LET IT BE (The Beatles) 〜 歌詞和訳
はじめに
自分の音楽脳と音楽耳の「土台」は Paul Simon, Eric Clapton の二人, あと一つ加えるとするなら Pink Floyd, この 3つ(バンドを加えて 3人と言えなくなってしまい、もちろん 3バンドとも言えないから 3つ!!!)によって創られたので、その音楽脳・耳の生成期には The Beatles の洗礼を受けていない。いま「洗礼」って書いて思わず「あ、そうか」と頭に浮かんだのは、今日取り上げる曲 "LET IT BE" の歌詞に出てくる Mother Mary は誰のことなのかってこと。
普通は「聖母マリア」つまり The Mother of Jesus Christ だと思うだろうし、大抵そう訳されるところ。実際、筆者もずっとそうだと思ってた。でも Paul McCartney が書いた Mother Mary はそれとは違う人のことだったらしい。つまり、筆者は冒頭で「洗礼」と書いたけれど、「洗礼」と言えば真っ先に思い浮かべるのはキリスト教、キリスト教と言えば、筆者のような非キリスト教徒が最初にイメージするのは「神」なるものよりもむしろ「イエス・キリスト」、そしてその母親は「聖母マリア」、おお「聖母マリア」か、ビートルズの「レット・イット・ビー」の歌詞の中にあったなと、まぁこう連想ゲームしたりするのは、どうやら、本当は、「それ、違いますよ」ってことらしいのだ。このことについては、本投稿の後段の章にて。
というわけで上の段落、最後の方で、英語のアルファベット表記を使うのはやめて、カタカナに変えた。そもそも 1960年生まれの筆者、その音楽脳・音楽耳の生成期にはビートルズの音楽の洗礼を受けていないと書いたものの、しかし一方で、当然のように、いわゆる「洋楽」を聴き出した初期段階において、彼らの音楽を耳にしている。ビートルズや筆者を「洋楽」の世界に誘いてくれたサイモンとガーファンクルが事実上の解散をしたのは 1970年のことで、その時、筆者は小学校 4年。「洋楽」を聴き出したのもおおよそその頃。だから、Simon & Garfunkel, The Beatles などは、今も筆者の感覚においては、サイモンとガーファンクルとかビートルズとかいったカタカナ表記の方が、断然、相応しいのだ。
さて、いつものように前置きが長くなったけれど、この曲「レット・イット・ビー」は、ポール・マッカートニーの作詞作曲。筆者はビートルズで誰が好きかといえば(嫌いな人は別にいないけれど)、先にジョン・レノンとジョージ・ハリスンの名が挙がりリンゴ・スターやポールはその後に出てくる「派」。しかし、ビートルズの曲で好きな曲は何?と訊かれるとしたら、やはりジョン・レノン作の曲と同じくらい、ポール・マッカートニー作の曲が多いかもしれない。そもそもこの二人がビートルズの大半の曲を作っていたんだから、それはそれで自然か。
行き当たりばったりの「はじめに」はこの辺にして、次章でさっそく、「早速」とはもう言えないか、兎にも角にも、「レット・イット・ビー」の歌を取り上げつつ、当然ながらの英語歌詞、そして筆者の手と音楽脳と音楽耳による和訳歌詞を掲載します。
上に Mother Mary はどうやら「聖母マリア」ではないらしいと書いたけれど、When asked if the phrase "Mother Mary" in the song referred to the Mother of Jesus, McCartney has typically replied that listeners can interpret the song however they like (A Lesson on Text Criticism and the Beatles’ Let it Be: Jeff McLeod, Catholic Stand, July 30, 2013, ただし Wikipedia からの孫引き) ということなので、作者ポール・マッカートニーも「オッケー。構わんよ。レット・イット・ビー、なるようになっていいよ、したいようにしてくれ」と言ってるようで、リスナーの解釈としての「聖母マリア」を採用したままの、筆者が今から17年以上前に訳した当時の和訳歌詞、そのまま。
LET IT BE 〜 「あるがままに」(歌詞和訳)
歌詞は、2003年3月21日に訳した。この歌を初めて聴いたのは筆者が 10歳の頃なんだろうけど、その頃は静岡県の遠州弁しか喋ってない。まぁ今だって英語は完璧からほど遠い、どのくらい遠いかというと、今現在の西暦2020年から「聖母マリア」がセックスもしないで子どもである「イエス・キリスト」を生んだという御伽噺の時代との時間差ぐらいに遠い。そこまで遠いってことはないか、いくらナンでも(笑)。ナンと言えばインドのパン、あのナン、チャパティも美味いけど、ナンは最高だね。ビートルズがあのアルバムを出して解散する、その少し前の 2, 3年間は、彼ら、インドにかなりハマってた時代。拙者、つまり筆者も後に、大人になってから、インドにハマり、今から37年前のちょうど今頃はインドにいたのだった。いや、正確に言うと、ちょうど37年前の今日、1983年11月25日はまだパキスタンにいたけれど、その後、インドに入り、1984年の「初日の出」はガンガー、つまりガンジス川の河辺で見たのだ。
話がどんどん脱線する。戻すと、この歌詞を訳した時、拙者、筆者は42歳だった。
待て(あ、これは自身に対して言っている)。上に書いた「聖母マリア」に関わる、「聖書」という名の御伽噺の件、思い出したんだけど、手塚治虫の「聖女懐妊」は、彼の数多ある傑作短編漫画の中でも、とりわけ印象に残る作品の一つ。筆者はキリスト教の「聖書」の「聖女懐妊」御伽噺よりも、手塚治虫の SF漫画「聖女懐妊」の方がずっと好きだな。
