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料理サークルとの出会い

大学といったらサークル活動のイメージだが
私は部活に入った。
女子サッカー部だ。

 
私は幼稚園時代にサッカークラブに入っていて
球技の中ではサッカーが大好きだった。
大学で仲良くなった子もたまたま女子サッカー部希望で
そういった後押しもあり
私は入学して早々、女子サッカー部に入部した。

 
 
だが、当たり前だが、幼稚園時代と大学時代は異なる。

部活は週に3回あり、帰りは21時を過ぎた。
大学一年生の時に一般教養の単位を履修したら楽だからと
月曜日から土曜日まで講義はガッツリ入り
部活がない日でも帰りは18時を過ぎた。
朝は7時前には家を出た。

大学生になったらバイトをしたかったのに、毎日がヘトヘトだった。

 
さらに、サッカー経験者が多く、部内はレベルが高かった。
体育会系のノリや雰囲気、そしてみんなのサッカーレベルについていけない上に
仲が良かった子がサッカー部を辞めたことも大きかった。
私は重度の貧血により、ドクターストップがかかり
それが決め手となり
入部して三ヶ月程度でリタイアとなった。


私と同じように、入部して三ヶ月程度で部活を辞める人が多かった。
理由は同じで、部活は練習量が多く、バイトがままならないからだ。 
週5、6部活の日がある部もあった。
私の大学は通いの人も多く、片道二時間くらいの人はザラだった。

 
 
部活を辞めた私は、生活のリズムが整いだし
念願のバイトを始めることができた。
家庭教師だ。
大学の図書館は本が充実していたので
空いている時間は学術書を読んだりもし
部活を辞めて、プライベートも充実することができた。

 
 
だが、やはり物足りない。
少し、寂しい。

せっかくたくさんの部活やサークルがあるのに、女子サッカー部三ヶ月で終わるのはつまらない。
大学二年生からは専門的な講義が増える。
一年時より難しくなるし、三年生は大学院の試験勉強や就活、四年生は就活や卒論で忙しい。
だけど、講義と週数えるほどのバイトと家の往復はつまらない。

そうだ!
負担のかからないような、週1~2くらいの活動の、激しい運動部以外のサークルや部活に入ろう!!

 
一年生の冬、私はそんなことを思った。

 
私は女子サッカー部以外にも気になっていた部活やサークルを訪ねた。
校内にはたくさん、部活やサークルのポスターが貼ってあるし、部室の位置も知っていた。

写真部や作詞作曲同好会を覗いてみた…
お洒落な人達が多くて、なんか違うと感じた。

演劇部を覗いてみた…
雰囲気が合わなかった。

華道部ならどうだろう、と体験入部してみた…
なかなか楽しかったし、雰囲気も良かったが
決められた位置に決められた花を飾らなければいけないことが、物足りなかった。
自分のセンスで好きなように花を生けてよいイメージがあった。

 
う~ん……
なかなかに、難しい。
まぁ春になったら、各部活や各サークルが新入生歓迎会をやるし
またその時様子を見てみようかな。

私は一旦、サークル活動や部活見学を中止にした。

 

 
 
4月になり、私は大学二年生になった。
新歓の時期である。
私の大学の近くには川が流れていて、その川沿いには桜がたくさん咲いていた。
近所の人はここで花見をするし
うちの大学の生徒はここでバーベキューや花見を兼ねた新歓をしていた。

私はそこで、気になるチラシを見つけた。
 
「料理サークル」

  
ん?料理サークル??
確か去年はなかったような…。
活動は週1だし、料理の腕が上がっていいかも。
穏やかな女子がたくさんいそうなイメージだし。

そう思い、私は思い切って、料理サークルのバーベキュー新歓にお邪魔した。

 
 
