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川越が好き。大好き。(埼玉県)

私が川越を知り、初めて行ったのは23歳の頃だった。

川越は小江戸で、蔵造りの街並みが素晴らしいと聞き
友達や彼氏と出掛けた。

 
私も川越は好きな街の一つであったが
彼氏や親友が川越に私以上にハマった。
だから毎年のように行っていたり
一年に四回行ったりもした。

「また川越行くの?」

と家族からも言われたし、私もさすがにその年四回目のお誘いがあった時は、親友に同じことを言ってしまった。

アラサーになり、ディズニーランド並に川越に行っているという事実に驚いた。
ここまで川越にハマっているのは私と親友くらいしかいなかった。

 
親友には彼氏(後の旦那さん)がいたし、私は川越好きな彼氏と別れた後、別の方と付き合ったが
私達は私達以外と川越に行こうとはしなかったし
デートで行こうとはしなかった。
お互いの彼氏が、川越には興味がなかったからだ。
波長が合う人と観光はするに限る。

だから私はデートでも何回かは川越に行ったが
圧倒的に、川越というと親友の思い出が強いし、多い。

 
 
私と親友は、ドライブより電車や散歩が好きだった。
車社会の県に生まれたのに、私達はドライブにあまり馴染まなかった変わり者だった。

川越駅までは何回か乗り替えて、電車で向かう。
車でも行けるが、観光的に絶対に電車の方が回りやすい。

 
 
川越線に乗り替えただけでテンションが上がり、親友とキャッキャはしゃぎながらガールズトークに夢中になると、あっという間に川越駅に到着する。

親友は高校が同じ子で
毎月、学校や仕事が忙しくても
親友が他県に引っ越してもなお
私達は高校卒業後、ほぼ毎月会っていたし
毎月長電話をしていた。

話すことは尽きないし、お互いに笑いっぱなしである。

 
 
川越駅には顔出しパネル等、写真スポットがあり
私は早速ポージングをし、親友がカメラを構える。
私はネタ写真が好きで、親友はそんな私をモデルに撮ることが好きだった。

芋好きな私としては、早速駅に売っている芋菓子に目移りするが
荷物になるから、と必死に我慢する。

 
川越は芋が有名であり、芋菓子や芋関連の物がやたら売っている。
私は大の芋好きだ。ハァハァする。

 
改札を出ると、ワッフルやシュークリーム、パン等の美味しそうな匂いが広がり
親友と二人で目を輝かせる。
川越はとにかく美味しい物がたくさん売っているので
自分のお腹と要相談である。

 
川越の駅ビルには私達が好きなお店が入っているので、洋服や雑貨等を見てキャッキャし
お昼を軽く食べ
バス停へと向かう。

 
バス停もすっかりお馴染みだし、案内板もしっかり出ているから非常に分かりやすい。

一度、バス停そばにいた、迷子の子を警察に連れて行ったことがある。
親友は大のおひとよしで、迷子の子や困っている人、オロオロした外国人をほおっておけない。
親友は英会話がペラペラなのである。

 
警察で無事親子が再会してから、私達は観光バスに乗った。
「お母さんと会えてよかったね!」と彼女は笑う。
自慢の親友だと思う瞬間だ。

 
 
バス停はいつも長蛇の列で、椅子に座れない人もいる。
バスに揺られ、しばらく走ると川越氷川神社に到着する。

 
川越氷川神社は、縁結びで有名な神社だ。

鳥居は大きく、神社自体も美しく
おみくじやお守りの種類も豊富で、デザインがひたすらにかわいい。

川越は着物や浴衣をレンタルできるので
若い女性グループやカップルは和装でキャッキャする………どころか
一部本格的な撮影会も行っており
神社はなかなかに混雑する。

毎年風鈴祭りを行っており、めちゃくちゃキレイだ。

 
私が川越で浴衣を着たのはたった一回で、彼氏と川越百万灯夏祭りに行った時だけだ。
しかもレンタルではなく、普通に自前だし
川越だから浴衣なのではなく
夏祭りだから浴衣を着たにすぎない。

 
 
