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退職を引き止めてくれた元同僚と転職先で再会した話

私は学校卒業後
障害者福祉施設で働いていた。

 
その施設は大きな施設だったが
新卒を採らない方針であり
卒業後採用された私は非常に運がよかった。

なんせ11年働いていたが
新卒採用されたのは後にも先にも私だけだったのだから。

 
入職して半年後
次の年度切り替えに合わせて新規事業を立ち上げることが決まり
私は二事業の主任に抜擢された。
それもまた異例中の異例である。

他の事業の主任は
10年以上働いている人達だったのだから。

 
私や施設が新規事業立ち上げに伴い
バタバタした日々を送り
もうすぐ新規事業を立ち上げるというタイミングで
現場正職員をもう一人採用しようという流れになった。

当時は全正職員が役職についてしまい
業務が間に合わなかったのである。

 
なんといっても
新卒の私が大手施設で主任をやるほどだ。
人手不足感は否めない。

 
私にとっては初めての正職員後輩に当たる為
私は胸をときめかせた。
どんな方が来るのだろうと楽しみにしていた。

 
求人を出して間もなく
ある男性が見学に来ることになった。

 
その日私が仕事をしていると
他事業主任と共にスーツ姿の男性が部屋に入ってきた。

「こんにちは。」

その人はイケメンだった。
目がパッチリとしていて素敵だった。
朗らかに笑顔を見せ
礼儀正しくお辞儀をした。

 
できる人だ………!

 
一目見て、分かった。
オーラが凄まじい。
明らかに仕事ができる人だ。

 
その方が帰った後
事務室ではやはり好評価だった。
履歴書によると
私の職場より更に大きな施設で主任をしていて
様々な業務をこなしているらしかった。

介護福祉士と社会福祉士という
国家資格を二つ持っていた。
所謂W福祉士だ。

私の職場には
W福祉士の職員は誰もいなかった。

 
なるほど
やはりただ者ではない。

 
採用は周りからも施設長からも熱望され
本人も働くことを希望し
4月1日付けで採用となった。

 
私が社会人2年目になった日
共に働くことになった男性正職員。
私よりかなり年上で資格を持っており
大人の落ち着きがあり
様々な経験をしているが
立場上は私の後に入った後輩正職員。

 
それが、私とAさんの出会いであり、始まりだった。

 
 
Aさんは想像以上に素晴らしかった。

仕事ができるだけでなく
職場に次々と新しい風を吹き込んだ。

ゴミ捨てやお茶出し、トイレ掃除は女性職員の仕事だったが
当たり前のように手伝ってくれた。
もしくは一人で行ってくれた。

 
正職員の中で一番下っ端であり
職員の中で一番年下だった私は
当然のように雑用が色々あったし
私にとってはそれが当たり前だった。

男性正職員は
それらの業務は女性がやるものと思い
全く手伝うことはなかった為
Aさんの配慮や動きは
私にとって驚きであったし
女性職員の中で株は爆上がりした。

 
私はAさんが好きだった。

見た目も声も仕事ぶりもタイプだったし
穏やかで朗らかで優しく
誠実で面白く、個性的でもあるAさんは
知れば知るほど好みだった。

 
話せば話すほど面白くて
Aさんといると話が尽きないし
よく一緒に笑っていた。

 
Aさんが10年付き合った方と婚約中でなければ
私は間違いなく口説いていた。
それほどにタイプだった。

余談だが
後に結婚した奥さんは
見た目が私によく似ている。

 
 
Aさんは入職して早々に新規事業の主任になった。
とはいっても福祉施設での社会人経験は10年以上なので
Aさんが主任になっても
私のペーペーぶりは変わらなかった。

 
Aさんは次々と仕事を任され
そして次々と成功し
地位を確立していった。

その仕事ぶりや人柄は尊敬しかなかった。 
 
私とAさんは新規の正職員であり
主任ということで
事業こそ違ったが
二人で仕事を任されることも多かった。

私は新卒として
Aさんは他の施設での経験を活かして
施設の行事や取り組みに
新しい風を吹かせた。

 
私はAさんとケンカすることも口論になることもなく
仲の良い同僚という関係だったと思う。
Aさんとの仕事は実にやりやすかった。

 
一緒に残業することもたくさんあったし
仕事の悩みをAさんに話して
私は泣いてしまったこともあった。
遅くまで残業する私に
飲み物やお菓子の差し入れもよくしてくれた。

本当に優しく
頼もしい正職員仲間だった。

 
Aさんはいつだって私の味方で
よく話を聞いてくれたし
私を否定したりはしなかった。

 
そんな風に苦楽を共にし
穏やかで楽しい時が10年続いた。

Aさんは転職時「ここに骨を埋める覚悟です。」と言っていたが
私も同じ気持ちだった。

 
Aさんと共に働き
この施設に骨を埋めるつもりだったのだ。

 
 
