムを有し、西暦2307年に活動を開始した。世界の紛争根絶のためにあらゆる紛争に対して武力による介入を行い、紛争を幇助する企業や国も武力介入の対象としている。創設にはイオリアのみならず世界の有力な政治家、起業家、科学者と言った有力者が参画しており、「人類の救済」を目的としている[12]。ガンダムのパイロットであり主人公の刹那達ガンダムマイスター (Gundam Meister)[注 6][注 7] とその母艦のクルー達実動隊「プトレマイオスチーム」の他、サポートチームの「フェレシュテ」が存在。また、計画には本来存在しないチーム「トリニティ」もある。運用する兵器関連の開発は、各国の企業が参画するコロニー「クルンテープ」にて極秘裏に行われている[14]。資金は、エージェントと呼ばれるスポンサー達のほか、イオリアの計画に賛同し代々歴史の影からCBの計画を準備してきた監視者と呼ばれる人々から提供される。『1st』本編ではこれに該当する人物として国連大使のアレハンドロ・コーナーや、軌道エレベーター公社総裁のラグナ・ハーヴェイが登場しており、小説版によれば、その一つであるアレハンドロ・コーナーの一族は資金提供の見返りに監視者の権限を得たとされている[15][注 8]。作戦はすべて量子コンピュータのヴェーダによって決められているが、監視者の全会一致の場合のみヴェーダの決定に対する拒否権を持つ。作中ではアレハンドロ、ラグナ以外の監視者の存在も示唆されているが[18]、その詳細は不明。また、『2nd』以降のこれらの監視者の去就も一定しておらず、ヴェーダによってリボンズの目から秘匿された可能性も示唆されている[12]ほか、アレハンドロを通してリボンズに全員抹殺されたとするものも存在する[19]。一方で、漫画作品『機動戦士ガンダム00I』においては、西暦2312年に選抜されたイノベイド6人による新たな監視者が設立されている。当初はガンダムの機体性能で圧倒的優位を誇っていたが、『1st』において監視者であるアレハンドロ、ラグナの裏切りによって擬似太陽炉が各国家群に渡ったことでミリタリーバランスが崩れ、さらに国連軍との決戦でプトレマイオスチームが壊滅したことで西暦2308年に一度崩壊するも、4年後の西暦2312年には活動を再開している。活動再開後は以前と異なり、武力介入がアロウズにのみ行われた。なお、劇中にて同名の艦船も登場した[20]。アロウズの解体後も世界の抑止力となるべく活動を続け、『劇場版』の西暦2314年時では新型のガンダムや太陽炉の開発を行っている。しかし新政権の掲げる宥和政策への影響を配慮し表立った活動は控えており[注 9]、奪還したヴェーダからもたらされる情報を元に小さな紛争やテロの芽を事前に摘み取るといった陰の活動に従事。やむを得ずMSが必要な場合でも、活動の露出を抑えるために地上に隠匿して配備した機体と宇宙で使用する機体を分けて運用し、ガンダム以外に改造したフラッグ等も使用していた。しかし、地球圏へのELS劇場版の用語を参照)の襲来により、イオリア計画にある“来るべき対話”の時が訪れたと考え、表舞台での活動を開始する。組織の意味は「天の存在」。秘密結社としてフリーメイソンとの相関性に言及した資料もみられる[22]ユニオン正式名称は「太陽エネルギーと自由国家の連合 (Union of Solar Energy and Free Nations)」[23]。世界経済連合とも呼称される。大統領を元首とする共和制。大統領官邸はワシントンD.C.にある旧ホワイトハウスの敷地内にあり、同時にユニオン最高議会の議事堂としても機能している。主にアメリカ合衆国、南米各国、オセアニアの国々で構成されている。日本も、「経済特区」(中国に実在するものとは別)としてこの傘下にある。三大勢力では最も早く軌道エレベーターの実用化に成功し、「タワー」という名称で南アメリカアマゾン川上流域に設置されている。AEU正式名称は「新ヨーロッパ共同体[24] (Advanced European Union)[23]」。元首は存在せず、各国代表による協議制によって政策が行われているが、それぞれが自国の国益を優先しているため、意見が一致しないことが多く、他の超大国と比べ、政策などが遅れている[25]。ゆえに、アフリカヴィクトリア湖西方にある、軌道エレベーター「ラ・トゥール」も建設が遅れている。『2nd』ではこの軌道エレベーターが完成して「アフリカタワー」と改名されているが、アロウズによる「ブレイク・ピラー」事件において半壊した。人類革新連盟通称「人革連」。英名は「Human Reform League」。中国ロシアのアジア部分、他の旧共産圏インドなどを中心に国家主席を元首とした連合国家群。ユーラシア大陸の国々から形成される。なお、ロシアのヨーロッパ部分は「モスクワ」として独立し、AEUに加盟している。ソロモン諸島北方の海上に設置されている、軌道エレベーターの「天柱」はすでに運用されているが、技術面ではユニオンやAEUにやや遅れを取っている。アザディスタン王国中東にある新興国の1つ。過去に、主人公である刹那の出身国クルジス共和国を武力併合している。他の中東諸国と同様に、化石燃料に依存していたため、各国家群のように太陽光エネルギーの恩恵を受けられず、困窮している。さらに国内では国教の解釈の違いによる保守派と改革派の対立によってテロが頻発している。『2nd』では国家の困窮が拍車を掛けており、さらには一度国土を焦土化され解体されてしまうが、イノベイター勢力との決戦後には国土の復興が行われている。小説版では石油輸出産業が隆盛を誇った時代は豊かであり、首都の夜景も美しかったことから観光客も多く訪れていた。クルジス共和国中東にかつて存在した国家で、刹那の故国。西暦2301年に隣国アザディスタン王国との戦争で敗北し、滅亡。国土全土を吸収された過去を持つ。アザディスタンとの戦争末期では絶望的な戦局に陥っており、国土は荒廃。少年兵等による特攻まで行われており、刹那もサーシェスに唆される形で戦争に参加していた。小説版では旧クルジス系の住民はアザディスタン国内で差別されているが、国籍を問われると胸を張って「クルジス」と答えるとされている。ただし、このようなクルジス人は基本的にアザディスタンに対して敵意を持つ。モラリア共和国ヨーロッパ南部に位置する小国。西暦2284年に建国された新興国であり、人口は18万人。国内には300万人の外国人労働者が居住し、約4000社の民間企業を有するが、そのうちの2割がPMC(民間軍事会社)であり、戦争と軍隊派遣を主産業にしている。CBの武力介入により世界中で戦争・紛争が縮小されたことで経済危機に直面し、AEUをバックに合同軍事演習を実行した。モラリア軍、PMCトラスト、AEU軍の130機が参加した大規模演習でCBの襲撃を受け、非常事態宣言発令から僅か5時間で半数以上のモビルスーツを撃墜され、無条件降伏まで追い込まれてしまった。しかし、元々AEUとは利害関係にあり、協力体制を維持することとなった。外伝では地球連邦政府設立後にPMCトラスト解散に反対した傭兵達が反乱を起こしているが、地球連邦軍の擬似太陽炉搭載機に鎮圧されている。国土は現在のモナコ公国と同一領域である。地球連邦『2nd』から登場。西暦2308年に起きたCBと国連軍の決戦の後に、ユニオン・AEU・人革連・その他の国連加盟国を統合して誕生した全地球規模の国家。三大勢力がそれぞれ所有していた3基の軌道エレベーターを全て管理し、擬似太陽炉をはじめとした最新鋭の技術を独占している。世界統一と平和維持を目的とした「地球連邦平和維持軍」のほか、西暦2310年に起こった大規模テロをきっかけとして、身柄拘束や尋問・処刑などが許可された超法規的機関の、独立治安維持部隊「アロウズ」が編成されている。イノベイター勢力との決戦後には、アロウズは解体された。なお、『2nd』ではアザディスタンやスイールといった中東の国家の多くが連邦には加盟していない。小説版では設立時に中東諸国家に対しても地球連邦加盟を勧告したが、太陽光発電エネルギー供給条件として石油産業の引き渡しを求めたため、大きく存在意義を失ったとしても国家財政の主要産業を抑えられることに中東各国は大反発し、不参加となった。最終決戦後はヴェータをソレスタルビーイングに抑えられてしまった結果、アロウズが行ってきた虐殺の数々やブレイクピラーの真実も全世界に露見してしまう。敵対勢力はおろか連邦市民にすら激しくバッシングされ、地球連邦初代大統領を含む全閣僚がリコールされるという事態に陥り、連邦政府の政策が一気に転換されることになる。カタロン『2nd』から登場する反連邦組織。連邦の一方的な弾圧に反発して世界各地で戦いを続けているが、戦力は太陽炉を搭載していない旧世代のMSのため、擬似太陽炉搭載機を多数所有する連邦には、常に劣勢を強いられている。イノベイター勢力との決戦後には解散。一部のメンバーは新たに政党を結成し、少数派の立場を訴える政治姿勢を主張している。スイール王国『2nd』から登場する中東国家。世界随一の情報産業とレアメタルの発掘で経済を支えている中東一豊かな国家で、中東諸国に対して強い影響力を持つ。地球連邦政府もその国力を軽視しておらず、スイールが反連邦の立場を明確に示せば、中東諸国が追随することは必須であるため、強く警戒していた。カタロンと手を結ぼうとする動きを見せていたが、独立治安維持部隊「アロウズ」による「メメントモリ」1号基の攻撃を受けて、国王のいた王宮共々、首都を吹き飛ばされて滅亡した。小説版ではこの攻撃で200万人の犠牲者が出たとされる。リチエラ王国『2nd』から登場する中東国家。独立治安維持部隊「アロウズ」による「メメントモリ」1号基、第2射の攻撃を受けて、国内の軍事基地を破壊される。その際には基地周辺の100万人規模の難民キャンプも巻き添えになっている。

