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歌詞和訳 "A Most Peculiar Man" (Paul Simon) 〜 しかし最後のシンプルな否定疑問文が意外と難解なのかもという気がしてきた..

But wasn’t he A Most Peculiar Man?

これがこの歌の歌詞の最後の一文だけど, このシンプルな否定疑問文, 日本語にする場合に一番普通なのは「だけど彼はとても変わった男ではなかったの?」「だけど彼はとても変わった男ではなかったんですか?」といった感じなんだろうけど, その意味もしくは含意についてはどう考えたらいいんだろう?

彼が「とても変わった男」じゃなかったかどうかの確認, あるいは「とても変わった男」だったのかどうかの確認? .. 少なくとも日本語だと前者と後者は微妙に, 微妙に意味合いが違うように感じるけれど。

あるいは, 彼は(本当は)「とても変わった男」じゃなかったんだね, とか, 彼は(実は)「とても変わった男」(なんか)じゃなかったのでは? .. といったニュアンスの確認もしくは問いかけの表現?

いや逆に, (でも)彼って「とても変わった男」じゃなかったっけ? とか, 彼は(本当に)「とても変わった」男だったんだね, といったニュアンスの確認もしくは強調の表現?

例えば Wasn't that it? って英語は文脈次第で「そうじゃなかったっけ?」ってことになるんだろうし, 他には例えば Stevie Wonder の有名なヒット曲 "Isn't She Lovely?" となると, そのタイトルも, 歌詞に何度も登場するそのフレーズも, 「彼女ってなんて可愛いんだろう」っていうニュアンスだよね。うーむ, 否定疑問文って解釈がけっこう面倒くさく「なかったっけ?」(笑)

話を Paul Simon の "A Most Peculiar Man" の歌詞の最後の一文, "But wasn’t he a most peculiar man?" に戻すと, これの解釈ってそもそも単に英語だけの問題? 英語だけの問題としたら, これは最後の一文だから, その前辺りからの文脈の中で 英語として, あるいは英語の表現上, 何を言っているのか判断すればいい?

それともこれは英語理解の問題だけでなく, 前提として英語表現レベルの理解が必要なのは当然として, それプラス, 歌詞もしくは詩として, だからこの歌詞もしくは詩の全体を読解した上で判断すべきこと?

逆に言えば, この歌の歌詞もしくは詩の理解が不十分だと, 最後の一文であるあの否定疑問文の理解も誤る可能性がある? いや単に, 純粋に英語理解上の問題に過ぎない?

まいったな。What a shame! なんてこった(笑)。なんでこんなシンプルな一文を難解に感じてしまう?

まぁ自分としては, この歌の歌詞(詩)が言わんとしていること自体は, 彼は本当は「とても変わった男」なんかじゃなかったのではないか, ということ, もっと言えば, 彼は実は「とても変わった男」などではないのだ, ということなんだろうなと感じているんだけど, この解釈自体は歌を聴く人, あるいは歌詞(詩)を読む人それぞれの感じ方の問題なので, 要するにそれが仮に作者 Paul Simon の本意と一致しないとしても, ちょっと大仰に言ってみればアートを鑑賞する側の自由な鑑賞の仕方の範囲と思えば色々な受け取り方があっていい, だからまぁ上述の解釈は少なくとも一つの受け取り方としてあって構わないと思ってる(開き直ってる感あるけど, 笑)。

しかしその上でしつこく言うと, この歌の歌詞(詩)が言わんとしていること自体は, 彼は本当は「とても変わった男」なんかじゃなかったのではないか, ということ, もっと言えば, 彼は実は「とても変わった男」などではないのだ, ということなんだろうなと解釈するとして, あるいは作者 Paul Simon の真意もそれだったとして, それでも尚, 最後の否定疑問文はどう訳したらいいのかなと迷う。

ちょっとだけ前を含めると, 

And all the people said, “What a shame that he’s dead,
But wasn’t he a most peculiar man?”

そもそも歌を聴くだけでは, これが,

And all the people said, What a shame that he’s dead, but wasn’t he a most peculiar man?

なのか, あるいは,

And all the people said, “What a shame that he’s dead"
But wasn’t he a most peculiar man?

