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ポール・サイモンの東京ドーム・ライヴを妻と観た 1991年10月12日 〜 というわけで 30周年

タイトルに使った写真は当日のステージを筆者が撮影した, ような類ではなくて, 当日会場で入手した当時のツアー Born at The Right Time Tour のパンフレットに掲載された写真からとったもの(多分ツアーのリハーサル時の写真)。あの日から18年後の2009年7月11日のサイモンとガーファンクルの東京ドームでのライヴには当時高校2年だった息子も一緒で, 妻子と3人で観に行ったけれど, 1991年10月12日のポール・サイモンの同じく東京ドームでのライヴの時は, まだ息子は生まれていなかった。というわけで, 妻と2人で観に行った, あの日から今日で 30周年。因みに, 明日 2021年10月13日は, ポール・サイモンの80歳の誕生日。

1988年3月13日に結婚して, それから 3年7ヶ月

今日 2021年10月12日からちょうど 30年前の 1991年10月12日, ポール・サイモンの東京ドームでのライヴを観たのは, 結婚して 3年7ヶ月後, 3 と 7 はなかなかにいい, 好きな数字だなぁ, 当然ながらたまたまのタイミングだけど(笑)。

たぶん自分の音楽耳と音楽脳は, その 1/3 ぐらいが, ポール・サイモン(の音楽)によって作られてる

「洋楽」なるものを意識して聴くようになったのは 1970年辺り, 小4の頃からだけど(これはショッキング・ブルー),

音楽を本格的に聴くようになった頃に一番聴いていたのは, サイモンとガーファンクル, そしてポール・サイモン。少しだけ遅れてエリック・クラプトン(タイトル写真は随分と後年のアルバム, 1998年の "Pilgrim" のカヴァーでタイトルにある "River of Tears" もそのアルバムの収録曲だけど)。

兎にも角にも, たぶん自分の音楽耳と音楽脳は, その 1/3 ぐらいが, ポール・サイモンの音楽によって作られていて, それに近いぐらい, 1/3弱程度が エリック・クラプトン(の音楽)。

音楽自体はもちろんそれだけでなく, 他のロックでもブルーズでも R&B でもソウルでもジャズでもクラシックでもいわゆる「ワールドミュージック」(あんまり好きな言葉じゃないけれど)でも, とにかく好きで, 要するになんでも聴くけれど。しかしポール・サイモンの音楽, ギターや歌や歌詞を含めた全てからの影響は相当に大きい。

そんなポール・サイモン, 1974年に初来日の公演をしているけれど, 自分が初めて観たロック等のポピュラー音楽のライヴは翌1975年のエリック・クラプトンの2度目の来日公演の時のライヴで(上掲リンク note の冒頭の章に音源あり), 件のポール・サイモン初来日公演は観逃している。それからサイモンとガーファンクルとしての初来日は(最初の「再結成」の時の)1982年5月で, この時は大阪スタヂアムと後楽園球場が会場, 自分は札幌にいた学生時代で, これも観逃していた(ついでに書くとサイモンとガーファンクルの2度目の来日は1993年12月, これはちょうど仕事の韓国出張とタイミングが重なってしまって観に行けず, 本 note 冒頭に書いた通り, 2009年7月, サイモンとガーファンクル 3度目の来日時に東京ドームでのライヴを妻子と3人で観ることができた)。

1991年10月12日, ポール・サイモン東京ドーム公演 〜 セットリストの謎(が解けてきた, 本当はおそらく 26曲ぐらい)

2021年10月14日編集 >>
まず見出しに「の謎(が解けてきた, 本当はおそらく 26曲ぐらい)」を加筆。その上で, 以下の文章を全面的に編集。なお, 最初の投稿時点で情報が不正確だったと思われる箇所は引用形式の表示に変える。

前章に書いた通りで, 10歳の頃から聴いてきたポール・サイモンのライヴを31歳になって(ポール・サイモン本人は50歳の誕生日の前日!)ようやく観れる・聴けることになった 1991年10月12日