兵器関連

GNドライヴ(ジーエヌドライヴ)GUNDAM NUCLEUS DRIVE(ガンダムの中核のドライヴ)」[26]の略称で通称「太陽炉」。ガンダムの根幹を成す動力機関。GN粒子を発生させることにより、エネルギーを半永久的に得ることができる[27]。このドライヴから生成されるGN粒子は淡い緑をしており、これを搭載したガンダムのビーム兵器はピンク色の光を放つ。このエネルギー機関の開発には木星のような高重力下の環境が必要であり[27]、製造には莫大な時間を要する[27]。小説版では製造作業に約20年、製造可能な環境に至るまでの航行時間を含めれば約40年かかっていることが明記されている[28]。『1st』開始時点において稼働しているGNドライヴは、主人公たちプトレマイオスチームで運用されている第3世代のガンダムに搭載された4基と、武力介入のためのサポートチーム「フェレシュテ」で運用されているガンダムに搭載された1基の、計5基[29]。最初に作られた5基のドライヴは木星探査計画に偽装し開発が進められた。完成後は技術を秘匿するため、開発に携わったクルーがすべて抹殺されるとともに開発データも抹消されている[28]。『1st』の最終決戦後は、プトレマイオスクルーがガンダムデュナメスとガンダムヴァーチェ(ガンダムナドレ)のドライヴを回収し、フェレシュテがガンダムキュリオスのドライヴを回収[30]。『2nd』ではフェレシュテ所有のドライヴはプトレマイオスチームに譲渡され、刹那の合流もあって現存するGNドライヴ5基は全てプトレマイオスチームの新世代ガンダムに搭載されている。GNドライヴ[T](擬似太陽炉)の登場以降は、差別化のために「オリジナルのGNドライヴ」と呼称することもある。なお疑似太陽炉によりツインドライヴシステムまで手に入れていたリボンズですら最後までオリジナルの太陽炉に執着し、それさえあればイオリア計画の体現者、またそれすらを超越した存在になりうるとまで発言している。『2nd』終盤においてダブルオーのツインドライヴに使用されていた2基とセラフィムガンダムに搭載されていた1基の計3基のドライヴが大破、喪失。それを受けて『劇場版』までの2年間の間に、ダブルオークアンタのツインドライヴ用に最初から同調を踏まえ調整された新型ドライヴが木星で2基新造されている[31]GNドライヴ[T](ジーエヌドライヴ タウ)「疑似太陽炉」とも呼ばれる[注 10]。ガンダムスローネ及び国連軍に提供されたジンクスシリーズ、その後継MSの他に連邦軍やアロウズの艦艇[注 11]、イノベイター勢力の機体などに使われている動力機関。電気をGN粒子に変える変換炉に位置付けられる[27]。基本的にオリジナルのGNドライヴとほぼ同等の性能を持ちながら、地球圏での生産と量産が可能[27]。しかし、そのためにオリジナルのGNドライヴとは構造的相違点が存在し、いったん稼働を停止すると再稼働に始動機(スターター)が必要となっている他、ドライヴの稼働には外部からの電力供給を必要とするため、定期的な再チャージが必要となり活動時間に制限がある[27]。生成されるGN粒子も相違があり、常時はオリジナルと同様に無害だが、武装用に高濃度圧縮すると生体細胞に障害を起こす毒性を持つ[27][注 12]。放出されるGN粒子の色や搭載機のビーム兵器の色は真紅色である。『2nd』までの4年間の間に国連軍の手により解析、改良が為されたことで性能は格段に向上し、GN粒子の色と搭載機のビーム兵器の色は赤みを帯びたオレンジ色に変わっている。GN粒子の毒性については、なくなったと解説する資料[34][35][36]と、そのままであると解説する資料[37]があり、劇中でも言及されておらずはっきりしていない。この改良型の開発により国連軍はそれまで所有していた初期型のドライヴを破棄したが[34]、アルケーガンダム及び4年前から残存するガンダムスローネドライは初期型のドライヴを搭載している。広義の「GNドライヴ」を指す場合にはこの「GNドライヴ[T]」も含まれた表現がされることも少なくない[注 13]。また、セカンドシーズンの時代においては改良が加えられ、イノベイド用の機体に搭載された疑似太陽炉はオリジナルの太陽炉に迫る性能となっている[38]。なお量産が可能な為、外宇宙航行母艦であるソレスタルビーイング号の主砲では60基もの同疑似太陽炉をカートリッジとして使い捨てにして高出力を得ている。『1st』『2nd』『劇場版』では量産が可能という特徴からMSサイズなら1基以上、MAサイズだとそれ以上の数を搭載した機体が度々登場する。GNドライヴ[T]は、アレハンドロの先祖らからなるCB離反組が機密保持のために破棄された木星のCB施設より回収したデータ(ハロの内部に存在した)を基に作り上げた代物である[39]トポロジカル・ディフェクト(位相欠陥太陽炉のコアパーツにして燃料を燃やす永久に消えることのない「火」とも言うべき現象。オリジナルの太陽炉が半永久機関であるのはこれを起こす物質を内部に組み込んでいることが理由である。粒子加速器[注 14]で加速した高エネルギー状態のトポロジカル・ディフェクトを木星中心部に撃ち込み、木星の高重力下で相転移直前の状態まで活性化し、活性化した位相欠陥の場からGN粒子を永久的に放出し始めるようになる。これを回収し、状態を崩壊させてしまわないように特殊な器(TDブランケット)に封印し、粒子制御能力を付加したものが太陽炉である[40]。『劇場版』で当初40年近くかかるとされた製造期間が2年間という短期間ですんだのは、トランザムにより木星までの往復時間が格段に短くなり、以前の製造施設や開発ノウハウを利用できたためである。[要出典]GN粒子(ジーエヌりゅうし)太陽炉や擬似太陽炉から生成される粒子。その正体は光子の亜種であり、原初粒子である[40]。原初の粒子だけあって、状態によって多様な効果を発揮する。機体の推進力や姿勢制御に使われ、周囲に散布することによって電波通信やレーダー機器を妨害する効果を発揮[27]。圧縮して射出することでビーム兵器として火器にも転用可能で[27]、 このビームは運用火器次第で地上から大気圏越しの精密射撃や、曲射攻撃も可能[注 15]。さらにGNコンデンサーに使われる物質を利用することで、GN粒子を瞬時に熱変換し攻撃する対象物に熱移動を行うことが可能な実体剣を作ることも可能としている[41]。炸薬として弾頭内に高圧縮したGN粒子を詰め、ターゲットに撃ち込んだ後に粒子を放出することで敵機を内部から膨張させて破壊する「GNミサイル」という武装も開発されている[42]。光子であるものの拳銃の弾丸に込めることもできるため、対人戦闘でも使える[33]。この粒子を装甲に付加することで対ビームコーティングの役割を果たすほか、直撃した実弾兵器を磁気化して攻撃を逸らすことも可能[43]、質量操作にも使用されている[44]。このGN粒子を高圧縮し、対流させることでバリアのように固定する機能を「GNフィールド」と呼ぶ[45]。オリジナルの太陽炉から生成されたGN粒子は脳量子波の伝達にも影響し、『2nd』作中ではダブルオーライザーのトランザム発動時には高濃度の粒子が空間に満ちることによって、通常の人間にも脳量子波による交信が可能となった。また、純粋種のイノベイターの脳量子波と同調したツインドライヴによって純度を増したGN粒子は人体にも影響を及ぼし、悪性のGN粒子に侵された人間の体を回復させたり、人類をイノベイターへと進化させる力も秘めている[46]。なお『2nd』以降はGN粒子攪乱幕も開発され、作中ではこれを拡散させることでその領域内でのGN粒子の効果を減退させたほか、機体表面やGNフィールドの防御力が極度に低下し、非GN兵器でも破壊が可能になる他、粒子を放出するビーム兵器やGNフィールドの効力も劇的に低下す場面も見られた[47]ツインドライヴシステム(Twin Drive System)二基のGNドライヴを同調させることで、粒子生産量を二乗化させるシステム[48]。元々は第2世代ガンダムの頃に搭載が検討されるも技術的限界など様々な要因から導入は見送られ[49][注 16]、量子演算型処理システム「ヴェーダ」の中に秘匿されていたトランザムシステムと共に基礎理論のデータがソレスタルビーイングにもたらされた事が開発の大きな契機となった。しかしそれは未来の化学水準を見越した上での技術提案であり、実際の完成はCBの技術力に委ねられた。第4世代機のダブルオーガンダムに実装されるが、保有する全てのGNドライヴの組み合わせを試しても相性よく稼動するものはなく同調率を高めていくとインスタビリティが発生して失敗に終わっていた。当初は粒子同調率が80%以上あれば一応は同調に成功と想定され、刹那がソレスタルビーイングに戻った事でシミュレーションでの相性が最も良かった0ガンダムとエクシアのGNドライヴでの起動実験が試みられたが、最も高い同調率は弾き出すも同様の結果であった。危機迫る状況において刹那はトランザムで強制的に起動をかけ成功させる。ただしその方法も一歩間違えればGNドライヴが暴走し爆発する危険性のある行為だった[51]。二乗化の開始には僅かなタイムタグが生じ、最初は失敗と思われたが無事に当システムの起動に成功したダブルオーガンダムはその凄まじい機体性能で地球連邦軍のモビルスーツはおろか、アロウズの最新モビルスーツすらも圧倒し始める。ただし設計者のイアンによれば、まだまだ理想とする安定性は得られておらず、刹那にトランザムの使用を禁じていたが、その心配は的中し、再度の使用時には負荷がかかり過ぎて戦闘中にオーバーロードを起こし、あわや撃墜寸前の危機を迎える。やはり虎の子のトランザムが使用できないのでは、そのポテンシャルを発揮できているとは言えない状態であった。しかし物語後半には解析が進み、制御ユニット「オーライザー」によって完全にコントロール下に置くことに成功、それにより不安定だったツインドライヴ自体も遂に安定して稼動出来るようになる。完成されたツインドライヴシステムにおけるトランザムは通常の7倍以上の粒子放出という理論値以上のGN粒子を生産・放出したため、その当時ですら制御不可能な代物であり開発者であるイアン達を驚愕させた。以降はダブルオーガンダムとオーライザーがドッキングした状態をダブルオーライザーと呼称し「ガンダムを超越したもの」という意図で、ガンダムの名称が取り除かれる[52]。またトランザム中のダブルオーライザーは別次元の機体となることから「トランザムライザー」と呼ばれ[53]、機体の量子化や付近の宙域では意識の共有が起きる。これは脳量子波の有無に関係なく発生する現象で、言葉ではない「対話」を実現させるなどの本来、開発者のイアン達が想定していない超常的な現象を次々に引き起こした[54]。また消滅していたと思われたハレルヤの意識を目覚めさせるきっかけともなる。さらにリボンズ達との最終決戦で仲間達の危機を察知した刹那の意志に呼応するように「トランザムバースト」(モニターには「TRANS-AM BURST」と表示)と呼ばれる隠された真のシステムが発動する。これは純粋種のイノベイターの放つ脳量子波がツインドライヴと連動、純度を増したGN粒子が人々の意識を拡張させるもので、その刹那自身も完全なる進化を遂げた証となる。これによりイノベイター(イノベイド)の脳量子波はかき乱され(この瞬間にリボンズのヴェーダとのリンクが一瞬断たれ、それによりティエリア/リジェネがヴェーダの奪還を果たす)、さらにモビルスーツを吹き飛ばすなど物理的な影響が出るほどの粒子量を発生させた。また意識共有の深度も高まり、本当の意味でお互いを理解する「対話」を可能とした。なお、その際にはGN粒子が虹色の光を放ち、この状態のGN粒子を浴びたものは毒性を持ったGN粒子による細胞異常を回復させる効果をも併せ持つ[55]。また、ハレルヤも完全復活を果たした。『劇場版』にて登場するデカルト・シャーマンは、トランザムバーストの影響を受けてイノベイターへと覚醒している[56]。劇場版では、ツインドライヴ専用に調整されたGNドライヴ2基が新規に製造され、オーライザーのような制御ユニットを外付けする事なく安定して使えるようになっている[31]。同劇場版では粒子貯蔵タンクの改良によりダブルオーライザー(粒子貯蔵タンク型)でのトランザムバーストも行ったが貯蔵量の制約から使用時間は限られた。なお『2nd』ではイノベイター(イノベイド)により疑似太陽炉2基を用いたツインドライヴシステムもリボーンズガンダムに搭載されている[注 17]トランザムシステム (TRANS-AM)オリジナルの太陽炉の解析不可領域(ブラックボックス)に予め組み込まれていたシステム。機体内部に蓄積されていた高濃度圧縮粒子を全面開放することで、機体の性能を向上させ、一定時間スペックの3倍以上に相当する出力を得ることができる[59]。しかし、第三世代のガンダムはこの粒子を全面開放するシステムに最適化された設計でなかったため、使用後は貯蔵粒子を使い切り再チャージまで機体性能が大幅に低下する諸刃の剣でもあった[59]。ヴェーダが掌握され、それに悪意があることが検知されたとき開示されるように仕込まれている。トランザム発動後の機体は赤く発光し移動によって残像を発生させるが、これはGN粒子の赤色化と量の増大によるものである[60]。このトランザムの発光現象は「オーロラルミネセンス」と呼ばれるものであり、大気中のプラズマによって発生するオーロラの現象と太陽炉と呼ばれるGNドライヴ、そして北欧神話の女神ワルキューレの鎧からその名を冠されている[61]。トランザムには三段階の状態に区分され、GNドライヴがグリーンに発光した状態では「イグニッション」、機体各部のコードが発光した状態は「ローディング」、最終的に全身が発光した状態は「フルパーティクル」と呼ばれる[61]。『1st』終盤の国連軍との戦闘では、戦力に大きな差がありながらも、CBの各ガンダムはトランザムを使って互角以上に戦った。『2nd』に登場する第4世代型ガンダム以降はこのシステムの使用を前提に設計されているため、任意での途中解除が可能でごく短時間の使用も行えるようになった。無理に全ての粒子を使い切る訳ではなく、機体活動を極端に鈍らせない程度の粒子残量を残すことで限界時間到達後の性能低下が抑えられている[62]。また『2nd』に登場するプトレマイオス2はガンダムを積載した状態[63]、ガンダム非搭載で短時間のトランザムが可能となっている[64]。エクシアリペアIVでは左腕に開発中の第6世代機の技術を先行して導入しており、斬撃の瞬間だけトランザムを発動させて斬撃速度と威力を飛躍的に向上させつつ、粒子使用量の効率化を図っている。CB以外の機体ではマスラオ及びスサノオが連邦側の独自解析によるトランザムシステムを搭載。ただしトランザム終了後は負荷により擬似太陽炉は使用不能になる[65]。そのため帰還用の粒子は別途GNコンデンサーにプールし備えている[65][66][注 18]。また、イノベイター勢力はCBからデータを直に手に入れ『2nd』終盤には自分達の専用機(ガデッサ、ガラッゾ、リボーンズガンダム)に搭載。トランザム使用後には擬似太陽炉が稼働不可能になるデメリットは依然存在し、太陽炉の交換が必要となる[67][注 19]。また量産型MSのガガはトランザムの超加速を武器とした特攻兵器として割り切っている。『劇場版』においてはジンクスIVやブレイヴといった一般量産機のほか、ナイル級大型航宙戦艦やバージニア級試験特務艦といった連邦軍の艦船もトランザムの使用が可能となっている。最終防衛戦では機体やパイロットの侵食を行うELSに対して、MSはトランザム状態の擬似太陽炉をオーバーロードさせることにより自爆するという苦肉の策も使用した[69]。当初は機体各部のGN粒子供給コード部のみが赤色に発光すると告知されていたが[70]、ファーストシーズン第22話本放送以降は全身が赤色に変化する描写へと変更されている。監督である水島精二はインタビューに際し、引き絵の演出の際にコードだけの変色ではトランザムへの変化が解り辛かったため、最終撮影の際に全身赤色に変色するよう改変したと語っている[71]トライアルシステム主にガンダムプルトーネの系列機に搭載されている特殊システム。この機能を使用すると、有効範囲の中のヴェーダとリンクする機体全てを制御下に置くことができる。これは、イオリアが計画の崩壊を防ぐために用意した一種のカウンターで、メインターゲットである対ガンダム戦では圧倒的な優位を生み出すことが可能である[72]。『1st』では、ナドレがこれを使用し、一時的にチームトリニティが所有するガンダムスローネを制御下に置いた。『2nd』では、ナドレの後継機であるセラフィムが、このシステムの有効範囲を大幅に拡張させたトライアルフィールドを展開可能で[73]、終盤でこれを使用して、リボーンズガンダムを除くイノベイター勢力の全ての機体を制御下に置いた。このシステムを行使する権限を持つのは一部の限られたイノベイドのマイスターのみであり、さらにその中でもアクセス権には序列が存在する。作中の登場人物の中ではリボンズ、ティエリア、外伝のマイスター874(ハナヨ)が該当することが確認されている。また、システムの特性上同時に複数個所で使用することはできず、発動中に別の場所でより高位のアクセス権を持つ者がシステムを使用した場合、それまで使用されていたシステムは強制解除される[74]Eカーボン(イーカーボン)ガンダム及び、各国家群の最新鋭MSの装甲や武装、軌道エレベーターの建材などに用いられている、最新の炭素素材[75]カーボンナノチューブの数十倍の引っ張り強度を持つとされている[75]。ファーストシーズンでセイロン島(現在のスリランカ)の民族紛争に武力介入し、キュリオスが武装コンテナを放棄した際、人革連が初めてCB製MSの素材を回収することに成功するが、最新素材ではあるものの自分らも使っているEカーボンであり、これといって目新しい物ではないことを知って意外そうにするシーンがある。ただCB製Eカーボンは各国家群が使用するものと比べて洗練された素材を採用しており、また太陽炉を搭載しているMSやMAはEカーボン表面にGN粒子をコーティングすることにより、さらに防御性能が高められている。それがガンダムの防御力を一層高めている[27]ダブルドライヴシステム『機動戦士ガンダム00 Revealed Chronicle』に登場する第4世代機開発以前に考案された新技術。機体背面に装着されるGNデヴァイズパック内に装備したGNドライヴと本体の太陽炉を直結させる事で出力の強化を行う事が狙いだったが、粒子供給量の向上はあくまで太陽炉の個数から導ける二倍程度に留まり、ツインドライヴとは似て非なるシステムで粒子生産量を二乗化するほどの画期的な性能は発揮できなかった。結果としてツインドライヴが完成に至るまでの過程において試され消えていったミッシングリンクと呼ぶべきものであった。オリジナルの太陽炉の製造には長い年月が必要とされ追加供給は困難で、他機の太陽炉を移植すれば一方が戦力ダウンとなり戦力バランスが崩れるため現実的な課題が多く、当初は粒子長蔵タンクに置き換える事で試験的に開発された試作武装と共にテスト運用された[50]。さらにこのダブルドライヴの搭載を前提として新規設計されたエクシアとダブルオーガンダムとの間に位置する左右非対称の第4世代に属する新ガンダムの試作も進められたとされる。なお2基の太陽炉を搭載した機体として、マスラオ、スナノオ、ブレイヴ(指揮官機)が登場しており、資料によってはこれをダブルドライヴと表記するものもある[76]。『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』においては、直結型の太陽炉を採用した機体としてガデラーザ(3基直結型x2)が登場し、ダブルオークアンタのクアンタムバースト発動時でも2基の太陽炉を直結させて出力を上げている。

その他の用語

超兵人革連が秘密裏に創設した研究機関「超人機関技術研究所」(後に閉鎖)にて人体改造や実験を受け、人為的に脳量子波が使用可能となった人間を指す。人革連のピーリス(マリー)や、ガンダムマイスターのアレルヤがこれにあたる。なお、人革連は超兵開発を行うにあたり、戦闘行為で機関が破壊され、超兵開発が発覚すれば世界からの非難を浴びてしまうことになるため、コロニー内での戦闘行為の禁止という国際条約を悪用して「超人機関技術研究所」をスペースコロニー内に置いていた。『劇場版』における西暦2314年以降は純粋種たる「イノベイター」の出現によって、それを模倣した「擬似イノベイター」製造の技術として利用された。脳量子波超兵やイノベイド、または純粋種のイノベイターとして覚醒した刹那などが扱うことができる特殊な脳波。脳量子波を発生させることで、人が持っている空間認識能力・攻撃回避能力・反射能力などが高くなり、高い戦闘力を得ることができる。脳量子波を強めて使っているからかイノベイターもイノベイドも眼の虹彩が金属的な輝きを放つ。超兵に付加されている脳量子波は不完全のため、他の超兵との共鳴や干渉などの弊害も併せ持つ。一方、イノベイドは思考を通信として送ることができ、GN粒子を触媒とした脳量子波を用いて、ヴェーダや同タイプのイノベイドと直接リンクしたり、他タイプのイノベイドと間接リンクすることで、イオリアが立てた計画を推進している。なお、『劇場版』に登場するELSは、脳量子波を使ってコミュニケーションを取る能力があり、それ故にイノベイターや超兵など、高い脳量子波を発する者に惹き付けられていた。また、膨大な思考情報量故に、彼らの脳量子波による“叫び”は脳量子波を有する人間に激しい苦痛をもたらしている。特殊なパイロットスーツ(ピーリスやデカルトのもの)を着用したり、遮断施設へと避難することにより、脳量子波の干渉を防ぐことは可能である。ただし、アレルヤはもう1人の自分であるハレルヤの力により自他共に脳量子波を遮断することが可能である。イノベイド計画遂行のためにヴェーダによって生み出された人造人間であり生体端末。ガンダムマイスターなどの計画の重要任務をこなすために造られた「マイスタータイプ」と、ヴェーダが世界中の情報を収集するために生み出した「情報タイプ」が存在する。イノベイドは基本的に全て中性(=無性)であり[12]「マイスタータイプ」はその用途から身体能力が高めに設定されている。計画に大きく関わるこのタイプは情報タイプに比べれば数が少なく、自身がイノベイドであることも自覚している。逆に「情報タイプ」は世界中に数万人存在し、肉体的にもほぼ常人と変わらない能力に設定されている。そのほとんどが自身を人間ではないと知らないまま社会に溶け込み暮らすため、自分が人間ではないことに気付かせぬよう[77]アニューのように有性として製造されている。情報タイプは世界中に派遣され、10年から15年ほどで「帰還」しヴェーダによって新しい人格や記憶を与えられて社会に戻るという行為を繰り返す。しかし中にはまれに「前世」の記憶を夢に見たり、かつて関係のあった相手に懐かしさを感じたりと完全ではないケースがある。情報タイプのイノベイドもヴェーダからのミッションによって途中で自分がイノベイドであることに「覚醒」させられ、エージェントやガンダムマイスターとして働く例が登場している。性別や世代ごとに多数存在し、子供のイノベイドの場合は家族全員がイノベイドで構成される。子供の場合は成長による変化が著しいため、早くて5年、長くとも10年で帰還することになる。イノベイドの肉体はヒトの遺伝子から合成された60兆を超える疑似細胞とナノマシンを1粒1粒ブロックを詰むように組み立てて構成されるため、人体として組み上がった時点で設定年齢の姿である。その肉体に、ヴェーダ内で造られた人格と記憶がインストールされる。いくつかの遺伝子データからタイプ別に分けられており、上記のように同じ容姿を持つ者が多数存在している[78]。『2nd』最終話ラストの群集シーンでは、本編に登場したイノベイドの面影を持つキャラクターが何人か登場している[79]。イノベイドの肉体を構成する合成細胞は自力での新陳代謝が行えないため、細胞を完全に再構成するナノマシンが組み込まれており、その副次的効果で肉体的に「老化(成長)」しないという特徴を持つ。このナノマシンは通常は機能を制限された状態で活動しているが、特殊な起動コマンドを入力することで再生能力の大幅な上昇が行える。タイプやその中での使途ごとに個体の能力に差異はあるが、本来イノベイドの能力はリミッターで制限されていて、必要に応じて解除される。老化しないという特性上、「不慮の死の経験」は貴重な情報として死亡寸前に人格データがヴェーダにバックアップされる。『2nd』において新しい肉体で蘇ったリボンズ、のちにリボンズからヴェーダを奪還し掌握・同化したティエリアはヴェーダの中に人格データが自己を保ったまま入ることができたが、これはいわばヴェーダのホスト権を持つものだけにできることであり、誰しもがそのようにしてヴェーダに入れるわけではなく、精神データを新たな肉体に移すなどして生き延びることができるわけでもない[80]。ヴェーダもしくはヴェーダを掌握する者の判断で新しい肉体を得て蘇ることが可能であるとされ、『劇場版』ではティエリアが新しい肉体で登場している。イノベイター純粋種」とも呼ばれ、将来的に現れるであろうことをイオリアが予見していた、進化した人類を指す。『2nd』では、リボンズが率いる一部のイノベイドが自分達のことを「イノベイター」と称していた。超兵やイノベイドを凌駕する強力な脳量子波や驚異的な空間認識能力等を持ち、細胞の活性化によって常人の倍近い寿命を持つために老化速度も遅く、50年なら25歳年を取る[81]。『2nd』の終盤で刹那が人類で初めてイノベイターに覚醒。刹那はツインドライヴシステムの放つGN粒子の影響を受けて、『劇場版』に登場するデカルトはダブルオーライザーの「トランザムバースト」の影響で覚醒を果たした。『劇場版』では世界各地でこのイノベイターとして覚醒する可能性のある人々が増大しており、連邦政府もインフラ整備に奔走。連邦軍では後に現れるであろう彼ら純粋種の驚異的な能力を軍事利用すべくデカルトを実験材料として、イノベイター専用機の開発をしていた。ELS襲来以降にはイノベイターとして覚醒する人間が次々と現れていったが、やはり旧人類との能力差によって溝ができてしまい、さらに偶然[注 20]にもELSが現れたタイミングと時を同じくして覚醒者が増大したことや、ELSとの共生に成功したハイブリッド・イノベイターが誕生したために「ELS感染者」という差別思想が生まれ、人類が統合するために起きた最後の戦争の火種ともなった。『劇場版』エピローグで描かれた西暦2364年には人類の4割ほどがイノベイターとして覚醒しており、人類はさまざまな問題をクリアしていると語られている。ハイブリッド・イノベイターイノベイターとなりうる因子を持っていたことでELSの浸食を受けた者達のなかで、ELSの膨大な情報を受け流すことで死を免れ、刹那が行った相互理解により共生することができた者たち。浸食された部位はELSによって元の姿や服装なども再現可能で、イノベイターとして覚醒しているだけでなく老化の速度がさらにゆるやかになっている。ヴェーダCBの計画の根幹をなす演算処理システム。CBはこのシステムが推奨するプランを参考にミッションを遂行している。内部に蓄積されているデータには情報の重要性に基づいた7段階のレベル分けがなされており、ガンダムマイスターやオリジナルの太陽炉のデータ、ナドレのトライアルシステムの制御機能など、計画の遂行に大きく影響する情報はレベル7とされている。この中でもオリジナルの太陽炉の開発データは秘匿領域であり、リボンズも知ることができない。領域毎に厳しいアクセス制限が設けられており、プトレマイオスチームの実質的リーダーであるスメラギはレベル4、監視者達はレベル3、レベル7にアクセスするにはヴェーダの許可が必要であるなど立場によって閲覧できる情報領域が設定されている。『1st』終盤でアレハンドロとリボンズによってレベル7まで掌握されてしまうが、その際にイオリアの残したシステムトラップにより、ガンダムマイスターの情報とオリジナルの太陽炉の所在がヴェーダ側からはアクセスできない状態にされた。そのため、ヴェーダと連動している連邦のコンピュータネットワークではガンダムマイスターはあらゆる個人情報を抹消された、「存在しない人間」として扱われている[78]。通常ヴェーダへの特殊なアクセスを許可されている人物は、計画遂行のために生み出されたイノベイドだけである。中でもリボンズはホスト権にあたる掌握権を持っており、『2nd』の終盤でティエリアがこれを奪還しヴェーダと同化を果たした[82]。当初、その本体であるメインターミナルは月の裏側に設置されていたが、リボンズによる掌握後計画と並行して建造されていたソレスタルビーイング号内の予備ターミナルに、内部データを移設された。放棄されたメインターミナルはフォン・スパークがエウクレイデス内に回収。再起動に成功したものの、蓄積データは失われていたが、以後のヴェーダに挙げられる情報は同様にアップされている。ヴェーダを奪還した際にティエリアがヴェーダの最深部にある秘匿領域にアクセスが可能になり、そこに隠されていたオリジナルの太陽炉の全データをプトレマイオスチームに餞別として送ったことから、『劇場版』では2年の歳月で2基の新型太陽炉が誕生した[83]。『劇場版』では計画の第二段階として人類への協力を開始[83]、あえてソレスタルビーイング号と共に連邦政府及び連邦軍の共同管理下に置かれている。基本的にはCBの所有となっているが連邦側にも協力している。CBの動向は浅い眠りについていたティエリアによってシャットアウトされており[84]、連邦には知られていない。終盤ではティエリアを介して刹那とリンクし、ELSから彼に送られてくる膨大な情報を制御し、人類とELSの対話を成功に導いた。前述の通り、ソレスタルビーイングの創設に世界の有力者が関わっていたことから、「00」の世界に存在するあらゆるコンピュータ機器にはヴェーダの端末が入っており、監視下に置かれている。また、ヴェーダは分散型ネットワークであるため、月や宇宙船ソレスタルビーイング号にあるコンピュータが破壊されたとしても、別のホストコンピュータにメインを移すことができる[12]軌道エレベーター地球の赤道上に建設された超巨大建造物。全高5万kmにも達する人類史上最大の構造物である。高度3万5千km付近に設置された太陽光発電衛星からの電力を地上に送る目的で建設されたもので、化石燃料に代わるエネルギー源となっている。エレベーター本体は地上から伸びているが、地上の土台だけでは巨大な質量を支えられないため、高度1万km付近と3万5千km付近にオービタルリングを設置して安定させているほか、先端にカウンターウェイトの役割を果たすバラスト衛星が取り付けられている。エレベーター内部には電力を送るチューブのほかに、宇宙空間に設置されたステーションと地上を往復するリニアトレインが存在する。観光スポットとしても人気が高く、連日、多くの観光客が地上とステーションを往復している。防護システムとしてデブリの侵入を防ぐ電磁ネットや、デブリが衝突した時の衝撃を吸収するショックアブソーバーがステーションに設置されている。ユニオンの「タワー」、AEUの「ラ・トゥール」、人革連の「天柱」の全部で3基が存在し、それぞれを三大国が管理しているが、『1st』の時点では「ラ・トゥール」のみ未完成であった。『2nd』以降は全て連邦の管理下に置かれ、「ラ・トゥール」は「アフリカタワー」の名称で完成する。何重もの防御措置が取られているものの、その大きさから防衛は困難を極め、構造上の観点からも「ひどく脆い」建造物である。人類共通の財産なので、軌道エレベーター及びオービタルリングへの攻撃は国際条約で厳重に禁止されているが、『2nd』でアロウズは条約を無視してメメントモリ2号基で「アフリカタワー」を攻撃し、「ブレイク・ピラー」事件を引き起こした。また、内部にはCBの秘密工場が極秘裏に設置され、MSの開発と製造を行っている。タワーユニオンが南アメリカアマゾン川上流地域に建造した軌道エレベーター。三大勢力では最も早く完成している。天柱(てんちゅう)人革連がソロモン諸島北方海上に建造した軌道エレベーター。低軌道ステーションには人革連軍特務部隊「頂部」が駐屯している。『1st』開始時で建造から10年を迎え、第1話では記念式典が執り行われていた。ラ・トゥールAEUがアフリカヴィクトリア湖西方に建造していた軌道エレベーター。三大国家群の中では最も建造が遅れており、『1st』開始時ではエネルギー供給は開始されているものの、リニアトレインなどの周辺施設はまだ完成しておらず、本格稼働には至っていないが、『2nd』では「アフリカタワー」の名称で完成している。アロウズによる「ブレイク・ピラー」事件にて甚大な被害を受けるが、事件から4か月後には連邦加盟国の技術支援により送電が再開されている。