なのか, つまり後の方のクォーテーション・マークの位置が判別し難いのだが(後者であれば解釈上はわりと容易になる気がする, 要するにこの歌の歌詞の語り部が最後に一言加えているのがあの否定疑問文だということなら), しかし一応 Paul Simon の Official website とされているところでは前者になっている(Official website と言っても Paul Simon 本人が管理しているわけではなく, 以前には歌詞掲載内容の誤りを見つけたこともあるサイトなので話はややこしいのだが, しかしまぁその他の複数の歌詞サイトも概ね前者を採用していることを確認した)。

前者ということはつまり, And all the people said, みんながこう言っていた, という前置きの後の, 彼らが言っている中身の中に, 最後の否定疑問文 But wasn’t he a most peculiar man? が含まれるというわけだ。

And all the people said, “What a shame that he’s dead,
But wasn’t he a most peculiar man?”

みんな言っていた, 「なんてことだ, 彼が死んだなんて, だけど彼ってとても変わった男じゃなかったのかい?」(この日本語だと, 人々がこの言葉に込めた意味自体は, 依然としていくらでも解釈可能な感じが残る)

あるいは, 

みんな言っていた, 「なんてことだ, 彼が死んだなんて, だけど彼って本当にとても変わった男だったね」(上の日本語とは違って解釈の幅は殆どない) 

....... ♫ ♫ ♫ .....

What a shame that I cannot understand such an easy sentence,
But amn't I a most peculiar man? 
なんてこった, 俺ってあんな簡単な一文が分からないのかよ, だけど俺はとても変わった男じゃ ... 意味不明じゃんかよ(笑)。

"A Most Peculiar Man" (Paul Simon) 〜 歌詞和訳

前章に書いた通り, 歌詞の最後の否定疑問文は意外と訳しにくい(自分には!)。シンプルな一文なのに迷う。自分に対して What a shame って感じ(笑)。ここに掲載する和訳は, その最後の一文については確信を持てないままの訳(その迷いについては前章に具体的に書いた通りで)。えいっと訳してしまって, その上で, 普通こういうことしないんだけど, その直後に歌詞の訳ということでない, この歌の歌詞の解釈上の日本語文を加えてしまった(だからその部分は歌詞和訳そのものではない)

さて, この歌は 1966年1月にリリースされた Simon & Garfunkel の2枚目のアルバム "Sounds of Silence" に収録されているけれど, 実はその前年に既に世に出ていて, 1965年8月にリリースされた, S&G 時代の Paul Simon のソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収められたのが最初。

因みに, 本 note のタイトル上の写真に使ったのはそのソロ・アルバムの方のカヴァーで, Paul Simon と一緒に写っている女性は, 彼の当時の恋人 Kathleen Chitty, やはり "The Paul Simon Songbook" にも "Sounds of Silence" にも収められた美しい曲 "Kathy's Song" のタイトルにある Kathy, そしてさらに S&G の4枚目のアルバム "Bookends" に収録された "America" の歌詞に二度にわたり登場する Kathy, あのキャシーその人(彼女自身はアメリカ人ではなくイギリス人)。

ではでは, 

以下は "A Most Peculiar Man", その Paul Simon のソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収められたヴァージョンと Simon & Garfunkel のアルバム "Sounds of Silence" に収録されたヴァージョン。

A Most Peculiar Man 〜 from Paul Simon's first solo studio album "The Paul Simon Songbook" released in August 1965

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

..............................

「彼はとても変わった男だった」
リアダン夫人がそう言ってるんだ
彼女なら知ってるはずさ
彼女は彼の上の階に住んでたんだから
その彼女が言ったんだ, 彼はとても変わった男だったって

彼はとても変わった男だった
彼は独りきりで暮らしていた
家に籠もり
部屋に籠もり
彼自身の中に閉じ籠もっていた
とても変わった男だったのさ

彼には友達がいなかった
彼は滅多に喋らなかった
周囲の人も彼に決して話しかけなかった
なぜって彼は心を開かなかったし, それを気にもかけなかったし
彼はとにかく周りの人とは違っていたんだ
オーノー, 彼はとても変わった男だったんだよ

彼は先週の土曜, 死んでしまった
ガスの栓を開け
眠りに就き
窓は閉めたままで
だから彼は目覚めることもなかった
彼の静寂の世界で
そして彼のちっぽけな部屋で
リアドン夫人が言うには, 何処かに彼の兄弟がいるはずだって
直ぐに彼の死を知らせなくちゃ

みんな言っていたよ
「なんてことだ, 彼が死んだなんて,
でも彼ってとても変わった男じゃなかったのかな?」

....................................

