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「音楽の都」オーストリア・ウィーン, 2度目の滞在 〜 1983年6月28-30日(写真8枚)

1983年4月26日横浜港発のユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行, ここまでの振り返り

以下リンク *1 の note 第4章 1983年4月26日横浜港発のユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行, ここまでの振り返り に出発前, 出発, ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, ドイツ(「ベルリンの壁」崩壊前で西ドイツ!), そしてアメリカ合州国・イギリス・フランス占領下の西ベルリン, 東ドイツの首都だった東ベルリン, ベルリン・ケルン経由でフランス, そしてスイス, 再びの西ドイツ, それらの各 note へのリンクがあり, その後に行ったオーストリアはその note 第1章, そしてオーストリアの首都ウィーンから行った当時のユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の首都ベオグラードについては以下リンク *2 の note にて。

*1 音楽の都ウィーンにて, ギターを教える日本人とドイツ語教師のオーストリア人のカップルのお世話に 〜 1983年6月22日&..

*2 ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の首都だった, ベオグラード 〜 1983年6月, 3泊4日

ウィーン, 2度目の滞在 〜 1983年6月28-30日(写真8枚)

1983年6月27日に当時のユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国のベオグラードを夜行列車で発ち, 翌6月28日朝, 再びのオーストリア・ウィーンに着。前回のウィーンは1泊2日, 今回は2泊3日, 合計すると3泊5日!

最初のウィーン滞在の時は, 該当 note に書いた通りで, 写真は撮らなかった。2回目の滞在時に撮った写真は11枚, そのうちの3枚は, ウィーン滞在1度目も2度目もお世話になった「音楽の都ウィーンにて, ギターを教える日本人とドイツ語教師のオーストリア人の夫妻」(前回のウィーン note で「カップル」と書いてたけれど, まぁそれはそれで正しいんだけど, 二人は結婚してたから要するに「夫妻」)のツーショット写真, そしてその二人とウィーンで出会ったもうひと組みの両国出身夫妻(こちらは日本人女性とオーストリア人男性)と筆者と計5人で撮った記念写真, もう1枚は最初に書いた夫妻の家に居候していた日本人の女の子(日本で中学校を卒業してウィーンでドイツ語学校に通い, 当時は現地のギムナジウムに通い出す直前, ウィーン生活を楽しんでる様子だった; 因みに彼女の母親は今や懐かしの日本社会党の[もちろん当時の]市議さんだった, 何処の市だったかは忘れた)の写真。

そういうわけで, その3枚はプライベート感強いので, とりあえず本 note では控えることにして, ここでは8枚掲載。

でもよく撮れてる写真は少ない, 何枚あるかな?(笑)

写真 1/8

前章にリンクを載せた前回ウィーン滞在 note に書いたけれど, 上記の日本人ギター教師と結婚してるオーストリア人女性が作る料理はめっちゃ美味かった。それもただの真似事ではなく思いっきり日本料理を作ってたのでびっくりだった。でも以下の写真は日本料理ではなくて, 彼女が作った, スイカを使ったデザート。

しかし記念でせっかく撮ったのに, なんと写真が(これカヴァー違うけど文庫で読んだ!)「ちょっとピンボケ」, 

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どころか見事に(!)ぼやけてしまって。

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せっかくの写真, ぼやけてるよ.. Oh, it's blurred. Yes, that photo is blurry.

Blur 〜 Girls and Boys ♫

Boys and Girls ♫ 〜 Bryan Ferry

Girls and Boys ♫ 〜 Prince

ところで「少女たちと少年たち」, と言えば ♫

Teach Your Children (CSNY): 歌詞和訳 〜 世界の子供たちの写真と映画と

しつこく, もう1回 ♫

脱線, 長過ぎだけど, なぜなら, 俺より先にニーチェが言ってしまった(笑), 「音楽がなければ、人生はただの間違いだろう」から。

ようやく, 

脱線 ♫ の時間が終わった(いったん, 笑)。

ではでは,

写真 2/8 シェーンブルン宮殿(1696‐1713年建設, バロック様式) .. なんだ, これもぼやけてる(笑)。

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写真 3/8 シェーンブルン宮殿 .. 随分と遠くから撮ったもんだ(笑)。

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写真 4/8 シェーンブルン宮殿 .. やっぱこれも遠目に拝んでる(笑)。

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写真 5/8 シェーンブルン宮殿, その庭園にて。

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写真 6/8 向こうに見えるのは, シェーンブルン宮殿のグロリエッテ(宮殿の庭園において周囲より高くなっている位置に建てられる建築物)。

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写真 7/8 シェーンブルン宮殿のグロリエッテ

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写真 8/8 ベルヴェデーレ宮殿(1723年完成, バロック様式)

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というわけで, ウィーンではあまりいい写真撮れてないなぁ, 綺麗な街だったのに!

