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クラスのかわいい顔の男子が体を鍛えている理由

友達は私立中学に進学した。

私の小学校から私立中学に進学した人は片手で数えられる程度で
遠くの私立中学に行く友達はやけに大人に見えた。
彼女は医者になりたいと小学生の時から夢が明確で
その夢に向かって真っ直ぐだった。
そんな彼女を、私は尊敬していた。

「今度、私の中学校で文化祭があるからおいでよ。一般公開もしているから。」

そう言われて、私は小学校時代の友達5人で
その私立中学校とやらに初めて行った。
私の中学校は一般公開なんてしていないし
一般公開もする、という響きが既に世界が違かった。

 
私が通っていた小学校も中学校も田畑に囲まれた場所にあった為
県庁所在地のある大都市の真ん中にある私立中学校に
私は恐れおののいた。

電車に乗り、バスに乗り、たくさんのビルや建物を越えた先に
その私立中学校があった。

  
なんて立派なのだろうか………!

 
そこには田畑なんてない。
人の手によって美しく整えられた緑しかない。
巨大な門や敷地内にあるいくつもの校舎や建物に、私達5人は打ちのめされた。

 
これが、都会にある私立中学校………。

 
「みんな~!久しぶり~!」

 
一般客やたくさんの学生の波から、見覚えのある顔が見える。
友達だった。
この都会の学校の生徒として馴染んでいる彼女は
より一層輝いて見えた。
制服に黒タイツがまた、上品に見えた。

 
なんせ、生徒数だけで私の中学校の10倍以上だ。

公立学校にはない、私立中学校独特の美しい建物や文化祭の企画に
私はいちいち目をパチクリさせた。

外国のような講堂(外国製の椅子を使用し、有名デザイナーが手掛けたデザインらしい)で行われた
生徒によるファッションショーや
生徒による飲食店販売、展示等
それらはレベルもケタも違い、度肝を抜かれた。

 
その私立中学には高等部も併設されていたので
私立ならではの文化祭 + 高校ならではの文化祭を思い知らされた。
自分の中学校の文化祭しか知らなかった私の狭い世界観を覆すには、十分過ぎるほどスケールの大きな文化祭だったのだ。

 
さすが都会は違う。お洒落だ。

でも
田舎者の私は、地元がやっぱり落ち着く。

 
そんな風に当時は思っていた。
中学一年生か二年生の時の話だ。

 
 
 
中学三年生になり、私立高校受験の話になった。

私立高校はいくつもあるが
我が地元で、県立上位進学校志望生徒がすべり止めで受験する私立高校は、実質二校しかないに等しかった。

A高校は、県内一大きな私立高校だ。
幼稚園から大学まであるマンモス校で、県内外で有名な学校である。
文武両道を掲げ、スポーツ特待生等一芸に秀でた生徒を優遇していた。

 
B高校は、県内ナンバー2の私立高校だ。
中学、高校、大学、短大がある。
学力重視な進学校でありつつ、県内で唯一調理科や音楽科がある高校だった。
調理師になりたい人や音楽のプロになりたい人にも人気だった。

 
 
姉はA校とB校を受けたし
W受験は少なくないが、私はB高校しか受けなかった。
当時の私は県立高校に落ちることなど思ってもみなかったし
あくまですべり止めとしか考えていなかった。

A校とB校は偏差値が同じくらいだし
いくつもコースがあった。
繰り下がり合格もあり、一度の受験で3コース分受けられる。

 
当時の私の成績では、A校もB校も落ちるはずはなかった。
毎回A判定だったからだ。
それならば受験料もかかるし、一箇所だけ受験でいいやと思った。

 
何より、B高校にはいい印象があった。

私はA高校の内部には入ったことがなかったが
文化祭でB高校の雰囲気は知っていた。
仲の良い友達はいるし
親戚はB高校に進学していたし
そういった面で内部の話も聞いていた。
そこまで悪い印象はなかった。

音楽教育に力を入れているところも私は惹かれたし(私の幼稚園も音楽教育に力を入れていたし、私は音楽が好きだった)
短大には福祉コースもあった。
当時、四大福祉コース志望の私は、短大に福祉科があることも魅力的だった。

