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お墓の前のテントで眠る

小学生の頃は、町内会との付き合いがある。

町内会の子ども達と登下校班を作り、ラジオ体操をやり、お神輿等行事に参加する。 
学校では町内会ごとに集まるように指示されることもあったし
地区の運動会では、町内会で参加が必須であった。

 
 
私の町内会は住人が多いし、昔からこの地に住んでいる人がほとんどだ。
昔、うちの近くにお城があったので
うちの地区は城下町に当たるらしい。
周りに家老の子孫がいる中、うちはかご屋だ。
士農工商で言うなら、商に当たるのだろう。
母親の先祖は刀持ちだったと、よく母が自慢していた。
どうせなら、かご屋の子孫というより、刀持ちの子孫と名乗る方がかっこいい。
友達は武士の子孫と言っていて、憧れたりもした。

 
余談だが、ご先祖様がかご屋にも関わらず
私の代は従兄弟全員運動神経が悪い。
一体どこでこういったことになってしまったのだろう。
せっかく母親が運動神経が良いのに
私も姉も運動神経は悪かった。

 
 
 
話を戻そう。
  
私の学年で同じ町内会の人は6人いた。
一クラス30人位でその内1/5がいるのだから、やはり多い方だと思う。
男子3人女子3人とバランスも良かったし
仲も良い方だった。
子どもが少ない町内会は狭い世界で大変だったと噂で聞いていたが
少子化に負けず
うちの地区はきょうだいが2~3人が多かった。
一人っ子はいなかった。
だから小学校一年生から六年生が公民館に一同に集まると、非常にゴチャゴチャした。
密である。

 
 
私は上組(カミグミ)だった。
うちの地区は上・中・下(カミ・ナカ・シモ)組で分かれる。
町内会の人が多すぎるので、更に三つのグループに分かれたのだ。
川上に住むから上組と言い、川下に住むから下組、真ん中に住む人は中組と言うらしい。
町内会だけでなく、上組だけで動くこともあり
ここに住んで暮らす以上 
上組の人達と仲良くするのは鉄則である。

 
 
 
町内会の行事を仕切るのは、大抵上組だった。
そういった気質の人が多かったからだ。

夏祭りのお神輿をかつぐ際、他の町内よりも立派な神輿があるのが自慢であり、難点でもあった。
立派な神輿の分、非常に重い。
しかも何基もあるのだ。
小学生は全員参加だ。中学生以上は男子のみ任意参加となる。
重い神輿が何基もあるからだ。

 
夏休み中、半被を着て公民館に集まり
幼稚園組、小学生組、中学生組、大人組に神輿は分かれて
町内を練り歩く。
うちの町内はべらぼうに広い。
休憩ポイントでは、各担当の家の人がスイカやキュウリやおにぎりやお菓子や飲み物をたくさん用意し
食べて飲んで
パワーをたくわえたらまた担ぐ。
スイカはあまり好きではないが、付き合いから毎年、この日だけは食べた。
「遠慮するな。」と大人は言うし
私も町内会での自分の立場は分かっている。

  
神輿を担いだ後、最後に参加した子ども達はお小遣いを配られるが
子どもが多い地区の為、金額は少なかった。
他の地区がチープで軽い神輿を短時間担いだだけで高額のお金をもらえ
重い神輿を長時間担いだ私達は少額のお金なのが悔しかった。

 
だけど、うちの地区は夏祭りに気合が入っていて楽しかったのは確かだ。
祭り囃子担当の人は、夏祭りの為にずっと前から、夜な夜な練習していることを知っていた。
夜、遠くから聞こえる祭り囃子を聞くたびに、自分の町内が誇らしかったのは確かだ。

どんど焼きも同様だ。
うちの町内会のどんど焼きも毎年、盛大だった。

 
 
少子高齢化になり、また時代の流れから人同士の関係が希薄になりつつある今
こうして町内会で行事が盛り上がり
大人から子どもまで集まって
美味しいものを食べ
みんなで一つのものを作り上げていくことは
誰にでも出来ることじゃない。
どこの地区でもやることじゃない。

