音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

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地中海の舞踏 〜 ギリシャ・サントリーニ島, 1983年7月28日から 8月1日(写真8枚)

地中海の舞踏 〜 ギリシャ・サントリーニ島, 1983年7月28日から 8月1日(写真8枚)

1983年4月26日に日本を発ち, ギリシャ入国は同年7月11日 1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連, つまり当時はあった(!)ソヴィエト連邦を旅した後は北欧に出て, その後, 徐々にヨーロッパを南下, 7月10日にイタリア・ブリンディジからフェリー1泊2日の船旅でギリシャ・パトラへと渡り(*1, 第3章以降にそこまでの各国各都市の旅 note へのリンクなど), その

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ギリシャ, アテネ part γ' 〜 エロースが鎮座する国で「愛のコリーダ」観たり, アクロポリス・リカヴィトス等ぶらついたりの, 1983年7月下旬

ギリシャ, アテネ part γ' 〜 エロースが鎮座する国で「愛のコリーダ」観たり, アクロポリス・リカヴィトス等ぶらついたりの, 1983年7月下旬

1983年4月26日に日本を発ち, ギリシャ入国は同年7月11日1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連を旅した後は北欧に出て, その後, 徐々にヨーロッパを南下, 7月10日にイタリア・ブリンディジからフェリー1泊2日の船旅でギリシャ・パトラへと渡り(*1, 第3章以降にそこまでの各国各都市の旅 note へのリンクなどあり), その後, ギリシャには 1ヶ月ほど滞在した(

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ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 3曲歌詞和訳つき

ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 3曲歌詞和訳つき

グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲したサイモンとガーファンクル時代の "Bridge Over Troubled Water", 邦題は当時の「明日」流行りで「明日に架ける橋」(けっこう良かった邦題だと思うけど), あのアルバムでもグラミー賞最優秀アルバム賞を獲っていて, 同賞受

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ネットがない時代にお世話になったテレビの「洋楽」番組 part II 〜 JUN 提供 Sounds In: Midnight Special, Soul Train, In Concert ♫

ネットがない時代にお世話になったテレビの「洋楽」番組 part II 〜 JUN 提供 Sounds In: Midnight Special, Soul Train, In Concert ♫

インターネット時代の今からは想像し難い, 当時のライヴ映像の「ありがたみ」1970年代, 海を越えたあちらの, つまり「洋楽」(後年になって英米以外の音楽を色々と聴くようになったわけだけど, 1960年生まれの自分が「洋楽」を本格的に聴くようになったのは小4, 小5辺りからで, その時から少なくとも中学, 高校の頃にかけては「洋楽」と言えば殆ど英米のロックとかソウルとかファンクとかあるいはポピュラーソングとかを意味していた)のミュージシャン達のライヴの映像を観るのは, 本当に

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ギリシャ, アテネ part β' 〜 1983年7月15-16日(写真14枚)

ギリシャ, アテネ part β' 〜 1983年7月15-16日(写真14枚)

ギリシャ, アテネ part α' と 1983年4月26日に日本を発ってギリシャに着くまでギリシャ, アテネ part α' は以下 note *1 で(1983年7月10日にイタリア・ブリンディジをフェリーで発って翌7月11日にギリシャ・パトラに着き同日のうちに列車でアテネへ向かい .. そしてシンタグマ広場, アクロポリスとパルテノン神殿, リカヴィトスの丘など訪問・見物), そしてその前, 1983年4月26日の日本「出国」からイタリア・ブリンディジまでは note

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ギリシャ, アテネ part α' 〜 1983年7月11-14日(写真16枚)

ギリシャ, アテネ part α' 〜 1983年7月11-14日(写真16枚)

1983年4月26日に横浜港を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, 7月10日にはイタリア・ブリンディジからフェリーでギリシャ・パトラへ1983年4月26日の日本「出国」からイタリア・ブリンディジまでは以下 note *1 にあり, 特に日本を発つ前辺りから日本を出てブリンディジに辿り着く前までの振り返りについてはその第3章以降。 先に 1983年7月10日の旅日記からちらりと。これはイタリアのブリンディジの港で ギリシャ の パトラ行きフェリーに乗船した辺りのメモ

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「凋落」日本が「飛ぶ鳥落とす勢い」に見えた頃の世界における立ち位置を, ダイアー・ストレイツ "Love Over Gold" (1982), ピンク・フロイド "The Final Cut" (1983) で振り返る

「凋落」日本が「飛ぶ鳥落とす勢い」に見えた頃の世界における立ち位置を, ダイアー・ストレイツ "Love Over Gold" (1982), ピンク・フロイド "The Final Cut" (1983) で振り返る

20世紀後半期のほんの2, 30年の間, 「飛ぶ鳥を落とす勢い」を誇った(そう見えていた) "Rising Sun" 日本, 今や世界の多くの国々から, そして多くの日本人自身からも「没落」しつつある, あるいは既に「没落」している, そんな「凋落」国家であると見做されつつある「我が祖国」日本。凋落してもそれはそれで無能な政府なり選んだ有権者なりの「自業自得」であれば(とりあえず筆者自身はあの事故, 自公か, など選んだことなど一度もないが)やむを得ないと思うけれど, しかし

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イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

ナポリから夜行列車でブリンディジ, ブリンディジでフェリーに乗って, ギリシャ側パトラへ1983年4月26日に横浜港をフェリーで発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅(完全網羅の一周ではない一方でエジプトにも行ったからアフリカ大陸その北東の端にも8泊9日), イタリアは12番目の旅国(造語, 訪問国とほぼ同意)で7月1日から9泊10日, ヴェネツィア, フィレンツェ, ローマとヴァチカン市国(これって13番目の旅国だなぁ, ヴァチカンは13, omg, Oh My いない

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もっと長居できればよかった, ナポリ, イタリア 〜 1983年7月8-9日(写真 5枚)

もっと長居できればよかった, ナポリ, イタリア 〜 1983年7月8-9日(写真 5枚)

初日は列車で移動して, ポンペイの遺跡へ1983年4月26日に横浜港を発って日本を出てから74日目, 同年7月8日, その日まで 4泊5日滞在していたローマ(*2, *3, その前のフィレンツェ, ヴェネツィアは *4, *6)を発って ナポリ へ移動, ナポリ に宿をとってその日は列車で「現代の」ポンペイ市方面へ。目指したのは「古代都市」ポンペイの遺跡。 *1 ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE

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ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

1983年4月26日に横浜港を発って日本を出てから74日目, 同年7月8日, その日まで 4泊5日滞在していたローマを発ってナポリへ移動, ナポリに宿をとってその日は列車で「現代の」ポンペイ市方面へ。目指したのは「古代都市」ポンペイの遺跡。 ポンペイに辿り着くまで冒頭書いたように, ポンペイにはナポリから日帰りの旅をした。ナポリの前にいたところはローマで, ローマを 1983年7月8日朝に列車で発ち, 同日昼にはナポリ着。 ローマ(*1, 2)には 7月4日から8日にかけ

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