 
校舎はキレイだし、品があるし、制服もかわいかったし、もし県立高校落ちて通うならB高校だよな。

 
 
そう思っていたが
まさか本当に県立高校に落ちるとは思ってもみなかった。

県立高校に落ちたその日にその足で、親とお金を納めに行き、制服の採寸があったが
まるで悪夢のようにしか感じなかった。
何度寝ても覚めても
その悪夢は現実だった。

 
 
 
そんな経緯があり、私はB高校に入学した。

最初は県立高校に落ちたことが嫌で情けなくて仕方なくて 
B高校の制服を着ることがどうしようもなく苦痛で
すごくすごく苦しかった。

実際、県立高校に落ちた現実が受け入れられず、入学早々に高校を辞めた子がクラスにいた。
来年再受験するという。

初めての人生の挫折はものすごく辛かったが
徐々に私は現実を受け入れていった。

 
中学校では、県立高校に落ちた子は少数派だったが
クラスにいる人は全員が落ちた子で仲間意識はあったし
やがて時間が経ち、お洒落な制服や都会の学校はありだと思った。

 
友達の県立高校の文化祭に行った際
公立ならではの校舎の汚さや制服の野暮ったさ、学校の周りに何もお洒落な店がないことに驚愕した。

 
私の高校は冷暖房完備でトイレには音姫があった。
マラソン大会はないし、校長先生のお話は各教室でモニターを使って行われた。
高校帰りはお洒落な店があるので寄り道し放題だ。
部活に力を入れてない高校だから、部活をやりたかった私としては少々残念だったが
その分寄り道したり、大学受験勉強に専念できると思うと、そう悪くはなかった。
私立高校だから、県立高校よりも私立大推薦に力を入れてもいた。

 
人生とは不思議なものだ。

中学時代まで、私は地元を離れる気はなかった。
本来志望していた県立高校は田舎にあり
そのまま進学できていたならば
部活に燃え、寄り道はコンビニしかないという高校生活を送っただろう。

 
高校受験失敗により、私は私立高校や都会の良さに気づき
本命高校や他の県立高校文化祭に行っても
羨ましさを感じないまでになってしまった。
良くも悪くも私は都会の色に染まってしまったとも言える。

 
私は新しいことをすることが苦手で、こだわりが強いが
環境適応力が自分の思う以上にあり、驚いた。
住めば都ではないが
通えば都、ではあった。

 
 
  
そんな中、高校二年生になった。
クラス替えがあり、私はA君と出会った。

A君は目がクリクリした男の子で、髪がサラサラしていて、褐色の肌をしていた。
浅黒の肌が大好きな私は、A君を見てニヤニヤしていた。
顔もかわいいし、笑顔がまたかわいい。
そのくせ、体は鍛え上げられていて、筋肉質だった。
体育の際、着替える時はチラ見を通り越してガン見した。
見事な上半身だ。
普段制服の時はベビーフェイスのかわいさばかりが目立つが
脱いだら見事な肉体美なのだ。
ギャップ萌えとはこのことだ。

A君は運動部だった為、上半身の見事な筋肉は運動部故だと最初は思っていた。

そんな中、クラスの友達とA君の話になった。

 
友達「A君はね、歴史上の人物の子孫らしいよ。」

 
私は度肝を抜かれた。
歴史上の人物の子孫………なんてパワーワードだ。
先祖が篭屋の我が家とは大違いだ。

 
私の高校には、親が医者、開業医、薬剤師、社長、議員の方がゴロゴロいた。
親がハイスペックなお金持ちだらけなのだ。
それは察するに、A校とB校ならB高校の方が学費が高いからかもしれない。 

 
入学当初、周りの親の職業におののいた私も、ある程度免疫がついたと思ったが 
まさかここに来て、歴史上の人物の子孫が出てくるとは思わなかった。

世界は広い。

 
 
友達「A君ちの蔵は指定文化財らしいよ。」

 
私は更に目を見開いた。
どれだけの希少価値だというのだ。

歴史上の人物…とはいっても、その人物と名字が異なるから分家なのだろうか。
何らかの事情で名字をあえて変えたのだろうか。
個人所有の資産が指定文化財… 
という新たなパワーワードに
私は更におののいた。

