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911 から10日後(一部 歌詞和訳) 〜 トム・ペティ, ニール・ヤング, スティーヴィ・ワンダー, ポール・サイモン, そして ロバート・デ・ニーロ

前説

今日は 3月24日。911 の話題を取り上げるのは「季節外れ」。しかし 911 にしろ 311 にしろ 1208 にしろ 806, 809 にしろ 815 にしろ他の諸々にしろ、別に季語ってわけじゃない。仮に季語だとしても秋の季語を春に詠んだりしちゃいけねぇよなんて話はないわけで。

桜愛でるこの 3月下旬の佳き日にわざわざ 911 トピックを取り上げることにさしたる「わざわざ」の理由はないんだけど、些細な理由、ちょっとした訳ならある。

3日前、トム・ペティの "I Won't Back Down" を拙者の拙訳ならぬ自画自賛「口に苦し」な(「良薬口に苦し」、あ、薬じゃなくて訳か、だから活字が多くなる!)歌詞の和訳とともに note 投稿したところ(*1)読者反応は 1 だけで(何しろ現時点 2 のうち 1 は拙者自身)、その後、一昨日、2001年の 911アメリカ同時多発テロ・犠牲者追悼チャリティのライヴに出たときの鬼気迫るトム・ペティの "I Won't Back Down" をやはり拙者の拙訳ならぬ良訳つけて note 投稿したところ(*2)筆者自身を除く読者反応はゼロ。トム・ペティって60代の若さで(コロナ禍でないような時に60代は若い!)亡くなるその日までアメリカ合州国(以下、アメリカ)ではロック界の「大物」の範疇だったとは思うけれど、確かに日本での知名度はそれほどでもない。且つ、拙者の note 界フォロワーがそもそも少ない(!)。

で、この際だからと同じ 2001年の 911アメリカ同時多発テロ・犠牲者追悼チャリティのライヴに出たときのニール・ヤングによるジョン・レノン "IMAGINE" のカヴァー, あれの歌詞の一箇所がオリジナルのそれと違う点はわりと興味深かったよなぁと、昨日、それをあらためて note 投稿してみた(*3)。ニール・ヤングなら "Heart of Gold" 歌詞和訳 note 投稿(*4)した時なんかそこそこ反応あったし .. ってな, そんなせこい理由でもないけれど(でもリンク貼ってる、笑)しかしニール・ヤングのあれ("IMAGINE" カヴァーの方)も実際、敢えてあの 911直後のブッシュ政権下アメリカで「報復」戦意高揚ムード高まりつつあるなか一時は放送禁止/自粛対象の代表曲みたいな扱いになった "IMAGINE" を歌ったという、そんな、ニール・ヤングの選曲から感じられる何か得も言われぬ(その昔、今は亡き開高健が「得も言われぬ(味)」などと物書きなら絶対に書いてはならない、と言ったことがあるそうな、俺もこうしてモノを書いている端くれ[笑]、しかし味の話ではなくて音楽におけるテイストに関わる話で .. って味の話かよ、カッコ長すぎだよ)凄みのようなものも相まって、尚のこと強く印象に残っていたのだった。

*1

*2

*3

*4

2001年9月21日の「アメリカ同時多発テロ・犠牲者追悼」イヴェント と 10月20日の Concert For New York の 異同

両者の相異。違い。「異同」というのは「異なる点と同じ点」といった誤った解釈をされることがある言葉だと思うけれど、実際のところはこの「同」は語調をととのえる添え字ということで意味はなく、「異同」の意味は「異なっているところ」ということ。

以下に載せるのは、上が、20年近く前、あの 911(いちおう書いておきますと、当たり前ながらここでの 911 は 2001年のアメリカの 911, 実際 911 には他にもチリの 911 というのがあって、1973年9月11日はアメリカの CIA が画策した、後にチリの独裁軍事政権の大統領になるアウグスト・ピノチェト将軍によるクーデターにおいて、チリで民主・自由選挙で選ばれていた大統領サルバドール・アジェンデが自死に追い込まれたチリの悲劇の日、おそらくチリでは今でも 911 と言えばこっちの 911 の方が有名なのではないか)から 10日後の 2001年9月21日に ABC, CBS, NBC, FOX という当時のアメリカの 4大テレビネットワークが共同で制作し「超大物」ミュージシャンやハリウッド・スター達が大挙生出演する番組が放映され、日本でも放映された、それを拙者が観て、その感想を書いて自分のホームページ上に掲載した、その当時の日記。