 
大人達が本気で行事に立ち向かい、盛り上げる姿を見て、かっこいいなと思っていた。
私もいつか大人になり、結婚し、子どもを産んで 
この役を引き継いでいくことが
本家の跡取りとしてやることなのだと
私はずっと思っていた。 

 
町内会も付き合いだ。
子ども心に面倒くさいと思うこともそれなりにあった。
だけど、私がやるべきことだということは
よく理解していた。

 
 
やがて私は小学校を卒業し、町内会とほとんど関わらない立場になった。
町内会は大人達と小学生が中心だからだ。
だから両親や祖父母が町内の話をしていても
分かるような分からないような状態だった。

 
 

 
 
そんな私が今でも忘れられない夏の思い出がある。

 
毎年行っていた夏祭り(神輿)とどんど焼きとは対照的に
私が小学生の頃、一回しかやらなかった行事がある。
それが、夏休み中に行ったバーベキューとお泊まり会である。

 
 
私の家はバーベキューをやらない家なので
町内会で集まり、川原で行ったバーベキューが
人生初めてのバーベキューであった。

 
その日は天気が良くて
橋の下は日陰で涼しかった。
網の上に並べられた肉や野菜、魚介類
それに鉄板の上で焼かれた焼きそばは
美味しそうな匂いと煙を上げ
食べる前からよだれが込み上げた。 

 
網や鉄板の近くは熱いし
焼きたての色々な物を口に入れても熱いし
風向きによっては炭が飛ぶが
それでも人生初めてのバーベキューは楽しかった。

 
食べ終わったら同級生のみんなと川遊びをしたり
そんなことをしていたら
冷えたジュースやアイスやスイカの用意が整ったりで
みんなと外で食べるご飯は特別であり、楽しかった。

 
ただ、一回しかやらずに終わったのは
恐らく大人達が大変だったからだろう。
町内会にはたくさんの人がいるが
行事に積極的な人ばかりではなくて
大人の一部が大変であったことは
成長と共に私も気づいていった。

どこの組織でも同じである。

 
 
 
だからきっと、バーベキュー以上に子ども達に好評だったにも関わらず
一回きりでお泊まり会が終わったのも
やはり同じ事情だったと思う。

 
バーベキューの次の年
私が小学校四年生くらいの時のことだと思う。 
コミュニティセンターを借りて、町内会でお泊まり会が実施された。

  
 
うちの町内会の公民館は狭く汚く
トイレに至ってはお化けの一人や二人出てきそうなほど、薄暗く怖いが
コミュニティセンターは違った。

 
地域のコミュニティセンター(コミセン)は駐車場もたくさんあり
立派な新しい平屋の建物があり
敷地内にはたくさんの遊具と広いグラウンドがあった。
トイレも清潔で快適である。
 
 
「町内会でお泊まり会をやるから、夕方にコミセンに集合!」

と母親に言われ
入浴を済ませた後、姉と共に夕方にコミセンに歩いて向かった。
姉は姉で町内会には同級生がたくさんいたし、関係が良好だった。
みんな優しく、姉の同級生は私のこともかわいがってくれたり、面倒を見てくれた。 
姉は同級生と楽しそうに話し出した。

私は私で、コミセンには既に同級生の女子が来ていたので駆け寄った。
ギャル系のAちゃんと、おっとりとしたBちゃん、そして私の三人は
タイプが違うもののケンカすることなく
町内会の行事では三人でキャッキャしていた。

 
まずみんなで、町内会の大人達が作ったカレーを食べた。
多分外じゃなくて、コミセンの中のホールで食べた…のだと思う。
記憶が定かではないが
デザートでゼリーかアイスもあったと思う。
子どもがみんなワイワイ集まって食べるカレーはいつだって美味しい。
私の同級生の男子の一人はクラス一のガキ大将でヤンチャ坊主だ。
イタズラをしたり、バカをやったりしては
みんなの中に笑いが起きた。
食休みで、談話室でテレビを見たり、ホールで遊んだりしている間に
大人達は次々に準備をしていった。

 
 
大人達に呼ばれて外に行くと
そこには立派なキャンプファイヤーの準備がしてあった。

外が暗くなり、キャンプファイヤーが燃えさかり、みんなで歌ったり踊ったりして
それだけでテンションは上がるのだが
キャンプファイヤーの他に手持ち花火大会もあった。
みんなで「わ~!キレイ!」なんて言いながら手持ち花火を楽しんだ後
大人達が打ち上げ花火に点火する。