スペースコロニー宇宙空間に建造される宇宙都市。今作では開発途上の技術で、登場するのは小型のバナール球型のみである。軌道エレベーター同様、国際条約で戦闘が禁止されているが、人革連はこの条約を逆手に取ってラグランジュ3のコロニー「全球」に超兵の研究施設を設置していたが、『1st』にてキュリオスの介入を受け施設は破壊された。また、建設途中で放棄されたコロニーも存在する。『2nd』では、沙慈が働いていたコロニー「プラウド」や、留美と紅龍が逃げ込み、付近で刹那とブシドーの戦闘が行われたコロニー「エクリプス」などが登場し、領土問題のあるアザディスタンの住民をコロニーに移住させるという計画が立ち上がった。『劇場版』では、コロニー公社により開発が進められているが、裏で不正行為が働かれているなどの黒い噂もあり、マリナら中東使節団が視察を行っていた。太陽光紛争『00』シリーズの背景設定等に存在。外伝作品では「太陽光発電紛争」とも呼称される[85]。それまでエネルギー資源の中心だった石油が大幅な減少を見せ始めた事から、かつてイオリア・シュヘンベルグが提唱した軌道エレベーターと太陽光発電システムに着目。これらは1国で費用を捻出できるものではなかったことからAEU、ユニオン、人類革新連盟といった国家群が成立していったものの、これにかつての産油国等が懐疑的な反応を示し、さらには一部の勢力が反発したことや、石油の輸出規制から太陽光紛争が勃発した[86][注 21]。一方で、『1st』当時の書籍類によっては世界のエネルギー危機や、それを端を発する三大勢力の成立等はソレスタルビーイングの情報操作による誘導が行われており(ただし、これらは監視者等一部の人間しか知らなかった)、また、核技術は紛争時に発生した中東の核関連施設による放射能漏れから排除の動きとなった、これにもソレスタルビーイング関与の可能性が存在し、ヴェーダは小国までも核技術が拡散して核戦争や人類滅亡に発展する事を回避していたとされている。また、『1st』の時代ではエネルギー危機の後は3大国の代理戦争へと突入したため、ヴェーダはソレスタルビーイングの存在を明らかにし、各国へ武力介入。最終的には国連軍を経て世界統一へと至っている

............黒田洋介のバカ

「サードのジェロスっす。う~わ~黒田洋介バカっす?幼稚園児でもわかるっす 表示してくれます?............黒田洋介のバカ」

ソレスタルビーイング[編集]

イオリア・シュヘンベルグによって創設された私設武装組織。「Celestial Being」すなわち「天上人」という意味の名を持つ。メンバーには厳格な守秘義務を課せられており、素性は秘匿され、互いをコードネームで呼び合っている。一般的にキャラクターの名称として扱われるのはこのコードネームの方である[注 1]。また、ガンダムのパイロットは「ガンダムマイスター」と称される。『1st』ではほとんどのメンバーが私服を着用していたが、『2nd』からは統一されたデザインの制服を着用している。

ガンダムマイスター[編集]