 
だが、私が社会人11年目の頃
私は予期せぬ人事異動の命令が下った。

私は主任ではなくなり
Aさんの部下として働くことになったのだ。

 
もともと私は直属上司よりもAさんを信頼していたし、Aさんが好きだったので
Aさんの部下として働くことは構わなかった。
業務内容も悪くなかった。

だが、人事異動のタイミングが非常に悪かった。

施設はその一年前に大きな改悪があり
職員は次々に辞め
事業ごとの関係にヒビが入り
人間関係が悪化していた。
心身の調子を崩す職員も多く
私もその一人だった。

 
Aさんの事業部内は人間関係が荒れまくっていて
私は上から仕事ぶりを評価され
事業立て直しの為に人事異動を命じられた。

 
仕事を評価されたこと自体はありがたいが
今まで自分が主任をしていた事業部に私は愛着がある。
立ち上げから関わっていた事業部だし
仕事も慣れている。
事業部自体は軌道に乗って安定期を迎えていたし
事業部内の人間関係はすこぶるよかった。

 
そこから離れて
人間関係が荒れまくっている場所に
新たな仕事を、主任ではない立場として一から始めるのは怖かった。
経験年数がある特定の職員何名かは職員に意地悪をし
退職するようにもっていっていたし
実際私自身も、その人達からいい扱いはされていなかった。

 
 
私は退職届を出した。
骨を埋めるつもりだった職場を退職することに決めた。
12年目も当たり前のように働いていると思った。
だけど

人事異動は逆らえない。

 
 
私が退職届を出したことをまず自分の事業部内には伝えた。
引き止められたり
泣かれたり
職場への不信感をみんなが爆発させた。

 
というのも
私の人事異動は、私の後がまが決まっていないものだった。

【二事業分の主任(私のポジション)は空席になるが、私が他事業への異動が絶対である。】

 
そんなむちゃくちゃな人事異動に納得しないのは私だけではなかったが
上と直属上司が決めたことには逆らえなかった。
誰が何を言っても
私は人事異動するか退職しか道はなかった。

 
 
「…ともかさん、辞めちゃうの?」

 
退職届を出してから瞬く間に私の退職は職場内に広がった。
Aさんは私と二人きりになった時、神妙な面持ちで口を開いた。

 
「辞めないでよ。寂しくなるじゃない。」

 
私はAさんのその言葉に号泣した。

今まで10年間
一緒に仕事仲間として戦ってきた。
苦楽を共にし
たくさん笑い
たくさん悩み
よりよい仕事をしようと
協力してきた。

たくさんのたくさんの思い出がある。

 
Aさんの部下になるのが嫌なわけではない。
Aさんとまだ働きたい。
まだまだ一緒にいたい。

 
直属上司は私が退職するようにもっていった張本人であるから余計に
Aさんの言葉が胸に染みた。

 
直属上司は一切引き止めなかった。
人事異動に逆らうなら退職しろという旨をむしろ言った方だった。

 
Aさんの言葉は嬉しい。
本当に嬉しかった。

 
だけど
組織のやり方や価値観のズレや
直属上司から切り捨てられたことや
改悪や人手不足による諸々を
ないことにはできない。

 
「人間関係は……どうすることもできない。」

 
Aさんは力なくそう言った。

 
 
あの日はやけに夕日がキレイだった。

私は泣き続け
Aさんは力なくうなだれた。

 
…利用者と仕事が好きな気持ちだけで働き続けられたら
どんなによかっただろう。

 
 
退職届を出した頃はAさんとこんな風に神妙な顔をしてこんなやりとりをしたが
私の最終勤務日はあっけらかんとしたものだった。

「ともかさん、体に気をつけてね。またすぐどこかで会えるよ。福祉の仕事をしていたら研修なりなんなりですぐ会えるよ。一生の別れじゃない。」

「ともかさんは福祉の道を捨てられないよ。だからきっと道はつながっている。」

「じゃあ、また。」

 
Aさんはそう私に言った。

 
 
 
それがAさんとの最後だった。

 
 
 
私が退職した頃はダイヤモンドプリンセス号のニュースが連日報道され
マスクが品薄だった時であり
転職のタイミングとしてはよくなかった。

 
日に日にコロナ感染者数は増え
生活に制限がかかっている中
私は無職になった。

元職場やAさんは大変だろうなぁと思ったが
仕事を辞めた私は
想像したり
心配したり
思うくらいしかできない。

 
 
仕事を辞めてから偶然
Aさんの車と三回すれ違った。
Aさんは私に気づかなかったようだが
Aさんの元気そうな姿が見られて嬉しかった。

 
 