パラシュート型の花火に子ども達は夢中だ。

  
パラシュートは風に流されて取りにくい。
私達はみんなでこぞってパラシュートめがけて走る。
早い者勝ちだ。
上級生男子が絶対的に有利であり、私や姉は手に入れることができなかった。

 
今でこそメジャーではないだろうが
当時は子どもにパラシュート型の花火が大人気で
誰がいち早くゲットするか競い合ったものだ。
手持ち花火のラストはしんみりと線香花火をし
打ち上げ花火のラストはパラシュートでしめる。
そんな暗黙の了解があった。

 

 
 
お腹がいっぱいになり、キャンプファイヤーと花火を楽しんだ後は
パジャマに着替えて就寝である。
パジャマとは言っても、学校の体操着か私服そのままだったような気もする。

 
コミセン敷地内はひたすらに広いのでいくつかテントを張り
テント内で寝る人と、コミセン内に布団を敷いて寝る人とに分かれた気がする。
トイレは敷地内にもあるので、夜トイレに行きたくなっても一応は安心だ。
だが……。

 
 
大人達がテントを張った場所のほぼ真裏には、お墓がたくさんあった。 
まさか今夜はここで寝ろというのか。
先程までテンションが上がっていた私は
急に現実に引き戻され、怖くなった。
コミセンも敷地内も広いし、普段ならば、昼間ならば、一画にお墓がたくさん見えるくらいの感覚でまだ平気だ。 

だが
みんなと夜を過ごすのは初めてだし
テント内で寝ることも初体験である。
コミセンという慣れ親しんだ場所であっても
初めて尽くしの一日なのだ。 

 
非日常的な行事は
ただでさえ興奮と緊張と期待と不安が入り混じる。
そんな中、お墓の近くにテントを張るというのは
半ば肝試しを強制的にしているような感覚だ。
ある意味、夏休み中だから大人達もそれを狙ったのだろうか。

 
 
私はお化けや怖いものが苦手だ。
夜のお墓なんてゾクゾクする。絶対に近づきたくない。
いくらみんなと一緒にテントで寝ても
明かりは確保しにくいし
夜中にトイレに行きたくなったら一苦労だし
もしもテント内にお化けが遊びに来たらどうしよう。
罰当たりだと、取り憑かれたらどうしよう。

やだなぁ…やだなぁ…
お墓の前で寝るなんて、やだなぁ…………。

 
 
町内会の行事であり、私は自分の役目も役割も分かっている。
拒否権は、ない。

怖い怖いと怯えていたらトイレが近くなりそうだし
それはそれでお化けに遭遇しそうでまた怖いしと
私は必死に羊を数えて朝を待った。 

 
 
 
次の日は朝からよく晴れていた。夏日和だ。
どうやらお化けは遊びに来なかったらしく
想定内の平和な朝を迎えた。

テントは寝苦しく、体も疲れたが 
朝になり、テントから出て背伸びをすると気持ち良かった。
 
敷地内に集まってみんなでラジオ体操をやり
コミセンの中に入ると
おにぎりや豚汁や冷やしたキュウリが用意されていた。
お化けの恐怖から解放された私は
新しい朝や希望の朝と共に
朝ご飯の美味しさも噛みしめた。 

 
そしてお泊まり会は解散になった。

「またねー!」
「バイバーイ!」

と、町内会のみんなと別れを告げ
自宅に帰ると
おばあちゃんやおじいちゃんが待っていた。

 
私「ただいまー!」

祖母「おかえり。楽しかったかい?」 

私「あのね、カレー美味しかったよ。キャンプファイヤーすごかったんだから!花火やったけど、やっぱりパラシュートとれなくてさ。」

 
私はおばあちゃんにベラベラと話しかける。
それをおばあちゃんは笑顔で聞いた。
祖父は黙って見守り
姉はゲームを引っ張り出して、さっさと遊んでいた。

いつもの、朝の光景だった。

 
 
やはり家はいい。

テントで上手く寝つけなかった私は、午後昼寝をしてしまった。
スヤスヤと眠りながら、お泊まりも楽しいけれど我が家が一番と感じながら
幸せに包まれた。

 
 