刹那・F・セイエイ(せつな・エフ・セイエイ、Setsuna F Seiei) - 宮野真守西墻由香(幼年期)本作の主人公で[2]ガンダムエクシアダブルオーガンダムダブルオークアンタのマイスター[3]。2291年4月7日生まれ。『1st』では16歳。本名はソラン・イブラヒム[4][注 2]。中東クルジス共和国出身[3]。かつてサーシェスに洗脳され、神への信仰のためと信じて両親を殺害し[5]反政府ゲリラ組織「KPSA」の少年兵となる[6]。しかし戦場で神はいないと悟り、信仰に絶望したまま死に瀕するが、その窮地を0ガンダムの武力介入によって救われたという過去を持つ[7]。この経験から「戦争行為の根絶を体現する機体」であると定義されるガンダム[7]を、兵器以上の崇高な存在として捉えており[8]、その存在に神を見出して自分もそのような存在=ガンダムそのものになろうしている[4][2][9]。自分のことを戦うことしかできない破壊者であると定義している[10]一方で、かつて自分を少年兵として育てた、元KPSAの指導者サーシェスのような[6]争いを生み出す存在を敵視し[11]、彼の祖国を滅ぼした国を平和へ導こうとしている皇女マリナとは対話を通じ[12]、自分とは違う方法で同じ平和への願いを抱く人間として、理解を深めていく[10][13]。当初は他者との馴れ合いを嫌い[3]、「ガンダムとなる」ことを気負うあまりトラブルを起こしたり[14][15]、強敵との戦いの中で力及ばず、ガンダムのようになれないことに苦悩することもあったが[12][15]、理想のガンダム像とはほど遠いトリニティとの決別をきっかけに、不仲だったティエリアと義憤を共有し[16]ロックオン(ニール)にも戦争根絶にかける真剣な思いを認められる[17]など、仲間との絆が芽生えていく[4][18]。やがてトリニティの暴走により、市民たちからはCBの存在そのものへの強い憎悪が向けられるが、それでも自分のガンダムに対する思い=紛争根絶のための戦いへの意思を貫き通し、国連軍結成の裏で暗躍していたアレハンドロを「世界の歪み」と断じ、死闘の末に倒す。その直後に突然姿を現したグラハムとの戦いの末に相討ちとなり、エクシアは破壊されるも人知れず生還を果たした。以後4年間に渡って世界を放浪し、アロウズの支配という世界の真実を目の当たりにする。『2nd』では21歳。アロウズにより強制労働を強いられていた沙慈を救出した後、活動を再開していたCBと合流を果たす。その後、ニールの弟であるライルに兄の死を伝えると同時にライルを新たなロックオンとしてCBにスカウトし、同様にCBから離れていたスメラギを強引に連れ戻す。そしてダブルオーの起動に成功するが機体の安定稼働には至らず、トランザムの使用が不可能な状況下でも自分の技量でそれを補いながら戦闘に臨む。イオリアの計画の遂行者を自称しアロウズを操っているとされるイノベイター勢力に対しては[19]、計画のためではなく自らの意思で彼らと戦う決意を仲間に示す[11]。その後、過去に自分を救った0ガンダムのマイスターが、イノベイター勢力を率いる首魁リボンズであること[20]を知るが、戦いだけが全てではない自分を自覚し[21]、変えられない過去ではなく未来のために[18]自分とガンダムを単なる兵器や破壊者ではない存在へと変革することを決意[22]する。リボンズに銃を向けた際にサーシェスに撃たれ、銃弾に込められていたGN粒子の毒性により細胞異常に身体を蝕まれてしまうが、それでも命が尽きる時まで戦い続ける決意を固める。メメントモリ2号基の破壊に当たり、ダブルオーライザーの性能を最大まで引き出すことが求められたことで、沙慈を説得してオーライザーのパイロットとし、以後はルイスの戦いを止めたいと願う沙慈の思いを尊重しながら戦う。やがて、ダブルオーから放出されるGN粒子により、細胞異常からの回復だけでなく脳量子波を操れるようになるなど、徐々に肉体の変革を遂げていく。そして正体を明かしたブシドーとの戦いの末に、高い相互理解能力を持つ進化した人類と定義される「純粋種のイノベイター」への進化を果たす[23]。イノベイター勢力との最終決戦ではダブルオーのトランザムバーストを発動させて人々の意思を結びつけ[24][18]、戦場で敵対する多くの登場人物たちを相互理解へと導く[24]。人類と分かり合うことを拒んだリボンズとの戦いで相討ちとなりダブルオーも破壊されるが、機体をエクシアRIIに乗り換え、同じく0ガンダムへ乗り換えたリボンズとの最後の戦いに勝利する。アロウズ解体後は、CBに留まって紛争の抑止力となって生き続ける役目を自分に課し[25]、宇宙へ旅立つ。『劇場版』では23歳。CBの中心的な立場となっており、「戦闘を止める」ための新型ガンダム、ダブルオークアンタの製造をイアンらに依頼している。一方でイノベイターとなった自分の能力に悩み、それ故に仲間とも一線を置くようになっている。木星探査船に擬態したELSとの初遭遇戦闘ではダブルオーライザー(GN粒子貯蔵タンク型)にて出撃するが、ELSの脳量子波の干渉に苦しみ、戦えずにいたところをCBに合流したラファエルに搭乗したティエリアに助けられる。ELSという未知の存在について考える中、デカルトら連邦軍先遣艦隊の救援に赴いたが、彼らの救出には間に合わず、遭遇したELSにトランザムバーストで対話を試みるも、ELSの膨大な情報量を刹那自身が受け止めきれず、機体ごと取りこまれそうになる。ティエリアの自爆、及びソルブレイヴス隊の援護で危機を脱するが、ELSの強力な脳量子波の干渉で脳細胞に大きな負荷が掛り、昏睡状態に陥ってしまう。地球圏防衛の最終決戦の最中、決死の戦いを続ける仲間達やニール、リヒティ、クリスの幻影に諭され復活し、ELSとの「対話」を行うべく完成したダブルオークアンタに乗り込み、超大型ELSへ向かう。再びヴェーダと一体化したティエリアのサポートとグラハムの特攻によって超大型ELSの内部へ突入し、クアンタムバーストを発動させてELSの真意を知ると、更にELSとの相互理解を深めるために彼らの星へと量子テレポートを行う。この直後、ELSは超大型ELSのあった場所へ集まって巨大な一輪の花へと変化し、浸食を停止する。その後、ELSとの対話を終えてイノベイターとELS両者の特性を併せ持った存在となり、50年後の西暦2364年に地球へ帰還する(年齢でいえば73歳)。そこで老いたマリナと再会を果たし、ここで2人は初めてお互いを理解する。なお、脚本を担当した黒田洋介は刹那について、「自分の思いを達成するために変革を求め、ソレスタルビーイングという言葉の通りに『天上人』になろうとし、それゆえに普通の人から遊離し、孤高の存在となっていくことが刹那のヒーロー性である」と説明している[13]。名前の由来は「刹那・FROM・聖永」。永遠よりも長い時間の中で切り取られた、一瞬よりも短い時間のこと[26]ロックオン・ストラトス(Lockon Stratos)声 - 三木眞一郎アイルランド出身の双子、ディランディ兄弟共通のコードネーム。2284年3月3日生まれ。KPSAの自爆テロにより両親と妹を失った過去を持っている。この項では個別表記する。ニール・ディランディ (Neil Dylandy)ガンダムデュナメスのマイスター。24歳。明るく気さくな青年で、普段は飄々とした態度を取りながらも、多くのクルーから信頼されている。家族を奪ったテロ行為を激しく憎んでおり、テロリズムが関わると落ち着いた雰囲気が崩れ、感情的になることが多々ある。幼少期からスポーツ射撃が得意で好んでいて、その射撃能力を買われてCBへ入団した。射撃や発進の際には「狙い撃つぜ!」という決めゼリフを多用する。自身の射撃能力に絶対的な自信を持ち、稀に射撃を外した時にも「この俺が外しただと?」と発言している。実際に彼が射撃を外すことはかなり少なく戦闘で外したのは対グラハムと対サーシェスのみである。劇中では地表から低軌道まで落下してきたコロニーを撃ち抜く高高度狙撃を成功させるなど、超人じみた狙撃術を披露する。搭乗した機体の特性上接近戦になることが少ないため、「ビームサーベルは使わない」とまで宣言したが、グラハムの駆るフラッグとの交戦で止む無く使用する。しかし、接近戦でガンダムスローネツヴァイと互角以上の戦闘をしていることから、射撃能力以外も極めて高いことが窺える。コードネームの「ロックオン・ストラトス」には「成層圏まで狙い撃つ」という意味があり、この名は後に双子の弟ライルにも託されることとなる。本来は家族を愛する優しい少年であったため、家族を奪ったテロリズムには非常に敏感で、劇中でも自分の行動がテロリズムの引き金になったことには動揺している。また、その時にテロを軽視するような発言をしたティエリアには怒りを露わにしている。特に、少年兵を使った自爆テロで彼の家族を巻き込み、死亡させたアリー・アル・サーシェスには激しい憎悪を向け、彼を「戦いを生み出す権化」と呼び、彼を相手にしたときのみ、命令に背き自身の復讐を優先する。年齢不詳のティエリアを除くガンダムマイスターの中では最年長で、リーダー的存在。暴走の多い刹那のフォローを引き受けたり、ティエリアが精神的に脆いことに気付くなど、苦労しつつも常に仲間を気にかけ、協調性に欠けるメンバー達をまとめ上げていく。特に刹那とは任務で行動を共にすることが多い。アザディスタンにおける任務中にも刹那に対してアドバイスをしている。トリニティによって刹那がKPSAに所属していたことを知った際には銃口を向けるが、彼の戦争根絶への覚悟を聞いて和解する。プトレマイオスクルーのフェルトとは、家族を失ったという境遇が似ていたことから彼女を気にかけ、初めて本名と生い立ちを語る。その時以来彼女からは淡い恋心を寄せられている。国連軍との戦闘の最中に茫然自失となっていたティエリアを庇いデュナメスが大破し右目を負傷、不運なことに利き目を負傷したため、射撃能力が大幅に低下してしまう。その後も周囲からは安静にするように勧められたが、負い目を感じているティエリアを心配してすぐに復帰。以降右目に眼帯をつける。戦力が分断されCBが追い詰められたため周囲の制止を振り切って出撃すぐさま戦場へ出撃。敵本隊へ単身で攻撃中に因縁の相手・サーシェスと対決する。利き目を負傷しているにもかかわらず互角の戦いを見せるも、途中でダリルの特攻により右目が見えない隙を偶然突かれてデュナメスの右腕が破壊され、同時に右目が見えないことを看破したサーシェスに弱点を突かれ機体が大破する。デュナメスをハロに任せて帰還させ、自身は生身で近辺にあったGNアームズのGNキャノンへ向かう。それを使いサーシェス機を破壊したが、相討ちに近い形で吹き飛ばされ、宙を漂流しながら「お前ら...満足か?...こんな世界で...」と言い残し、地球へ向かって射撃のポーズをした後、爆発に巻き込まれ、駆け付けた刹那の前で壮絶な最期を遂げる。ニールの存在がその後の刹那やティエリアに与えた影響は大きく、二人は折につれてニールを思い出している。『劇場版』では、クリスやリヒティと共に、意識不明の刹那の夢の中に現れ、彼を勇気付けている。ライル・ディランディ (Lyle Dylandy)ニールの弟で、ケルディムガンダムガンダムサバーニャのマイスターを務める。29歳。兄の援助の下、AEU領内の大商社で働きつつ[27][注 3]、「ジーン1(ワン)」のコードネームを持つカタロン構成員として活動する。目の前に現れた刹那から、行方不明だった兄がCBのパイロットとして戦死したことを聞き、誘いに従いカタロンへの情報流出の目的でCBに加入し、兄のコードネームを受け継ぐ。容姿はニールとほとんど同じだが、言葉遣いの語尾や煙草を好むなどのささやかな違いがある。また、兄と比較されることを嫌がる一面もあり、兄に対するコンプレックスから少年時代は親元を離れ、寄宿舎に入っている(このため、KPSAの自爆テロを免れている)。その反面、「狙い撃つ」という口癖を真似たり、シミュレーションの結果に対して「兄さんのようにはいかない」と口にしたりと、ニールを尊敬し目標にしている節がある。ニールと違い、家族を奪ったテロに関してはどこか達観したところがあり、サーシェスが家族を殺した張本人であることや、刹那がKPSAの一員だったことを知っても激昂はしていない。フェルトなど一部のメンバー達は、死んだはずのニールと同じ容姿であることに対する戸惑いを隠せなかったが、戦いを通して徐々にメンバー達からの信頼を得ていく。CBに参加したアニューとは恋仲となり、彼女の正体に不審を抱きつつも彼女を操る黒幕やアロウズを倒せば万事解決すると考え、その事実を他のクルーには伏せる。その後、リヴァイヴの脳量子波によりイノベイドとして覚醒したアニューに必死で説得を試みるも、リボンズの脳量子波により完全に自我を失った彼女と互いに銃を向けあう対決を演じた末に[29]死別する。その後はそれまでのテロに対する達観した目線から、兄や家族を奪い、仲間達を悲しませたサーシェスや、アニューの死のきっかけを作ったイノベイド達に対する怒りを感じるようになる。イノベイター勢力との最終決戦ではサーシェスと対峙し、家族を殺された怒りを初めて爆発させる。セラフィムのトライアルフィールド発動により形勢逆転し、停止したアルケーを撃破。MSを捨て、逃亡しようとするサーシェスを追い詰め、自らの手で射殺する。その後の戦闘ではアニューを覚醒させた張本人であるリヴァイヴと対峙し、圧倒的不利の状況で機体を最大限に生かし、ガデッサを撃破する。最終決戦後、アニューとの経験を通じて人々がまだ分かり合うことができる可能性を知ったことで、カタロンを離れ、改めてCBのガンダムマイスター「ロックオン・ストラトス」として戦い続けることを家族とアニューの墓前で誓い、メンバーと共に宇宙へと旅立つ。『劇場版』では31歳。変わらずCBとして小規模なテロ鎮圧のために行動しており、冒頭では刹那と共に、コロニー建造現場を訪れていたマリナやシーリンをコロニー公社側の襲撃から、中盤ではデュナメスリペアを駆ってアレルヤ(ハレルヤ)とマリーをELSから守っている。恋人であったアニューとの思い出やツーショット写真を今も大切にしており、マリナやフェルトに対する刹那の素っ気無い対応を見て呆れた様子を見せる。ELSの襲来に対しては新型のサバーニャを駆り出撃。意識不明となった刹那が目を覚まして戻ってくることを信じ、地球圏防衛の最終決戦ではトランザムやビットを駆使して奮戦。刹那が復活した際はアレルヤ達と共に突破口を切り開く。ELSの圧倒的な物量と攻撃を前にしながらも彼らと分かり合えると信じて戦い続け、最終的に機体は甚大な損傷を受けるが無事に生還する。なお、『2nd』で彼が乗っていた車は『1st』でニールが乗っていたものと同型となる。関連資料のスタッフQ&Aによれば、ランチア・ラリー037のレプリカ(ガソリンエンジン車)とされており、ニールの死後、ライルに譲られたことになっている[1]アニメ誌などの各種文献においては、ニールがほぼ「ロックオン」名義となっていたのに対し、ライルは「ロックオン」名義ではなく、本名を使われることが多かった。アレルヤ・ハプティズム (Allelujah Haptism)声 - 吉野裕行城雅子(幼年期)ガンダムキュリオスアリオスガンダムガンダムハルートのマイスター。2289年2月27日生まれ。『1st』では19歳(後に20歳)。切れ間の無い内戦が続くカザフスタン出身の戦災孤児で、幼少期に戦いから逃げるうちに両親と逸れ、人革連軍の「超人機関」に拉致され「被験体E-57」として人体実験を受ける。その影響で本名を含めた全ての記憶を失った後、出会った少女マリーから「神に感謝する言葉」を意味する「アレルヤ」という名前を授かる。その後、廃棄処分されそうになった他の仲間達と共に研究施設を脱走するが、ただ1人生き残り、紆余曲折を経てCBに参加する。温厚で礼儀正しく、ミッションとはいえ人命を奪うことには抵抗を感じている一方で、心の奥には人体実験の影響で誕生した「ハレルヤ」と呼ばれる粗野で好戦的なもう一つの人格が存在する[30]。貪欲なまでに生に執着するハレルヤは、温厚なアレルヤが戦意を失った際に表出し、アレルヤに代わって殺戮と破壊を繰り返す。かつて「超人機関」を脱走した際に、宇宙船が漂流し酸素と食糧が底をついたため、仲間達を皆殺しにしたのもハレルヤである。アレルヤは「思考」を、ハレルヤは「反射」を司り、二つの人格が共通の目的を持った時、真の超兵の力を発揮する。左右の瞳の色が異なるオッドアイであり、『1st』では前髪で片目が隠れているが、どちらの人格が現われているかによって露出する瞳が異なるよう演出され、アレルヤは灰色に近い色の左目が、ハレルヤは金色の右目が露出し、同時に二つの人格が表出する最終決戦では前髪をかき上げたオールバックで戦いに臨む。『2nd』ではアレルヤ、ハレルヤの人格にかかわらず常に両目が出る髪型に変更されている。超兵ピーリスと出会ったことで「超人機関」が存続していることを知り、自分のような存在をこれ以上生み出させないため、苦悩の末に同胞の子供達がいる研究施設を破壊するが、このことは超兵としての自分に肯定的な感情を持つピーリスとの確執を生む。国連軍との最終決戦では死闘の末、ハレルヤとの連携でトランザムを駆使してピーリスとセルゲイを翻弄し追い詰めるが、セルゲイの身を挺した行動により僅かな隙を突かれてキュリオスは大破し、自身も額に傷を負い、それが原因となりハレルヤの人格を一時的に消失する。その際に初めてピーリスの姿を目撃し、彼女が成長したマリーであることに気づく。『2nd』では24歳。キュリオスごと国連軍に鹵獲され捕虜の身となり、尋問と拷問の繰り返しだった1年[27]を含めた4年間、収監施設に監禁されていたが、活動を再開した刹那たちによって救出される。アリオスを受領し、マリーを取り戻すという決意を胸に、再び戦争根絶のための戦いに復帰する。ピーリスとは再び戦場で相対するが、再三に渡る身を挺した呼びかけの結果、彼女にマリーとしての人格と記憶を甦らせることに成功し、共にプトレマイオス2へと帰還する。その後、『2nd』第10話のダブルオーライザーのトランザムの発動がきっかけで、消滅したと思われたハレルヤの人格が再び現れ始めるが、『2nd』第24話までアレルヤ本人にその自覚はなく、周囲もハレルヤの復活には気付かなかった。ブレイク・ピラー事件の際、セルゲイの死を目の当たりにしたショックでマリーの人格がピーリスに戻ってしまい、戦場に舞い戻ろうとする彼女の姿に苦悩する。それでもピーリス(マリー)を守ると決意して戦い続け、結果的に彼女がマリーの存在を認め、同時にその名で呼ぶことを許すに至る。イノベイター勢力との最終決戦では量で押してくるガガ部隊との戦いに苦戦を強いられるが、刹那が発動したトランザムバーストにより心の奥のハレルヤの精神と感応し、その意識を再び共有させて形勢を逆転させる。最終決戦後はCBから一時離れ[31]、これまで殺めた命を弔うための巡礼の中で、ティエリアからのメールで生国を知り、自分のルーツを探す為にマリーと共に旅に出ている。『劇場版』では26歳。旅の途中で辿り着いた太陽光受信施設で、その脳量子波を扱える特性からELSにマリー共々狙われるが、ハレルヤの機転と駆けつけたライルにより救出され、2年ぶりにCBと合流し、仲間たちとの再会を果たす。その後は新型のハルートにマリーと共に搭乗してELSとの戦いに臨む。地球圏防衛の最終決戦ではハレルヤと共闘して「超兵」としての実力を存分に発揮し、刹那が対話に向かう際にはライルと共に突破口を切り開く。その後も自身で立てた「2度と命を見捨てない」という誓いのもと、激戦を繰り広げながらもELSに取り込まれそうになっていた連邦軍パイロットや艦船を数多く救出する。最終的にハルートは大破したが、マリーと共に脱出し、無事生き残っている。なお小説版、BDBOX付属の絵コンテでは、ピーリスと共にイノベイターに変革したように受け取れる描写があるも、映像には表現されなかった。ティエリア・アーデ (Tieria Erde)声 - 神谷浩史田中晶子(女装時)ガンダムヴァーチェガンダムナドレ)、セラヴィーガンダムセラフィムガンダム)、ラファエルガンダムのマイスター。実際の年齢・性別については後述する。類い希な美貌を持つ中性的な容姿で[32]、度の入らない伊達眼鏡[33]を掛けている。CBメンバーの中でも際立って謎が多い人物。その正体は計画の中心に関わるマイスタータイプ(戦闘型)のイノベイドとして生み出されており、CBを統轄するスーパーコンピュータ「ヴェーダ」とリンクする能力を持っているが、ガンダムマイスターであることからヴェーダの情報規制により、同類の存在およびイオリア計画の全貌については知らされていない。塩基配列パターンは0988タイプ。なお、ヴェーダが彼を製造した理由は、自らに最も忠実なイノベイドに裏切り防止用のトライアルシステムの使用権を与えるためだが、イノベイドとしての序列はリボンズよりも下位である。このトライアルシステムを持つ審判機体ナドレは、「人間には任せられないために、敢えて人間ではない専用パイロットの自分が造られた」という事実認識としてティエリアのアイデンティティを支えるものでもあった[34]。また、ヴェーダとのリンクが断たれるまで、ナドレは肉体を使わずにリンクのみで動かしている。一人称は『1st』では、「俺」であったり「僕」であったり「私」であったりと一定していなかったが、『2nd』以降は「僕」に統一されている。当初はCBの理念よりもヴェーダの意思を至上のものとして行動し、その意に反するものはたとえ味方であっても一切容赦をしなかった(特に刹那との仲は険悪だった)が、ヴェーダの意思がハッキングによって歪められていることを悟ってからは、トリニティを共通の敵と認識したことや、マイスターらの過去を知る機会を通して、それらの悪感情は氷解していく。精神的に脆い面があり、ヴェーダをアレハンドロとリボンズによって完全に掌握され、リンクを断たれてしまった際には激しく動揺している。その際に生じた自身のミスによってロックオン(ニール)が負傷したことを負い目に感じ、国連軍との最終決戦ではナドレで出撃し、彼の仇を討とうと奮戦する。パトリックとの戦闘で他のマイスター同様機体は大破するが、搭載されているGNドライヴをCBに持ち帰る。その後は壊滅状態のCBの再建に乗り出し、『2nd』では、セラヴィーのマイスターとなり、ヴェーダの判断ではなく「自らの意思で戦う意味を模索する[3]」ようになる。セラヴィーは、亡きニールの志を継ぎ、彼の望んだ平和な世界を創るため、再度世界と向き合おうとするティエリアの意志が込められ建造されている[35]。容姿は変わらないが、仲間の意思を尊重し、時にはぎこちないながらも冗談を言うようになるなど精神的に大きな変化を遂げており、アロウズの暴虐な政策によって支配された世界について、他人事のようにしか考えていない沙慈を叱責して諭すといった面も見せている。アロウズの上層部が参加するパーティへ情報を得るために潜入した時は、スメラギの発案で女装をし、仕方なくリボンズとダンスを踊る。その後、リボンズからイオリア計画の全貌を告げられ、計画よりもニールへの情に流されていることを指摘された際には動揺するも、ニールを心の支えにして自分の信じた道を進むことを宣言。自分を味方に引き入れようとするリジェネやリボンズらイノベイド達と決別する。最終決戦ではリヴァイヴとヒリングの連携攻撃により撃墜された後、機体を捨ててイノベイター勢力の母艦ソレスタルビーイング号に潜入する。ヴェーダの前でリボンズと対峙し射殺されてしまうが、その存在はヴェーダ内の意識体として残留し、ダブルオーライザーのトランザムバーストでリボンズの脳量子波が乱れた瞬間に、自身と同様に意識体となっていたリジェネの協力を得てヴェーダをリボンズから奪還。そしてセラフィムのトライアルフィールドを発動させ、イノベイター勢力の機体を制御下に置く。その後はヴェーダのシステムの一部となり、ヴェーダ本体にたどり着いた刹那に、イオリアの計画について全容を明かす。最終決戦後は、数世紀先に予想されるイオリア計画第三段階(外宇宙への進出)を見据え、ヴェーダの中で意識体となって人類を見守る[36]。CBのメンバーにもたびたび支援を行っており、『劇場版』に登場するダブルオークアンタに搭載された新型GNドライヴは、眠りにつく前のティエリアが、ヴェーダ内で見つけたドライヴの全情報をCBに送ったことにより製造されたものである[36]。『劇場版』では仲間達、そして人類に迫る脅威を防ぐべく、新たにスペアの肉体と新型のラファエルを製造し、ELSと交戦するCBに合流。イオリアが予見した「来るべき対話の時」が訪れたことを悟り、その対話を行うことになりうるであろう刹那を守ろうと戦線に加わる。刹那がELSに取りこまれそうになった時には、分離させたセラヴィーIIを同時に操縦することで刹那を救出し、その身を犠牲にラファエルとセラヴィーIIを自爆させ、アレルヤとロックオン(ライル)が離脱する時間を稼ぐ。これにより肉体と機体は失ってしまったが、その後は再びヴェーダと一体化。ELSとの最終決戦では、ダブルオークアンタのコンピュータに自身の意識体をインストール(ヴェーダからクアンタへ意識体が移動しており、意識体を分裂・複製しているわけではない[37])することでELSとの「対話」に向かう刹那に同行。ELSの母星に赴く彼と共に量子テレポートを敢行し、最後までサポートし続ける。西暦2314年から50年後の西暦2364年には刹那と共に地球へ帰還し、第三段階となった人類の発展を見守っている模様 [38]。 地球に不在の50年間は全てがELSとの対話に費やされたわけではなく、外宇宙を寄り道しての旅とされる[39]。ティエリアは永遠に老いることはなく、また基本的に死ぬことはない不変の存在である[40]。一方で自身にも一定の生死観を持ち得ており、脚本家の黒田によるノベライズではヴェーダと同化後に「最後にこれだけは言わせて欲しい」との書き出しで以下の独白が公開されている。亡きロックオン(ニール)へ向け、あなたがいてくれたから自身は人間として生きられた、あなたを失った悲しみが癒えることはないが、それでも未来を目指すとし「あなたのもとに行くのは、もう少し時間がかかるが、あまり早くに行くと怒られるだろうから、これでいいのだと思う」と自身の心中を語っている。最後に「あなたへの想いを形容する言葉が見つからない」とし、そんな想いが自身を人間にさせてくれると述べ、「ありがとう」「いつか、どこかで」と結ばれる[36]。なおティエリアは番組当初から表向きを少年と装い活動する性別不明・肌を見せるのが大嫌い[41]という設定が存在しており、実際の肉体・精神については予め「男か女かと言うなら、どちらとも言えない」との言及がされていた。セカンドシーズンからは正体が明らかになるにつれ情報が開示されて行き、『劇場版』終了後を含めた現在までのほとんどのアニメ書籍のキャラクター項目では、実際のティエリアが中性(精神・肉体に男女に偏った性別を持たない)である表記と個人解説がされている。また性別を男性とする媒体について「それは公式設定ではない」「間違い」であり「今後もティエリアの性別が公式で男性になることは絶対に無い」と監督コメントが出された経緯を持つ。また敵と同じイノベイドであることを知らなかったために、一部で「人間だと思っていた」と書かれることがあるが、間違いである。本編のティエリアは、自身が人間に任せられない計画のために造られたヒトならざるモノであることを自認している[34]。外見年齢は全シリーズを通して固定されており16歳[42]を想定して作成された。実稼動年齢は1stシーズン時点で推定2歳以上 - 5歳以下とされる。『ティエリア・アーデ』とは天使と地球を語源とした言葉から由来させた造語であると明かされている[43]レティシア・アーデ(Laetitia Erde)『ガンダム00 Festival 10 "Re:vision"』内のリーディングライブに登場するデュナメスRIIIのマイスター。ELSとの対話の旅に出たティエリアがCBを支援するために用意したティエリアと同型のイノベイド。ティエリアの記憶を引き継いでいるが、ティエリアとは独立した個別の人格をもつ[44]グラハム・エーカー(Graham Aker)声 - 中村悠一エクシアRIVのマイスター。詳しくは該当の項目を参照。

プトレマイオスクルー[編集]

ガンダムを搭載するCBの母艦「プトレマイオス」「プトレマイオス2)」の乗員で、CBが行う武力介入の中心となる者達である。機密保持のため、必要最小限の人数によって構成されている[注 4]。CBに参加することで、ヴェーダによってあらゆるデータベースからその存在が抹消されるため、天涯孤独に近い身の上の者が多く、戦争の惨禍がCBに参加した理由であることなど共通点も多い。長い戦いを経て乗員の絆は「家族」と呼ばれるほどに深まったが、それゆえに『1st』終盤における国連軍との戦いで、マイスターを含め4名が死亡したことは、生き残った乗員にとって大きな衝撃となった。『2nd』ではイアンの娘であるミレイナと無自覚の内にスパイの役割を担わされたアニューが加わったほか、沙慈やピーリス(マリー)がCBに保護されるという形で乗船し、整備などの作業にも協力している。