文字通り「感想文」程度のメモなんだけれど、あれを観た時はまだ 911 のショック醒めやらぬ(「冷めやらぬ」というより「醒めやらぬ」と書きたい感じ)時で、あの時あの番組を観ていても、20年後の今となっては既に想像しにくくなってきているような何か緊張感・緊迫感みたいなものが依然としてあった、そんな時にざくっと書いた感想文だった。

一言書いておくと、世に「チャリティ」類を全否定する人とかセレブのチャリティ関与といったことを端から否定する人というのは少なくないわけだけれど(過去、自分の身近にもいた)、筆者はこの種のことをそんなふうに捉えることはしない。チャリティの類には偽善的なものもあればそうでないものもあれば、両方が入り混じったものもあればという、まぁ実態はそんなところだろう。少なくともここで取り上げる 2001年9月21日のイヴェントに関しては、以下の当時の日記で触れたような一部のことを除いて、ネガティヴな印象は持たなかった。

なお、この日記の下に載せるのは、同じく 911 を受けて翌月 2001年10月20日に MSG で行なわれた Concert For New York を観て(終盤の1時間程度)、やはり当時その感想をホームページの日記コーナーにアップしたもの。書いた通りで、この後者のイヴェントに関してはピンと来なかった。というか、率直に言って、些かネガティヴな印象を抱いた。

2001年 9月23日(日) アメリカ同時多発テロ、犠牲者追悼チャリティ番組を見て
アメリカ同時多発テロの犠牲者への追悼と(遺族や被災者と被災地復興のための)寄付を目的に、アメリカの ABC、CBS、NBC、FOX の 4大テレビネットワークが共同で制作した番組が、日本時間では昨日の朝10時から 2時間余にわたって生中継された。私は生では最後の一部以外見逃してしまい、日本時間の夜放送された再放送を録画して観たのだが、以下に簡単に感想を記しておきたい。
ミュージシャンではブルース・スプリングスティーン、スティービー・ワンダー、U2、トム・ペティ、ニール・ヤング、ビリー・ジョエル、ボン・ジョヴィ、シェリル・クロウ、スティング、ポール・サイモン、などなど・・・。俳優ではトム・ハンクス、トム・クルーズ、ジャック・ニコルスン、アンディ・ガルシア、アル・パチーノ、ウーピー・ゴールドバーグ、キャメロン・ディアス、ジュリア・ロバーツ、ロバート・デ・ニーロ、などなど・・・。これだけの短期のうちに 4大ネットが協力し、しかもあれだけ多くの大物スターを集めたのは驚きだ。アメリカが惨劇の犠牲者を追悼し、今も救援活動を続ける人々と共にありたいという一つの意思にまとまっている証であり、協力するスターの側にも確かな志しがあってのことだろう。途中、モスレム(note転載に当たっての加筆:今から 40年近く前に海外「放浪」もどきの旅をする際イスラームについても学び、まただいぶ以前から普通に「ムスリム」と表記している筆者だが、当時は「モスレム」という表記が一般的だったのかどうか、実は自身よく記憶していない)の学校での子供たちのインタヴューがあり、「元のノーマルな世界、一緒に笑いながら過ごせる平和な世界に戻ってほしい」という少女の声などが紹介され、モスレムである元ボクシング・世界ヘビー級チャンピオンのムハマド・アリのスピーチもあったのは、良い企画だったと思う。
まともなリハの余裕など無かったはずにも関わらず、ミュージシャンのパフォーマンスはことごとく見事なもので、「妙に」センチメンタルに過ぎる表情も見せず、完璧な演奏をしてみせたのは反って感動的だった。印象に残るパフォーマンスばかりだったが、とりわけスティービー・ワンダーの LOVE'S IN NEED OF LOVE TODAY と、ポール・サイモンの BRIDGE OVER TROUBLED WATER は、もともとの楽曲の素晴らしさと共に、これらの歌の詩の意味を知りながら、そのパフォーマンスがあの悲劇の被災者と復興のために捧げられたことを考えれば、心を大きく動かさずにはいられない。
ここでもう一つ特筆しておきたいのは、ニール・ヤングの IMAGINE だ。言わずと知れた、20年前に凶弾に倒れたジョン・レノンの作。今、少なくともブッシュ政権下で報復の武力行使に向かって戦意高揚ムードが高まりつつある中で、同時多発テロの後、一時は放送で流すことが控えられた代表的な曲である IMAGINE をニール・ヤングが敢えて、明らかに「敢えて」選曲したことには、彼の明白なメッセージがある。 IMAGINE のメッセージ を知らずに彼が選曲したことなど、有り得ないことだ。
最後にやや蛇足とも思えるが、その他に感じたことのうちの一点だけを記したい。ワイクレフ・ジーンという(私は知らない ... note転載に当たっての注:これはワイクリフ・ジョンのこと。筆者は当時、既にファンだったローリン・ヒルがかつてフージーズというグループにいたことは知っていたが、そのリーダーであったワイクリフ・ジョンについては全く知らなかった *3)ミュージシャンが、ボブ・マーレイの REDEMPTION SONG を演ったのだが、そのパフォーマンスはかなり良かったにも関わらず、このミュージシャンに星条旗を身にまとったかに見えるジャケットを着て歌われてしまったこの曲は、ここでは何か場違いな印象が残った。本来ボブ・マーレイは全ての人民の解放のために作ったかもしれない(?) REDEMPTION SONG だが、この曲が星条旗にまとわれて、最後には「アメリカ、アメリカ」と叫びつつ歌われてしまうと(*3)、いや、 REDEMPTION SONG は、アメリカを中心とする世界から見放され続けているパレスチナの民のためにこそ歌われるべきだと言いたくなってしまう・・・。歌を奪い合うなんて悲しいことだけど。(*4)