Let It Be 〜 The Beatles, released on March 6, 1970 as a single, and (in an alternative mix) as the title track of their album "Let It Be", their twelfth and final studio album released on May 8, 1970, almost a month after the group's break-up, in tandem with the motion picture of the same name "Let It Be", this is an album version
あ、最初に私的「思い出」話。思い出なんてみな私的か。このヴァージョンの Let It Be, 昔々の若い頃、職場でやってたバンドでこれをやったことがある。ギターが拙者、ピアノは筆者の職場バンドにキーボード・プレイヤーとして加わってた筆者の妻。筆者のギターはお世辞にも上手いと言えないが、この曲のギターは難しいものではないので、まぁまぁそこそこちゃんと弾けてたと思う。妻のピアノはどの曲でピアニストしても最高、もちろんこの曲でも最高。
前章「はじめに」で書いたけれど、歌詞の中にある Mother Mary はどうやら「聖母マリア」ではないらしいのだが(これについては後段の章にて)、When asked if the phrase "Mother Mary" in the song referred to the Mother of Jesus, McCartney has typically replied that listeners can interpret the song however they like (A Lesson on Text Criticism and the Beatles’ Let it Be: Jeff McLeod, Catholic Stand, July 30, 2013, ただし Wikipedia からの孫引き) ということなので、作者ポール・マッカートニーも「オッケー。構わんよ。レット・イット・ビー、なるようになっていいよ、したいようにしてくれ」と言ってるようで、リスナーの解釈としての「聖母マリア」を採用したままの、筆者が今から17年以上前に訳した当時の和訳歌詞、そのまま(ってこれも前章で書いたままだけど)。
そもそも My mother Mary というレベルまで明示しなかったポール・マッカートニー、彼自身、リスナーに解釈の自由を与えたいというような意識なり「無意識」なりがあったのかもしれない、とも感じているんだけど、はたしてどんなものだったんだろう?
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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。
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困難な時にあるぼくのところに
聖母マリアさまがやってきて
知恵の言葉を授けてくれる「あるがままに」
暗闇の中で何も見えなくても
彼女はぼくの前に立っていて
知恵の言葉を授けてくれる「あるがままに」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる「あるがままに」
失意の底に生きる人々が
一つにまとまるとき
そこに答えはみつかるだろう「あるがままに」
時に離れ離れになってもチャンスはある
また遭うことができるのさ
答えはきっとみつかるんだ「あるがままに」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
答えは必ずあるんだ「あるがままに」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる「あるがままに」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる「あるがままに」
暗い雲におおわれた夜も一筋の光が見える
ぼくの行く道を照らしてくれて
夜明けまで輝いてるのさ「あるがままに」
不思議な調べに目を覚ますと
聖母マリアさまがやってきて
知恵の言葉を授けてくれる「あるがままに」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
答えはきっとみつけるさ「あるがままに」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる「あるがままに」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる「あるがままに」
(何とかなるよ)
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(何とかなるよ)というのは、もちろん英語の原詞の方にはないけれど。
* 上の和訳歌詞は筆者のホームページに掲載してきたもの。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。
ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、でも初めて筆者の note 投稿を見る人には「初めて」なわけで、笑)。
Mother Mary とは誰のことだったのか?
