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やさしい風が吹いた

大学に入学して間もない頃、私は初めてクラスのみんなと集まった。 
大学にもクラスがあるということに私は驚いた。
私はMクラスであった。

 
ドMの私がMクラスとは面白いな( ̄ー ̄)

 
そんなことを真っ先に思った。
今までクラスは数字で表したが、アルファベットになったところが大学っぽい。そして、大人っぽい。
Mクラスはエムクラと呼ばれた。スしか略していないところが面白い。

 
 
 
初回の講義はHRみたいなもので、まずは自己紹介ということになった。
順番に出身県と名前と簡単に一言を言っていく。
私は関東の大学に通っていたので
関東出身者がほとんどで
東北や北陸出身者も何人かいた。
西日本出身者はあまりいなかった。

一人一人自己紹介を聞いていった時、私から離れた席に座っている女性が、同じ県出身だと分かった。

  
講義が終わった後、その女性が立ち去ろうとしたので、私は追いかけて話しかけた。

「○○出身なんですね!私もなんですよ~!」

 
遠くの席だったので、話しかけた時に初めて彼女を間近で見た。小柄で優しそうな顔立ちだった。
それが、Aちゃんとの初めての出会いだった。 

 
 
 
声をかけ、その日はそのまま一緒に過ごすことになった。
どうやら乗り換え駅までは同じ電車になるらしい。
同じ県内だったが、うちからAちゃんちまでは車で1時間弱くらい離れていた。
私は人見知りしない性格なのでベラベラ話しかけた。
その時にはすでに同じ県の友達Bちゃんができていたので、三人で一緒に帰った。
Bちゃんは人見知りするタイプなので、聞き役に回っていた。

私は早速、Aちゃんと連絡先を交換した。
Aちゃんは話しやすくていい人だった。

 
 
次の日の朝、大学最寄り駅でAちゃんを見掛けたので早速話しかけた。
電車の本数は限られているので、同じ講義を受ける場合は最寄り駅で会うことになる。

A「あの、一緒に講義を受けてもいいでしょうか?」 

私「いいよいいよ~!受けよう~!タメ口にしましょ?同じクラスだし。」

 
Aちゃんは優しく微笑んだ。
こうして声をかけたその日から、私は既に行動していたBちゃんとAちゃん、三人グループとなる。
同じ県出身在中トリオだ。

 
 
 
Aちゃんは体育の講義の際、いつでも半袖ハーパンだった。
寒がりで体型をあまり見せたくない私には考えられないことだ。

私「ボス………寒くはないですか?(`・ω・´)」

A「情けは無用じゃ(`・ω・´)」

 
いつからか、そんな合言葉ができ、体育のたびに私はふざけて言っていた。
姉には「それならボスじゃなくて、殿じゃあ………?」とツッコまれたが
もうボスで定着してしまったのだから仕方ない。


 
やがて体育や英語という、必修科目兼少人数のクラス講義で私は他の女子に次々に話しかけ
連絡先を次々に交換し、仲良くなっていった。
私は人見知りしなかった。
気になる女子にはすぐ話しかけちゃうタイプだった。
その関係で、他のグループに所属していたが内部で上手くいかなかったCちゃんと私が仲良くなり
入学して一ヶ月経たない内に
私は四人グループで活動するようになった。
Cちゃんがグループに加入したのである。

 
3グループくらい、グループ同士仲良いグループがいたので
何グループか合同で遊びに行ったり
お昼ご飯を食べたりと
順調に人間関係を広げていった。

  
更に私は女子サッカー部に入り、そちらでも人間関係を広げ
女子サッカー部を辞めた後は料理サークルに入り
これまたそちらでも人間関係を広げていった。

 
 
 
大学三年生になり、Bちゃんが休学をし
選択授業やゼミがCちゃんと別れたことで
私は大半をAちゃんと二人で過ごすことになった。

 
Aちゃんとはゼミが同じであり
選択科目も同じものが多かった。
また、私もAちゃんも大学院志望だったので
院生主催の勉強会にも二人で出席していた。

仲良かった別グループのDちゃんも同様で
同グループ他のメンバーのゼミや選択科目も異なり、大学院志望がDちゃんだけだったので
私達はDちゃんを含めた三人で過ごす時間も増えていった。 

