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1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説

1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以降まで名を遺すつもりだが)「遠州森の」ランドル・パトリック・マクマーフィーことジャック・ニコルソン(いや, 「カッコーの巣の上で」マクマーフィーは最後に俳人, じゃなかった, 廃人になってしまうので, 拙者の将来の最期とはだいぶ違う, 笑)じゃなかった, 山本剛は, 故郷の国つまり故国日本の横浜港からのフェリー2泊3日の船旅で 22歳の時に「青年は荒野をめざ」し当時のソヴィエト社会主義共和国連邦のナホトカ港に向かい, その後, ソ連・欧州・中東(というより日本から言えば西アジア諸国, それとアフリカ大陸北東端のエジプト)・アジア諸国をバックパック一つ担いで旅し, 最後の訪問国であった韓国の釜山港からの夜行フェリーで(突如思い出した, そういや京都市で在日韓国人の 아버지 アボジ つまり父と日本人の母つまりオモニ 어머니 のもと生まれた 都はるみ をよく知る京都市出身の在日韓国人のおじさんに出会い, 都はるみの生い立ちや彼女の両親の苦労話などを聞かされた, あれは貴重な話だったなぁ, 細かいところまでは記憶に残ってなくて 미안합니다 だけど, それとこの括弧長過ぎて 미안합니다, ごめん!... とにかく釜山港からの夜行フェリーで)向かった下関港にて 1984年2月1日に無事帰国, そして小中高とずっと1学年下ながら中学辺りから親しく付き合っていた(10年以上会ってないけど今も年賀状交換はしていて会えば直ぐに昔に戻れるであろう)後輩が広島大学の学生だったこともあり, 広島に寄って後輩のアパートに転がり込んで3泊世話になり, その後「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に」(秋葉神社は些か遠いと思うけど, 笑)ある故郷にひとまず戻ったのが, 1984年2月4日。つまり, ちょうど 38年前の今日であった。

いきなりこの「前説」はなんなんだ, と思う良識ある方々もおられるでしょうが(ナン何だ, って, ナンはインドの美味しいパンですがな), 如何せん, 帰国の翌年, 1985年にその3年後に結婚する「うちのカミさん」(って俺は「刑事コロンボ」か)に横浜で出会い, 二人が付き合い始めた頃の様子を, 

当時撮った https://youtu.be/vynn85qh4RE 写真3枚で3コマ漫画するとこういうことになるんで。だから「シカタナイ」だろ, って言ったらいけないかい「人間を幸福にしない日本というシステム」カレル・ヴァン・ウォルフレンさんよ。え, どうなんだい?

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さて, 

そろそろとても weird な「前説」はこの辺にして, 本章, ってか第1章に向かおうではないか。

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を巡る旅 〜 1984年2月1日, 帰国(韓国・釜山港から下関港行きフェリーに乗って)

ここは, 次章にリンクを貼る, 帰国してひとまず故郷の家に戻る前に寄った広島滞在について書いた ヒロシマ旅 note の第1章から, 転載してしまうのだった。

見出しの通りで, 本 note 前説にも書いたように, 前年の春, 1983年4月26日に日本を発ち, バックパック一つ担いで当時のソ連・欧州・中東(日本から言えば西アジアということにもなる「中東」だが厳密に言うとアフリカ大陸の北東端エジプトにも行った)・アジア諸国を旅し, 最後は韓国の釜山港からのフェリーで下関港に着き, そこで帰国となった(1984年2月1日)。下関からの帰路, 広島に寄って当時広島大学にいた後輩のアパートに転がり込み, 3泊世話になった。
上述のソ連から韓国に至る旅に関しては, ここでは帰国した日からちょうど38周年の記念に書いた 旅 note へのリンクを付すことにする。その中で, あの時の旅の間に滞在した(あるいは訪れた)各国各都市・遺跡などの旅 note のリンクの案内も掲載している(以下 note リンクの下に目次)。