あの日あの時のライヴについて随分後になって振り返った時(ライヴ観てから20年以上経ってたけど), 当日演奏した曲, 歌った曲がたったの 15曲だったことに気づいて, 正直 些か驚いた。これだと時間にして多分, 長くてもせいぜい1時間20分程度。この時期のツアーのセトリを見ても彼はもっと沢山の曲数をステージでこなしていて, この年の日本公演での曲数が何故これほど少なかったのかは謎。

2021年10月14日加筆 >>
本稿を一昨日(2021年10月12日)投稿した後, ツイッター上で当時の大阪公演(1991年10月9日, 10日)を観たポール・サイモンの大ファン(筆者に負けず劣らずの大ファンで十二分に信頼できるファン, というかセトリ記憶については完全に筆者の「負け」, 笑)と情報交換し, 大阪公演のセットリストが直前のアメリカ公演と同じだったことを知った。例示されたのは 1991年9月29日のカリフォルニア州での公演で, そのセットリストはこれ。

*このサイトでは 1991年10月10日の大阪公演は15曲しか上がっておらず(前日9日は情報なく非表示), 不完全なセットリストのまま掲載されていることになる。同サイトでは筆者が行った 1991年10月12日の東京公演も15曲のみ掲載されており(ただし曲順や曲目の相当部分において大阪公演の15曲掲載分と相違がある), 筆者はそれをとりあえず信じて「おかしい, おかしい」と首を傾げていたのだが, 要はそのセットリスト情報交換サイト(のようなもの)における当該日本公演に関しての掲載内容が極めて不完全なものだったのではないかと思われる(東京公演に関しては, 本 note 後段の章で掲載する YouTube 上のヴィデオクリップを見ると察しがつくのだが, 同ヴィデオはテレビ放映用に編集されたものがアップされたもののようで, その内容が件のセトリ情報サイト掲載内容に影響を与えた可能性あり)。そこで, 以下, 本章後段の 1991年10月12日 東京公演セットリストを, 上記の推測に基づき, 当初の本稿における掲載内容から改めることにする。

ポール・サイモンはもちろん超一流ミュージシャンだし, この時のツアーのメンバーも(一般的な知名度超高い3人だけとりあえず名前出しておくと)マイケル・ブレッカー, スティーヴ・ガッド, リチャード・ティーはじめそのほか超豪華ミュージシャン揃いで且つ大所帯の陣容(以下, 当日のパンフからたったいま撮った, 笑)。

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日本に招聘した興行主がギャラをケチったとかそんな理由が絶対無かったとは言えないけれど(まさかとは思うものの!), 

2021年10月14日加筆 >>
*上記の通りで, セットリストは直前のアメリカ公演並みだったものと思われる。よって, 上記 引用形式の表示に変えた部分は, もはや無意味なくだり。

あの日のライヴのパフォーマンスには全く問題がなかったどころか, いや素晴らしいの一語であって, 尚且つポール・サイモン自身の「機嫌」もかなり良かったのをよく憶えている。あの時のライヴでどれだけ彼が「機嫌」よく演奏して, 歌っていたか, そして勿論どれだけ観衆が熱狂していたかは, 今日のこの note に載せる当日のライヴ音源のヴィデオを観ると実によく分かる。

曲の少なさ自体は今もって謎だなぁ。席が少し前だった細浦晴臣翁, 何かご存知ないだろうか(幸い結構いい席をとれていたんだけど, 数列前の席に細野晴臣翁と彼の娘さんなのか若い彼女なのか, 日本のミュージシャンで最も好きなミュージシャンの一人ながら私生活関係は全く詳しくないので分からないけれど, とにかく女性と二人で来てた; ライヴの冒頭だったか途中だったか終盤の方だったか思い出せないけれど観客の総立ち時に姿が見えたのだった, 脱線の余談, 以上!)。

2021年10月14日加筆 >>
細野さんが来ていたのはよく憶えているけれど, 上述の通りで, 筆者が頼りにしていた(セットリスト情報が出ている)サイトに掲載された当時の日本公演のセットリストは不足部分が相当にあり, かなり不完全なものであったと思われる。この推測に基づき, かつ上述の(東京の直前の)大阪公演に行った人の情報から類推して, 1991年9月29日のカリフォルニア州での公演のセットリストと(ほぼ)同じであれば, という前提で, 1991年10月12日のポール・サイモン東京ドーム公演のセットリストは, おおよそ下記のようなものであったと考えられる。