 
ちなみにDちゃんの隠し名は女帝である。
もちろん調子に乗って名づけたのは私だ。
私の隠し名は愛の伝道師である。
こちらはEちゃんという、別グループの友達が名づけた。

ボスと女帝と愛の伝道師と言うと
どんな三人組だという感じだが
ボスも女帝も穏やかで落ち着いた性格で
私は波長が合った。
私がベラベラ話し、ボケを言い
ボスと女帝が柔らかにツッコみ、三人で笑う。

 
三人とも大学院志望だから
院試の勉強で分からないことはお互いに質問し合ったり
三年生は初めての個人研究だったので
三人でゼミの教授の研究室に行ったりと
真面目な学生生活を送っていた。

 
 
 
四年生になると講義はほとんどなくなり、就活や院試に向けた動きとなる。
四年生になり、どのゼミ所属になるか再び希望をとるが
運良く私もAちゃんもDちゃんも三年生の時と同じゼミに当選した。ラッキーである。

 
基本的には、ゼミは希望制であるが
各ゼミは20名と決まっており
それ以上希望者がいる場合は大学側が人気のないゼミに適当に割り振るという
恐ろしいシステムだった。
私が希望した犯罪心理学ゼミは毎年トップ3に入る人気ゼミであり
何人学生が希望したかは事前に学生側に分からないような仕組みになっている。

 
ちなみに人気はトップ3に集中しており、一番人気がないゼミは0人であった。
学科人数は約400人であったが、0人というのもある意味すごい。
 
 
 
卒業研究は四年間の集大成である。

私は様々なことを検討して院入試を諦め、就活に切り替えた。
AちゃんやDちゃんは変わらずに院試一本で将来を見据えていた。
目指す将来は変われども
私達は同じゼミで卒業研究に燃えた。
 
心理学は統計が難しいので
お互いにあーだこーだと議論したりしながら
高みを目指して研究をすすめた。
友達であり、よきライバルであり、仲間であった。

 
 
 
三人とも卒業後の進路が決まり、卒論発表会も無事終わり
私達はついに卒業式を迎えるだけになった。
 
 
あと少しで、卒業式。
そんな時にAちゃんと二人きりで大学構内を歩いている時に、Aちゃんはいきなりこんなことを言った。

A「……ともかさん、ありがとうね。」  

 
私「ん?何を急に(笑)」

 
A「私さ…大学入学してからもなかなか友達できなかった。自分から声かけるの苦手だし、一人でしばらく行動していたんだよね。そんな時に声をかけてくれたのが、ともかさんだった。
ともかさんには友達がたくさんいるから、ともかさんと友達になったことで、私も声をかけてもらって、どんどん友達ができていった。ともかさんのお陰だよ。感謝してる。
四年間、ありがとう。」

 
………私は涙が込み上げた。
私が何気なく声をかけたあの日を、Aちゃんがそこまで大切に思ってくれているなんて思いもしなかった。
そして卒業式間近なこのタイミングで、まさか言われると思わなかった。

  
「ありがとう。」は私の台詞だった。
私は感情的でこだわりが強い人間で、アップダウンが激しかったが
そんな私をAちゃんは一度も否定せず、いつも話を聞いてくれた。
教授と方向性の違いで口論になった時も、すぐそばで間に入ってくれたのはAちゃんだった。
Aちゃんは優しかった。穏やかで優しくて器が広くて
カウンセラー向きだとずっと思っていた。
私が大学時代好き放題できたのは、Aちゃんという、絶対的な安定感のある友達がいたからだ。
いつだってそばにいてくれたのはAちゃんだった。
私はAちゃんを心から信頼していた。

 
私はそんなことを涙ながらにベラベラ伝えた。
Aちゃんは微笑んでいた。

 
 
これが、卒業式前に二人きりで過ごした最後の日だった。
 
 
 
 
 
Aちゃんとは卒業式後、二人で卒業旅行に行き、それからはしばらくバタバタして会えなかった。

私もAちゃんも大学卒業後も学生をやったが、学校が遠く離れたからだ。
私は大学卒業後に専門学校に入学し直したが、彼氏と遠恋だった為
休みはバイトかデートで潰れたり、専門学校の人との付き合いもあったりで
なかなか時間の確保ができなかった。