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2001年10月26日(金) 10月20日(NY時間)の Concert For New York について
遅ればせながら、NY時間で先週土曜の夜(日本時間では21日の日曜日の午前中から午後にかけて)、MSGで行なわれた Concert For New York について。ポール・マッカトニーの呼びかけで企画されたというこのコンサートだが、ビリー・ジョエル、エルトン・ジョン、フー、クラプトン、ミック・ジャガー、メレンキャンプ、U2 、その他に俳優やヤンキースの監督や選手を始めとするアスリートも含め、数々のビッグ・ネームがステージに上がり、また、NY市警や消防局のメンバーもステージで紹介され、盛り上がりは相当なものだったようだ。日本からも VH-1 のサイトにアクセスすれば WEB 上で生中継を観ることが出来、日本時間の昼過ぎになってネットサーフィン中にそれを知った私は、コンサートの終りの方の、確か 1時間弱ぐらいだけを観た。
あくまでその範囲での感想だが、その限りで先に結論を言えば、9月23日の日記で取り上げた、同時多発テロ直後の追悼チャリティ番組 と比べ、どこか浮わついた、もっと言えば、一部ではハシャギ過ぎではないかというムードさえ感じさせるものがあった。最後に登場したポールが、大勢の他の出演者と共に最後にやったのは LET IT BE 、そう、あの聖母マリア様が登場して LET IT BE って言う、アレです(*5)。もちろん意味は深い曲ではあるんだろうけど、なんかなぁ・・・。そして、最後の最後にもう一度大勢でやった曲は、確かその前に一度やった曲の繰り返しで、おそらくはポールが今回のことの為に作った曲、その名も FREEDOM 、私の不十分な英語力でも歌詞の意味は分かったが、特に記憶してるのは、自由の為にたたかう、だったか自由はたたかうに値するものといったようなニュアンスの部分。それがどうも、ポールの妙に明るいパフォーマンスと共に、例えば、深い悲しみに裏打ちされた未来への希望、というようなものではなく、残念ながら何だか空疎な中身の「自由」を感じさせた、とそんな印象を持った私のような人間は、実は少なくないはず。
ちゃんと調べてないんだけど、追悼チャリティ番組の方でジョン・レノンの IMAGINE をやって観るもの聴くものを感動させたニール・ヤングや、スティービー・ワンダー、ポール・サイモンなどは、今回のコンサートには(たまたまかもしれないが)出演していなかったと思うが・・・。 個人的には、U2 のパフォーマンスがどんなだったか興味あるんだけど。クラプトンは、ああいう企画での役割に何らかの意味合いを期待させるタイプのアーティストじゃないし(私自身はクラプトンのファンではあるけど)。
FREEDOM という言葉を使うにしろ使わないにしろ、この言葉の持つ意味を歌い込んだ、Vietnam War 時代の Neil Young "Ohio" や 同じく Crosby, Stills, Nash & Young が歌った "Find The Cost of Freedom"(*6)を、今回のポールの FREEDOM と比べてみたらいい。前者は間違いなく、今でも我々の魂の奥深いところまで届く名曲さ!
現代のロックで、あれほどのスケールの企画になってしまったら、多くを望めないんだろうか。ロック・ミュージシャンが今やるんなら、テロ被災者に対するチャリティだけでなく、報復戦争反対をメッセージに込めるものがあったっていいと思うけど。アメリカ人がやったら偽善!? そんなことないさ、そうやってアメリカ政府もそれ以外の全てのアメリカ人も、何でもカンでも帝国主義アメリカンとして一括りにしてレッテル貼って済ませるのは大間違い。現代の歴史の現時点の持ち場で、それぞれが自らの考えを発信していくことからしか、物事はスタートしない。たとえ歴史を振り返って今に生かすにしろ、現在のポジションから世界を変えていこうとするしかないんだ。そうすることでしか、本当には「変わる」ことは出来ないと思う。それが、我々が嫌でも受け入れざるを得ない、しかし、「変え得る」現実というものではないだろうか。