スメラギ・李・ノリエガ(スメラギ・リ・ノリエガ)声 - 本名陽子ガンダムが行う作戦立案をほぼ一手に手掛ける優秀な戦術予報士。2281年8月24日生まれ。『1st』では26歳。正確には艦長ではないが、リーダーとしてプトレマイオスチーム全体の指揮を行っている。大胆かつ繊細な作戦を得意とし、周囲からの信頼も厚いが、大酒飲みで作戦中にも平気で飲酒しているところを注意されることも少なくない。本名はリーサ・クジョウ。アメリカ出身の日系スペイン人である。ユニオン領内の国際大学に留学していた頃にはマネキンやビリーとの交友があり、既に優秀な戦術予報士として知られていたマネキンは憧れの存在であった。17歳で大学を卒業してAEU軍の戦術予報士となったが、とある作戦において、情報共有の不足によりマネキンが率いる味方部隊との同士討ちという大惨事を招いてしまう。この事件で、恋人であったエミリオを失ったことが大きなトラウマとなり、それがCBに参加する一因になる。CB参加後もそのトラウマからは脱却できず、大量の飲酒はそれから逃れるためでもある。『1st』では「戦争根絶」を信じてガンダムによる武力介入の指揮を行ったが、国連軍との決戦でCBは壊滅し、多くの仲間を失う。戦後は各地を放浪し、戦いを経ても何も変わらない世界を見たことで、自分の戦いは過去を払拭するためのエゴでしかなかったと絶望し、CBからは事実上脱退する。『2nd』では31歳。以前よりも髪を短くしている。旧友であるビリーの下で、酒浸りの日々を送る。刹那によって半ば強制的にCBへ連れ戻された後も、積極的に活動に参加しようとはしなかったが、アレルヤ救出作戦の立案をきっかけに、自らの「戦う理由」を問い直したことで徐々に立ち直り、再びCBの一員として戦いに身を投じるようになる。後にマネキンがアロウズの指揮官となっていることを知り、再び苦悩するが、過去からは逃れられないと悟り、戦い続ける決意をしている。なお、CB以外で彼女の素性を把握しているのはビリーとマネキンのみであり、マネキンはその戦術からCBの指揮官がスメラギだと見抜いており、ビリーは刹那が自宅を訪れた際にスメラギがCBのメンバーであることを知る。さらに「ブレイク・ピラー」事件において、落下する軌道エレベータの破片から地上を守ろうと敵味方を問わず有視界通信で協力を依頼したため、正規のCBのメンバーでは唯一その素性が公になってしまっている可能性がある[注 5][45]。アロウズ・イノベイター勢力との最終決戦では、和解には至らないもののマネキンと共闘する。プトレマイオス2へ突入してきたビリーと再会し、彼がイノベイター勢力による支配を主張することに対しては、「過去に犯した過ちは自分達で払拭しなければならない」と否定する。その後、トランザムバーストによる精神感応によって心からの謝罪が伝わったことで、ビリーと和解を果たす。最終決戦後も、CBの指揮官として活動を続けている。『劇場版』では33歳。『2nd』の頃より更に髪を短くしており、セミショートくらいになっている。イノベイターとして覚醒した刹那やクルーと共に、対ELS作戦の中心人物として、プトレマイオス2改で指揮を執る。地球圏防衛の最終決戦では連邦軍と協力し、艦が侵食されながらもELSと戦い続ける。この功績が元で、西暦2314年から50年後の西暦2364年には、完成した外宇宙航行艦に「スメラギ」という艦名が付けられる[46][47]。なお、ヴェーダからの情報を元に戦術を組み立てる関係上、アクセス権限はレベル4であることが『00F』で判明している。フェルト・グレイス声 - 高垣彩陽プトレマイオスの戦況オペレーター。2293年12月28日生まれ。『1st』では14歳。当時のクルーの中では最年少である。外伝『00P』に登場する第2世代ガンダムのマイスター、ルイード・レゾナンスマレーネ・ブラディの娘である。ガンダムプルトーネの事故により2人が死亡したため、組織によって育てられたが、事故に関する詳細は秘匿義務のために知らされていない。フェルト・グレイスという名前は本名ではなく、組織の中で生きるための名前として、両親とその友人であるシャル・アクスティカによって付けられた偽名であり、本名は不明。髪をピンク色に染めているが、これは地球で育った人間ではないことにコンプレックスを抱いているため[48]。同様に組織で育てられたシェリリン・ハイドとは、友人同士であるとされる[注 6]。当初はあまり感情を表に出さず、他者とのコミュニケーションを苦手としていたが、プトレマイオスが初めて戦闘に巻き込まれた際には、年上のクリスを励ますほどの芯の強さを見せている。ロックオン(ニール)には彼から本名や素性を明かされたことをきっかけに淡い恋心を寄せていたが、想いを告げないまま彼とは死別することとなる。『2nd』では19歳。変わらず戦況オペレーターを務めており、親しかった仲間たちの死を乗り越え、表情や言動も女性らしく柔らかくなっている[3]。また、髪型を一本結びに変えている。自身と似た境遇であるミレイナに対しては、年上として気遣う姿も見られる。当初はニールとほとんど同じ容姿でありながら性格の異なるライルに対する戸惑いを隠せず、かつての敵であるピーリス(マリー)がCBに保護された際には、ピーリスとして犯した罪を巡り彼女にわだかまりをぶつけてしまうが、アレルヤの説得もありマリーには謝罪し、ライルのことも徐々にCBの仲間として認めるようになる。イノベイター勢力との最終決戦では、出撃前の刹那にラボで育てられたという一輪のを渡している。その花には「家族」として生還を願う気持ちとともに、刹那への淡い想いが込められていた[49]。製作段階では、大破した機体からこぼれ出たこの花をプトレマイオス2が見つけ、漂流する刹那の位置を知るという演出も考えられていたが、過去の作品への過剰なオマージュになるとして見送られた[50]。しかし、『スペシャルエディションIII リターン・ザ・ワールド』ではこの演出が採用され、新規カットとして追加されている。最終決戦後もCBに残り、皆が命を引き換えにして変えた世界を見続ける決意を口にしている。『劇場版』では21歳。髪型をショートカットに変えており、歳月を経て大きくなった刹那への想いと、その刹那がイノベイターとしての能力から孤立しかかっていることに胸を痛めている。ELSとの戦闘で刹那が意識不明となった際には、回復を信じて意識を取り戻すまで彼の側に寄り添う。劇中終盤にプトレマイオス2改がELSの侵食を受け、スメラギに退艦命令を出された時には、『1st』終盤でのクリス達の事例を思い浮かべ、「また除け者にする気ですか!」と断固として拒否し、艦に残って戦う強い意志を見せる。クリスティナ・シエラ声 - 佐藤有世高度なプログラミング能力を持つプトレマイオスの戦況オペレーター。2286年3月29日生まれ。22歳。愛称は「クリス」。気さくな性格で他のクルー達からの信頼も厚い。義母との折り合いが悪く、家出した後はクラッキングで生計を立てていたため、CBにスカウトされた時は逮捕されるかCBへ入るかの瀬戸際だった。フェルトを妹のようにかわいがり、自由時間には買い物に連れ出すなど、あまり感情を見せることのなかったフェルトに大きな影響を与える。一方、当初は自分が戦争をしているという意識が稀薄だったため、初めて死の危機に直面した際[51]にはパニックを起こし、フェルトに逆に叱咤される一幕もあった。朝食前の短い時間(正に朝飯前)で合同軍事演習のデータをハックしたり、スメラギの要請でガンダムに対するヴェーダのバックアップが断たれた場合に備え、独自の操縦支援システムを突貫で完成させるなど、随所でそのプログラム能力の高さを発揮している。国連軍との最終決戦では、機転を利かせてフェルトを強襲用コンテナへ避難させたが、その直後にブリッジへ砲撃を受け、リヒティとともに致命傷を負う。その際、機械化されたリヒティの肉体に衝撃を受けるが、彼の想いを受け入れ、最期の瞬間までフェルトのことを心配しながら艦の爆発に巻き込まれて死亡する。『劇場版』では、ロックオン(ニール)やリヒティと共に意識不明の刹那の夢の中に現れ、彼を勇気付ける。リヒテンダール・ツエーリ声 - 我妻正崇プトレマイオスの操舵士。2286年6月12日生まれ。21歳。愛称は「リヒティ」。陽気で調子のいい性格だが、技術者だった両親は太陽光発電紛争に巻き込まれて死亡しており、自身も瀕死の重傷を負って失った身体の大半を機械化することで生命を維持しているなど、その性格は悲惨な境遇の裏返しという面もある。機械に依存する自身について、自分は死んでいるのか生きているのか、人なのか機械なのか、自らのアイデンティティーに苦悩している。国連軍との最終決戦では、ブリッジへの砲撃を受けた際にクリスを庇って致命傷を負う。その死の間際、機械化された自身の身体のことと彼女への想いをクリスに告白し、想いが受け入れられたことに満足そうな笑みを浮かべながら息絶える。『劇場版』では、ロックオン(ニール)やクリスと共に意識不明の刹那の夢の中に現れ、彼を勇気付ける。ラッセ・アイオン声 - 東地宏樹プトレマイオスの砲撃士。2282年10月16日生まれ。『1st』では25歳。予備マイスターとなっているが、元はエクシアのパイロットとして有力視されていたマイスター候補の1人であった。やや皮肉屋な性格で、身体を鍛えることが趣味である。CBにスカウトされる前はマフィアのメンバーだった[52]GNアームズの配備後はそのパイロットとなり、刹那のエクシアをサポートする。戦う理由について迷う刹那に対しては「CBは存在することに意義がある」と諭すなど、強い信念を持つ大人として、比較的若いメンバーの多いプトレマイオスクルーの支えとなる。国連軍との最終決戦では、刹那とともにアレハンドロが搭乗するアルヴァトーレと激戦を繰り広げ、機体は大破するも、生還を果たす。『2nd』では30歳。砲撃士を務めるが、アニューが乗船するまでは操舵手も兼任する。他のメンバーには隠しているが、『1st』の決戦での負傷が原因で、毒性のあるGN粒子に身体を蝕まれている。病状は進行しており、スメラギからプトレマイオス2を降りることも勧められたが、休んでも治るものではないと断っている。イノベイター勢力との最終決戦では、敵本拠地突入後のプトレマイオス2を0ガンダムに搭乗して防衛する。0ガンダムのGN粒子が底を突くと同時に蝕まれた身体も限界を迎えたが、その直後にトランザムバーストによって放出されたGN粒子を浴びたことで、病状が奇跡的に回復。プトレマイオス2へ戻って再び操舵を務め、決戦を最後まで戦い抜く。『劇場版』では32歳。プトレマイオス2改の操舵及び砲撃士を兼任しており、皆と協力してELSとの戦闘に当たる。ELSに関しては、戦うべきだと主張するロックオン(ライル)の意見に賛成している。イアン・ヴァスティ声 - 梅津秀行プトレマイオスの総合整備士。2256年1月21日生まれ。『1st』では52歳。ガンダムやプトレマイオスの整備・装備開発などを担っている。かつては、AEU軍所属の技術者だった。『1st』の時代より15年前に、医師のモレノと共にスカウトされてCBの一員となる。外伝に登場する、第2世代ガンダムマイスターとも知り合いである。『1st』ではガンダムの地上での単独行動が多かったため、整備や補給・データ収集のために地上に降りていることが多い。気さくな性格で、ロックオン(ニール)やラッセなどからは「おやっさん」と呼ばれ、親しまれている。『00F』に登場するシェリリンにもメカニックの手ほどきを行っており、「師匠」と呼ばれて尊敬されている。また、「カッコよくないメカは勝てない」という持論を持っている。国連軍との決戦後は、「ツインドライヴシステム」を搭載するダブルオーのほか、新型ガンダムの開発を行い、CBの復活に備える。『2nd』では57歳。愛娘であるミレイナと共にプトレマイオス2に乗船。娘と共に機体の整備を務めたほか、戦闘では自ら砲手を務めることもある。CBの戦いに同行することになった沙慈をサポートするが、メメントモリの破壊に向かう途中、オーライザーの整備中にアロウズの攻撃で重傷を負い、駆けつけた沙慈に機体を託すも、その決断が沙慈の苦悩の遠因となってしまう。その後、苦悩を乗り越えた沙慈が戦う決意を固めた後は、自ら準備したパイロットスーツを与えた。最終決戦後もCBに残り、傷ついたガンダムの修復や次世代のガンダムの開発を、夫婦で中心となって行っている。『劇場版』では59歳。リンダと共にダブルオークアンタの開発に専念し、機体をプトレマイオス2改まで送り届ける。ミレイナがデータのみの存在となったティエリアに告白した際には、激しく動揺する一面を見せる。ELSとの最終決戦では、夫婦でプトレマイオス2改の火器官制を担当。艦がELSに侵食されて戦闘不能になりつつある中、リンダと共に「最後まで諦めるな」とスメラギたちを励ます。ELSにサブブリッジまで侵食されて脱出不能になった際には、夫婦で覚悟を決めてミレイナに最後の別れの通信を送るが、自身らへ侵食が到達する寸前にELSの活動が停止したため、無事に生還を果たす。JB・モレノ(ジョイス・モレノ)声 - 四宮豪プトレマイオスの船医。43歳。イアンとは旧知の仲で、CB加入以前は国境なき医師団に所属していた。艦内クルーには「JB・モレノ」と名乗っている。外伝『00P』では「ジョイス・モレノ」の名で登場し、第2世代機プルトーネの事故で心身に深い傷を負ったシャルの治療を担当する。プルトーネの事故を機にGN粒子の有毒性についても調べるなど、事故を知る数少ない生き証人だった。ガンダムマイスター874から提供されたナノマシンやエージェントだったグラーベ・ヴィオレントの存在からイノベイドに関する研究も進めており、それらの医療データは弟子であるテリシラ・ヘルフィに受け継がれたる。国連軍との最終決戦時、アルヴァトーレの砲撃を受けたプトレマイオスのメディカルルーム付近の損壊に巻き込まれ、死亡する。ミレイナ・ヴァスティ声 - 戸松遥『2nd』から登場。2298年11月28日生まれ。イアンとリンダの娘で、『2nd』の乗員では最年少の14歳。若年であるため、リンダの希望により『1st』および壊滅後のCB再建自体には参加しておらず、活動を再開する際に加入する。「〜です」や「〜ですぅ」といった独特の語尾が特徴。一人称は「ミレイナ」。他のクルーのことは基本的にラストネームに「さん」付けで呼んでいる。プトレマイオス2(改)の戦況オペレーターのほか、父譲りのテクニックでガンダムの整備も務める。フェルトや『00F』のシェリリン同様に組織の中で育てられたが、年相応のとても明るい性格で[3]、長く激しい戦いで沈みがちな艦内の重要なムードメーカーとなっている。一方ではアニューの人質から救出された時は泣き出したり、最終決戦でセラフィムが大破した際には目に涙を浮かべ、一時語尾を省いた普通の話し方になっている。年頃の少女らしく色恋沙汰に敏感で、親しそうな男女を見かけては「つかぬことをお聞きするです。2人は恋人なのですか?」とストレートに尋ねている。『劇場版』では16歳。語尾は相変わらずだが、髪型をツインテールからウェーブのかかったセミロングに変更し、本人曰く「大人への脱皮中」とのこと。マリーのことは「ピーリスさん」と呼んでいる。また、ティエリアに対して片思い[53]を抱いていたことを初めて打ち明けており、再びヴェーダ内のデータのみの存在となっていた彼に対して「どんな姿になってもアーデさんが大好き」と言っている。劇中終盤では艦がELSに侵食され、スメラギから退艦を促されるが、フェルトと同じく拒否し、最後まで戦う意思を見せる。両親がELSに取り込まれそうになった状況を見た時には、涙を流して感情を露にしていたが、刹那の説得に応じたELSが寸前で侵食を止めたため、両親やクルーと共に無事生還する。アニュー・リターナー声 - 白石涼子『2nd』から登場。留美の紹介によりCBに参加し、ラグランジュ3での補給後からプトレマイオス2に乗船し、操舵手を務める。「宇宙物理学、MS工学、再生治療の権威であり、操船技術や料理に長け、おまけに美人」とイアンに評されるほどの逸材である。乗船後、プトレマイオス2の位置がアロウズ側に把握されていることについて疑問を持ち、時折不審な行動を取るロックオン(ライル)が関係しているのではないかと、当初は彼に疑いの目を向けていた。しかし、素性を知ったことをきっかけに心を通わせ、徐々に恋人関係となっていく。しかし、その正体は情報タイプ[54]のイノベイドであり、プトレマイオス2の位置が把握されていたことも彼女の存在が原因であった。本人にその自覚はなかったが[54]、同じ遺伝子ベースから生み出されたリヴァイヴの脳量子波を受けたことで、イノベイターとしての使命に覚醒し[55][54]、CBから離反する。その際、トランザム及びツインドライヴシステムに関するデータが彼女によって盗み出され、イノベイター勢力側の機体に利用されることとなる[54]。その後、ガッデスのパイロットとしてプトレマイオス2を襲撃し、ライルのケルディムと死闘を演じる。戦いの末、ライルの必死の説得に心を動かされたが、それを許さないリボンズの脳量子波によって意識を完全に乗っ取られ[55]攻撃を再開。ケルディムを撃墜寸前にまで追い込んだが、あらかじめ「もしもの時は自分が撃つ」と宣言していた刹那のダブルオーライザーによって撃墜され、戦死する。最期の瞬間には、ダブルオーライザーによる意識共有領域にて、ライルと自分が分かり合っていたことを確かめ、このような形であれライルと巡り合えた運命に感謝している。彼女とライルの悲劇は同じように分かり合っているルイスと同じ事になるのではという不安と悲しみを沙慈に与える。後にライルは悲劇の発端を作ったリヴァイヴを倒し、家族のの隣にアニューの墓を作り、彼女を弔っている。突然イノベイターとしての使命に覚醒した理由について、アニメ本編では示唆されるのみで明言はされていないが、アニューを演じた白石のブログでは、「今までの全ての記憶や感情は持ったまま、リヴァイヴの脳量子波によってイノベイターとしての使命が覚醒した」と説明されており[55]、その後のプラモデルの解説書などでも同様の説明がなされている[54]。『2nd』最終話及び『劇場版』では、彼女と同じ塩基配列タイプのイノベイドである、報道官(声 - 白石涼子)が登場している。ハロ(Haro[56]声 - 小笠原亜里沙(オレンジ)、高山みなみ(赤)、佐藤有世(青)CBが多数所有する、独立AIを搭載したペットロボット型情報端末。人の話し言葉を解し、その内容に疑問があれば質問を返すなど、極めて高度な言語機能を有する。整備マシン「カレル」とドッキングすることで艦やガンダムの整備を行っており、機密保持のために最低限の人員しかいないプトレマイオスチームにとって、必要不可欠な存在である。『1st』ではデュナメス、『2nd』ではケルディムやオーライザーのコックピットに搭載され、重要な操縦支援を担っている。『劇場版』ではサバーニャの機体制御や火器管制がハロ1体で賄える限界を超えたため、オレンジハロに加えて新たに青ハロを同乗させることで、これに対処している。赤ハロも引き続きオーライザーの制御を担当していたようだが、声のみでしか確認できないため、ダブルオーライザーとともに失われたかは定かではない。プトレマイオスチームは色違いのハロを複数所有しており、全機が互いを「キョウダイ」(兄弟)、オレンジハロを「ニイサン」(兄)として認識している。また、トリニティ所有の紫色のハロ「HARO」と、オレンジハロの2体は、イオリア存命時から稼動しているオリジナルのハロである[57]

トリニティ[編集]

ガンダムスローネを所有する3人のガンダムマイスター。CBを名乗るが、プトレマイオスチームとは行動を共にせず、「チームトリニティ」として独自の武力介入を行う。リボンズの細胞から得られたデータを(ネーナは『劇場版』に登場するミーナ・カーマインの先祖の遺伝子も基にされていたため、容姿が彼女と酷似している[58])基に、遺伝子操作によってガンダムマイスターとなるべく生み出されたデザインベビー[59][60]で、実の兄妹として強い絆で結ばれている。

三大超国家による共同のガンダム鹵獲作戦において、窮地に陥ったプトレマイオスチームのガンダムの救援として登場。「武力による戦争根絶」という目的は同じだが、それまでのCBによる武力介入は不十分であるとして、より大規模で激しい過剰なまでの武力介入を行った。その際に民間人を攻撃したことをきっかけとして、後にプトレマイオスチームからは紛争の幇助者とみなされ、決別されている。実際にはイオリア計画の改変を目論む監視者のアレハンドロが生み出した捨て駒に過ぎず、「ガンダムに対する世界の敵意を煽り、統合を促す」ことこそが真の役割だった。国連軍の結成によってその役目が終わると、アレハンドロによって国連軍へ情報をリークされ、ジンクス部隊の襲撃を受けてアジトを失い、逃亡する。最後は孤立無援となり、刺客として差し向けられたサーシェスによって壊滅させられる(この時、ネーナは刹那に助けられて唯一生き残り、王留美の配下となるが、4年後の西暦2312年にラグランジュ5のコロニー「エクリプス」付近でルイスのレグナントに討たれ、トリニティは全滅する)。アレハンドロの目論見通り、世界に撒いたガンダムへの憎悪はプトレマイオスチームへ向けられることになり、アレハンドロ自身は刹那に討たれたものの、CBが一時的に崩壊してアロウズ(それを影から操るリボンズ率いるイノベイター勢力)が世界を牛耳るきっかけとなる。