 
AちゃんはAちゃんで新たな勉強に燃え、学費をバイトで稼いだりと 
お互いに遠く離れながらも
お互いに頑張り
充実した日々を過ごしていた。
 
   
 

 
大学を卒業してからお互いに新たな生活が落ち着いてきた頃
私はAちゃんに連絡をとり、久々に再会した。

卒業後もAちゃんとは年に何回か会っており
今でも関係は良好である。

 
 
私は色々な友達がいるが、Aちゃんは本当に珍しかった。
ある程度関係が深まり、長く付き合いがあると
ケンカになったり
ちょっとした価値観のズレでちょっとモヤッとすることがあってもおかしくない。

 
だが、Aちゃんとは、出会ってから15年以上経った今でも
ただの一度もないのだ。 
ケンカがないどころか、Aちゃんの何かしらに不快になったことが一度もなかった。

 
A「私だって、ないよ~。」

 
私「私、かなりクセ強いのに………やっぱりAちゃんは器が特大だわ。そもそも、Aちゃんって感情的に怒ったりしないよね…。」

 
A「いやいや、お猪口みたいな器だし、仕事で腹が立つこともあるけどさ。ともかさんは人が嫌がることやる人じゃないでしょ?怒る点が見つからない。」

 
Aちゃんのそばにいると、友達の誰よりも落ち着いた。
安心感に包まれた。 
どんな自分をさらけ出しても受け止めてもらえるという信頼感があった。

 
Aちゃんは精神病院で働いている。間違いなく、適職だ。
きっと患者や利用者も
私のようにAちゃんから絶対的な安心感を感じるに違いない。

  
 
私「私、Aちゃんみたいな人と結婚したいわ。私は感情的だから、穏やかで大らかな人が合っている気がする。」

 
A「結婚しちゃうかい?(`・ω・´)」

 
私「キャッ!プロポーズされちゃった♡」

 
そんな風にAちゃんとは笑いが絶えない。
一緒にいるといつだって、やさしい風が吹いて非常に心地良い。
本当に、結婚するならこういった殿方がいいと本気で思う。

 
 
 
コロナの影響で約束した日に会えなくなり、出会ってから初めてオンライン長電話をした。

Aちゃんは「私、周りから電話だとテンション低いって言われるんだけど、それでもよければ。」と前置きするくらい電話が苦手だったが、初めての電話はあっさりと四時間になった。
笑いまくり、盛り上がりまくりな四時間だった。

やはり波長が合うのだろう。

  
 
 
 
小学校高学年から、私は親友が欲しくてたまらなかった。
 
人間関係は難しくて、例え好きであっても、ほんのささやかな価値観や距離感の違いで複雑になった。
傷ついたり
傷つけたり
出会ったり、別れたり
新しい縁があったりを
めまぐるしく繰り返した。

  
家と学校が中心だったあの頃
私は学校で周りと上手くやっていきたいと
色々な人に声をかけ
そして親友を求めた。

  
あれほど求めた親友だったのに、大学卒業後専門学校に進んでからは
もう親友を欲さなくなった。

私は友達に恵まれた。
もう十分にたくさんの友達ができたのだ。

そして、Aちゃんにも、出会えた。

 
 
社会人生活が始まり
仕事で休みが合わなかったり
結婚や出産や子育てを機に生活スタイルが異なったり
遠方にいたりで
友達付き合いの形は年々変わっていった。

 
頻繁に行われた同窓会や飲み会は激減し
友達と連絡したり、会う頻度は減っていき
今、胸を張って「友達だ。」と言える人数は
大学時代よりも間違いなく減った。

だが
逆に当時よりも、人間関係は極めて安定している。
今付き合いが続いている友達というのは
そういった人達だからだ。
 
 
社会人になったら新しく友達は作りにくいと言われていたが
趣味を通し、世代や性別を超えた新たな友達もたくさんできた。

 
今では仕事を辞めてしまったが
春まで働いていた職場でも、事業仲はよかった。
同僚とたくさん話し、毎日が笑いに溢れていた。
楽しかった。

 
 
 
私は人に恵まれた。

たくさんの出会いと別れを経て
やっぱりそう思わずにはいられない。





 

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