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*1 先に載せた 2001年9月23日の日記は、ホームページ上では以下のリンク先。ただし 2001年夏に買った本で独学した HTML基礎知識だけで立ち上げたウェブサイトで、当時から仕様を変えてないためだろうけれども、いま現在スマホから閲覧しようとすると OS 次第で文字化けする。パソコンで利用するブラウザなら大抵の場合、問題ないと思う。

*2 後に載せた 2001年10月26日の日記は、ホームページ上では以下のリンク先。前項に書いた通りで、パソコンで利用するブラウザなら大抵の場合、問題ないと思うが、スマホから閲覧しようとすると OS 次第で文字化けする。

*3 ワイクリフ・ジョンのこの時のパフォーマンスについては、本 note 投稿の「付録」の前の最後の章「星条旗を身にまとったワイクリフ・ジョンの "Redemption Song" は無惨だった」において取り上げる。

*4 先に載せた方の 2001年9月23日の日記の最後に「パレスチナ」という言葉が出てくるけれど、もちろんあの 911 のテロにパレスチナ人は一切関与していない。この辺については、今日のこの note 投稿の主題ではないけれど、以前いくつかの note 投稿の中で書いている。

*5 "Let It Be", あの Mother Mary が実は「聖母マリア」のことではなかったということは、わりと最近になって知った。

*6 より正確に表記すると、Neil Young が作詞作曲して Crosby, Stills, Nash & Young が歌った "Ohio", そして Stephen Stills による作詞作曲で同じく Crosby, Stills, Nash & Young が歌った "Find The Cost of Freedom", その両曲について、以下の note 投稿の中で書いた。

鬼気迫るトム・ペティの「俺は引き下がらないぜ」 〜 "I Won't Back Down" (歌詞和訳)

I Won't Back Down 〜 Tom Petty (October 20, 1950 – October 2, 2017) and the Heartbreakers LIVE on September 21, 2001, 10 days after "911"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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そうさ、俺は引き下がらない
俺は引き下がらないぜ
どんなに窮地に立たされたって
それでも俺は引き下がらない

この大地に立ってやるよ
振り回されたりしない
この世界に引きずり倒されたりはしない
ここは俺の場所さ
俺は一歩も引かないぜ

なぁ、らくしようとしてもダメさ
なぁ、俺はこの足で立ってやるよ
俺は引き下がらないってことさ

何が正しいかぐらいわかってるよ
一つのいのち、1回の人生
俺を手荒に扱うこの世界を生きていく
だけど俺はこの足で立ってやる
俺は引き下がらないぜ

なぁ、らくしようとしてもダメさ
なぁ、俺はこの足で立ってやるよ
俺は引き下がらないってことさ

なぁ、らくしようとしてもダメさ
俺は引き下がらないぜ
なぁ、らくしようとしてもダメなのさ
なぁ、俺はこの足で立ってやるよ
俺は引き下がらないぜ

だから 俺はこの足で立ってやるよ
俺は引き下がらないってことさ
俺は引き下がらないぜ

ジョン・レノンのオリジナルと一箇所だけ歌詞が違うニール・ヤングの「イマジン」 〜 Neil Young's "IMAGINE" (歌詞和訳)