コミック版では、モニター越しにプトレマイオスチームと接触している。

ヨハン・トリニティ声 - 小西克幸長男、ガンダムスローネアインのマイスター。26歳。冷静沈着な性格で、言動もきわめて穏やかである。ミハエルやネーナをまとめるリーダー役を勤める。弟妹と異なり、ガンダムマイスターとしての矜持も備えており、無益な殺生は行わず、自身の失態も素直に認める潔さもある。だが、自分たちやその使命を特別なものであると強く意識しており、使命に関係のないことには冷淡であまり興味を示さない。それゆえに、ネーナが故意に民間人を攻撃した際にも軽い注意で止めており、プトレマイオスチームの方針を「世論の反応を気にしながら武力介入を行っている」と批判している。三ヶ国合同軍事演習の初登場時では、AEU軍に鹵獲されかけていたヴァーチェの窮地を救い、ユニオン軍に鹵獲されかけていたデュナメスの窮地も救う。兄妹でユニオンのMSWAD本部の襲撃も行い、その際はエイフマン教授を殺害している。しかし、アイリス社の軍事工場を襲った際には、出撃してきたグラハムの猛攻を受け、乗機の片腕とビームサーベルを失うという苦渋を味わわされている。その後も戦争根絶のためと信じて疑わず、与えられた任務を忠実に実行し続けたが、役目を終えたことでアレハンドロから切り捨てられ、サーシェスの襲撃を受ける。ミハエルが射殺され、自身も銃で撃たれながらもスローネアインでミハエルの仇討ちを試みるものの、乗機をサーシェスに強奪されたスローネツヴァイの攻撃でほぼ一方的に蜂の巣にされ、戦死する。その最期の言葉は、信念を打ち砕かれた失意を訴えるものであった。コミック版では弟妹の目の前でサーシェスの駆るジンクスに撃墜され、失意を訴えることもなかった。ミハエル・トリニティ声 - 浪川大輔次男、ガンダムスローネツヴァイのマイスター。19歳。短気かつ好戦的な性格であり、戦闘を遊びと半ばにしているところがある。劇中では、ガンダムの圧倒的な性能で敵機を嬲り殺す場面も見られる。妹のネーナのことを溺愛しており、プトレマイオスに乗船した際には彼女が気にする様子を見せた刹那に殺気立ち、ナイフまで取り出している。ネーナが民間人を虐殺した際は「疲れているだけだ」と肯定した。兄のヨハンを慕いつつも頭が上がらず、彼の命令のみは聞き入れる。三ヶ国合同軍事演習の初登場時には、人革連軍の猛攻を受けていたキュリオスを救出した。ユニオンのMSWAD本部襲撃時には、戦いを挑んできたハワードを殺害している。その後、国連軍の追撃から逃れる途中、協力者と偽って現れたサーシェスに射殺され、スローネツヴァイを奪われる。コミック版ではヨハンと死亡する順番がアニメ版と逆になっており、サーシェスの駆るジンクスの攻撃によってコクピット内で死亡し、スローネツヴァイを奪われる。ネーナ・トリニティ声 - 釘宮理恵末妹、ガンダムスローネドライのマイスター。『1st』では17歳。脳量子波を操る能力を持ち、限定的ながらヴェーダにアクセスできる[59]。三ヶ国合同軍事演習の初登場時では、サーシェスの乗るアグリッサを破壊し、プラズマフィールドで苦しめられていた刹那のエクシアを救出した。それ以降、刹那のことを気にかけており、プトレマイオスに乗船した際には、いきなり刹那にキスをして周囲を唖然とさせた[注 7]。性格は一見すると明るく活発だが、その本性は自分勝手かつ倫理観が大きく欠落しており、幼児的な残虐性を持っている。任務からの帰投中、「自分たちが戦いで疲れているのに、楽しげにしているのが気に入らない」という理由で無関係のパーティ会場を砲撃して多数の民間人を虐殺する事件を引き起こし、プトレマイオスチームにトリニティとの決別を促すこととなる。また、この事件現場にルイスが居合わせて唯一の生き残りとなったことがきっかけで、彼女は沙慈と別れてガンダムに憎悪の念を抱きながらアロウズへ入隊し、相続したハレヴィ財閥の資産を投じてアロウズ最大の出資者ともなったうえ、その資産によって反抗勢力を虐殺するための兵器が多く生産されることとなる(ルイス自身はそのことを知らなかった)。この事件は沙慈にも影響を与え、彼は姉・絹江の非業で不可解な死も相俟ってガンダムとCBがすべての元凶だと誤解し、この誤解と憎しみは『2nd』でのプトレマイオスチームとの交流を経て彼らの人間性を認めるまで続くことになる。トリニティ壊滅の際には、兄たちと共にサーシェスに殺されかけるが、刹那によって窮地を救われ、その後は留美に保護されている[注 8][要ページ番号]。『2nd』では22歳。留美を「お嬢様」と呼び、彼女の私兵としてさまざまな任務をこなす。しかし、本心では恵まれた環境で育ちながら世界に対して不満を抱き、イノベイター勢力とも繋がりを持つようになった留美を強く嫌っている。メメントモリ攻略戦では独断でCBに情報を送ったほか、ヒリングと交戦する刹那を援護し、プトレマイオス2が地上へ不時着したことを教えるなど、独自の行動を見せるが、刹那との和解には至らなかった。アロウズによるブレイク・ピラー事件後は、留美がリボンズから切り捨てられたことに伴って反旗を翻し、留美が母艦としていたトリニティ艦を撃沈すると、ラグランジュ5のコロニー「エクリプス」に逃げ込んだ留美と紅龍を追い詰めて紅龍を射殺し、小型シャトルで脱出した留美も殺害する。しかし、その直後にはリボンズに切り捨てられたうえ、ラグランジュ5へ誘導されてきたルイスの駆るレグナントの恨み骨髄に徹した猛攻に成す術もなく敗北し、道具として使い捨てられた自分の境遇や兄たちの無念を訴えるも、親族全員を殺されたルイスの感情を逆撫でする結果となってコックピットを貫かれ、恨みの咆哮を上げながら戦死する。水島監督は後に、ネーナと留美は互いに憎しみ合いながらも実は同類であったのだと説明している[23]HARO[注 9](Haro[56]声 - 入野自由トリニティが所有する紫色のハロ。『1st』の時代から約80年前(西暦2225年)、木星圏において破壊され、漂流していた木星探査船の中からコーナー家の調査団の手によって発見され、回収される。目つきが悪く、口調もやや乱暴なのが特徴。ネーナのパートナーとして、スローネドライのコックピットで操縦支援などを行っている。トリニティがプトレマイオスに乗船した際には、オレンジハロから「ニイサン」と呼ばれているが、この2機のその後の展開は劇中では描かれず、彼らの関係は謎のままである。アレハンドロはこのHAROから得られたデータを基に、擬似太陽炉を開発する。トリニティ壊滅後は留美の私兵となったネーナのサポートを引き続き担当したが、彼女が留美を殺害した際にはリボンズによってコントロールされ、彼女に粛清の宣告を行う。スローネドライがルイスのレグナントに撃破された後には、残骸の中をほぼ無傷の状態で漂う姿が確認できる。その後、西暦2314年の対ELS戦終了直後にデブリの回収業者によって回収されたとされている[61]

サポートメンバー[編集]

王留美(ワン・リューミン)声 - 真堂圭世界に知られる名家である王家の当主で、世界中の社交界で名を馳せる、美貌のセレブ。2290年7月29日生まれ。当主となったのは15歳の時で、『1st』では17歳。CBのエージェントであり、自らの莫大な資産と、政財界に張り巡らされた人脈を駆使して、武力介入を開始したCBの活動をサポートする。『1st』ではプトレマイオスチームと対立するトリニティとも接触を持ち、トリニティ壊滅後に生き残ったネーナを自らの手駒として保護するなど独自の行動を見せており、その真意を掴みかねる面があった。『2nd』では22歳。CBへの協力を続ける一方、裏ではアロウズにプトレマイオス2の位置をリークしたり、衛星兵器「メメントモリ」の建造費用を出資するなど、イノベイター勢力とも深い協力関係を築いている。リボンズへの反乱を目論むリジェネとも共謀しており、変革への願望はさらに加速している。メメントモリによってCBの抹殺も図ったが、ネーナが独断でCBに情報をリークしたことで失敗している。『2nd』で彼女の真意は、CBの掲げる「戦争根絶」という理想そのものにはあまり興味を持っておらず、CBの武力介入によって「どんな形であれ世界が変革される」ことで、望まぬ当主の座を継がされ歪められた自分の人生をやり直したい、という願望からの行動であったことが明かされる。それは紅龍を困惑させ、ネーナの留美に対する反感を強めていくことになる。これらの経緯からCBとは次第に距離を置いていったが、ブレイク・ピラー事件後、リボンズから「旧世代の古き者」という烙印を押され、「君はイノベイターにはなれない」と侮辱も受けたことで、イノベイター勢力から離反し、リジェネから得たヴェーダの所在の情報をCBに渡して、リボンズの計画を破綻させることを目論む。しかし、裏切ったネーナにより拠点としていたトリニティ艦を撃沈され、紅龍と共にラグランジュ5のコロニー「エクリプス」に逃げ込む。紅龍に今まで溜め込んできた鬱憤を吐き出す最中、追跡してきたネーナによって殺されそうになるが、紅龍の命を賭した行動に何とか助けられ、通信を受けて駆けつけた刹那にヴェーダの所在を記したメモを渡すことには成功する。刹那は留美を助けようと同行を促すが、求める未来の違いからそれを拒絶。小型シャトルでの脱出を試みるも、脱出先を読んで待ち構えていたネーナのスローネドライに撃墜され、死亡する。小説版では、彼女がある日突然、理不尽な形で当主を継がされ、その後に自分の世界に失望していった経緯が語られている[62]。また、水島監督は彼女について、「自分自身が追い求めた未来が何だったのかが自分でも分からず、漠然と誰かに救ってもらいたがっていたが、他人と向き合い関係を築くことができなかったために破滅した」という趣旨の説明をしている[23]紅龍(ホンロン)声 - 高橋研二留美を「お嬢様」と呼び、常に付き従う忠実な執事。2285年12月26日生まれ。『1st』では22歳。彼女の実の兄(書籍では、水島監督と脚本担当の黒田が異母兄と説明している)であるが、当主としての器に欠けていると判断されたため、代わりに当主とさせられた留美に一使用人として仕える身となっている。武術の達人で、留美のボディーガードも兼ねているほか、『1st』におけるアザディスタンの内戦では、武装したゲリラ数人を一瞬で叩きのめし、宗教指導者マスードを救出している。『2nd』では27歳。CBと対立するイノベイター勢力にも協力している留美の行動を理解できず、複雑な思いで付き従っている。ヴェーダをCBに奪還させることで、イノベイター勢力の計画の妨害を目論む留美に同行するが、ネーナの裏切りによって艦を沈められ、ラグランジュ5のコロニー「エクリプス」へ逃げ込む。そこで留美から、代わりに当主とさせられたことで人生を歪められたと非難され衝撃を受けるが、追ってきたネーナの銃撃から留美を庇い、彼女を逃がすための盾となって射殺される。小説版では、善良な気質を有するがゆえに王家当主の後継者から外されたこと、彼が留美にとって不本意な形で当主を継がせてしまったことを負い目に感じており、罪滅ぼしのつもりで留美に付き従っていたことが説明されている[62]リンダ・ヴァスティ声 - 早水リサ『2nd』から登場。2280年5月20日生まれ。イアンの妻で、ミレイナの母。32歳。眼鏡をかけた若く美しい才媛で、夫と同じくCBの技術者である。ラグランジュ3の秘密基地において、オーライザーやGNアーチャーといった支援機のほか、新兵器の開発に携わっていた。57歳のイアンには不釣合いな若さは初対面のプトレマイオス2クルーにショックを与え、アレルヤからは「犯罪ですよ」と苦笑いされている。アロウズの攻撃により基地が陥落した際には輸送艇で他のCBスタッフと共に脱出し、アリオスに護衛され安全圏へと離脱する。最終決戦前には、プトレマイオス2にガンダムの追加武装や0ガンダムを送り届け、戦闘ではイアンとともにプトレマイオス2のサブブリッジで砲撃管制を行う。最終決戦後もCBに残り、夫と共に新たなガンダムの開発を行っている。『劇場版』では34歳。夫のイアンとダブルオークアンタの開発に専念し、機体をプトレマイオス2改まで送り届ける。劇中終盤では、イアンと共にELSに取り込まれる寸前の状況に追いつめられたが、無事助かっている。なお、イアンとは逆に、ミレイナの告白の際は「素敵な彼氏が出来てよかった」と喜んでいる(ただし、これはリンダによる発言[63]であり、仲間意識ならばあると解説されるティエリアの意思とは関係がない)。アヤカ・S・バフェット4コマ漫画『ちょび00』に登場。CB情報部隊員広報担当。4コマを通して世界観・メカニックの解説、登場人物の紹介を行うシリーズのナビゲーター。遊び心の溢れた子供っぽい性格で、誰に対しても敬語で話す。役割上仕方ないこともあるが口が軽く、機密情報や複雑な家族関係もしゃべりそうになって関係者に怒鳴られることもしばしば。戦争終結後は敵味方関係なく招待しての打ち上げパーティを企画、用意するなど粋な計らいをするしっかり者な一面もある。

創設者、監視者[編集]

イオリア・シュヘンベルグ声 - 大塚周夫磯部勉(『劇場版』西暦2091年時)私設武装組織「ソレスタルビーイング」の創設者。西暦2051年生まれ[64]。『1st』の時代から200年以上前の21世紀末の人物で、量子コンピュータ「ヴェーダ」、人工生命体「イノベイド」、そして「GNドライヴ」の基礎理論を確立させた稀代の天才科学者である。一般的には「軌道エレベーター」建設に伴う太陽光発電システムの基礎理論を提唱した、歴史上の人物として知られている。西暦2307年、全世界に向けて発せられたビデオメッセージによって、CBの存在を知らしめて、「武力による戦争の根絶」という目的を掲げ、世界中の全戦争行為に対する武力介入を宣言する。なお、AEU諜報機関本部長官とその秘書の会話や絹江とその同僚のJNN記者の会話によればイオリアの血縁は完全に途絶えており、資金の行方も不明となっている。イオリア自身は月面に隠されたヴェーダの中枢施設にて、コールドスリープで眠り続けていたが、リボンズによってヴェーダが完全に掌握されたことでカプセルが姿を現し、アレハンドロによってコールドスリープ状態のまま射殺されてしまう。しかし、イオリアは計画を歪める者が現れることも予想しており、予め用意していたシステムトラップが発動し、ヴェーダ内のガンダムマイスターの情報が消去されると共に、オリジナルのGNドライヴに隠されていた「トランザムシステム」の封印が解かれる。そしてプトレマイオスチームに、CBに依らず、自らの意思で平和のために戦うよう伝えている。『2nd』では、「ツインドライヴシステム」のデータもその際に同時に送られていたことが明らかになっている。また、『2nd』終盤にて、ヴェーダと一体化したティエリアにより、イオリア計画の全貌が明らかにされている。その内容は「CBの武力介入を発端とすることによって世界の統合を促し、人類の意思を統一させ、争いの火種を抱えたままに外宇宙へ進出することを阻止する」というもので、いずれ巡り合うであろう異種との対話に備え、人類を変革させるためのものであった。『劇場版』では、西暦2091年に、40歳時のイオリアがE・A・レイという青年と、イオリア計画について会話をする描写がある。イオリア自身は人類を嫌悪しているが、思い込み先入観で真実や本質を見失っていることに失望しているだけであり、自身が作り出した計画によって、人類を分かり合わせるために変革が必要だと希望を語っている。『小説版』では、地中海の孤島で隠居生活をしていると明記されている。西暦2314年時におけるELSの襲来により、西暦2364年では人類の約4割がイノベイターへ進化し、人類とELSの共存も進み、外宇宙航行艦で外宇宙へ出発するようになるなど、西暦2091年から約270年後に、イオリアの願った計画が実現を迎える。アレハンドロ・コーナー声 - 松本保典ユニオンに所属する国連大使。2271年5月11日生まれ。36歳。その正体は、200年に渡ってCBの監視者の役割を引き継いできた、コーナー家の末裔である。そのMS操縦技術はガンダムマイスターらに匹敵するほど高く、自身の技量を作中で披露する以前にも刹那の操縦技術の未熟さを指摘するなどしている。CBが創設された当初から、コーナー家はイオリア計画を自らのものとする野望を持っている。『1st』から80年前には、太陽炉に関するデータを入手するべく木星に調査団を派遣し、破壊された木星探査船より回収したHAROから得られたデータを基にして、擬似太陽炉とそれを搭載するMSの開発を行う。また、イノベイドであるリボンズの細胞から得たデータを基に、遺伝子操作によって独自のガンダムマイスターを生み出し、「チームトリニティ」を結成させている。CBの計画は200年後の技術水準を前提としており、まさにその時代に監視者となり、さらにヴェーダにアクセスできるリボンズと出会ったことをアレハンドロは自身の運命と捉え、CBの計画への直接的な介入を行う。イオリアを「神を気取る理想主義者」と否定し、人類を導くのは今を生きる人間であるという信念を持ち、自分こそがその役割に相応しいと考える。劇中では、同じく監視者であるラグナと結託し、トリニティを操って熾烈な武力介入を行わせる。そしてガンダムへの敵意が十分に高まったのを見計らい、協力者を装い三大陣営に対して擬似太陽炉搭載型MS「ジンクス」を譲渡し、国連軍結成へと導く。その後、用済みとなったラグナとトリニティをサーシェスを差し向けて抹殺し、自らはリボンズとともにヴェーダが隠されている月面施設へと向かう。施設ではヴェーダを完全に掌握し、コールドスリープを続けるイオリアを殺害したが、彼が予め用意していたシステムトラップを起動させてしまい、オリジナルの太陽炉に隠されていた「トランザムシステム」の封印を解くこととなってしまう。CBと国連軍の最終決戦では、自ら金色の大型MA「アルヴァトーレ」に搭乗してCBの前に立ち塞がり、その圧倒的な性能でガンダムやプトレマイオスに大きなダメージを与える。GNアーマーTYPE-Eに搭乗する刹那に対し正体を明かすも即座に敵と断定され、アルヴァトーレを撃破される。その後はコアユニットであるMS「アルヴァアロン」で戦うも、トランザムを起動したエクシアに敗北した。その直後、リボンズから通信が入り、自身が傀儡に過ぎなかったことを暴露され、激昂しながらモニターを殴りつけると同時に機体が爆発し、死亡する。小説版では、資金提供の見返りに監視者となったコーナー家に身を置くうえで、世界統一の計画達成の偉業がイオリアたちの名誉となる事に不満を覚え、離反した事が語られている[65]。『劇場版』では、西暦2314年に新政府のプロパガンダとして公開された「史実を元にした」というCBが活躍する映画(劇中劇)において、アロウズのリーダー的存在として描かれており、彼と瓜二つの役者が演じている。アルヴァトーレとアルヴァアロンを同時に操り、カタロンに大打撃を与えたが、ダブルオーライザーに撃墜され、死亡したという描写がなされている。ラグナ・ハーヴェイ声 - ふくまつ進紗CBの監視者の1人。表向きはAEUのリニアトレイン事業の総裁を務めており、国際経済団のトップにしてJNNの大株主でもある。軌道エレベーターを自由に使う事ができ、なおかつMSを建造できるほどの財力を有する。アレハンドロと結託し、その財力によってガンダムスローネやジンクスを開発し、CBの計画への介入を行う。アレハンドロの命令をトリニティに伝える役割も担っていたが、国連軍結成後、用済みとなったことでサーシェスによって抹殺される。

イノベイター勢力[編集]