彼は本当は「とても変わった男」なんかじゃなかった
彼は実は「とても変わった男」などではないのだ

A Most Peculiar Man 〜 from Simon & Garfunkel's second studio album "Sounds of Silence" released in January 1966

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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「彼はとても変わった男だった」
リアダン夫人がそう言ってるんだ
彼女なら知ってるはずさ
彼女は彼の上の階に住んでたんだから
その彼女が言ったんだ, 彼はとても変わった男だったって

彼はとても変わった男だった
彼は独りきりで暮らしていた
家に籠もり
部屋に籠もり
彼自身の中に閉じ籠もっていた
とても変わった男だったのさ

彼には友達がいなかった
彼は滅多に喋らなかった
周囲の人も彼に決して話しかけなかった
なぜって彼は心を開かなかったし, それを気にもかけなかったし
彼はとにかく周りの人とは違っていたんだ
オーノー, 彼はとても変わった男だったんだよ

彼は先週の土曜, 死んでしまった
ガスの栓を開け
眠りに就き
窓は閉めたままで
だから彼は目覚めることもなかった
彼の静寂の世界で
そして彼のちっぽけな部屋で
リアドン夫人が言うには, 何処かに彼の兄弟がいるはずだって
直ぐに彼の死を知らせなくちゃ

みんな言っていたよ
「なんてことだ, 彼が死んだなんて,
でも彼ってとても変わった男じゃなかったのかな?」

....................................

彼は本当は「とても変わった男」なんかじゃなかった
彼は実は「とても変わった男」などではないのだ

クロード・イーザリー (Claude Eatherly; October 2, 1918 – July 1, 1978) に捧ぐ

今日, 2021年8月6日, "A Most Peculiar Man" というタイトルの歌の歌詞を日本語にしてみようと思ったのは, 今日が 8月6日で, そしてクロード・イーザリーのことを思い出していたからだ。

クロード・イーザリーは元アメリカ合州国軍人。1945年8月6日のアメリカ合州国空軍による広島への原爆投下の際, 原爆搭載機エノラ・ゲイ号の先導機ストレート・フラッシュ号に搭乗, その日の気象観測をし, 原爆投下が気象状況上可能かどうかを判断するという重要かつ重大な役割を担い, エノラ・ゲイ号に「準備完了」「投下可能」を連絡した人物で, 戦後, 原爆投下に関わった人間の中でただ一人, 罪の意識を公にした人物。彼については昨年8月7日, note に投稿している(*1)。以下は, その note 掲載の文章の一部。

クロード・イーザリーは、自分がやったことは巨大な殺戮につながり、巨大な罪を犯したことになるのに、(アメリカひいては国際?)社会から何の制裁も加えられないことに疑問を抱き、そのことを公言しつつ、しかしそのことに注視しようとしない周囲から孤立し、精神病院に入れられてしまった。いったい、どっちが正常でどっちが異常なのか。
イーザリーは、1945年 8月 6日 8時15分(注:これは原爆が投下された際の日本時間ですね)、原爆搭載機エノラ・ゲイ号の先導機としてのストレート・フラッシュ号に搭乗、気象観測と原爆投下が気象状況上可能かどうかの判断という役割を担い、エノラ・ゲイに「準備完了」「投下可能」を連絡した。
彼はアメリカ国家とアメリカ社会から英雄視されるが、当のイーザリー自身は巨大な殺戮行為の影に怯え、自らの罪に悩み苦しむ。しかし、罪を意識するにもかかわらず、国家や社会は彼に罰を与えない。イーザリーは、社会が自らに罰を与えるべく、郵便局を襲って強盗するという挙にまで出る。
しかし、彼が罰を求め罰を受けるに値すると考えた行為が「ヒロシマ」に関わることである以上、その彼の罪は、彼を含む一団に原爆投下を命令し、そのうえ彼を英雄に仕立て上げているアメリカの国家の罪に行き当たることになる。結局、イーザリーは英雄の役を降ろされ、精神病患者の役を演じさせられる。彼は決して演じていないが、国家が、社会が、彼の周囲が、彼にその役割を押し付けたのだと僕は思う。
イーザリーは、精神病院に強制的に入院させられ、隔離収容されてしまった。

*1 ヒロシマ、わが罪と罰 〜 「良心の立入禁止区域」と、広島への原爆投下時の気象観測機パイロットだったクロード・イーザリー

以下は *1 に関連し, 広島(及び長崎)への原爆投下に関わる過去の note 投稿。

*2 生ましめんかな ー 1945年8月8日、広島

*3 〈ヒロシマ、ナガサキ〉 というとき ー 〈ああ ヒロシマ、ナガサキ〉 と やさしくこたえてくれるだろうか

*4 (番外 note)主題は Facebook の検閲のばからしさ:長崎原爆投下の犠牲者の写真をヌードだとして削除する Facebook の検閲プログラムの愚劣さ


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