Photograph 〜 Ed Sheeran ♫ 

というわけで, 前章の終わりの方を引き継いで(笑), 「あまりいい写真」撮れてなかったから, ここでは「写真」というタイトルの「いい」曲を。  

Photograph 〜 from Ed Sheeran's second studio album, × (multiply) released on June 20, 2014

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

ベートーヴェン, シューベルト, ヨハン・シュトラウス1世・2世などの墓がある, ウィーン中央墓地を訪ねたので 〜 関連の ♫

2度目のウィーン滞在の時には, 旅日記によればその2日目, 1983年6月29日にウィーンの中央墓地を訪ねてる。写真撮ってなくて残念!

しょうがないから(笑), YouTube リンク貼るけど, 

というわけで, ここには一般市民の墓の他に, ベートーヴェン, シューベルト, ヨハン・シュトラウス1世・2世などの墓もある。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは 1770年12月16日頃(頃!)に当時の神聖ローマ帝国ケルン大司教領のボン(それって現在のドイツのボン!)で生まれたドイツの作曲家だけど, 

(筆者が訪れた時は「西ドイツ」の首都だったボン!)

そのベートーヴェンは, 1827年3月26日に当時のオーストリア帝国のウィーンで亡くなっている。56歳で他界だから, 現代の感覚からしたら早い。当時だとどうなんだろう。

フランツ・ペーター・シューベルトは 1797年1月31日, ウィーン郊外のリヒテンタール(当時は神聖ローマ帝国のオーストリア大公国のリヒテンタール!)生まれのオーストリアの作曲家で, 1828年11月19日に31歳の若さで亡くなっている。亡くなった場所は当時のオーストリア帝国のウィーン。 

シューベルトと言えば, 「魔王」♫

そして, 「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世は,  1804年3月14日, 神聖ローマ帝国の(もちろん現在のオーストリアの)ウィーン生まれ。1849年9月25日に45歳で他界した場所もウィーン(当時はオーストリア帝国のウィーン)。

おお, 上にリンク貼ったのは, ワルツ「ローレライ=ラインの調べ」♫

そしてそして, ヨハン・シュトラウス1世の長男で, 父親の称号「ワルツ王」を引き継いだヨハン・シュトラウス2世は, 1825年10月25日にオーストリア帝国のウィーンで生まれ, 1899年6月3日にオーストリア=ハンガリー帝国のウィーン(どっちにしてもウィーンなんだが!)で他界した。

そう言えば(!), 大した写真ではないけれど(!!), 当時のユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国とその中のセルビア社会主義共和国それぞれの首都であった, 現在のセルビア共和国の首都ベオグラードにて, ドナウ川の川沿いで写真を撮っていた。

そうだそうだ, ヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」, 20世紀のアメリカ合州国の巨匠スタンリー・キューブリックの 1968年公開・名作映画「2001年宇宙の旅」で使われている。

因みに映画「2001年宇宙の旅」の音楽には, ヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」と並んで同じく重要な使われ方をしたリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」(もちろんニーチェの同名原作がインスパイアした曲)があるが, そのリヒャルト・シュトラウスはドイツの作曲家で 1864年6月11日にバイエルン王国の(もちろん現在のドイツの!)ミュンヘンで生まれており, 亡くなった場所もドイツ。

リヒャルト・シュトラウスは, 1949年9月8日, 当時の西ドイツの(もちろん現在のドイツの!!そこまで書くか)バイエルン州オーバーバイエルン行政管区のガルミッシュ=パルテンキルヒェン郡の都市ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(そこまで書くか!!!)で亡くなっている。

というわけで, 

話の中心は, ウィーンの中央墓地から「2001年宇宙の旅」に旅立ってしまった, 

これが「2001年宇宙の旅」オープニングのリヒャルト・シュトラウス作曲「ツァラトゥストラはかく語りき」♫

2001年宇宙の旅 〜 "2001: A Space Odyssey" (Stanley Kubrick, 1968)

えーい, こうなったら; 2001年宇宙の旅とピンク・フロイド「エコーズ」のシンクロニシティ 〜 歌詞和訳

ここまできたら, この際これでどうだ, めっちゃ長いぞこのタイトル(笑), 

「ブレードランナー」から「2001年宇宙の旅」/ "Echoes" へと巡る旅 〜 〜 経由地は「いまを生きる」「6才のボクが、大人になるまで。」「生きる」「ゴンドラの唄」, "To the Virgins, to Make Much of Time", 途中下車して「ウィンザーの陽気な女房たち」, "Welcome to the Pleasuredome" "Relax", 「アポロの歌」, "If" & "If", 「ツァラトゥストラはこう語った」

そうだそうだ, 

この章, つまり本 note の最終章はもともとウィーン中央墓地, 「墓地」についてだったのだ, ならば今日の note の終わりに相応しいのは, 上掲リンクの note にも載せたあれ, 

というわけで, 今日は,

スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」からリドリー・スコット「ブレードランナー」に 行ってしまった, 

反逆レプリカントのリーダーだったロイ・バッティも 逝ってしまった, 

ロイ・バッティが, 逝ってしまう, その直前に語った言葉。

"I've seen things you people wouldn't believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. .. Time to die."

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