これはもう、実を言うと今日知ったことなので、ごちゃごちゃ編集して自分の言葉にして書かないで、以下に英語版 Wikipedia と日本語版「ウィキペディア」から引いてしまう(両者は微妙にニュアンスの違う記述をしている)。
ま、兎にも角にもウサギにツノ、When asked if the phrase "Mother Mary" in the song referred to the Mother of Jesus, McCartney has typically replied that listeners can interpret the song however they like.
リスナーが好きに解釈してよいという考えにはいたく、つまり甚だしく、共感する。全てのアートは受け手の手元、耳元、目元、脳元に届いた時、受け手のもの「にも」なる。著作権云々かんぬんカンヌ映画祭の話でなく、アートの解釈に関する一定の「自由」についての話。受け手というのは、音楽においてはもちろん、リスナー。
McCartney said he had the idea of "Let It Be" after he had a dream about his mother during the tense period surrounding the sessions for The Beatles ("the White Album") in 1968. Mary Patricia McCartney died of cancer in 1956, when he was fourteen. In rehearsing the song with the Beatles in January 1969, in place of the "Mother Mary" lyric, McCartney occasionally sang "Brother Malcolm", a reference to the Beatles' assistant Mal Evans. McCartney later said: "It was great to visit with her again. I felt very blessed to have that dream. So that got me writing 'Let It Be'." In a later interview he said about the dream that his mother had told him, "It will be all right, just let it be." When asked if the phrase "Mother Mary" in the song referred to the Mother of Jesus, McCartney has typically replied that listeners can interpret the song however they like. Indeed, others have interpreted the phrase biblically.
マッカートニーが1968年に行われたアルバム『ザ・ビートルズ』のためのセッションの最中で、ビートルズが分裂しつつあるのを悲観している頃に、亡き母メアリー・マッカートニーが夢枕に現れた際に述べた「あるがままを あるがままに(全てを)受け容れるのです」との囁きを元に書いたと語っている。マッカートニーの母であるメアリー・パトリシア・モーヒンは、マッカートニーが14歳の頃にガンで死去した。亡き母が夢枕に現れたことについて、マッカートニーは「母に再会できたのは本当によかった。夢で祝福された気分だった。だから僕は母の囁きを元に『レット・イット・ビー』を書いたんだ」と語っている。なお、英文では「Mother Mary」とは聖母マリアを指すため、聖母マリアを題材にした楽曲という解釈も存在する。英文の感覚では、「let it be」(レット・イット・ビー)とは次の引用のような、受胎告知に対する「…成りますように」というマリアの応答である。
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
— ルカによる福音書1章38節. - 口語訳聖書
これについて、マッカートニーは「聖母マリアのことだと解釈してくれても構わない」と答えている。
しかし、1975年5月21日にアメリカのABCテレビで放映されたビートルズの特別番組『A Salute to the Beatles: Once upon a Time』でマル・エヴァンズは、「インドでポールが瞑想している時に僕が出てきて、"Let It Be, Let It Be" と言ったんだって。それがきっかけで曲ができたんだ。ある晩、セッションが終わってポールと一緒に家に戻ったら、夜中の3時にポールはこう言ったんだ。『曲ができたよ、ぱぱっと。"Brother Malcolm" っていう曲なんだ』と。でも、みんなに誤解されるから "Brother Malcolm" は変えたほうがいいんじゃない?って伝えたんだよ」と語っている。実際に初期のテイクでは、「Mother Mary comes to me(母メアリーが僕を訪れ)」ではなく、「Brother Malcolm comes to me(ブラザー・マルコムが僕の元にやってくる)」と歌われていた。
LET IT BE の歌詞を訳す少し前、日記のタイトルに "Let it be"
なんだか苦しそうな日記だな(笑)。当時は笑えなかったのだが(爆、自爆テロでなくて自爆笑の「爆」)。まぁ苦しかったのは、この頃は長い長い「人生のポケット」時代の初期に当たる時期で。
なんでこの時、日記のタイトルをいちいち英語アルファベットで書いてたのかいな。April come it will は明らかに Paul Simon 作詞作曲のサイモンとガーファンクル時代の曲「4月になれば彼女は」, April Come She Will からとっているようだし、Let it be はもちろん、Paul McCartney 作詞作曲のビートルズ時代の曲のタイトルそのまんま東(はあんまり好きじゃない芸人・元宮崎県知事の芸名)、まぁ彼らからしたら東洋、それも極「東」の島国に住んでるオレだし .. 脱線。
2003年3月9日(日) April come it will, but the same, or more ..... Let it be.