1. The Obvious Child
2. The Boy in the Bubble
3. She Moves On
4. Kodachrome
5. Born at the Right Time
6. Train in the Distance
7. Me and Julio Down by the Schoolyard
8. I Know What I Know
9. The Cool, Cool River
10. Bridge Over Troubled Water (Simon & Garfunkel song)
11. Proof
12. *Instrumental with Michael Brecker solo
13. The Coast
14. Graceland
15. You Can Call Me Al
16. Still Crazy After All These Years
17. Loves Me Like a Rock
18. Diamonds on the Soles of Her Shoes
19. Hearts and Bones
20. Cecilia (Simon & Garfunkel song)
21. Late in the Evening
22. Gone at Last
23. America (Simon & Garfunkel song)
24. The Boxer (Simon & Garfunkel song)
25. Mrs. Robinson (Simon & Garfunkel song)
26. The Sound of Silence (Simon & Garfunkel song) 

"Kodachrome" LIVE at Tokyo Dome on October 12, 1991 〜 歌詞和訳つき ♫

このアルバム収録曲。

歌詞和訳はこれ。ただし, 以下 note 第4章 日本では 「ナイコン」 でなく 「ニコン」 と歌った、ポール・サイモン で書いたように, この時は日本のファンへのイカしたサービスをしていて, 歌詞の中の日本のカメラメーカー Nikon について, 最初の箇所ではスタジオ・ヴァージョン通りにアメリカ式の発音で「ナイコン」と歌っているけれど, 2度目の箇所では日本人のオリジナル発音「ニコン」で歌っている。また, その章に書いたことを引用すると, 

ライヴではスタジオ・ヴァージョンの "Everything looks worse in black and white" を "Everything looks BETTER in black and white" と歌うことがしばしばあり(実際にどちらが多いのか分からないが)、この時もそう。
"better" と歌われると些か捻った解釈が必要になるかもしれないが、それについてはまたいつか考えてみるかなと(笑)。Because "when I think back on all the crap I learned in high school, it’s a wonder that I can THINK at all" ♫

さらにもう一箇所, 上掲 note 第4章から引用しておくと, 

この曲に関して言えば、やっぱマッスル・ショールズ録音のスタジオ・ヴァージョンのドライヴ感、グルーヴにはちょっとかなわない。しかし当日のライヴ全体のパフォーマンスは非常によかった ♫

ではでは, あの日のライヴから, Kodachrome

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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高校で習ったガラクタの全てを思い起こしてたんだけど
驚きだね、僕はいま何だってじっくり考えられるんだから
まぁそもそも学校の勉強なんか出来なくたって困ったことないし
ほら、壁の落書きだって読めるんだぜ

コダクローム
イカした明るい色をくれるし
夏の緑だって分けてくれる
世界中が青空だって思わせてくれるほどさ、だろ?
それにナイコン(ニコン)のカメラだって手に入れたんだ
だったら写真撮るのは楽しくてたまらなくなるよね
だからママお願いだよ、僕のコダクロームを取り上げないで

独身時代に知り合った女の子の写真を撮っていて
一晩のうちにまとめて持ってきたとするよ
でもそれって僕の甘美な想像にはかないっこないんだよ

Everything looks BETTER in black and white
白黒の方が全てよく見えてしまうんだよね

コダクローム
イカした明るい色をくれるし
夏の緑だって分けてくれる
世界中が青空だって思わせてくれるほどさ、だろ?