IMAGINE (John Lennon) 〜 Neil Young LIVE on September 21, 2001, 10 days after "911"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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想像してみよう、天国なんてないってことを
やってみれば簡単なことさ
僕らの足下には地獄なんてなく
頭上にあるのはただ空だけなんだ
想像してみよう、全ての人が
今日のために生きているってことを

想像してみよう、国も国境もない世界を
想像するのは難しいことじゃないさ
人を殺す理由もないし、自分が死ぬ理由もない
そんな宗教だってない
想像してみよう、全ての人が
平和な人生を生きているってことを

きみは僕を夢想家だと言うかもしれない
だけど僕一人だけじゃないんだ
僕は希望を持ってるのさ
いつかきみ達も僕らのように想う時が来るってね
そうしたらこの世界は一つに結ばれるんだよ

想像してみよう、所有するものなんてないってことを
僕に出来るだろうか (*1)
欲張ったり飢えたりする必要もない
人はみんな兄弟なんだ
想像してみよう、全ての人が
この世界を分かち合っているってことを

きみは僕を夢想家だと言うかもしれない
だけど僕一人だけじゃないんだ
僕は希望を持ってるのさ
いつかきみ達も僕らのように想う時が来るってね
そうしたらこの世界は一つに結ばれるんだよ

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*1 John Lennon のオリジナルでは "I wonder if you can", 「きみに出来るだろうか」。

*2 note 初出

祈りの歌のようだったポール・サイモンの「明日に架ける橋」 〜 "Bridge Over Troubled Water"

「明日に架ける橋」はサイモンとガーファンクルの永遠の名曲 "Bridge Over Troubled Water" の邦題。直訳すれば「荒波を跨ぐ橋」とか「荒れた海に架ける橋」、「渦巻く水に架ける橋」といった感じになるんだと思うけれど。当時は映画でも "Bonnie and Clyde" (1967) は「俺たちに明日はない」、"Butch Cassidy and the Sundance Kid" (1969) は「明日に向って撃て!」と、「明日」流行り。ともに特にわるい邦題だったとは思わないし、この歌の「明日に架ける橋」などシンプルではあるけど、結構いい「意訳」だったのではとさえ思う。

911 から10日後、2001年9月21日にポール・サイモンによって歌われた "Bridge Over Troubled Water", 「渦巻く水に架ける橋」は、元々この歌がゴスペル的なところから出発していたその成り立ちに回帰するかのようだった。つまり、この時の「明日に架ける橋」は、まるで祈りの歌のように歌われたのだ。それは無神論者である筆者のような人間にも十二分に届くような「祈りの歌」だった。

Bridge Over Troubled Water 〜 Paul Simon LIVE on September 21, 2001, 10 days after "911"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞・全編を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

以下は 歌詞の一部のみ。

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Like a bridge over troubled water
I will lay me down
Like a bridge over troubled water .. (*1)

Sail on Silver Girl
Sail on by ..

Like a bridge over troubled water .. (*2)
Like a bridge over troubled water .. (*3)

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この歌の作曲者であり作詞者でもあるポール・サイモンだが、彼はこの時、1番の歌詞の後に続く "Like a bridge over troubled water" の次の "I will lay me down" は歌ったのだが、2番の歌詞の後の *1 の段になって、オリジナルの歌詞にある "I will lay me down" を歌わなくなった。そして、続く 3番の歌詞の後の *2, 3 の箇所では共に、やはりオリジナルの歌詞にある "I will ease your mind" を歌わなかった。その理由は想像する他なく、あくまで推察の一つにしか過ぎないのだが、もしかしたら、911 のあまりの重大さ・深刻さを前にした時、このフレーズを歌い切ることは文字通り「あまりにも重たい」ことだった、ということなのかもしれない。その意味では、"I will lay me down", "I will ease your mind" を途中から歌わなくなったことは、ポール・サイモンが期せずして示した彼のアティチュードの誠実さの現れだったのかもしれない、とも思う。