じきに4月が来る。春の季節が来る。だけど私は、苦痛が変わらないことを知っている。苦痛は増すことだってあるかもしれない。苦痛の中身にほんの少しの変化があるかもしれないが、苦痛の核は、その本質は、変わらないことを知っている。知っているが、今はこのままいくしかない。苦痛とつきあっていくしかない。時間は解決しないと思う。それ以外の何かが必要だが、それが何なのか、全く見当がつかない。そんなもの有り得るのかとも思うが、ないと決めてしまったらあまりに苦しい。
この苦痛の核はもう消えないのだ。苦痛とつきあって生きていくうちに、何か苦痛に対置出来るものをみつける。いつか手掛かりを得て、何かをみつける。どこでみつけるのか知らないが、何とかできると信じたい。できると思えないんだ。できると信じることだ。信じて、生きていくしかない。生きていかなきゃ何事も起こらない。これからも変わらないかもしれないが、変わることも、変えることも、生きていくことを通じてしか実現しない。当り前さ。生きていくことだ。ずっと生きていくことだ。
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* 上記の日記は、筆者のホームページに掲載してきたもの(近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている)。
ただし、前章においても書いた通り、同ホームページは 2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで、だけど前章で書いたからしつこいね、笑)。
LET IT BE の歌詞を訳した日の日記
前章の転載日記同様、なんだか苦しそうだな(笑)。当時は笑えなかったのだが(爆、自爆テロでなくて自爆笑の「爆」)。これも前章で触れたけれど、まぁ苦しかったのは、この頃は長い長い「人生のポケット」時代の初期に当たる時期で。
2003年3月21日(金) LET IT BE
LET IT BE を、例によって勝手に、自分の今の気分で訳した。ビートルズではジョン・レノンやジョージ・ハリスンの方が好きだが(今やこの二人を除くポールとリンゴしか生き残っていない)、ポール・マッカトニーの曲にも好きな曲は多い。まぁ大多数の曲はジョンかポールの曲なんだけど。
憂鬱で、苦しくて、明るい気持ちになれないのは、これからも続くんでしょう、きっと。苦痛がいつなくなるのか、なくなることなんてあるのかすら、今は見当もつきません。だけど生きていかなきゃ、明るい希望が見えてくることはないわけです。生きることにしか、可能性はない。当り前だな。生きていくのなら、今は受け入れるしかない。
転がり落ちた情けなさも、情けなくてモノもろくに言えぬ状態にあることも、人一倍モノ言いたい性格なのにモノ言う覇気が出てこないことの苦痛も、この間に関わった人達に対する負い目の意識も、一方で義理を負ったように感じる苦しさも、自分がひどく惨めに思えることも、それが自業自得のことだから余計に苦しく感じることも、誰にも文句を言えないから余計に苦しいと思うことも、後悔も悔恨も罪の意識も、以前もっと親しくしていた仲間との間に感じる、言葉にならない何かをひどく辛く感じることも、これからの諸々の不安も、どうしたら苦痛が和らぐのか、今はその手掛かりがつかめていないということも、ということはつまり、いつまで、どのくらい今の苦痛を堪えれば少しは楽になるのか見当もつかないってことも、その他の何もかもも、今はそのあるがままを受け入れて、その全てとつきあいながら生きる。他に対処の仕方がないもんね。たまに、忘れることがあれば、忘れよう。あるがままに、生きていけるかね。何とかなるか、生きてりゃ。そのうち、苦痛に対置させる何かもつかめますかね。何とかなるか、生きてりゃ。じゃ、生きますよ。
言い切れない書き切れない諸々がありまして、いやそんなこと誰だって曝け出して生きていたりしないんだが、心の内に抑えて平静でいるためには、何かその核となるものが必要なんだな。前は、中身は希薄だったかもしれないけど、核をもっていることを意識できていたな。それが失くなってしまったという感じだ。本当のところは失くなってしまったわけではないと思うのだが、少なくとも表現出来ないんだという気がしている。だから、苦しい。
徐々にでも、元気を出していきたいんだが、まぁ少なくとも時間はかかるな。時間だけじゃ解決しないんだから、時間以外の何か、何かが必要なんだろうけど、それもみつからないうちは、あるがままに生きるわけです。辛いけどなぁ。まぁしゃーないのか。しゃーないんだよな。何とかなるさ、生きてりゃ。時々そう意識していかんとね。そう、時には意識していかんとな。いつか何とかなるってことを。あるいは、いつか何とかするんだってことを。