うちの大学は5人からサークルとして認められるが
料理サークルは二年生の女子6人しかいなかった。
話によると、冬に仲間内で立ち上げたばかりだという。
驚いたことに、その6人は全員が私と同じ、臨床心理学を専攻していた。
クラスが異なり、第二外国語も異なったことで
私は彼女らを見かけたことさえなかった。
一般教養は重なっていたのだろうが、大教室は数百人入るし
私はいつも前の方で講義を受けていた。
それもあり、彼女らと接点がなかったのだろう。
もちろん彼女らも、私を知らなかった。

新歓は私の他に、一年生の女の子二人も来ていた。
その二人も同じ学部だった。
どれだけ、臨床心理学部に人気があるサークルなのだろうか。
校内に15学部以上あるのに、これだけ重なるのは珍しい。
 
 
料理サークルだが、みんなが手際が良かったわけではなかった。
調理実習に近い形で、焦げてしまったり、わたわたしたり、とりあえずみんなでやってみようか☆というノリが伝わってきた。

「まぁ、アバウトなサークルなんだ。みんなで笑えたらOK。料理もこの通り…全然、上手くなくてもいいよ~。みんなで楽しくやろう~。焼きそば、焦げちゃってごめ~ん。」

そう言って、部長の子が笑って、私に少し焦げた焼きそばや肉や野菜を差し出した。
美味しかった。

私と同じように初めて来た一年生二人もいい子だったし、サークル全体の雰囲気も和やかであたたかかった。
私は一瞬でこのサークルが気に入った。

 
私、そして一年生二人がこの日、サークルに入会した。
弱小サークルだ。
同じ日に三人も入会したことを、みんなが歓迎してくれた。
 
 
 
料理サークルは毎週一回。
近所のスーパーに買い出しに行き、大学の調理室で調理し、その場で食べて、終わり。
ネットでレシピを検索したり、料理本をコピーし、ランダムで分かれたチームごとに調理をした。

形から入る私は
Francfrancで可愛らしいエプロンを初めて買い
みんなで料理をした。

その後、更に一年生が三人追加で入ったが
ほとんどの子が実家暮らしで
料理のレベルはドングリの背比べだった。

 
料理は多少失敗してしまうこともあったけど 
あたたかな雰囲気のこのサークルが私は好きだった。
二年生同士も仲が良かったし、一年生同士も仲が良かったし
先輩と後輩の関係も良好だった。
女子が10人以上集まって、こんなに穏やかな雰囲気はなかなか珍しいと思った。

 
 
夏休み、合宿はペンションを貸しきった。
サークルに合宿。
なんと大学生らしい響きだろう。
私はウキウキした。
 
昼間はバレーやバトミントン、スイカ割りをした。
みんなでキャッキャしていると
男性何名かがこちらを見て何やら言っていた。
そして声をかけてきた。


どうやら彼等は隣のペンションに泊まる男子大学生らしく 
私達はまとめてナンパされ 
夜は成り行きで、みんなでバーベキューをすることになった。 
副部長の子が気に入られたらしく、某男子にアピールされていたが
そこで一夜のアバンチュールや恋には発展しなかった。

私達は恋愛レベルが似ていた。
部内で二人は長く付き合っている彼氏がいたが
残りの人全員が、年齢=彼氏いない歴、だった。
奥手でウブなのである。
肉食系ならば、男子大学生からのナンパに喜ぶのかもしれないが
サークル内のみんなは、正直、引いていた。
上手く逃げられないで、困っていた。
料理サークルメンバー全員での、初めての合宿だ。
外部と仲を深めるよりも、内部の人ともっと仲良くなりたかったのだ。

ペンションは二階建てて、部屋割りがメイクが30分以上かかる人とかからない人で分かれたのが面白かった。
というのも
私の周りにそこまでガッツリメイクの友達が、今までいなかったからだ。
一番長い子で一時間半かかると言い、私はひっくり返りそうになった。 
ちなみに私は15分程度である。 

 
 