名優 ロバート・デ・ニーロ が素で語った「自由」 〜 FREEDOM

デ・ニーロがこれを語ったのは、順番としては、前章で取り上げたポール・サイモンの "Bridge Over Troubled Water" が終わった後だった。

筆者自身は 1933年3月4日から1945年4月12日までアメリカ大統領だったフランクリン・D・ルーズベルトについて特に詳しいわけではないし、彼(がとった政策)を支持などしているわけではないし、まして彼は個人的に好きな、あるいは尊敬する歴史上の人物などではない。全くない。実際、彼はここで言及する「4つの自由」と呼ばれる高尚な理念を公にしてから約1年後の1942年2月19日には(戦時中とはいえ)日系アメリカ人の強制収容とイタリア系アメリカ人の強制収容を可能にした大統領令を発令しているし、この際フランクリン・D・ルーズベルト個人から離れ、更にこの「4つの自由」そのものとアメリカ合州国との関係を考えてみても、この後の第二次世界大戦への参戦はさて措くとして(しかしその「崇高な」理念のもと長年の非干渉主義を破って日独伊のファシズムもしくは全体主義と戦う中でアメリカは決して少なくない都市に対する無差別爆撃・絨毯爆撃を繰り返したしヒロシマ・ナガサキはその最たる恐怖 "fear" を伴う非武装市民に対する攻撃だった .. 結局「さて措」かなかったか!)、戦後の歴史において同国がこうした美辞麗句のもとで他国を攻撃して非武装の市民を殺傷し、時に民主選挙で選ばれた政権を含む多くの国(外国!)の政権を転覆したり、そのための侵略行為をしてきたことは歴とした事実である。

しかし、それでも、ここで述べられている「4つの自由」の理念自体、その言葉が表わしている理想自体は確かに崇高なものではあったし、今現在にも通じる、説得力がある理念ではあるだろうと筆者は思う。

Robert De Niro quoted the Four Freedoms (four fundamental freedoms that people "everywhere in the world" ought to enjoy) that had been stated on January 6, 1941 by then-US President Franklin Delano Roosevelt 〜 on September 21, 2001, 10 days after "911"

60 years ago, Franklin Delano Roosevelt spoke these words:

"We look forward to a world founded upon four essential human freedoms.
The first is freedom of speech and expression — everywhere in the world.
The second is freedom of every person to worship God in his own way — everywhere in the world.
The third is freedom from want — everywhere in the world.
The fourth is freedom from fearanywhere in the world."

「神の名において人を殺す」ことの愚かさを説いたスティーヴィー・ワンダー 〜 "Love's in Need of Love Today"

Love's in Need of Love Today 〜 Stevie Wonder LIVE on September 21, 2001, 10 days after "911"

"When you say that you kill in the name of God or the name of Allah, you are truly cursing God, for that is not of God. When you say that you hate in the name of God or Allah, you are lying to God, for that is not of our father. Let us pray that we see the light."

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

星条旗を身にまとったワイクリフ・ジョンの "Redemption Song" は無惨だった

本 note 投稿テキスト冒頭の「前説」の次の章「2001年9月21日の『アメリカ同時多発テロ・犠牲者追悼』イヴェント と 10月20日の Concert For New York の 異同」の中で転載した筆者の 2001年9月当時の日記で、ワイクリフ・ジョンが「ボブ・マーレイの REDEMPTION SONG を演ったのだが、そのパフォーマンスはかなり良かったにも関わらず、このミュージシャンに星条旗を身にまとったかに見えるジャケットを着て歌われてしまったこの曲は、ここでは何か場違いな印象が残った」と書いていたように、それは本当に文字通りで、「星条旗にまとわれて、最後には『アメリカ、アメリカ』と叫びつつ歌われてしま」ったボブ・マーレイの名曲 "REDEMPTION SONG" は見るも無惨、聞くも痛ましい有り様だったと思う。

3:10~ 以降の「アメリカ、アメリカ」の叫びは、"REDEMPTION SONG" に対する破壊行為。見るに堪えない、聞くに堪えない無惨さ。

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Redemption Song 〜 a song by Bob Marley (February 6, 1945 – May 11, 1981), the final track on Bob Marley and the Wailers' twelfth album "Uprising"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