イオリアの計画遂行のため、ヴェーダによって生み出された人工生命体[66]。自分たちの存在を「イノベイター」と称しているが、イオリアが定義した本来の「イノベイター」とは、やがて現れるであろう進化した人類のことであり、物語の終盤で変革を果たした刹那のような存在を指す言葉である。よって、リボンズたちは正確にはイノベイターではなく、想像上のイノベイターを模して生み出された[20]、人類の覚醒を促すための存在「イノベイド」である。 人間を超えた身体能力[67]や寿命を持ち、遺伝子操作ナノマシンによって老化も抑制されている。大きな特徴は、脳量子波によってヴェーダと直接リンクすることが可能なことである。それにより、ヴェーダの目として情報収集を行うことや、逆にヴェーダから情報を引き出すことができる。また、ヴェーダを介することにより、遠く離れたイノベイド同士がリンクすることも可能である。イノベイドには、マイスタータイプと情報タイプの2種類が存在する。MSの高度な操縦が可能なリヴァイヴたちはマイスタータイプであり、性別を持たない。一方、アニューを含む情報タイプのイノベイドは、CBの武力介入が始まる遥か以前から無数に存在し、人間社会に紛れ込むことを目的として性別が設定されている。また、情報タイプは自覚することなく日々ヴェーダに情報を送り続けている。しかし、情報タイプは社会生活には必要ない能力が封印されているだけで、マイスタータイプと比較しても能力的に劣るわけではない。情報タイプのイノベイドはある一定の時期や条件によってヴェーダから「帰還」を命じられ、それまでの記憶と人格を消去した後に新たな記憶と人格をインストールし直して使い回されることが、外伝『00I』で語られている。

彼らの間ではヴェーダへのアクセス権にも優先権が存在し、より上位のイノベイドがアクセス権とリンクを切ることもできる。肉体が死亡しても意識データが残れば新たな肉体に意識データをインストールできるが、それにもヴェーダとのリンクが必要であり、リンクを断ち切られたイノベイドは完全に死亡する。作中では、リボンズ・アルマークがヴェーダを掌握して意識をリンクさせてからはヴェーダを破壊しない限り殺せない不死身の存在となっていたが、ティエリア・アーデとリジェネ・レジェッタのアクセス権とリンクを剥奪しなかったことが仇となり、ヴェーダを奪還されると共にリンクとアクセス権を失ってしまう。

『2nd』では、リボンズによって率いられ、復活したCBと激しい戦いを繰り広げた。アロウズに参加するイノベイドには、戦闘において無制限の自由が認められる特権「ライセンス」が与えられている。

リボンズ・アルマーク声 - 蒼月昇人工生命体「イノベイド」の最初期に造られた1人であり、ヴェーダの最高機密であるレベル7へのアクセス権を持つ[注 10]。塩基配列パターンは0026タイプで、ガンダムマイスターとなるべく設計されたマイスタータイプである。元より生命として自身より劣り、戦いを止められない愚かな人類のために尽くすということに疑問を感じていた。また、マイスターが計画の半ばで滅ぶ予定であることを知り、自身が使い捨てられるために生み出されたという事実に、大きな衝撃を受けている。0ガンダムのマイスターとしてクルジスの紛争に介入した際には、少年兵であった刹那と出会い、その命を救っている(本来は証拠隠滅のため、その場にいた全員を抹殺するつもりだった)。そして、ガンダムを、ひいては自らを神のように見つめる刹那の眼差しがきっかけの一つとなり、自らの手で計画を遂行し、人類の救世主となることを望むようになった[20][68]。刹那をガンダムマイスターとしてヴェーダに推薦したのもリボンズである。『1st』では、既にCBを離れており、イオリア計画への介入を目論んでいた監視者アレハンドロに接触し、彼を自らの傀儡としている。そして世界を統合へ向かわせるとともに、CBを壊滅させ、ヴェーダを掌握した。また、この時点で監視者も全員抹殺している。『2nd』では、ヴェーダによる情報操作を駆使して世界の中枢を影から操り、地球連邦の実質的な支配者に等しい存在となっている[69]。自らの手駒となるイノベイドを生み出すと共に、独立治安維持部隊「アロウズ」を結成して反連邦勢力を駆逐し、世界の統一を強硬的な手段で推し進めた。その行動の根底には、本来使い捨てられる運命であった自身の有用性を証明したいという思いがあり、自身の力のみで計画を遂行することに固執している。そのため、同胞のイノベイドすら道具としか見なしていない。また、仲間に引き入れたルイスに細胞障害の治療としてナノマシン入りの錠剤を与え、スマルトロンの使用を許可し、後にレグナントを与えるなど、彼女のことは自身の野望の達成のために必要な人物として捉えている。常に余裕に満ちた傲岸不遜な態度を崩さないが、刹那のダブルオーライザーが自分の予想以上の力を発揮したことに苛立ちを覚えたりと短気な面もあり、留美に八つ当たりに近い形で手を上げたこともある。また、意識がヴェーダと直接リンクしているためにヴェーダが無事な限りは不死身に等しい存在であり、ヴェーダを掌握した後はヴェーダを破壊しない限り殺すことすら不可能となっていた。しかし、自身を純粋種すら超える上位種にして絶対種と称してはばからない傲慢さから、ティエリアとリジェネのヴェーダとのリンクやアクセス権を完全に抹消しなかったことが最終決戦で裏目に出てしまい、自らが完全に死ぬ結末を招くこととなる。当初は復活したCBをアロウズの権限を拡大するための都合のいい敵程度としか考えていなかったが、ヴェーダを掌握したはずの自分が把握していなかった「ツインドライヴシステム」の存在と、それを搭載したダブルオーライザーが見せた「量子化」といった驚異的な性能に動揺し、イオリアの計画を司る者としてのプライドからその機体を欲するようになる。メメントモリ攻略戦後にサーシェスに誘導させることで刹那と対面し、かつて0ガンダムのマイスターであったことを明かすが、刹那の戦いに対する考えの変化から拒絶される。さらには、ダブルオーから放出されるGN粒子の影響で「純粋種のイノベイター」への進化を遂げつつある刹那に気付いたことから、彼を打ち倒すことが自らの存在意義を証明する手段だと確信する。その後、憎しみと現実の間で苦悩していたルイスの前に自ら現れ、言葉巧みな誘惑でCBがイノベイター勢力にとっての最大の障害であると認識させ、ネーナを抹殺させて家族の仇を討たせた。また、ビリーやアンドレイに接触し、彼らにイノベイター勢力による支配を肯定させ、自分の配下に引き入れる。CBとの最終決戦では、初めは戦いを傍観していたが、トランザムバーストの発動でルイスの心が変化したうえ、ヴェーダを奪還されて大半の部下が戦死または戦線離脱したことにより、自ら動かざるを得なくなる。自分の手で刹那を倒す決意を固め、密かに開発していたリボーンズガンダムに搭乗し、ダブルオーライザーとツインドライヴ搭載機同士による激しい戦いを繰り広げる。死闘の末にダブルオーライザーを大破させ、オリジナルのGNドライヴを奪取すると、ラッセの乗り捨てた0ガンダムを偶然発見し、奪取したGNドライヴを搭載して機体を乗り換える。最後は、機体をエクシアRIIに乗り換えた刹那と月面にて交戦し、GNソード改でコックピットを貫かれて戦死する。作中においてリボンズは、『1st』の第1話において物語の発端として登場し、『2nd』の最終話で物語中最大の敵として倒されるという役割を担った。しかし、水島監督は『2nd』放送開始直後のインタビューにおいて、『00』の世界における悪意はリボンズのような1人の諸悪の根源が生み出しているものではなく、世界全体が生み出しているものであり、リボンズは物語を分かりやすくするための、象徴的な存在に過ぎないのだという趣旨の説明をしている[2]。水島監督は『2nd』の最終話直前に公開されたインタビューでも同様に、主人公がヒロイックな力で何かを成し遂げても、世界は変わらないのだという見解を示している[70]。リボンズの声を担当した蒼月昇は、放送中は各メディア上で謎の新人声優であると紹介されたが、その正体は本作のナレーションを務め、かつて『機動戦士ガンダム』などでアムロ・レイの声優を務めた古谷徹であることが放送終了後に明かされた[71]。同様に、0ガンダムやリボーンズガンダム[13]も古谷やアムロに対するリスペクトであると、スタッフのインタビューで語られた。『劇場版』では、木星探査船の破片が落下した各地でリボンズに似た人物が現れ、それを見た刹那を驚愕させたが、その正体は、木星探査船の乗組員だった外伝『00I 2314』に登場するスカイ・エクリプスというイノベイドに、ELSが擬態したもの。田口央斗による漫画版では、刹那との最終決戦でアニメ本編以上に彼へのコンプレックスを見せて説得を拒否し、「イノベイドの咎」として最期を受け入れる。また、小説版ではワインを趣味としており、ティエリアとのダンスパーティーにおいて、ワインを語る描写が存在する。リジェネ・レジェッタ声 - 朴璐美ティエリアと同じ塩基配列パターン0988タイプの遺伝子を基に生み出されたイノベイド。他のイノベイドたちとは異なり、MSに搭乗して戦闘に加わることはなく、リボンズに対しても不遜な態度は崩していない。『2nd』に先駆けて『1st』最終話に登場しており、その場面ではルイスと共に行動していたが、『2nd』本編で彼女と関わることは少なかった。『1st』の総集編である『スペシャルエディションI』にも、追加シーンに登場している。ヴェーダのホスト権を掌握してリーダーとして計画を進めていくリボンズの姿勢に内心では強い野心を抱いており、小説版では「その船頭は必ずしも彼ではなく、自分でもよいのではないのか?」と反意を膨らませていく描写が存在する。高河ゆんによる短篇漫画では、同型であるティエリアにこだわりを示しており、滅びる役割を彼に押しつけようとしたリボンズに対し、以前から反感を抱いていた様子も描かれている。そのため、独断でティエリアと接触して仲間に引き入れようとするなど、勝手な行動に出ることも多い。純粋種のイノベイターである刹那を必要とする独自の計画を遂行しようと、留美やネーナを利用して準備を進めるが、ヴェーダを掌握したリボンズにはすべての行動が筒抜けになっており、CBとの最終決戦前に彼からその事実を知らされると、踊らされていたことに逆上して彼に銃を向け、潜んでいたサーシェスによって射殺される。しかし、意識体は生き残っており、トランザムバーストによってリボンズの脳量子波が乱れた際には、同様に意識体となっていたティエリアのヴェーダ奪還に協力し、リボンズに一矢報いている。その後はティエリアと共にヴェーダ内で過ごしているが、劇場版では彼と違ってスペアボディは用意されていない。外伝『00I』では、「6人の仲間」の1人として登場する。また、コミック版ではネーナと共にリボンズに粛清宣告をされ、彼に操られたアニューと相討ちになったが、生き残った意識体がティエリアに協力した点はテレビアニメ版と共通している。リヴァイヴ・リバイバル声 - 斎賀みつき新型MS「ガデッサ」とともに、アロウズに配属されたイノベイド。物事をじっくり考える慎重な性格で、人間を見下してはいるが、マネキンのような能力の高い人間を認める柔軟性も持っている。小説版では、クラシック音楽を愛好している。イノベイドの中では最初にアロウズに配属される。プトレマイオス2が宇宙へ脱出する際には、GNメガランチャーで攻撃して上昇角度を変更させ、ジェジャン中佐の部隊がいる宙域へ差し向けた。CBにスパイとして送り込まれたアニューの対となる存在であり、彼女とリンクすることでプトレマイオス2の位置を突き止めていた。また、セラヴィーに敗北した際にはリボンズの指示であえて捕虜となり、アニューをイノベイドとして覚醒させ、ツインドライヴやトランザムの情報を盗み出させている。自身はオーライザーを奪取するも強制的にダブルオーと合体させられ、仕方なく銃でコンソールを破壊して脱出し、一矢報いている。その後、刹那の驚異的な戦闘能力について、純粋種のイノベイターへと進化しつつあるのではないかと推察している。CBとの最終決戦では、ヒリングとの連携攻撃でセラヴィーを大破させている。ヴェーダのバックアップを失うとシステムを切り替え、機体を再起動してリボンズの援護を行うが、刹那の援護に現れたロックオン(ライル)との一騎討ちとなる。最後は、冷静に逆転の機会をうかがっていたロックオン(ライル)の策に乗せられ、ケルディムにGNビームサーベルで切りかかったところを1秒間のトランザムによって回避され、背後からの超近距離射撃を受けて戦死する。ヒリング・ケア声 - 川庄美雪リボンズと同じ塩基配列パターン0026タイプの遺伝子を持つイノベイド[72]で、毛先のカーブ以外はリボンズと瓜二つである[73]。直情径行の好戦的な性格で、人間の感情を弄ぶような残酷さを度々見せている。グッドマンを嘲笑したり人間は不便だと話すなど、リヴァイヴと同じくイノベイドの優越を絶対視しており、戦闘で刹那に圧倒された際や、デヴァインやアニューが続けて戦死した時には動揺を表していた。同じ遺伝子を持つリボンズのことは強く信奉しており、絶対者として疑うことは無い。メメントモリ防衛戦や地上ではガデッサに、アニューやルイスを引き連れての戦闘や最終決戦ではガラッゾに搭乗し、CBと数多く交戦した。一見女性のような姿と物腰だが、肉体および精神に偏った性別はない中性であり、小説版では「彼」となっている。とは言え、「女性士官」としてアロウズ入りする際には、かなり「その気」になって力を入れており[注 11]、実際に男性士官からもデートの申し込みがあった。謹んで断ったものの、本人はデートというものに興味を示している。CBとの最終決戦では、アリオスとの一騎討ちを行う。しかし、ヴェーダのバックアップを失ったことで戦闘能力が低下し、さらにアレルヤが真の超兵の能力を発揮していたこともあって一方的に攻撃を受け(コアファイターも引き千切られてしまい、脱出もできなかった)、最後は巡航形態のアリオスに機体を両断され、リボンズに助けを請いながら戦死する。ブリング・スタビティ声 - 置鮎龍太郎塩基配列パターン0666タイプの遺伝子を持つイノベイド。きわめて寡黙で、仲間のイノベイドとさえも最低限の会話しか行わない。一方、イノベイターとして強い誇りと同胞意識を持っており、計画に逆らうティエリアには同じイノベイターとしての使命を果たすよう諭し、激しい感情を露にしている。リヴァイヴの次にアロウズに配属される。宇宙で艦隊と合流する前にはガラッゾに搭乗してプトレマイオス2を急襲し、メメントモリ攻略戦後には地上に不時着したプトレマイオス2をリヴァイヴのガデッサとともに襲撃した。最後はセラヴィーと交戦し、高い近接戦闘能力で圧倒するが、トランザムを行ったセラヴィーによって拘束され、分離したセラフィムの砲撃を受けて戦死する。イノベイドとしては最初の戦死者となり、その死はイノベイドの優越を絶対視していたリヴァイヴに大きな衝撃を与えている。『00F』では、ブラックプルトーネに搭乗し[74]フォン・スパークの隕石落しに協力している。ヒクサー・フェルミの搭乗するガンダムサダルスードTYPE-Fと交戦したが、撃破されてコアファイターで脱出した。その後、月面で再びブラックプルトーネに搭乗し、今度はフォンと交戦するが、またも敗北して脱出している。『00P SPECIAL EDITION』においては、ガラッゾに搭乗して再度フォンと交戦するが、敗北している[75]デヴァイン・ノヴァ声 - 置鮎龍太郎ブリングと同じ塩基配列パターン0666タイプの遺伝子を基に生み出されたイノベイド。ブリングより髪が短い。大型MA「エンプラス」に搭乗し、メメントモリ攻略後のプトレマイオス2を急襲して地上へ不時着させると、マネキンの指揮下でリヴァイヴたちとCBを攻撃し、機体のエグナーウィップでアリオスやセラヴィーを苦しめた。ブリングと同様にイノベイターとしての自尊心や同胞意識が強く、戦死したブリングにはその不甲斐なさに怒ったが、ダブルオーライザーと交戦した際には彼の仇を討つと口にしている。最後はメメントモリ2号基の発射に際し、グッドマンの指揮下でダブルオーライザーの前に立ちはだかったところ、発射を阻止しようとする同機にライザーソードを発動され、対抗して展開したGNフィールドごと機体を両断されて戦死する。イノベイド兵声 - 置鮎龍太郎ブリングやデヴァインと同じ塩基配列パターン0666タイプの遺伝子を基に、大量に生産されたイノベイド兵。ブリングやデヴァインのような自我は持たされておらず、与えられた命令を迷わず実行するだけのロボットに等しい存在である。特攻用MS「ガガ」に搭乗し、CBとカタロン、クーデター派艦隊に特攻する。敵味方の判別ができず、特攻の射線上にいる機体すべてが攻撃対象となっているに等しいが、特攻に巻き込まれたルイスはこれを逆手にとってダブルオーを拘束し、自分の犠牲と引き換えに刹那を倒す戦法をとるも失敗に終わっている。セラフィムのトライアルフィールド発動時にはガガの特攻が停止し、CBとの最終決戦後にヴェーダを通じて自身たちは調整を施される。『劇場版』では、イノベイドの技術担当として、ソレスタルビーイング号にて連邦軍に接収されたヴェーダの管理を任されている姿を、査察に訪れたマネキンとパトリックが目撃している。また、一部のイノベイド兵たちは連邦カラーのガガキャノンに搭乗し、ELSとの最終決戦に地球圏防衛の戦力の一員として出撃する。イース・イースター演 - 深澤大河舞台『機動戦士ガンダム00 -破壊による覚醒-Re:(in)nobvation』に登場する舞台オリジナルのイノベイド[76][77]。青いボブヘアが特徴。リジェネやリヴァイヴ、ヒリングと同様に好戦的であり、共にリボンズのもとで立ち回る。

配信で見た『宇宙戦艦ヤマト』の人物・設定表示............ジェロス23歳っすよ?.......................被ってるっす

「サードのジェロスっす。配信で見た『宇宙戦艦ヤマト』の人物・設定表示............ジェロス23歳っすよ?.......................被ってるっす」

地球人[編集]

沖田十三ヤマト艦長。52歳。歴戦の勇将だが、宇宙放射線病に侵されている。イスカンダルへの旅を命を賭けるだけの価値があるものだと考え、ヤマトに乗り込む。古代進ヤマト戦闘班長。18歳。冥王星会戦で兄(古代守)を連れ帰らなかった沖田を当初は信用していなかったが、次第に信頼していくようになる。血気盛んな性格で、命令違反や独断行動をよくとっていたが、航海の中で成長して行き、バラン星での戦闘後、沖田から艦長代理に任命される。森雪ヤマト生活班長。18歳。ヤマト唯一の女性乗組員[注 1]。後に古代と恋仲となる。島大介ヤマト航海班長。18歳。古代とは親友でありライバル。古代とは対照的に冷静な性格で、イスカンダルへの航海を最優先に考える。古代守駆逐艦ゆきかぜ」艦長。28歳。冥王星会戦において、撤退命令を拒否して敵艦隊へ特攻。艦体は土星の衛星タイタンで発見されるも、古代守を含む乗員は行方不明となる。アニメ版ではイスカンダル星で保護されていることが判明する。松本零士、ひおあきら漫画版では謎の宇宙船を操りヤマトの航海を助ける[注 2]