私も浴衣を着て川越観光に多少は憧れる…が
金額や観光の動線を考えると、私達には不向きで、私達はお互いに、毎回浴衣レンタルはしなかった。

親友とは、スマホにお揃いの川越神社のストラップをつけていた。
彼女のスマホ待ち受け画面は、私達のツーショットだった(私は壁紙にしていた)。

 
女の友情はもろいとか怖いとか言うが
親友クラスになると、もはやカップルレベルというか
ある意味彼氏以上というか  
絆が凄まじかった。

 
私は恋愛は上手くいかないが
友達には恵まれたので、本当にありがたい。

 
 
(ある日の川越氷川神社にて。)

 

 


 
川越氷川神社参拝後はバスに再び乗り、蔵の街を目指す。

川越はいつ来ても活気づいていて、人がたくさん、たくさんいる。
昔は人混みが嫌いだったが、20代になってから、私は人混みが好きだった。
経済が回っている証拠だし、パワーがみなぎっている。

我が県は、年々廃れていた。
駅ビルでさえ人は少なく、シャッターが増えた。
そんな故郷を見るたびに
私は人混みが嬉しくて堪らなくなった。

 
川越は、生命力が溢れている!

 
バス停を降りると、ひたすらに蔵の街風のお店が並んでいるので、街歩きをするだけで、見ているだけで楽しい。
和風の小物屋やお洒落な喫茶店等がひたすらにひたすらにあるので、親友と片っ端からお店に入る。

お互いに趣味が似ているので、入りたいお店はほぼ一緒だし
買い物ペースが同じなので、相手の行きたいお店に入っても、お互いに待つのは苦じゃない。

 
 
友達は買い物慎重派で、私は割と観光記念に物を買いやすい。

「せっかく川越に来たんだから、買っちゃいなよ。」

と、友達が悪魔の囁きをすることもあるが
大抵私は自分が良いと思ったものは迷わず、ちゃっちゃとレジに行く。

 
川越で買ったハンカチやバッグ、ストラップ等は実際買って後悔したことはなく
大事に大事に使わせていただいている。

 
 
菓子屋横丁では、飴の専門店等もあり、見ていてときめく。
数年前に火事のニュースを見た時は心痛めたが、しっかりと復興している。
菓子屋横丁付近は、巨大な動物のモニュメントが至る所にあり、それらとの写真も楽しい。


(洋服がモノトーンでパンダ感がある、とパシャリ。)

 
 
(志村動物園のパンくんみたい。)

 
 
菓子屋横丁付近では、猿の芸をやる日もあり、そういった楽しみもある。
猿と人の息はピッタリで、みんなで笑い、拍手し、おひねりを入れる。

 
 
私はお芋ソフトやわらび餅ソフトが好きで、色々な店を見比べてチョイスする。
美味しい。
お団子等テイクアウトものいたるところにあり
気になったものは片っ端から食べる。
親友は好き嫌いがないし、私の倍は食べる(私が少食なのもあるが)。
見ていて、食べっぷりが見事だ。

私達はテイクアウトでも色々食べるが、必ず喫茶店にも寄る。
喫茶店がまた、お洒落だし、雰囲気もよいし、美味しいのだ。
喫茶店もたくさんあって、どこに寄るか迷うほどだ。

 
 
蔵の街を堪能し、時の鐘を見た後はそのまま歩き
川越駅を目指す。

蔵の街から少し離れた道は若者向けのショッピングストリートがあり
こちらには洋服のお店や飲食店、ゲームセンター等がひたすらにある。
先程までは和の世界や小江戸を楽しんでいた私達も
今度は現代に戻ってきたかのごとく
今流行りの洋服類を買うのだ。

 
川越駅の向かい側も、お洒落なビルになっており
引き続き、洋服やコスメ等を見たり、買い
私達は買い物を散々楽しんだ後に、電車に乗り込み、大宮駅を目指す。

 
 
大宮駅にも駅ビルがあるので、更に買い物を楽しみ、私達は韓国料理が好きなので
大宮で韓国料理の夕飯を食べ
それで観光はフィニッシュとなる。
(残念ながら、韓国料理屋さんは三年前くらいに閉店しました。)

 
 