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* 上記の日記は、筆者のホームページに掲載してきたもの(近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている)。
ただし、前々章にも前章にも書いた通り、同ホームページは 2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで、だけど前々章にも前章にも書いたから、めっちゃしつこいね、笑)。
番外編:「レット・イット・ビー」の一休さんバージョン
筆者の15年前の日記と、「レット・イット・ビー」の一休さんバージョン日本語歌詞(英語の歌はそのまま載せるしかないけれど、笑)。
2005年7月10日(日) 一休さん
職場内の一部に出てるメディアで、一休宗純(一休さん)が言った言葉として、
ナルヨウニナル.シンパイスルナ
という一言(二言?)が出ていた。
僕はそれを見て直ぐに思った。これはビートルズの LET IT BE だ。
でね、 一休さんバージョン を作りました。
一休さん、ちらっと調べましたが、かなり個性のある禅僧だったようですね。
僕はこの言葉を前向きに受けとめるわけです。そしてロックなアティチュードは維持する。
抽象的だってか。僕は抽象的に書いてるんですよ。
社会を見渡すと、なるようになる、などと言ってられない状況はいくらもある。だから、そんなふうには文字の通りには取らないのです。そりゃ、そうですよ、しかし、こういう言葉は僕という個人が生きるうえで、生きることと共にある銘、なわけです。忘れそうになったら想い出すわけです。
はて、首が痛いわ両肩張るわ両上腕が張るわ特に外側それも右腕だわ左手が四六時中痺れてるわ背中が痛いわ肩の後ろに横に鉄棒が入ってるような感じだわ(この間はトンガリ帽の小人が僕の背後から両肩につかまって「わーい鉄棒だ鉄棒だ、懸垂してやる」ってんで僕は「まぁ懸垂しても大車輪はするなよ」と応えたら「ああ分かったよ」と言っていた)、腰に近い背中も張ってるわ足も張るわ、どうせいってんねん。
HyperText Markup Language を喋るのは僕の精神を和らげます。痛みは身にも心にも有り得るのです。…でも、なんでもほどほどに、したいもんです。そのほどほど具合が肝要なんでしょうか、どうでしょう、一休さん。
ナルヨウニナル.シンパイスルナ
困難な時にあるぼくのところに
一休さんがやってきて
知恵の言葉を授けてくれる
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
暗闇の中で何も見えなくても
彼はぼくの前に立っていて
知恵の言葉を授けてくれる
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
失意の底に生きる人々が
一つにまとまるとき
そこに答えはみつかるだろう
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
時に離れ離れになってもチャンスはある
また遭うことができるのさ
答えはきっとみつかるんだ
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
答えは必ずあるんだ
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
暗い雲におおわれた夜も一筋の光が見える
ぼくの行く道を照らしてくれて
夜明けまで輝いてるのさ
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
不思議な調べに目を覚ますと
一休宗純さんがやってきて
知恵の言葉を授けてくれる
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
答えはきっとみつけるさ
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
あるがままに
なすがままに
ほうっておくこと
受け入れること
ささやく言葉が聞こえる
「ナルヨウニナル.シンパイスルナ」