イスカンダル人[編集]

スターシャ(スターシァ、スターシア)イスカンダルの女王。地球へ救済の手を差し伸べる。サーシャ(サーシァ、サーシア)スターシャの妹。波動エンジンの設計図を持って地球へ向かうが、ガミラスの攻撃を受け火星に不時着。古代と島が発見したときには既に息絶えていた。

ガミラス人[編集]

松本零士漫画版を含む劇中では放射能を含む大気中でないと生きられない種族と描写されており、その性質を遊星爆弾による地球汚染やデスラー艦によるヤマトへの接舷攻撃に利用する。

デスラー大ガミラス帝国を統べる総統。地球への移住を計画する。ヒス大ガミラス帝国の副総統。ドメル太陽系方面作戦司令長官。歴戦を潜り抜けてきた名将で、ルビー戦線から凱旋帰国した後、ヤマト討伐に志願する。ゲール太陽系方面副司令官。元は司令官だったが、ドメルの着任に伴い降格された。ドメルとは折り合いが悪い。シュルツガミラス冥王星前線基地司令官。遊星爆弾を使用し、地球環境の改造を行った。

主な登場メカ[編集]

宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場艦船一覧」、「宇宙戦艦ヤマトシリーズの航空機・宇宙艇」、「宇宙戦艦ヤマトシリーズの輸送船・特殊艦船」、および「宇宙戦艦ヤマトシリーズの陸上兵器・地上部隊」も参照

地球防衛軍[編集]

艦艇[編集]

宇宙戦艦ヤマト本作の主役戦艦。全長265.8m。乗組員数114名。イスカンダルから提供された波動エンジンの設計図により、地球で最初に光速突破を果たした。元々は選ばれた人類を乗せて地球を脱出するために造られた移民船。沖田艦地球防衛艦隊に所属する宇宙戦艦。冥王星会戦において唯一生還した。突撃宇宙駆逐艦ゆきかぜ地球防衛艦隊に所属するミサイル艦で、古代守が艦長を務める。同型艦が多数登場するが、全艦撃沈される。

航空機・宇宙艇[編集]

コスモゼロヤマト艦載機。運用の位置付けは基本、戦闘班長および編隊長機。ブラックタイガーヤマト艦載機。

ガミラス軍[編集]

ガミラス軍の艦艇[編集]

駆逐型デストロイヤー艦ガミラスの中では最もポピュラーな艦艇。ヤマトより旧型の地球艦では全く歯が立たない性能を有している。高速空母ガミラスが保有する円盤型の空母。発進前のヤマトを急襲した。ドメラーズ2世七色星団の戦いにおけるドメル艦隊の旗艦。艦首両舷に瞬間物質移送器を搭載しており、艦載機をワープさせることでヤマトへの奇襲を行った。三段空母ガミラスの精鋭空母。4つの飛行甲板を有する。七色星団の戦いにおいて、ルビー、サファイア、ダイヤ戦線から3隻が召集された。戦闘空母ガミラスの精鋭空母。飛行甲板を反転させることで多数の砲門を露出させ、砲撃戦も行うことができる。七色星団の戦いにおいて、オメガ戦線から召集された。デスラー艦デスラーの座乗艦で、元はガミラス天井都市にある総統府。艦首に波動砲と同原理のデスラー砲を搭載している。

ガミラス軍の航空機・宇宙艇[編集]

ガミラス戦闘機冥王星前線基地等に配備されている戦闘機。後に偵察任務の1機がヤマトに鹵獲された。ドメル式DMF-3型高速戦闘機七色星団の戦いにおいて第1空母に搭載された戦闘機。通称「ガミラスファイター」。ドメル式DMB-87型急降下爆撃機七色星団の戦いにおいて第2空母に搭載された急降下爆撃機ドメル式DMT-97型雷撃機七色星団の戦いにおいて第3空母に搭載された雷撃機重爆撃機七色星団の戦いにおいて戦闘空母に搭載された大型の爆撃機。ヤマトの波動砲口にドリルミサイルを撃ち込んだ。

ガミラス軍の各種兵器[編集]

遊星爆弾地球に投下されている隕石型の爆弾で、地球上の都市を壊滅へ追いやり、地表を放射能で汚染した。反射衛星砲冥王星前線基地に配備されていた拠点防衛兵器。反射衛星を中継して砲撃を行うことができ、事実上の死角がない。

登場勢力・天体[編集]

宇宙戦艦ヤマトシリーズの天体」も参照

太陽系地球太陽系第3惑星。ガミラスの手によって地表を放射能汚染されており、その放射能が地下都市をも汚染しつつある。地球防衛軍地球を守るために編成された軍。ガミラスとの戦いで消耗し切っており、最後の頼みである地球防衛艦隊も冥王星会戦で壊滅した。火星太陽系第4惑星。冥王星会戦の最中、サーシャが不時着した。木星太陽系第5惑星。波動エンジンに異常を来たしたヤマトがその引力につかまり、木星圏へ引き寄せられた。浮遊大陸木星の雲の中の衛星軌道に乗っている大陸。ガミラスによって占領されていたが、ヤマトの波動砲によって消滅した。土星太陽系第6惑星。タイタン土星の衛星。ヤマトの修理に必要なコスモナイトがあるため立ち寄り、漂着していた「ゆきかぜ」が発見される。冥王星太陽系第9惑星[注 3]。ガミラスの前線基地が設置されている。

太陽系サンザー大マゼラン星雲内にある恒星系。イスカンダルサンザーの第8惑星。表面の大半は青い海に覆われている。ガミラス星とは二重惑星の関係。ガミラス帝国サンザーの第8惑星を母星とする星間国家。地球の暦で20世紀初め以来、宇宙侵略を着々と進めていたが、母星の寿命が近づいたため地球への移住を計画し、地球人類の抹殺を計る。火山活動などによる浸食で地下に空洞が広がり、その天井にも都市が築かれているほか、海は濃硫酸と化している。

オクトパス原始星団銀河系と外宇宙の境界付近にある8つの原始星で構成された星団。ヤマトはここで3週間もの足止めを食うことになる。ビーメラ星銀河間空間に存在する惑星。[昆虫型のヒューマノイドによる社会が構成されているが、現在ではガミラスの支配下に置かれ、ガミラスの傀儡と化した女王による恐怖政治が行われている。バラン星銀河系と大マゼラン星雲のちょうど中間に位置する惑星。ガミラスの基地が存在する。主星を持たない暗黒の星だが、ガミラスによって打ち上げられた人工太陽が惑星の周囲を周っている。七色星団大マゼラン星雲の手前にある星団。それぞれ違った環境の6つの星とガス状の暗黒星雲からなる混成星団。ヤマトとドメル艦隊による決戦が行われた。

用語[編集]

波動エンジンイスカンダルから伝えられた恒星間航行用エンジン。宇宙エネルギーを取り込み圧縮して、光よりも速いタキオン粒子に変換し、それを動力とする。宇宙キロ・宇宙ノット本作で使用される架空の単位。宇宙キロは宇宙空間での距離を表す場合に、宇宙ノットは宇宙空間での艦船などの速度を表す場合に使用される。宇宙キロ、宇宙ノットは共に、本作に限らず松本作品で宇宙を舞台とした作品でしばしば使用されるが、実在する距離・速度との換算が作中に明確に登場したことはない。宇宙放射線病ヤマトの初代艦長沖田十三が度重なる宇宙戦闘で受けた戦傷により発症する。ヤマト出航前から既に蝕まれており、航海途中に悪化する。本作のリスペクトとして『トップをねらえ!』、続く『トップをねらえ2!』に同様の病名が登場している。コスモクリーナーDイスカンダル星所有の放射能除去装置。イスカンダル星のスターシャから、「滅亡したくなければ、受け取りに来るように」のメッセージが地球に送られ、ヤマトは旅立つことになる。イスカンダル星ではパーツ単位で引き渡され、スケジュールの関係上、地球への帰路の最中に真田志郎により艦内工場にて組み立てられる。地球到着直前、不測の事態により試運転もなしに起動、空気から放射能を除去する過程で酸欠状態を作り出してしまうことが判明、改修が行われた。そして、ヤマトの帰還とともに、荒廃した地球が元の青さを取り戻す光景が、本作のラストシーンとなった。

ジェロス凄いだろう?バカっているから独立しても食ってけるぞ?

「俺は監督だ!ジェロス凄いだろう?バカっているから独立しても食ってけるぞ?」

「サードのジェロスっす。ここの職場気に入ってるし待遇良いし残業や休日出勤ないし労働時間守ってるから辞めたくないっす。それにバカ以下の扱い疲れるから厭っす」

「文芸部です。文芸は設定被ったら敗北事項決定です」

「殺陣師だ!『ガンダムビルドファイターズトライ』の話に戻していいか?孫いるって言ったよな?バンダイチャンネルで『ガンダムビルドファイターズトライ』孫と一緒に見たよ?...................黒田洋介さあ?少しは格闘技リサーチしてくれ?合気道や八極拳やボクシングって全部脚捌き違うんだよ。合気道は直線と円だし八極拳は直線主体の中国拳法でボクシングはスポーツどれもタイプが違う格闘技でイノセ・ジュンヤって無駄な格闘技体系積んだな?合気道のみしか使えないし合気道の投げ技って脚捌き重点だよ。八極拳って洪家拳の主である形意拳の一つだよ。『拳児』読んだだけか?...............俺はチャンバラバカだよ?SFは知らないが『宇宙戦艦ヤマト』は知ってるが比べるとそっくりだな?」

「俺は監督だ!やっぱ黒田洋介ウルトラのバカ超えたウルトラのバカだ。表示してくれ」

半年2クールずつ、2シーズンに分けて制作放映された『機動戦士ガンダム00』の脚本を、黒田が一人で執筆した理由は、「大河ドラマ形式の作品ならばひとりで書いたほうがいいだろうと思ったから」とのことである[3]。分割放送が決まった時は、絶対に視聴者にマイナスに受け取られると思い、監督の水島精二に泣きながら電話をするほど嘆いたという

「文芸部です。現代社会問題をSFしかもロボットアニメしかもガンダムシリーズで書けるわけないです。現在進行形で問題が山角だから現代社会問題です。現行の国内の政治システム把握して社会問題描くドラマありますが小さな事件で現行社会問題描くから書けるんです。これも関弘美と同じ勘違いです。把握出来たんですか?国際社会問題?007シリーズですらお笑いです。それをSFやロボットアニメやガンダムシリーズで大真面目です。混沌とするだけです。SF考証 - 千葉智宏寺岡賢司に設定協力 - 岡部いさくは千葉智浩はスタジオオルファで寺岡賢司はアニメーターで岡部いさくは軍事評論家でガノタです。肝心の政治学者がいないではないですか?このような場合ネックになるのが国際政治学です。ミリタリーの基本と応用は国際政治学です。国際政治学がない場合は必然的にSFでアニメでわかり易く作りやすいのは『宇宙戦艦ヤマト』です。高河ゆんも気の毒です。登場人物全員が戦争の背景のみのキャラで日常性がありませんから無機質キャラに登場人物全員になります」

「俺は監督だ!勉強になるだろう?ジェロス?たかだかアニメで政治語れないの?ましてや精神である宗教もだ。やるには『空飛ぶモンティパイソン』や『サウスパーク』のようなブラックユーモアだよ?ジンジンにタクミ?そう現代社会問題はお笑いで片付けるのが筋だよ?スタンリー・キューブリックってそういう監督でお笑いなの?お笑い専門監督だよ?それが怖いから現代社会問題を風刺してるの?そうお笑いこそ最強の創作だよ?トッド・フィリップスの『ジョーカー』もお笑いでそれが怖いから笑えるのその上でテストだ?ジェロス?ジンジンとタクミ?何故ガーディアンパラダイスやヒーリングエデンの描写がない?F県F市M町はロケハンすればいいがガーディアンパラダイスやヒーリングエデンはそうはいかん。だが描写が無い文芸志望のジェロス答えられるだろ?今までの会話辿れ」

「サードのジェロスっす。文芸にそれを求めるのはお門違いっす。文芸は描写ではなく会話のみが必要事項っす。『機動戦士ガンダム00』は世界観設定で破綻したっす。美術と助監督の仕事っす」

「フォースのジンジンです。世界観考えたらガーディアンパラダイスもヒーリングエデンも同じ場所にあります。天国と地獄は同じだからです」

「フォースのタクミです。ガーディアンパラダイスはマイケル・ジャクソンのネバーランドでヒーリングエデンはヒーリングガーデンそのものです」

「俺は監督だ!大合格!見事な答えだ。ジェロス?大当たりだ。文芸の仕事じゃないのに国際政治問題扱うから大火傷したのが『機動戦士ガンダム00』。それはもう文芸の仕事じゃない。それなのに引き受けて亡霊になる無能以下のバカ以下いるの?意味わかった?『ガサラキ』がいかに優れた脚本で現状把握した上で国際政治扱い豪和ユウシロウと豪和美鈴のアダムとイブのラブストーリー描いたかな?描いたんだ?それをオタク嫌ったんだ。谷口悟朗はオタクバカにするためにコメディで王家大爆笑のコント作るしかないだろう?『コードギアス 反逆のルルーシュ』シリーズってお笑いだよ。そうだよ?王家大爆笑は怖いの?ファミリーのサーガを愛憎、嫉妬、裏切り、復讐で起こる悲惨以下の末路と悲惨以下の死と死んだ後も死ぬ程笑えるように作ってあるからな?名称も王家や王族や皇帝や女帝や教皇や女教皇や王や女王のリアリティショーとして上演するんだ?しかも親切に呼び込みでオチも言うんだ?シェークスピアの格言がそれ?親切だろ?シェークスピア?でも王や女王も見るんだ?自分のリアリティショーね?それで感動してるんだ?偉大で歴史に残るってね?逆なのにね?それを観客である貧しい大衆が王家大爆笑を死ぬ程笑うんだ!歴史に残って死ぬ程笑える保証付きなのだから美術コンセプトはガーディアンパラダイスはマイケル・ジャクソンのネバーランドでヒーリングエデンはヒーリングガーデンだ?どちらも現代のシェークスピアだ。それがコンセプトだ。もういいぞ?ジェロスにジンジンにタクミ?もうここまでわかれば映画監督や脚本家として食ってけるから」

「サードのジェロスっす。前にも言いましたがここの職場気に入ってるし待遇良いし残業や休日出勤ないし労働時間守ってるから辞めたくないっす。それにバカ以下の扱い疲れるから厭っす」

「フォースのジンジンです。だってここホワイト職場ですよ?給料も良いし労働時間オーバーしないしGWや夏休みや冬休みや有給休暇もどの職場よりも良いんです」

「フォースのタクミです。しかも社員旅行付きでパワハラモラハラセクハラ一切なし辞めたくても辞められない」

「俺は監督だ!ここの職場スタジオシステムじゃないが組として安定してるからな?木下恵介って松竹の監督だが優秀なテレビマンだよ?だから多作だし国際的評価も高いの?効率がいい松竹悲喜劇の代名詞だ?助監督?バカな映画ファンでSFオタクでよく山崎貴は木下恵介以来の人間ドラマの巨匠とか言う奴いるが違うよな?」

「アタシャ助監督よ?山崎貴の山崎組って白組ってVFX部門会社がある時点で演出専門の組じゃないの?演出を音楽で誤魔化されてる証拠よ?「芸能人格付けチェック」でテレビマンと山崎貴を音楽同一にしたら確実にテレビマンの演出が上手いって芸能人ですらも指摘できるくらいよ」

「俺は監督だ!鰯の頭も信心からと言うがそうなれば信仰心崩れるよな?山崎貴って三大国際映画祭にコンペティションで呼ばれてないの細田守の『竜とそばかす姫』もコンペティションではなくカンヌ・プルミエールでこれまでの作品が高く評価されている監督達の注目すべき新作を集めた部門である。つまりは三軍だよ?アカデミー賞でアニメーション部門でノミネートされてこれだよ?三軍扱いだ?広告費制作費つぎ込んで三軍扱いだし全体の予算考えたら死ぬ程効率悪いな?しかも海外スタッフがピラニアのように群がって指揮系統は破綻。そうだよ?三大国際映画祭って受賞しないと意味ないの?エンターテインメント作品は宣伝と宣伝目的のプロモーションに三大国際映画祭利用するの?『L.A.コンフィデンシャル』はアカデミー賞向けの作品だからカンヌ国際映画祭は宣伝と宣伝目的のみだから三大国際映画祭って魑魅魍魎の生き馬の目を抜くサバイバルだから『竜とそばかす姫』はダミーの商品で『カブキマン』とかテレビ番組売りつけるのが三大国際映画祭の世界だよ」

「広告担当だ!そうだよ。三大国際映画祭って俺ら広告担当の力がもの言うんだ。なんだかんだで三大国際映画祭ってビジネスの場だ。アート映画じゃないんだ。エンターテインメント映画の買い付けや売りつけの本場が三大国際映画祭だよ。配給担当がそれやるの?アート映画って儲かるかよ!海外で映画監督や批評家に絶賛されるか三大国際映画祭やアカデミー賞受賞しないと無以下だ。アカデミー賞は広告がもの言うんだ。プロモーションやアカデミー賞会員の根回しや再上映などもう金がいくらあっても邦画では無理がある。『おくりびと』は超ラッキーなだけだ。対抗馬がいないかったからな」

「俺は監督だ!基本的に山崎貴も福田雄一も良い人だよ?本広克行や堤幸彦もね。問題起さないから山崎貴は映画撮れるの?そうだよ?問題起さない奴が邦画大作撮れるの?でも山崎貴は演出の概念素人以下だよ?それでも撮れるの?逆に言えば代わりは幾らでもいるの?その代わり山崎貴は日本映画界のドンだよ?形だけのね?いるんだよ?名義上の巨匠ってね?日本映画監督協会って組織だよ?『映画監督って何だ!』って映画監督の著作権訴えた映画だよ!映画は作品であるから監督もアーティストであるって映画で当然エキストラ以下で根本順善も出てる映画で日本映画監督協会主催だから協会所属の映画監督多数だよ。そう映画監督って食えないから日本映画監督協会が出来たの?テレビはかろうじて食えるが俺は監督で雇われ?雇われなきゃホームレスだよ。それが映像業界でハリウッドも同じで何処でもそうだがテレビで雇われなきゃ役立たず以下だ。わかっただろう?根本順善がDVヒモ野郎のコバンザメ以下のパクリ野郎の勘違い以下で更に史上最悪のヒモ以下の理由が、映画監督って名称で食ってるからだ。だから腹が立つ!詐欺すら出来ずに黒澤明気取りで実力は三流コピーボーイ以下すら出来ないコネ野郎だからな。現実には根本順善はまだマシだよ?真面目に働いた監督は老後の貯えすらなく工事現場のバイトで根本順善と同じ年齢で夜間も働いて年金すら貰えず孤独死する場合が多数だ。甘えるな!根本順善!根本順善は映像業界の恥垢だよ。俺も言った」

「プロデューサーだ!クズは死ね」

心の指紋

この物語をマイケル・チミノとベルドナルド・ベルトルッチとテレンス・マリックとブライアン・デ・パルマとミロス・フォアマンとダルのどを愛した人々すべてに捧ぐ

第一稿 転

に続く


是非とも『心の指紋』読んでもらえればありがたいです。 これはまだプロットタイプですので有料化の際はサービスします