付録 1: アメリカ同時多発テロ (2001年9月11日) 前史 〜 「ボウリング・フォー・コロンバイン」(マイケル・ムーア, 2002年) より

マイケル・ムーアのアカデミー賞・長編ドキュメンタリー映画賞受賞作品「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002年, *1)は、ドキュメンタリーにおける手法・演出等の観点から批判される場合はあるが、以下にリンクを貼る、アメリカ合州国の歴代政権による世界の広範な地域における外国の政治への介入、政権転覆、侵略等の歴史の「一部」について描写している部分、これ自体は歴史的事実の羅列である。

以下の英語字幕の日本語訳については、筆者が 2016年11月11日、Facebook に投稿する際にザクッと訳したもの。ザクッと訳して推敲などしてない乱文の日本語だが、意味は伝わると思うので、当時のまま、ほぼそのまま転載する。

1点だけ更に補足しておくと、英語字幕ではチリのアジェンデ大統領が「暗殺された」とされているが、その後の 2011年の鑑定の結果、彼は (1973年9月11日) ピノチェトとアメリカ CIA の合作によるクーデタのなかで自死したということが「事実」として判定された。

<< 以下、英語字幕の日本語訳 + 一部補足 >>

1953年 アメリカは、イランの (自国内の石油資本を独占していたイギリスの石油資本 Major, Big Oil の一つを排除して国有化しようとした) モサデク政権を転覆し、独裁者 シャー・パーレビ を Install インストール、つまり、「任命」 した。

1954年 アメリカは、民主的な選挙で選ばれた (って意味では上記のモサデクもそうだったけど) グアテマラのアルベンズ大統領を政権から引きずり下ろし、その際、20万人の市民が殺された。

1963年 アメリカは、当時の南ヴィエトナム大統領 ディエム の暗殺を (背後から) 支援した。

1963年 ~ 1975年 アメリカ軍は、東南アジアで 400万人を殺した。

1973年 9月11日
アメリカは、チリのクーデターを Stage つまり企て、計画し、やってのけた。
そして、チリの民主的に選ばれた大統領 サルバドール・アジェンデ が暗殺された。<<後の同国の調査で「クーデタを起こされた最中に自死した」と認定されたが、事実上「暗殺」のようなものだとも言えるだろう>>

そして、代りに、独裁者 アウグスト・ピノチェト を Install 「任命」 した。
その際、 5千人のチリ人が殺された。

1977年 アメリカは、エルサルバドルの軍事政権を支援した。
7万人のエルサルバドル人と 4人のアメリカ人の修道女が殺された。

1980年代 アメリカは、ウサマ・ビン・ラディンとその仲間のテロリスト達を、彼らに当時のソ連軍 (アフガニスタンを侵略していた) の兵士を殺させる為に訓練した。

その際、 CIA は、彼らに 30億ドル分の援助をした。

1981年 アメリカ (レーガン政権) は、ニカラグア (当時の政府はサンディニスタ社会主義政権) における反政府軍兵士を訓練し、彼らに資金を与えた。3万人のニカラグア人が死んだ。

1982年 アメリカは、(イラン・イラク戦争中の) イラクのサダム・フセインに数十億もの援助をし、その兵器で、多数のイラン人が殺された。

1983年 アメリカのホワイトハウス = アメリカ大統領府 は、秘密裏にイランに兵器を提供し、その兵器で多数のイラク人が殺された。

1989年 アメリカの CIA Agent (秘密情報員, スパイ) だったマニュエル・ノリテガ (当時パナマ大統領) が、 ワシントン = ホワイトハウス = アメリカ大統領府 からの指示に従わなくなった。

その為、アメリカは、パナマを侵略し、ノリテガを Remove つまり排除、撤去、「解任」、「解雇」 した。その際、 3千人のパナマ人の市民の死傷者数を数えた。

1990年 イラク が クウェイト を 侵略した。それは元々は (イラン・イラク戦争の際に) アメリカから提供された兵器によって行なわれた。

1991年 アメリカは、イラクに Enter 入り、入り込み、つまり押し入った。結果、アメリカのブッシュ政権は、クウェイトの独裁者を独裁者として Reinstate 復帰、復職、復位、復権させた。

