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セーラー服は憧れのまま

「高校ではセーラー服を着て欲しい。
弓道の弓を持った姿はかっこいいだろうな。」

そう言ったのは父親だ。

 
 
私は中学生の頃にブレザーだった。 
紺色のブレザーに灰色のプリーツスカートというオーソドックスな制服だが、リボンの色が緑色ということが個人的に嬉しかった。
私は緑色が好きなのだ。
 
セーラームーン世代だ。
セーラー服にはそれはそれはもう憧れた。
中学校と異なり、高校は選べる。
制服がかわいい高校に興味がなかったわけではない。
ただ、私は高校に入ったら演劇部に入りたかった。
姉の高校の演劇部の公演を見た時に
ある人がとてつもなく輝いて見えたのだ。
私はあの人がいる部活に入りたいと思っていた。
(なお、その方は後に女優になり、舞台やテレビに出ている。さすがだ)

 
中学校三年生の時、担任の先生と親と私の三者面談があった。
当時私は成績も上位で、部長・委員長・学級委員をやっていた。内申点はバッチリだった。
担任の先生は某高校の推薦の話をしてきた。
それは父が私に着てほしいと言っていた制服の高校だった。

そこは女子高である。 

色々な男子がいるから高校は女子のみの方が安全じゃないかという、多少過保護な父ならではの気持ちもあったようだ。

 
各高校、同級生で2~3名しか推薦枠はないが、担任の先生は「ともかさんはその高校なら推薦で合格を決められるでしょう。」と断言した。
ありがたい話だった。

その女子高はセーラー服で、確かにデザインは県内でも上位クラスに可愛らしかった。
模擬試験ではいつもA判定で、そこに入学すれば成績も上位に食い込めるかもしれない。
中学校にはなかった弓道部に憧れないわけでもない(まぁやるなら弓道より剣道がやりたいが)。

だけど、私は嫌だった。
どうしても本命高校で演劇がしたかった。

本命高校は制服がダサい。ダサくて有名だ。
模擬試験では判定がB、ときどきC。Aには届かない。
入学したところで成績は中の下以下だろう。
だけど、男女共学だ。高校生になったらデートとやらにも憧れる。私が好きな人もその高校を受験するし、私は志望校を変えるつもりは全くなかった。

某女子高に魅力がなかったわけではない。
本命高校で高校生活をしたいという私の強い希望だ。
 
 
担任の先生がどういった気持ちで推薦の話を私にしたかはよく分かっている。
私は気に入られていたんだな、と実感もした。
その某女子高校は私の内申点ならば推薦→合格はほぼ揺るぎない。
仮に推薦で落ちても、一般入試でも私はまず落ちることはないだろう。
その高校は倍率が低かったし、私の成績や偏差値では安全圏の高校だった。

 
 
だが、私が狙っていた本命高校は真逆だ。
県内の進学校でも倍率は非常に高い。

まず、推薦枠が3名にも関わらず、推薦希望者は私を含め15人いた。

そう、その15人は私と同等以上の成績でかつ、部長や委員長、学級委員長をやっているのは当たり前のレベルで、生徒会役員やらボランティア活動も当たり前の人達が希望を出していた。
推薦枠は生徒会役員の、私より上位成績の人が勝ち取った。
それは当然だった。私も一か八かの賭けで希望を出したのだ。
化け物級の成績や内申点の彼等に私が勝てるはずがなかった。

更に、そんな3人でも推薦合格したのは僅か1名だった。

私は笑いが込み上げてきた。
自分の中学だけでこれだ…他中学にもどれだけの猛者がうごめいていることだろう。
実際、通っていた塾には他の中学校の生徒もたくさんいたが、皆レベルが高かった。
 

私にとっては少し背伸びした高校だが、ランクを落としてその高校を受験する人がたくさんいたのは知っていた。

交通の便の良さと、共学だからである。

私の県の県立進学校上位は男子高と女子高が当たり前だった。
私と同じように共学志望者は一定数いる。
男子高と女子高を除いて、一番偏差値の高い高校…共学校が、私の本命高校だった。

一般入試も例年倍率は高い。
模擬試験でA判定がとれない私が挑むのはリスクがあった。

だから担任の先生がススメるように某女子高に推薦合格する方が安全なのは分かりきっていた。
分かりきっていたが、私は本命高校に挑み

そして不合格だった。

私の不合格は周りからしたら意外なもので、私より下の成績の人達が受かった。
今のようにネットで結果が分からない時代だ。
合格発表日には受験した学校まで出向き、合格者一覧が紙に張り出される。
誰が受かり、誰が落ちたかは一目瞭然だ。
同じ中学ならば、受験番号と顔は全て覚えている。

「なんでともかちゃんが!?なんで…。」

泣き崩れる私に、仲の良い友達が電話をくれたことを忘れない。
中学校卒業式の次の日が県立高校合格日。
合格者は午前中、不合格者は午後に学校に集まるルールがあった。
午後、魂の抜けた状態で廊下を歩くと、同じように落ちた人達がいた。
みんな顔は疲れ切っていて、不合格者同士、傷を舐め合うように共感し合った。
合格者だって努力していただろうが、不合格者だからといって努力してこなかったわけではない。
色々な何かが、私達には足りなかった。
それだけだ。