合宿で絆を深めた私達は、文化祭の準備に取りかかった。
文化祭…それは青春である。
高校二年生、そして大学一年の頃、文化祭でクラス単位で飲食店をやるも
調理係は任意であり
私は仲が良かった子がそういうのに乗り気ではなく
私は文化祭で飲食店をやることに夢を見ていた。
初めての、文化祭での飲食店参加だ。

しかも料理サークルで出店。燃えるではないか。

 
私のサークルは話し合いの末、餃子を作ることになったのだが
なんと、他の団体も餃子で出店すると言う。
餃子屋は四店。
しかも、中国人留学生チームまで餃子出店だという。

「どうしよう…中国だよ。本場だよ。」

「中国4000年の味。手強い。」

「そもそもライバルがたくさん…。」

「料理サークルとして、負けられない!」

  
そんな風に私達は燃えまくり、餃子の皮から手作りで他の餃子店と差をつけることに決めた。

 
 
それから文化祭まで毎週毎週餃子作りをした。
具材や味付けも研究し、皮も色々作ってみた。
正直、具よりも皮の方が苦戦した。
柔らかくなったり、固くなったりしてしまい
また味も落ちてしまったりで
微調整を繰り返した。 

あんなに餃子と真面目に向き合ったのは初めてだろう。
それくらい、餃子を作り続けて、試食を繰り返した。

  
私は絵が得意だったので、校内に貼るポスター係を担当した。 

ちなみに、サークル内では幹事も担当していた。
飲み会セッティング係だ。
絵が得意というと内向的なイメージがあり
幹事というと外向的なイメージがあるが
私はそういった両面を合わせもつタイプだった。

 
文化祭前日は、大学に一番近いアパートに住む子の家に行き
皮班と具材班に分かれ
ひたすら作っていた。
私は皮班だった。
皮は冷蔵庫で寝かせなければいけなかったので
寝かせている間に
別の出来上がった皮を切り、丸め
具を包むということを
夜遅くまで続けていた。 

 
餃子屋は大盛況だった。
大盛況過ぎて、むしろ販売担当以外の人は、友達の家で再び皮や具を追加で作ることになった。
 
友達のアパートもサークルのみんなの手からも餃子の匂いがとれず
みんなで笑った。

青春の一ページは餃子の匂いがする。
この匂いこそ、繋がりだと思った。
 
餃子は完売して終わった。
 
 
 
 
そして私は三年生になった。

またまた新歓の時期である。
サークル内は臨床心理学専攻だらけだが
一年生は色んな学部の人が見学に来た。
去年よりサークル人数は増えたし、今年はいっちょかっこいいところを見せようと
調理室で新歓を行った。
みんなで可愛らしいエプロンと三角巾をつけ
女子がたくさん集まる調理室は
夢とロマンがいっぱいなはずだ。

 
新歓参加者は7人。
女子5人に、なんと男子も2人参加していた。
しかも、割と顔がかっこいい。かわいい。
これは張り切りがいがある。

男子「え、料理サークルなのに、凝ったもの作らないんですか?ミネストローネとか。」

 
生意気だったー( ̄□ ̄;)!!

 
 
初めての男子の見学にルンルンしていた私達は、料理のうんちくを始めた男子に顔を引きつらせた。
調理室は講義の関係で貸し出しの時間が限られており、調理時間は限られているのだ。
なんせ冷蔵庫はない。
調理に使う食材は、直前に買うしかない。

部費で買った、バーベキューで使用したコンロは盗まれた。
未だ返ってこない。
 
 
 
そういった事情もあり、サークル活動は制限がかかっていたが
その男子には関係はない。
 
私「あれだね………彼はミネストローネくんだね。」

私は命名した。
彼はミネストローネくんだ。

 
 