1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

目次
1. 旅のテーマ・ソング, "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳
2. 1979年, 大学入学で札幌へ, その年の夏辺りには既に「インド・ネパール旅の絵本」を買って読んでいた
3. 1983年4月26日, 旅立ち
4. 1983年4月26日, 横浜よりソ連, 今のロシアのナホトカに向け, フェリーで 旅立ち
5. ソ連・欧州 の旅(イタリアまで)
6. ギリシャ の旅
7. ちょっと脱線, 1983年8月10日, Maneaters に襲われた夜 〜 あの夜の出来事は幻だったのでありましょうか ♫
8. トルコ・シリア・ヨルダン の旅
9. パレスチナ/イスラエル の旅
10. ピラミッドと大都会の喧騒と 〜 エジプト, ギザとカイロ, 1983年10月18-26日
11. トルコ・イスタンブール 再訪
12. 再びのトルコ, 続いて イラン, パキスタン の旅, そして インド に入国
13. インド, タイ の旅
14. 韓国 1984年1月の11日間 〜 1983年4月に日本を発ってから足掛け10ヶ月目, 全斗煥軍事独裁政権時代に旅した初めての韓国, 板門店も
15. 江ノ島が見えてきた ♫ 〜 いや違った(笑), 下関が見えてきた
16. 2月1日, 海外「放浪」もどきの旅から帰国 〜 僕は一寸 ♫ 明日あたりはきっと春 ♫
17. どんな話をしゃべりましょうか, 日の出づる国の明日の事でも 〜 帰国したから 細野さんの 「僕は一寸」♫

1984年2月1-4日, 広島に 3泊4日滞在

前回の旅 note, これ。

1984年2月, 初めて訪れた広島平和記念公園

さて, 旅から戻って故郷の家に帰還, の話に移る前に,

1983年春にも「帰郷」していた静岡県の故郷の家, の巻

という章見出しに見合うような(見出しに見合う.. ま, いいか, 気にしない気にしない, と「ひとりごと」), 

ひとりごと」ってのが邦題だったね, このアルバム, 原題のニュアンスは「ほら, サイモンがまた韻踏んでるよ」ぐらいだと思うけど。

気にしない気にしない, と書きながら脱線したのだ, それでいいのだ, 転載いや天才バカボンのパパ。

もとい, 本章の章見出しに見合うような内容を, 以下の過去 note

1983年4月26日 ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発(旅立ち) 〜 旅立つ前と後に読んだ本、旅立つ前に聴いていた曲 ♫

の第1章 バイトで金貯め, 計画的に留年・休学へ に書いていたので, そこから天才いや転載

成り行きで札幌に住むようになり(まぁ最終的には [家族とは至って円満だったものの] 故郷からなるべく遠く離れてみようと思い, 北海道か九州かで, 北海道を選んだ)、
1979年3月下旬に札幌に移住し 同年4月に大学入学)
大学1年の頃から既にインド行きを思い立ち(理由とか動機は何だっけ, それは思い出したらまたいつかの note 投稿にて, 笑)、そのうちインドだけでは飽き足らず更に広い世界を見たい(こういう時は拙者どちらかと言うと「観たい」を使う方が多いが今日は小田実「何でも見てやろう」に敬意を表し,「見たい」)と思うようになり、それまでのバイト(札幌北24条ミスタードーナツ, 家庭教師, 引越し屋, 遺跡発掘, 地図作成調査, などなど)で貯めた金では目標額にほど遠かったため、大学4年の前期は「ほぼ」大学に行かず(週1のゼミは行き, 当時の学生の常?授業に出てる学生のノートのコピーで一夜漬けして期末の試験日だけは出て)札幌北24条の居酒屋「村さ来」でバイト(長い日は午後3時に出勤・開店準備, 5時開店, 深夜3時閉店時間も客が残る3時半過ぎ, あるいは4時近くまで営業, その後は店内掃除・片付け, 更に残った食材で料理人が作ってくれたゴーカ盛り合わせで店長や料理人やバイト仲間と明け方の宴会, 外が明るくなってから店を出て, 朝7時ごろアパートに戻る, 爆睡後, 午後3時もしくはシフトにより 4時, 5時にはまた出勤)を約半年間続け、そこまででようやく大学1年の時からバイトで貯めてきた金, 旅行資金のための貯金額が 約100万円になり(たぶん若干超えたぐらいだったと思う)(1USドル=約250円の時代)、翌1983年4月からの「ユーラシア大陸一周旅行」実行の目処が立ったため