あの合格発表の日は部屋にこもってひたすらに泣いていた。ご飯もほとんど食べなかった。

数日後に行われた塾の合格祝いパーティーには参加しなかった。
行けるわけがなかった。

人生で初めての大きな挫折だった。

 
  
春になり、私は滑り止めの私立の高校に入学した。
制服はお洒落でかわいいブレザーだった。
だけど私は家に帰ると制服を速攻で脱いだ。
不合格者の烙印のようで、この高校の制服を着て電車に乗り、他の人達に見られるのが恥ずかしかった。惨めだった。
ごった返している朝の電車には本命高校の制服を着た人達がたくさんいて、私はその人達が羨ましくて仕方なかったし、幸せそうに見えた。
キラキラしていた。

 
だけど私は高校の教室に行くと気持ちが楽だった。
クラスメートはみんな、私と同じ不合格者の痛みを知っている人同士だからだ。
クラスメートで一人、痛みに耐えきれず入学後一ヶ月で退学した人もいたくらい
私達は表面的に笑ってはいても、不合格という現実は重かった。

ただ、それもやがて薄くなっていった。

行く気はなく、すべりどめで受けただけの思い入れのない高校だったが
通う内に愛着は沸き、時間と共に良さも分かってきた。
すぐに友達はできたし、クラス内の女子は仲が良かった。
県北から県南、はたまた他県から来ていた人さえいたので
様々な出会いがあったし
街中にある高校だったので、寄り道や買い物といった過ごし方で退屈することはなかった。

入学して三ヶ月もしない内に、私はこの高校生活もありだと思っていた。
制服を着た自分を恥じることはなくなっていたし、かわいい制服が着れてラッキーじゃないかと開き直りさえしていた。
 
 
私の高校の夏服は二種類あった。
下はチェックのスカートで統一だが、上はポロシャツか式典用の服のどちらか自由であった。
式典用の服は始業式等行事の時に必ず着なければいけない、セーラー服風(ただしリボンはない)の小洒落たデザインで、式典以外で着ても大丈夫だった。
ポロシャツの方が楽なのでほとんどの人が式典以外で式典用の制服を着なかったが
何名かは式典用の制服を着た。
その何名かの内の一人は

私だ。

私立の為、制服でもジャージでも靴下でもとにかくなんでも高額だった。
式典用の制服もだ。
それを三年間で数えるほどしか着ないで、卒業してからも着られるっちゃ着られるポロシャツを(※実際卒業後も私は着潰した)夏中着るなんて勿体ない。
元は取らなきゃ、元は。
そういった貧乏性な性格だった。

この式典用の制服の一番の難点はお辞儀をした時に背中が見え、背伸びをした時にお腹が見えてしまうことだった。
キャミソールを着ていると、もれなく周りにキャミがバレる。
キャミを見られるのと背中を見られるの、どちらがマシだろうか。

私は背中をとった。

式典用の制服を着る時はキャミソールは着ないことにした。
実際、高校でセーラー服を着た人達は同様の悩みを口にした。
着てみて分かることもある。
意識的にセーラームーンを見てみると、確かにセーラー服は丈が短い為、よくお腹や背中が見えていた、
気づかなかった。
キャミソールを着るかどうかの選択肢を狭めてしまう点においては
セーラー服はかわいいが、欠点がある。 

 
 
 
 
 
大学は私服のため、高校を卒業したら私の制服人生は終わった、と思っていた。
結局中学校、高校とブレザーで終わり
セーラー服もどきを夏服に着て私がセーラー服を着ることはなかった。

ところが、転機は訪れる。

 
大人になって福祉施設に入職し、秋祭りで有志職員出し物として「慎吾ママのおはロック」をやることになった。
その際、男性職員が慎吾ママに女装し、他の職員は学校にちなんだ何かに変装することになった。
制服もしくは何かしらの部活動の格好をすることになり、私は野球部の格好をすることになった。

憧れの野球ユニフォームである。

広島カープのような赤と白を基調としたユニフォームを同僚から借りて試しに着てみると、思ったより似合っていた。
サイズもバッチリだ。
本番はこの姿に仮装して「慎吾ママのおはロック」を踊ると思うとワクワクした。

 
各自衣装合わせをして、誰がどの服を着るか打ち合わせをした。
サイズやイメージの問題もある。
みんなで寄せ集めた衣装だ。
学校をテーマにしたため、学ランもセーラー服もあっさり集まった。

学ランは昔、コスプレをした時に着たからともかく、憧れのセーラー服が今目の前にある。

私は男性職員が着る前に試しに着させてもらった。まさか大人になってこんな形で着る機会に恵まれるなんて。
しかしさすがに…

無理があった。

自分でもビックリするくらい似合わなかった。
せっかくの記念だからと写真を撮ったがすぐに消去したくらい、悲しい現実が待っていた。

私はアラサーになってしまい、セーラー服はあまりにも瑞々しかった。

我ながら野球のユニフォームや学ランの方がよっぽど似合った。
女装担当だった職員の方がセーラー服はよっぽど似合った。

 
私はもうセーラー服を着ることはないだろうと思った。
好きな服と似合う服はまた別だということを、私達は大人になるにつれて学んでいくのだ。



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