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* 上記の日記と「レット・イット・ビー」の一休さんバージョン日本語歌詞は、筆者のホームページに掲載してきたもの(近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている)。
ただし、前々々章にも前々章にも前章にも書いた通り、同ホームページは 2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで、だけど前々々章にも前々章にも前章にも書いたから、めっちゃくちゃしつこいね、笑)。
というわけで、 「人生のポケットから出る方法はどこかにある」
前々々章に載せた日記も、前々章に載せた日記も、それぞれ冒頭で書いた通り「人生のポケット」に関係あるし、それを言えば前章に載せた日記も「レット・イット・ビー」の一休さんバージョンも、「人生のポケット」的。
というわけで、「人生のポケットから出る方法はどこかにある」 及び関連投稿、以前の note 投稿 5点へのリンク。
次の2つは上にリンクを貼った投稿の関連投稿なので、ついでに。その 1つ目のタイトルでは無神論者の筆者が「神」「神」と連発しているけれど、まぁこれは引用なので。
次のこれは、サイモンとガーファンクルの歌と筆者による和訳歌詞を掲載しつつ、「人生のポケット」に関わることを書いた投稿だったので。
最後の1点は、「人生のポケット」に嵌り込む前の予兆みたいなものについて触れていた投稿。
Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 「聖母マリア」がセックスしないでイエス・キリストをベツレヘムで生むことになる御伽噺(あ、「聖書」)、つまり「受胎告知」「聖女懐妊」の舞台、ナザレ
1983年4月からのバックパッカー「放浪」もどき一人旅の途中、同年秋の 3週間ほどパレスチナとイスラエルを旅していた時、ハイファ(1948年のイスラエル 「建国」以来イスラエル領)に 10月4日と 5日、つごう 2泊し、2日目の 10月5日には、ハイファから日帰りでナザレ(1948年のイスラエル 「建国」以来イスラエル領、しかし今も人口の圧倒的大多数がアラブ系市民、つまりパレスチナ人)に行った。
ここナザレはいわゆる「聖母マリア」の故郷であり、彼女が「受胎告知」を受けたとされる地で、また、ベツレヘム Bethlehem で生まれ、エルサレム Jerusalem で生涯を閉じたとされるイエス・キリスト Jesus Christ が少年時代の大半を過ごし、かつ最初の説教を行なったともされている、言わばキリスト教、もっといえば「聖書」ゆかりの地であって、信徒にとっては「聖地」「巡礼の地」のひとつである。
筆者はここで St. Gabriel's Church(「聖母マリア」が水汲みに行った井戸で受胎告知を受けたという伝説、筆者のような非キリスト教徒であり無神論者である人間からしたら「御伽噺」と言い換えてもいいのだが、そういう物語に基づくギリシャ正教の教会)や Mary's Well, つまりその「マリアの井戸」などを観光したのだが、この地はイスラエル領内にありながら、アラブ人(パレスチナ人)が非常に多いところとしても有名だ。
同日の日記に筆者は、「アラブ人はかなり多い。相当なパーセンテージになると思う。むろんユダヤ人も多いだろうが、アラブ人の方がもしかしたらずっと多いのではないか」と書いているのだが、どうやら圧倒的大多数がアラブ人(パレスチナ人)というのが実態であるようだ。
英語版 Wikipedia の記載から拾っておくと、ナザレは北部イスラエルの最大の都市で、"the Arab capital of Israel", 「イスラエルにおけるアラブの首都」として知られる、その人口は 2019年時点で 77,445人、"The inhabitants are predominantly Arab citizens of Israel, of whom 69% are Muslim and 30.9% Christian", つまり「住民は大部分がイスラエルのアラブ系市民であって、その 69% はイスラム教徒、残る 30.9% はキリスト教徒(計算上 0.1% はユダヤ教徒であるユダヤ人なのか、あるいは例えばの話、無神論者とか別の少数派の宗教の信徒なのか、その辺は不明)となっていて、このナザレ旧市街とは別に、2014年の統計で 40,312人の人口を数えるユダヤ人の街 Nof HaGalil が建設されていて(イスラエル「建国」前には無く、「建国」後に作られたということだろう)、そこは以前 Nazareth Illit (意味は "Upper Nazareth") と呼ばれていたが 1974年以降はナザレ市とは別の行政上の市となっている、とのこと。