その日、新歓に来た人は何人かがサークルに入った。
ミネストローネくんとその友達も入った。

おぉ、色々言いながらもサークルに入ったのか。

 
後日、参加希望者もいたことがあり
新入生は10人近く入った。
6人で始まったサークル活動がどんどん規模が大きくなり
しかも料理男子まで入ったことは嬉しかったが
ミネストローネくんとその友達は
ほとんど活動することなく、あっさり辞めた。
だから私は彼の顔を三回も見ていないし
二人きりで話したこともなく
本名も顔もろくに覚えていない。
ただ、ミネストローネくんの作るミネストローネが食べられなかったことが非常に残念だ。

私はミネストローネを食べるたびに彼を思い出す。
余談だが、人生でミネストローネは未だ作ったことがない。

 
 
三年生の文化祭では、みんなでネクタイをお揃いで買ってつけて
お団子を売った。
あまりにも去年の餃子が大変だったので、今年はもっと楽なものを売ろうという話になった。
みたらし、あんこ、ゴマの三種類を作り
団子もあっという間に完売し
私達三年生のサークル活動は、終わりを告げた。

 
いよいよ、就活や研究、院の試験勉強に力をいれなければいけない。

 
 
 
 
大学四年生の三月、卒業式を迎えた。

後輩が私達一人一人に、ハンドミキサーと寄せ書きをくれた。
私は学長の「コングラチュレーション!ミナサン、今日は卒業オメデトー!」には笑いを堪えるのに必死だったが(私の大学学長は外国人である) 
この後輩達の粋なはからいにはウッと涙が込み上げた。

高校時代は帰宅部だったし
後輩からこんな風に卒業時に何かをされたのは
初めての体験だった。 

かわいい後輩だった。
私は立ち上げたメンバーとは違い、後から入ったから
一歳下の子達とも仲が良かった。

一緒に帰ったり、お茶したり、メールしたり…
楽しかったな。

 
  
そんな思い出を噛みしめながら色紙を眺めた。
こんな風に色紙をもらうことも、人生初めてだった。
後輩から見た私は、どんな私なのだろう。

 
「ともか先輩のかわいい女の子を語る時の目がガチでした」

「ともか先輩とカラオケでタッキー&翼歌えたのが楽しかったです」

「ともか先輩、隣駅まで歩いて行っちゃうとか、見た目とは裏腹に体育会系ですね」

「ともか先輩の恋バナが印象的です」

「変態なともか先輩が大好きです」

「ともか先輩のいいところは、その優しさと変態さです」

 
……。

………。

…………。

 
うん、料理サークルらしいこと、何一つ書かれてないぞ★
……私はかわいい後輩達に、何を残せたのだろうか。
彩りの色紙の中身は、ハートマークやカラーペンでデコろうとも隠しきれない、私の色々やらかした青春や性癖がしっかりと刻まれていた。

 
 
最後にサークルメンバー全員で写真を撮った。
みんながキラキラと希望に溢れて笑っていた。

 
初めてのサークル活動で、私はみんなと料理を通して仲良くなれた。
みんなで料理したり、合宿したり、文化祭に向けて一丸になったり、飲み会したり、旅行行ったり、合コン行ったり、合同説明会に行った。 
空き時間にしゃべったり
メールしたり、電話したり
そんな一つ一つがとても楽しかった。

 
いつも大学で一緒に過ごした友達とはまた違う、私には大事な繋がりだった。

 
お互いの家は遠いし、仕事を始めたり、進学すると
自分の生活が忙しく
卒業後にサークルメンバー全員で集まることはなかった。
それでも時々一部で集まっては、あの日々や今や未来の話をする。

 
 
もらったハンドミキサーは大活躍し、メレンゲ作り等様々な時に欠かせない存在になった。
料理やお菓子作りの幅を広げたのは間違いなく、あのハンドミキサーだった。
二年前に役目を終えたが、有終の美であった。

 
 
 
 
立ち上げた時は6人で始まった料理サークルは
次の世代、次の世代へと受け継がれ
今でも大学で活動は継続している。

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