川越観光は和の良さを楽しむ旅に見せかけ
洋服等今風の物の買い物も同時進行で楽しめる素晴らしさがあった。

 
 
帰宅後は、家族や彼氏、同僚と川越菓子を堪能する。
私は川越でよく、お土産を買った。
一番のお気に入りは「妹小町」で、こちらは類似品が他のお店からも発売されているが、妹小町を一度食べると、もう浮気はできない。
私と親友大絶賛で、家族やお土産を渡した方からも大好評である。

川越に行ったら必ず買い、大切に少しずつ食べる。
上質な砂糖の甘さや食感、品の良い芋の甘み、程よい食感、飽きのこない味……本当に美味しいのだ。

 
 
 
近年、川越には親友とばかり行っていたが、去年母親から初めて、「お母さんもともかと川越に行きたい。」と言われた。
母親は川越観光に行ったことがなかった。

「じゃあ来年春になったら行こうか。」

私はそう返していた。

 
 
去年の秋は、台風や大雨被害がすごかったので、自粛ムードが広がっていた。
かといって、冬は川越観光には不向きだ。
たくさん歩くから、初めて行くなら春が一番いい。
風鈴祭りも良いが、桜や青葉の時期も川越はキレイだった。

母親はたくさん歩くのも疲れるだろうし、季節も厳正した方がよりよいだろう。

そう、私は思っていた。

 

 
 
2020年冬。
世界、そして日本はコロナウィルス感染拡大により、様々なことに制限はかかった。

春に川越に行くことはできなかった。

観光や電車で長距離移動は自粛すべきことに含まれたからだ。

 
  
自粛、自粛の日々が続き、ようやく秋にGo toトラベルという取り組みにより、他県へ行くことや旅行が推奨された。

経済を回さないと日本は死んでしまうし
観光地が活気づきだした。

 
だが、我が県民は動きがとれなかった。

 
 
我が県は感染者数が少なく、感染者はすぐにバレ、村八分のような扱いを受けた。
感染者は家や仕事を失う恐れが強かった。

国が許可しようと 
いつ誰が感染してもおかしくなかろうと
他県の方々が観光していようと
それはそれだ。

 
我が県民は、他県越えを恐れている。

特に、大都市に行くことや関東以外に行くことはもってのほかだった。
電車移動も控えるべき対象で、もし他県に行くなら車が推奨された。
車社会ならではだろう。

 
私や私の周りの人達は、2~3月以降、他県越えをしていなかったり、集まりを怖がったり、電車長距離移動をしていない人が大半だった。

大都市に住む人や大都市で仕事をしている関東人は、そんな我が県民に「???」だった。

 
大都市であればあるほど、感染者はたくさんいるし
身元バレはしないし
村八分はされないのかもしれない。

 
だが、我が県は許されないのだ。
人と関わる仕事をしている家族は、職場で釘を刺されているし
私も転職活動中に、他県越えをしているか否かは問われている。

立場上、私達は動けない。

 
我が県民のコロナウィルス感染者の6割以上が外国人であっても
他県越えをして感染したり、他県民が遊びに来てクラスター派生をするたびに
我が県はピリピリし、オドオドした。

  
都会には都会の、田舎には田舎の生活やルールがあり
それぞれの暮らしがある。

 
我が県民は、今の時点では堂々とは、他県に行けない状態だ。
特に仕事以外となると、人間関係にさえ亀裂が入りかねなかった。

そんな人が多い、印象がある。

 
 
 
 
「川越、今年は行けないね…。」

母が寂しそうにポツリと呟く。

母の顔には皺が増え、背中は小さくなっていく。
まだまだ心身元気だが、時の流れは確かに感じる。

 
今ならば川越観光もまだ行ける。
まだ体力はある。
大好きな母の願いを叶えたいのに
今は川越に行くに行けない。
許されない。

 
人生は何が起きるか分からない。
コロナウィルスが落ち着く頃、私も母も元気でいられる保障はない。

 
「来年の春には、川越行けるといいよね。」

私はそう答えるしかできない。
来年の春、日本や世界はどうなっているのだろう。

 
 
 
母と川越に行く。

それは私の今の夢の一つだ。

 
 
大好きな川越に大好きな母と、行きたい。

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