再び筆者のその日の日記から、該当部分を一字一句そのまま転載すると、「ファラフェル(転載にあたっての注:パレスチナを含む中東地域伝統の食べ物)を食ったところで、アラビア語の新聞を見たので、出るときに店の若い男に Excuse me, Are you arabic? ときくと、彼はけげんそうな顔つきでうなずいた。フィラスティーン(転載にあたっての注:アラビア語で「パレスチナ人」)?ときき返すとニッコリした」。
以下の写真は、ナザレ市街。
上記テキストは今年10月7日に筆者が note 投稿した以下リンク先「西エルサレム、ハイファ、ナザレ、テルアヴィヴ(1948年以前パレスチナ、1948年以降イスラエル) 〜 1983年10月3・4・5・6・7・8日」における第4章「ナザレ 〜 1983年10月5日」から、ほぼ転載。
Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 「聖母マリア」が「受胎告知」「聖女懐妊」の後、「聖女出産」した場所、ベツレヘム
1) 以下のリンク先は、昨年、2019年12月24日付の note 投稿。1983年9月30日に筆者が訪れた、イスラエルが 1967年の第三次中東戦争以降、国連安保理決議に違反しながら違法占領を続けているパレスチナのヨルダン川西岸地区にあるベツレヘムで訪問し、撮影したキリスト教の教会(聖誕教会または降誕教会, Church of the Nativity)の写真を掲載しつつ、イスラエルとパレスチナの問題の「今」について書いたもの。
上の投稿を引き継いでの、関連投稿。
更に関連投稿。
2) ベツレヘムと言えば、更に以下の投稿 3点も。
まずは、ベツレヘムは「イスラエル」ではないにもかかわらず、そしてエルサレムは 「イスラエル最大の都市」ではないにもかかわらず、 間抜けなことを抜かしている、アメリカのクイズ番組 Jeopardy!, テレ朝「こんなところに日本人」などを批判した、今年 1月26日付の筆者の note 投稿。
ベツレヘムと言えば、キリスト生誕。とくればクリスマス。そしてその関連投稿。
Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」つまり Virgin Mary だったのなら 〜 そこで想い出した、手塚治虫の名作短編漫画 「聖女懐妊」
ぬばたまの常闇の彼方
光芒の天関に懸るあり
ここにチタンなる
星屑のもとにて
男ひとり
遥けき故郷を惟う
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上記は、手塚治虫の短編漫画「聖女懐妊」(副題: The conception of the Virgin Mary, 初出「プレイコミック」1970年1月10日)のオープニングの一コマからの転載。
物語の舞台は、土星の衛星チタン(ティタンまたはタイタン)。土星の第6衛星で、太陽系内の衛星として唯一、豊富な大気を持ち、太陽系において地球以外で唯一、表面に安定的に液体が存在する天体。時代はもちろん、未来。
マリヤ(要するに「マリア」)という名の A4級型アンドロイドロボット(固有名「A413289マリヤ」)が、主人公ヒロシに「神」なるものについて尋ねる。その時の会話が以下。
「ヒロシ ..... 神様ってありますの?」
「かつては おれはそんなもの 信じなかったよ」「そいつは宗教といわれていたんだ」「だが宗教どうし勢力争いがあって 神もほとけも キリストも釈迦も マホメットも 消えてしまったよ」「神なんか ないんだ ...... 信じるのはコンピュータだけだ ..... と 地球ではおれはそう思ってたが ... この宇宙基地で天体の運行を見まもっているうちに ... なにか大きな偉大な力が宇宙に働いているということがわかってきたんだ」「不可思議な神秘的な なぞの力だ」「これが『神』の力なんだろうか ... おれにはわからないよ」
物語の終盤、ヒロシが死んだ後に、地球からチタンに調査員が訪れる。最後の場面での、調査員とマリヤの会話。
「おまえはさっき 神様がむすんで下さった といったな? ...... 神を ...... 信じるのかい ..... 」
「はい! この宇宙のどこかに ...... なにか偉大な力が ...... 」
...........................................