 
A君は私の想像以上に由緒正しい家に生まれたお坊ちゃまなのかもしれない。

 
友達「だからA君は、昔誘拐されたらしいよ。」

 
私「え!?誘拐!?財産目当てで?」

 
友達「そうらしい。だから、それから自分の身を守るために体を鍛えたり、護身術を身につけたらしい。」

 
私「あの筋肉は、過去の誘拐の影響………?」

 
 
私は逆に納得した。

今考えても、A君の体はあまりにも鍛え抜かれていた。
運動部とはいえ、あんなにガッシリとした筋肉や引き締まった体はやや違和感があった。
あれは一朝一夕ではない。

 
 
私は記憶を辿った。

同い年の男の子の行方不明事件や誘拐事件で、彼の名前を見掛けたことがあったのだろうか。
記憶にはない。
毎日様々なニュースがありすぎて、記憶に残らなかったのだろうか。
いや、誘拐事件は18歳未満だと氏名は公表されない…か?
いや、誘拐や行方不明事件が全て新聞やニュースに載るわけではない。
警察に届けるまでには、多少タイムラグがあるし
周りが探して見つかるケースも多々ある。
騒がれたくないからと、ニュースにならないようにするケースもあるだろう。

 
それに、殺傷されていたり、事件性が低いものは話題にならないかもしれない。
新聞やニュースになっても、サラッとしか書かれておらず、サラッと周りは読み流してしまうかもしれない。
 

 
…………誘拐。

  
 
A君は教室で噂されているとも知らず、クラスメートと楽しそうに笑っていた。
私はA君と特別仲がよかった訳ではないから、噂が真実かは知らないし
本人に尋ねるのは野暮でしかなかったから何も聞かなかった。

 
A君に誘拐された時の記憶がまだあるならば
どんなに怖かっただろう。
記憶がないにしろ、今後も誘拐されるかもしれないと体を鍛えている間や体を鍛えさせた親や家族は
一体どんな思いだったのだろう。

 
笑っている人が幸せで何もないとは限らない。

 
私は友達からの話を聞いた時
A君が今ここで笑っていることは奇跡なのかもしれないと感じた。
ギャップ萌えと感じていたかわいい顔や鍛え抜かれた肉体美の理由に
私はなんとも言えない気持ちになった。

 
制服姿だけ見たら、A君はどこにでもいる高校生の一人に過ぎないけれど
見る人によっては、A君の価値は異なってしまう。

 
 
お金持ちが羨ましかった。

親が医者だとか社長だとか歴史上の人物の子孫だとか
そんな周りの話を聞くたびに
どこか引け目を感じていた。

 
受験失敗という共通点があっても、同じように制服を着ていても
私とは世界が違うと思っていた。

 
だけどお金があり過ぎる故に危険のリスクが伴うと思うと
本当に羨ましいかと言われたら、そうでもなかった。

 
我が家は平凡な家で、先祖は篭屋。
容姿も特別優れていない。

でも
だからこそ
誘拐されるリスクは低かったかもしれない。

 
私は行方不明になったり、誘拐されたことは人生で一度もなかった。

 
体を鍛える必要がないことは一種の幸せなのかもしれない。

 
 
 
私の通っていた高校は数千人の生徒や先生、勤務者がいて
その中で私が関わった人はその一部の人に過ぎない。

でも
華やかで美しく品のある校舎の中には
様々な過去を持つ人や生き方をしている人がたくさんいた。
ネタのない無難な人生を送っている人なんて
誰一人いなかった。

 
中学校まで田舎の地元から出ていなかった私は
世界が広いことを知った。

 
田舎には田舎のメリットとデメリットがあり
都会には都会のメリットとデメリットがあり
その土地その土地で
出会いがあると知った。
学ぶものもあるとも知った。

 
県内外の人が集うマンモス学校の高校では
様々な価値観を持った人が集まり
私はそんな人と関わり、自分の視野が広がった。

 
 
自分の当たり前や常識は絶対ではない。

足を一歩前に踏み出すごとに
世界や人生はどんどん広がっていく。

 


 








 



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