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(上の写真, 詳しくは更に上の方でリンク貼った札幌時代のこと書いた以前の note 投稿テキストにて言及; なお言うまでもなく!「ユーラシア大陸一周旅行実行委員会」なるものは存在せず, 存在したとしても会員数・委員数は一人, つまり「委員長」と「平委員」を一人で務めたのが拙者, なげぇカッコだったなカッコマン!)
話を戻すと、とにかく,
そうして翌1983年4月からの「ユーラシア大陸一周旅行」実行の目処が立ったため、ってか, そもそも99%?の学生が就職活動, 当時言うところの(今も言う?)「会社まわり」をする中, 最初から翌年度は「ユーラシア大陸一周旅行」実行のつもりで就職活動など何もせずにいたのだが、兎にも角にも旅行資金の目処が立って翌1983年春からの旅立ち
あ、間違えた(笑)、旅立ち=出発, 「出発(たびだち)の歌」はこっち ♫
兎に角ですね、
翌1983年春に出発・旅立ちして「ユーラシア大陸(ほぼ, 笑)一周旅行」を敢行することを最終決定し、大学4年の後期は意図的に翌年度(以降)に単位を残すことを計画して履修講義数を絞り(しかし何事も完璧に計画通りにはいかないもので一つ想定外の単位を落とし、1科目分だけ単位を残す計画だったところ、2科目を翌年度以降に残した, しかし細かい話だね!)「計画的な留年」を敢行(って言うかこれ, 笑)、一方で大学当局には翌1983年度一年間の休学を申請した。休学許可、ありがとう北海道大学!
で、1983年3月初旬ごろだったと思うが, 札幌北19条のアパートを引き払い、我が故郷、静岡県遠州森町 〜 そうです、あれ、
イントロの三味線と掛け声を聴いてから, 00:15 ~
秋葉路や、花橘も茶の香り。
流れも清き太田川、若鮎躍(おど)る頃となる。
松も緑の色も冴え、遠州森町良い茶の出どこ、
娘やりたやお茶積みに、ここは名代の火伏(しぶせ)の神。
秋葉神社の参道に、産声あげし快男児。
昭和の御代(みよ)まで名を遺(のこ)す、遠州森の石松
不便ながら、務(つと)めます。
そうです ♫ 我が故郷, 静岡県遠州森町に帰り、1983年4月26日の横浜港からの旅立ちの前まで、故郷の実家(生まれ育った家ではなく拙者の大学進学後に同じ遠州森町内で引っ越した先の家なんだけど、細かい話!)で過ごしたのであった。
あのですね、ここまでの話、長かったねぇ, Long Distance
ではでは、ようやくのこと、
あ、その前にいちおう書いておくと、要するに1983年度は休学してバックパッカー海外「放浪」もどきの旅をし、1984年度に大学に復帰してまったりと過ごしつつ, 残しておいた単位を修得、大学は 1985年3月に卒業した。
ではでは、今度こそ、
ようやくのこと、
1983年4月26日出発の「ユーラシア大陸(ほぼ)一周旅行」に旅立つ前に読んだ本, 戻ってから読んだ本
について。というわけで、
章をあらためよう, でも案外、残りの話は早く終わっちゃったりして(笑)。

1983年4月26日出発の「ユーラシア大陸(ほぼ)一周旅行」に旅立つ前に読んだ本, 戻ってから読んだ本 については, 本章のだいぶ前の方でリンクを貼った過去 note の中にある話なので, 今日はそうじゃなくて, とにかく次章へ。

1984年2月4日, 静岡県の故郷の家に帰還

というわけで, 前年, 1983年春にも静岡県の故郷の家に帰郷・帰還していたんだけど, その後, 同年4月26日に横浜港から当時のソ連のナホトカの港に2泊3日かけて向かうフェリーで日本を発って, ソ連・欧州・中東(というより日本から言えば西アジア諸国, それとアフリカ大陸北東端のエジプト)・アジア諸国をバックパック一つ担いで旅し, 最後の訪問国であった韓国の釜山港からの夜行フェリーで向かった下関港にて 1984年2月1日に無事帰国, その後, 広島に寄って3泊4日滞在した後, 同年2月4日に, 静岡県にある故郷の家にひとまず戻ったのだった。

(イントロの三味線と掛け声を聴いてから, 00:15 ~)

秋葉路や、花橘も茶の香り。
流れも清き太田川、若鮎躍(おど)る頃となる。
松も緑の色も冴え、遠州森町良い茶の出どこ、
娘やりたやお茶積みに、ここは名代の火伏(しぶせ)の神。
秋葉神社の参道に、産声あげし快男児。
昭和の御代(みよ)まで名を遺(のこ)す、遠州森の石松
不便ながら、務(つと)めます。

この浪曲のお陰もあって全国に知れ渡った(かもしれない)故郷の町。

今日のこの note のタイトル上の写真はネットから拝借したもので(著作権フリーの写真だと思うから「だいじょうぶマイ・フレンド」),

またやっちまった ♫

とにかく「流れも清き太田川」が流れる故郷の町。実家のまさしく裏に出るとあの風景。以下は昭和3年(1928年)9月生まれで現在93歳にしてありがたいことに健在の父がたぶん60代半ばぐらいの時に描いた故郷の風景。実家の居間に飾ってあるのだが, この間の年末年始に久しぶりの帰省をした時, 今月, 2022年1月3日に撮ったもの(たくさん絵や写真が飾ってあって他の絵と一緒に撮ってしまったのでクローズアップしたものがなくトリミングしたらこんな小さいサイズになっちまったけれど, 実際の絵のサイズはそこそこ大きい)。因みに昭和6年(1931年)8月生まれ現在90歳の母もありがたいことに健在なり。