筆者は無神論者。もちろん、「神」なるものの存在を信じない。科学的証拠がないのに信じるものか。科学的証拠がないのにもかかわらず信じること、信じるものを、宗教、信者という。
偉大な力とは、物理的な、科学的な意味における力なのだが、しかし、それでも、この物語は非常に好きだ。ファンタジーは科学ではないからね。
1979年、大学に入学した年に買ったこの手塚治虫・短編漫画集(初版発行「昭和50年5月10日」・16版発行「昭和54年6月30日」)、どれも素晴らしいが、とりわけ「聖女懐妊」、そして巻末を飾る「ふたりは空気の底に」は、いつまでも印象が強く残っている作品。以下、裏表紙と表紙。
Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 処女のまま懐妊したという「聖母マリア」の御伽噺を想いつつ、聖書とセックス について語ろう
別に深入りしてまで語ってはいないけれども(笑)。
Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 我が無神論一家、キリスト教会でブルーズを歌うの巻
Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 ほんの少しだけ関係ある、ま、我田引水、牽強付会みたいな流れで 〜 クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か?(前説と本篇)
Mother Mary が実際と違って「聖母マリア」だったのなら 〜 ほんの少しだけ関係ある、ま、我田引水、牽強付会みたいな流れで 〜 最近 note 投稿した、宗教に関わる話、まぁこのトピックでの話題の中心は、同じアブラハムの宗教でも、キリスト教でなくてイスラーム
以下のリンク先は、「宗教と表現の自由に関するメモ」と題した筆者の最近の note 投稿なんだけれども、言いたいことの一つは、投稿テキストの中からざくっと転載すると、
イスラームを信仰する宗教上の「同胞」である、今現在を生きているウイグル族の人権を徹底弾圧する中華人民共和国に対してはさしたる批判もせず、まして「ボイコット」などせず(一般のムスリムのうち少なくない人々がその件で中国を厳しく批判していることは知っているが「ボイコット」までは叫ばない、そして今回フランス「ボイコット」を声高に叫んだりフランスを手厳しく非難したトルコやイランなどの政治指導者や宗教指導者が上記の件で中国を批判したり、ましてや中国「ボイコット」を主張したりしたなどという話は聞いたことがない)、一方で、7世紀に死んでいる、故人であるイスラームの「預言者」ムハンマドの戯画や為政者による宗教「批評」もしくは「批判」を理由にフランス「ボイコット」を声高に叫ぶ、「事実上」多くの信者たちや、ましてイスラム圏の政治指導者・宗教指導者たちの姿は、「単なる滑稽」を通り越して、「シャルリー・エブド戯画」的な滑稽さを呈している、
ってこと、など。
ここで「脱線」話題も併せ、以下のリンク先の note 投稿から「脱線」部分を転載して書いておくと、筆者(拙者)はもちろん、「ボイコット」という形態の抗議活動一般に反対しているのではない。世界のムスリムがフランスの何がしかに抗議してフランスを「ボイコット」するのも(筆者は今回それを合理的と思わないが)自由。本 note 投稿の主題上は「脱線」話題なので、簡単に書くが(しかしやや長い!!)、例えば、イスラエルという国が違法占領(1967年以来の東エルサレム・ヨルダン川西岸地区の占領、ガザ地区に関しては現在は軍事封鎖、複数の国連安保理決議に違反)、(違法)占領地における違法入植等の国際法・国連安保理決議・ジュネーヴ条約等に違反する行為をやめるまで、イスラエルに対する「ボイコット」「資本撤退」「制裁」(Boycott, Divestment, Sanctions)という手段を用いて、その反人道的・反民主的政策に抗議しようとする BDS 運動に関して言えば、その運動は人種差別的なものでは全くなく、抑圧された側を支援するための正当な抗議活動の手段の一つ。1948年に「建国」された国 Israel は Judaism とイコールでなく、Jewishness とイコールでなく、Semitism とイコールでなく、したがって、イスラエル(その政策)批判や BDS 運動を「反ユダヤ主義」(Anti-Semitism)と見做すのは、単にイスラエル批判の声を沈黙させたい、イスラエル批判の抗議活動を抑えたいという動機に基づく、不当なレッテル貼り。なお、Zionism も Judaism とイコールでなく、Jewishness とイコールでなく、Semitism とイコールでなく、したがって、Anti-Zionism は Anti-Semitism とは全く別物。こんなことは本来、子どもでも理解すべきことである。話を「ボイコット」に戻すと、仮に日本の政策に抗議して日本を「ボイコット」する運動があっても、それはイコール「反日本主義」「反日本人主義」といった人種差別に当たるものになるわけではない。BDS に関してはそのこととも同様。繰り返すが、本来、子どもでも理解すべきことである。
bonus track: LET IT BE の最後を RAIN に代えれば 〜 LET IT RAIN
LET IT RAIN を2つ。最初はクラプトンのオリジナル。次は最近ヴィデオ・リリースされたドゥービー・ブラザーズとピーター・フランプトンによるカヴァー。前者はもちろん素晴らしいけれども、後者も大変よい。音楽とは音を、まさしく「音楽」そのものを楽しむことだという、些か当たり前に思えるようなことが、演奏者の実感が込められて伝わってくる。
Let It Rain 〜 Eric Clapton with Leon Russell on piano, from Clapton's 1970 eponymous debut solo album after his withdrawal from the Yardbirds and the breakup of Cream and Blind Faith
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。
Let It Rain (Eric Clapton) 〜 The Doobie Brothers with Peter Frampton
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。
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