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ラジオは廃れたのか

数年前から僕はラジオを聴くようになった。

きっかけはカナダへの留学で、四六時中英語を喋って夢すら英語で見るようになっていた当時の僕は日本語を「聴く」機会を欲していた。

とはいっても、「基礎英語」のような真面目なお勉強番組を聴いているわけではなく、基本的には深夜帯に放送されるくだらないものものばかりだ。

しかし、ラジオではテレビであまり観ないような歌手や俳優のくだらないトークを聴くことができたり、歌も無差別的に流れてくるので今の流行を知ることができるとともに、不朽の名曲や洋楽、KPOPなど僕が疎いような種類の音楽も聴くことができる。

こんなに面白いのに、僕の友達でラジオを聴いているという人はあまりいない。

聴くという人がいても、それは車に乗っている時だけだったり、非常に限定的なタイミングのみで「時間潰し」として聴いているということが多い。だから彼らに好きな番組があるわけでもないし、ラジオが好きだから聴いているわけでもない。

ラジオは廃れてしまったのだろうか…?

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現代の技術の発展によって、人々はスマートフォンやタブレットなどを使って簡単に素早く情報を手に入れることができるようになった。

その恩恵を受けるものとして、ニュースは当然であるが、エンターテインメントにおいても同様のことがいえる。

その代表格が「Youtube」「TikTok」である。

これらのアプリではテレビやラジオといった従来のメディアと比べて、簡単に自分の好みの動画を見つけることができて、つまらないところは飛ばすことも、次の動画に移ることも可能である。

これによって情報の取捨選択が容易になり、つまらない・興味のない動画を長く見続ける必要がなくなった。

しかし、それでいいのだろうか。日本人は紀元前から今まで我が道を歩み、途中様々な困難に見舞われながらも経済的に大きく成長したわけであるが、我が国の国際競争力は国際化の波に飲まれて下がっていっているのが現状である。

我々は様々な分野に興味を持ち、多角的視点から自らを見つめ直すことを国際社会から要求されている。それに効果的なのは新しい技術を用いたプラットホームではなく、昔から存在するテレビやラジオ・新聞といったものであると思う。

それを阻害するかの如く、普及してしまったのが前述した2つのアプリなのだ。

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テレビは新たなサブスクリプションサービスなどの台頭などによって、各局視聴率の獲得により一層奔走している。

しかしながら、僕はテレビというサービスが完全に廃れることは当分ないと考えている。

誰でも投稿できる前述した2つにアプリとは違って、テレビが使用している電波は電波法によって守られている。電波法の第一条には「電波の公平且つ能率的な利用を確保することによつて、公共の福祉を増進することを目的とする」とあり、表現の自由は保障されつつもある程度の政治的公平性は保たれる。

これによって、様々な動画共有プラットホームほどの質の低下は招かれない。だから、今後も多少の変動はあるものの、ある程度の視聴者は確保できるものと思われる。

また、最近では「YouTubeの広告の質」も問題化しつつある。テレビと比べてスポンサーになるためのハードルが低く、基本的に誰でも低価格で広告が出せることから卑猥だったり、イライラするような広告が多いことが問題化しており、一部ではそのような広告配信の停止を求める署名運動までに発展している。

これもテレビ業界には好影響で「ネットと比べればまだマシ」という理由であえて今の時代にテレビを好む人も多い。

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しかしながら、テレビとラジオでは置かれている状況が違う。

現代の人々、特に若者はテレビかラジオかと聞かれればテレビを好んで観ることが多い。事実、ラジオはメディアの中でも特に厳しい状況に追い込まれている。最近でも多くのラジオ局が閉鎖に追い込まれたり、減収減益となっている。

ウィキペディアでは以下のように記されていた。

日本国内のラジオ広告費も1991年(平成3年)の2,406億円をピークに長期的に減少を続け(以後対前年比でラジオ広告費がプラスとなったのは1995年(平成7年) - 1998年(平成10年)、2000年(平成12年)のみ)、2012年(平成20年)には1,246億円と、ピーク時の約半分にまで落ち込んだ。この結果、多くのラジオ局が赤字決算に転落しており、将来的には現在以上に酷い状態になると推測されている。

最後の「将来的には現在以上にひどい状態になると推測されている」というのはあくまでウィキペディア編集者の推測であるが、残念ながら同様の予想をしている人が大半であろう。

これは日本のみならず諸外国においても同様らしい。例えば、アメリカでは2000年代以降にラジオ放送局の売却が相次いでいる。

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ラジオにはテレビ同様にある程度の信頼性があり、最近の動画共有プラットフォームを嫌う人も一定数いる。それなのに、なぜこのような状況が招かれてしまったのだろう。

それはラジオ最大の特徴である「音声のみが配信される」というところにあるのではないだろうか。

簡単にいつでも素早く情報が手に入ってしまう今の時代、我々は文章を読んだり聞いたりして場面を想像したり、自らが興味のないことにあえて触れたりすることがなくなってきている。

ラジオでは音声のみが届けられる。パーソナリティが何かを話す時もYouTubeやテレビとは違って、その状況を想像したりしながら聴かないと話を理解することができない。想像力を鍛える機会が少なくなってしまったがためにそれすらも億劫になってしまったのだろうか。

また、さまざまな歌や物語が無差別に流れてくるのを「飛ばす」ことができないのも動画共有プラットフォームのユーザーらにとっては退屈なのだろう。

自分の興味がないことには触れないのが当然になってきている。これでは新しい興味を発掘することは勿論、本来興味を発展させることで得ることができる多角的視野を得ることもできないのではないだろうか。

廃れたのはラジオではなく、我々の想像力や興味なのかもしれない。

--profile--
2003年、東京都生まれ。小学校の時に不登校を経験。都内公立高校に入学するも高校1年に中途退学。直後からカナダ・ブリティッシュコロンビア州で約2年間の高校留学に挑戦し、2021年6月末に現地高校を卒業予定。高校1年から現在まで無料塾でボランティア講師を務めている。現在、日本で国内大学への進学を目指して受験勉強中。

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