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さて, 話を 

1984年春に戻して, 

筆者はその後, 再び札幌市に行き, 1984年4月に大学に復帰まったりと過ごしつつ, 旅立つ前に計画的に残しておいた単位を修得, 1985年3月に大学を卒業, 就職した同年3月から 横浜市に10年間住み, そして東京勤務になった 1995年には茨城県に移住, 翌1996年に県内の別の都市に引越し, 以来, 今までずっと変わらず, 茨城県の県南にある小さな地方都市に住んでいるけれど,

故郷を想う気持ちは今も変わらないわけであります。と書いておいて, しかし自分の「故郷を想う気持ち」がどんなかは特にここでは書いてなかったなぁ。いつか書くかもしれないけれど, それはまぁ, 次の次の章, 本 note の最終章に載せる歌の歌詞の中でも歌われていると思っている。

"Telegraph Road" (Dire Straits, 1982) 〜 "Rene and Georgette Magritte with Their Dog after the War" (Paul Simon, 1983)

ここでは, 本 note の前説の次の次の章 1984年2月1-4日, 広島に 3泊4日滞在 にリンクを付した昨日 note 投稿したヒロシマ旅 note ではなく, 昨年のほぼ同時期に投稿した方のヒロシマ旅 note,

の最終章(本章と同じ見出し)から転載。あのアルバム2枚は, 旅から帰って, またいったん札幌に戻る前の, 故郷の家にいる間, 家の居間のレコード・プレイヤーでよく聴いていたのだ。

既に書いた通り、1983年4月からの海外「放浪」もどきの旅の帰路、1984年2月1日から4日の3泊4日、広島にいたのだが、広島に立ち寄ったのは、一度は広島に行かなくてはという想いがあったのと(これも書いた通り、その後、繰り返し何度も広島を訪れることになるが)、当時、小中高時代の後輩が広島大学にいたということも大きかったと思う。
10ヶ月弱にわたる海外一人旅の帰りで、まだ大きなバックパックを持っていたのだが、家に帰ったら直ぐにでも聴きたいと思ったのか、広島大学の生協に寄って、レコードを何枚か買ったのを今もよく憶えている。「よく」と書きながら何枚買ったのか枚数までは記憶していないのだが、2枚は正確に憶えている(あるいはこの 2枚だけだったのかもしれない)。
Paul Simon が 1983年11月4日にリリースしたアルバム "Hearts and Bones", そして Dire Straits が 1982年9月20日にリリースしたアルバム "Love Over Gold" の 2枚。

Telegraph Road, from Dire Straits' 1982 album Love Over Gold ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

Rene and Georgette Magritte with Their Dog after the War, from Paul Simon's 1983 album Hearts and Bones ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

故郷に帰って来た後で聴く, 「早く家に帰りたい」 (サイモンとガーファンクル) 〜 歌詞和訳

故郷の家は, "Home where my thought's escaping, home where my music's playing, home where my love lies waiting silently for me" ではあるのだ。

さて, "Kathy's Song" や(この note タイトル写真は, うちのカミさん!),

"America" だけでなく(この note タイトル写真の右が Kathy その人), 

この歌の作詞作曲にもキャシー, つまり Kathleen Chitty の存在があったという再発見。

Homeward Bound 〜 from Simon & Garfunkel's third studio album "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" released on October 24, 1966 ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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僕は駅舎で座っている
目的地への切符なら買った
一夜限りのライブを転々とする旅さ
スーツケースとギターを手に持ってね
どこに行ってもきれいに揃ってるよ
詩人を兼ねたワン・マン・バンド用にね
家路に・・・
今 家に向かっているのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

毎日が果てしない川の流れのよう
タバコと雑誌でやり過ごす
どの街も僕には同じに見えるよ
映画館や工場
そして見知らぬ人々の顔
何を見ても僕の想いが向かうのは
家路なのさ
今 本当に家路にあるのならいいのに
僕の想いが宿る家
愛する音楽が流れる家
愛する人が待っている家
静かに 僕を

今夜また 僕は自分の歌を歌い
堂々とやって そして取り繕う
だけど僕のどの言葉も自分に帰ってくる
月並みな陰影を帯びながら
ハーモニーが持つ虚しさのように
だから 慰めてくれる誰かが必要なんだ
家路・・・
今 家に向かっているのならいいのに
我が家 そこには僕の想いが宿り
我が家 そこでは愛する音楽が流れ
我が家 そうさ 愛する人が待っている
静かに 僕を
静かに 僕を

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