 
 
  
この前の四連休に、姉と甥っ子が泊まりに来た。

連日の長雨とコロナウィルスの影響で、色々なところに遊びに行くことはできない。
甥っ子は一人が今年卒業で、もう一人が卒園である。

 
コロナウィルスさえなければ、今年の夏休みはUSJやキャンプ旅行に姉家族と行く予定だった。
そして我が家はねぶた祭りを見に、念願の青森県にも旅行に行く予定だった。

 
だが、それらの予定や夢は全て持ち越しだ。
今は耐えるしかない。
Go To キャンペーンだろうとなんだろうと
我が家は他県に行く気は全くなかった。
無職の私はともかく 
両親も姉も仕事柄
万が一感染した時は周りに大きな迷惑をかける。

 
「本当は今年、子ども達をいっぱい遊びに連れて行きたかった。」

 
会うたびに姉が、母親の顔をしてそう言う。
私は私で今年は一人旅デビューをし、広島県因島と京都、青森に旅行すると決めていた。
退職する前から決めていた。
夏休みは大阪と青森に行こうと去年から計画していた。
退職しようとしまいと、それを夢見て頑張っていた。
だけどコロナウィルスばかりは仕方ない。

 
県内の感染者も今月に入って爆発的に増えた。
今まではまだ県内感染者は少ない方だったので、県内は出歩いていたが
今では県内を出歩く気持ちさえ、徐々に低下してしまっている。

 
私も姉も本来はアクティブだ。
連日仕事をしても休みの日はどこかしらに行くのが当たり前だった。
今年の二月までは、それが当たり前だった。

 
「雨も降ってるし、出掛けられないよな。」

 
私は残念そうに、姉に言う。

 
 
それでも甥っ子達は、とても楽しそうだった。
雨が止んだ隙に庭でボール遊びをし
雨が降っている時は部屋の中でゲームをし
歌ったり、踊ったり、絵を描いたりと遊びまくり
笑いまくった。

夜には雨が上がったので、庭で手持ち花火をした。
打ち上げ花火もした。
 
甥っ子が嬉しそうにはしゃいだ。
姉が住む場所では、手持ち花火や打ち上げ花火をやるには制限がかかる。
思い切り外遊びや花火ができる我が家は
甥っ子にとって解放的な場所のようだった。

 
 
「まぁこんな夏もまた、忘れられない思い出の一つになるよ。」

私は姉にそう言った。
そう思って、やっていくしかない。

 
 
 
 
町内会の行事は強制参加で 
子どもなりに気を遣い
立場上余計なことも言えず
家でまったりしたいなぁと思わなくもなかった。
楽しかったが
もちろん、楽しいだけではなかった。

 
それは大人達だってそうで
家事と育児と仕事の合間に
人によってやる気にムラがある中で
行事の準備や係をやっているのは
相当に大変だったろう。
子ども達の笑顔があったからこそ
苦労が苦労ではなかった大人達もいただろうし
立場上気乗りはしなくても参加していた大人達もきっといただろう。

 
 
だけどこうして大人になって振り返ると
小学生の頃、学校と家での思い出以外の思い出を
町内会の人達が作ってくれたし
町内会の人達とだからこそ
作れた思い出が間違いなくあった。

 
もうお墓の近くに寝ることは勘弁だが
あの思い出さえ懐かしく、恋しくなるほど
私が小学生の頃の夏休みは
毎日が充実していて、楽しかった。
恵まれた夏休みだった。

 
 
 
今年は全国的にどの学校も夏休みが短縮になる。

  
去年の今頃
まさか今年は花火大会も夏祭りも何もかもが中止で
思い切り浴衣や水着を着ることさえできない夏になるなんて
微塵も思いはしなかった。

 
今はじっと耐え、制限内で活動したら
来年の夏こそは
例年のような賑やかな夏が戻ってくるだろうか。
戻ってきてほしい。

  
 
とりあえず今は
夏の陽射しが非常に恋しい。 
 
 
関東では7月中天気予報に晴れマークは皆無で
8月2日にようやく晴れマークが表れた。

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夏の思い出

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