I got a "ニコン" camera
それに ニコン のカメラだって手に入れたんだ

だったら写真撮るのは楽しくてたまらなくなるよね
だからママお願いだよ、僕のコダクロームを取り上げないで

コダクロームを取り上げないで
コダクロームを取り上げないで

コダクロームを取らないで
コダクロームを取らないで
コダクロームを取り上げないで

コダクロームを取らないで
僕を放っておいて
コダクロームを取り上げないで
コダクロームを取らないで
コダクロームを取り上げないで

"Me and Julio Down by the Schoolyard" LIVE at Tokyo Dome on October 12, 1991 ♫

このアルバム収録曲。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

"Still Crazy After All These Years" LIVE at Tokyo Dome on October 12, 1991 〜 歌詞和訳つき ♫

このアルバム収録曲。

歌詞和訳はこれ。ただしいつの頃からかライヴではスタジオ・ヴァージョンの "Four in the morning, crapped out" を "Four in the morning, tapped out" と歌うようになっていて, 1991年10月12日の東京ドームでのライヴでもそうだった。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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昨日の夜、街で思いがけず彼女を見かけた
とても嬉しそうに見えて、僕も微笑みを返した
それから、昔の思い出を話しながら
しこたまビールを飲んだってわけ
今でもイカレてる
ずっとイカレたままさ

僕は付き合いのいい方じゃない
案外、慣れ親しんだやり方から離れられないかな?
ラブソングに騙されるほどピュアでもないし
・・・ 耳元で囁くようなラブソングにはね
だけどイカレたままだ
僕は今も君に夢中だよ

明け方の4時
くたびれて、あくびをしながら
僕の人生なんて消えてしまえばいいって思う
心配なんてするもんか
なんで僕がしなくちゃいけない?
どうせいつかはみんな消えてなくなるのさ

僕はいま窓際に座って
外を走る車を眺めてる
ある晴れた日、僕も誰かを傷つけるだろうか
だけど罪に問われたりしないさ
陪審員達だって僕と同じじゃないか
今もイカレてるのさ … イカレてる … イカレてる
みんなずっとイカレてるんだ

"America" LIVE at Tokyo Dome on October 12, 1991 〜 歌詞和訳つき ♫

歌詞和訳はこれ。タイトル写真はポール・サイモンの S&G時代, 事実上の1枚目のソロ・アルバムである 1965年リリースの "The Paul Simon Songbook" のカヴァー写真。"America" は 1968年リリースの S&G 4枚目のアルバム "Bookends" に収録されたもので, 当然ながら "The Paul Simon Songbook" には収録されていないけれど, "America" の歌詞の中に登場する Kathy, つまり Paul Simon の当時の恋人 Kathleen Chitty がこの写真で Paul の右側に写っている女性, そこでこの写真を使うことにした。

"America" 歌詞和訳 note, もう1本。

この歌, ライヴで聴いて, やっぱ 涙 出たような気がする。泣けたと思う。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 お金なら何とかなるさ
 バッグに少し持ち合わせているんだ」

そして僕らは タバコを一箱と
ミセス・ワグナーのパイを買いました
それから歩き始めたのです
アメリカを探すために

「キャシー」と僕は言いました
僕らはピッツバーグでグレイハウンドに乗っていました
「ミシガンは僕には今では夢のようだよ
 前なら4日もかかったんだ
 サギノウからヒッチハイクをしたらね
 僕はアメリカを探しに来たんだ」

バスの中では二人で笑い合って
乗客の顔を見ながらゲームをしました
彼女がギャバジン・スーツの男は
実はスパイなのよと言うので
僕は言ったんです
「気をつけなよ 彼の蝶ネクタイは本当はカメラなんだ」

「タバコを投げてくれないか
 レインコートに1本残っているはずだから」
「私達、最後の1本を吸ってしまったのよ
 1時間も前にね」

だから僕は窓の外を眺めたんです
彼女は雑誌を読んでいました
外では大地の彼方を月が昇っているところでした

「キャシー、僕はわからなくなってしまったよ」
彼女が眠っているのは知っていました
「僕は空っぽで 苦しくて
 おまけにどうしてなのかもわからないんだ」

ニュージャージー・ターンパイクでは
走る車を数えたりしましたが
彼らもみんな アメリカを探しにやって来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです

"Mrs. Robinson", "The Sound of Silence" LIVE at Tokyo Dome on October 12, 1991 〜 映画「卒業」も頭の片隅で思い出しつつ ♫

映画の方も矢鱈と懐かしいけれど。

さてさて, 最後の2曲を ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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