(補足:当時、アメリカ在住のクウェイト高官の娘がアメリカ議会で「証言」し、 「イラク兵は酷い酷い残酷なやり方で私たちクウェイト人を殺したの!!」と実は見てもいない嘘の目撃談を話した。もちろん嘘だってのは、後日バレバレになった。あの件はよーく記憶してる。アメリカはヴィエトナム戦争の時に北ヴィエトナムが砲撃してきたと嘘のトンキン湾事件をでっち上げ、それを理由に北爆したし、そんな嘘や芝居、でっち上げは「朝飯前」なのかもしれない。もっとも旧日本軍も「満州」で似たようなことをやっている。)

1998年 アメリカの (ビル・) クリントン政権は、スーダンの 「兵器工場」 を爆撃した。その工場は、なんと実際には、医薬品であるアスピリンを製造していた工場だった。

1991年 ~ 現在
アメリカは、アメリカの空軍機は、毎週のように イラク を爆撃している。

国連の被害評価によれば、50万人のイラクの子ども達が、爆撃と経済制裁によって死んだ。つまり、殺された。

2000年 ~ 2001年
アメリカは、タリバンが支配するアフガニスタンに、 2億4,500万ドルの援助をした。

2001年 9月11日 
ウサマ・ビン・ラディンが、 かってアメリカの CIA が訓練した、彼の支配下の専門家集団 を使い、 3千人を殺した。

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*1 以下は、本章の冒頭で触れたようなドキュメンタリー映画における手法・演出上の観点から批判された一面について言及しなさ過ぎたきらいはあるが、筆者が今から 17年以上前、2004年2月1日に書いて自分のホームページ上に掲載した、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」についての映画レヴューもどき。

ただし、2001年夏に本を買って独学した HTMLの基礎だけで立ち上げたホームページで、以降一切 仕様を変えておらず、現在スマホなどから閲覧しようとすると OS 次第で文字化けする。パソコンから見るブラウザであればどのブラウザでも問題ないのではないかと思う。

付録 2: How September 11 (2001) changed me, "Militant Atheism" by Richard Dawkins 〜 リチャード・ドーキンスによる「闘争的かつ積極的な無神論」

「利己的な遺伝子」("The Selfish Gene") などの著作で知られるイギリスの生物学者(進化生物学者, 動物行動学者)リチャード・ドーキンスが彼の無神論について語るこのヴィデオを本 note 投稿の中で取り上げるのは、一つには筆者、私自身が無神論者であり、かつ私自身、彼の考えに同意するという理由があるが、直接的には、彼がこの講演の最後において、"How did September 11 change you?", 「9.11 はあなたをどう変えたか?」という問いに答えているから。

彼はシンプルに、"Let's all stop being so damn respectful", 「ばかばかしい敬意を払うのは皆さん もうやめにしましょう」と語っている。

彼のこの回答だけ聞くとシンプル過ぎると思われるかもしれないが、その前の28分強にわたる講演の中で、ドーキンスは具体的に様々な切り口から宗教の「ばかばかしさ」に迫っている。

タイトルの "Militant Atheism" は何も「好戦的な」無神論というわけではなくて(比喩としては日本語でそう言っていいかもしれないが)、(無神論という)大義のために闘志を持って論ずる、闘争的かつ積極的な「無神論」という理解でよいだろうと思う。

以下の YouTube 上のヴィデオ、ロゴから左に2つ目をクリックすれば英語字幕が付く。

以下のウェブサイト上では、42言語の中から選んで日本語の字幕を付して、ドーキンスの講演を聴くことができる。

付録 3: 宗教について触れた幾つか

これは「付録 2」からの流れ。

1)

2) パレスチナ/イスラエル問題を知る者として(且つ自分の場合はパレスチナ/イスラエルに行ったことがある、イスラエルによる占領の実態を観たことがある者として、と付け加えてもよいが)筆者はイスラエルの占領政策や違法入植政策を強く批判し、パレスチナ人の人権や民族自決権を支持する者だが、しかしそれとこれは別。どの国、どの民族、どのコミュニティ由来のものであれ、宗教に関しては批判すべき点があれば批判する。宗教はその特定の宗教の信者からすれば絶対的なものなのだろうが、非信者からすればただの社会思想の一つに過ぎない。したがって、決して批判を許さないような「無謬」「不可侵」な存在や思想などではない。

3) 311 に絡んで思い出す「宗教」の愚かさの一断面


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