結局私は退職してから約一年後に転職した。

想像以上に時間がかかってしまったが
それほどに人事異動の理不尽さや組織のやり方への怒り、前の職場への思いが強かったとも言える。

 
私は障害者福祉施設に転職した。
前の職場より小規模な施設に転職した。

Aさん含め転職組の人達は
たまたまだが全員
かつて働いていた施設よりも規模が小さな施設に転職してくる。

 
私も他の人達と同じように
そういった選択をした。

 
 
福祉職として11年働いていようが
かつて主任をやっていようが
私は新人としてまた一からやり直しである。

 
新しい職場で仕事を教わったり
違うやり方や新しい常識に触れ
周りに気を遣い
ゴミ出し等を率先して行う。

 
初心に返るとはこのことだと思った。

 
社会人一年目の頃に戻った気分であったし
今までの職場の経験を活かしたり
意見を求められるという意味では
転職したてのAさんの気持ちのようでもあった。

 
Aさんは転職の苦労を知っていた。
だから
私にその苦労を味わわせたくなかった気持ちもあり
引き止めてもいたのだろう。

 
転職先で馴染めなかったり
色々思うところがあった時
選択しなかった未来を思い浮かべた。

 
Aさんの元で新しい仕事をすることは
そんなに悪い選択ではなかったのではないか。

 
そんな思いにとらわれたことももちろんあった。

 
だが
私は次に行くことを決めた。
過去には戻れない。
どんな道であれ
進むしかないのだ。

 
 
コロナ禍であり、様々な制限があるものの
私は毎日利用者と共に散歩等に出掛けた。
自主製品をイベント時に出張販売して売ったりもした。

そうしてそういった時に
たまたま元同僚や元利用者や元保護者に偶然再会をしたし
元職場の方から
退職後も連絡があったりもした。

 
退職をしても
そう簡単に縁は途切れない。

 
Aさんは既に知っていたのだろうが
最終勤務日のAさんの言葉の深さや意味を
転職後に私は知った。

 
確かにAさんは
転職をしても、元職場でお店をやっていたから
利用者や他の職員と共にそこに出掛けたりもした。
転職先と元職場の架け橋となり
繋がる役目もしていた。

 
私もAさんのように架け橋となりたかった。

 
私の元職場と転職先は繋がりがまだなく
お互いに認知さえしていないレベルだった。

 
 
 
私が転職先で働き出してから約半年後
絶好の機会があった。

他施設の商品を買おうという動きが職場にあり
私は元職場の商品を売り込みした。
それにより、私の元職場の商品を同僚や施設長が興味を示し
試しに買ってみようという流れになった。

 
私は退職してから
頑張っていて輝いている自分でありたかった。
そういう気持ちがより強くなった。

そういう私でなければ
元職場のみんなに会わせる顔がなかった。

 
転職先で頑張っている私でなら
仕事の要件ならば
元職場に連絡する資格がある気がした。

 
 
その件で私は退職してから一年半ぶりに二人の元同僚と電話するチャンスが与えられ
今自分がどんな場所でどんな風に過ごしているかを報告することができた。

 
 
元職場と転職先の架け橋となれると決まってから一ヵ月後
ついにその商品が届く日がやってきた。
朝からソワソワした。
久々の再会を楽しみにする気持ちと微かな緊張が入り乱れた。

 
多分届けてくれるのは
電話対応をしたどちらかの職員だろう… 

と思っていたが
約束の時間15分前に姿をあらわしたのは
Aさんだった。

 
私はその時二階でパソコンをしていたが
いてもたってもいられず
窓からAさんの姿を見た瞬間

「挨拶してきてもいいですか?」

と、施設長に言い
階段を駆け下りて行った。

 
 
Aさんは変わっていなかった。
変わらない笑顔だった。
私の大好きなAさんのままだった。

商品を受け取り
軽く挨拶をして話して終わりかと思いきや
Aさんは予想外のことを言い出した。

 
「施設長にご挨拶したいんだけど、呼んでもらえるかな?」

 
私は慌てて施設長を呼びに行き
施設長を紹介した。

 
「真咲ともかの古巣の者です。この度は施設の商品を購入していただき、ありがとうございました。」

 
名刺を差し出してから
Aさんはそう施設長に話した。
まるで父親が娘の嫁ぎ先に挨拶をしているような気分だった。

 
「少しだけ施設を見学してよろしいでしょうか?」

 
Aさんはそう言い
私の現職場を軽く見学した。
私の元職場関係者で現職場の中に入った人は初めてだった。

 
施設長がAさんに施設について軽く案内をした後

「真咲さんも久しぶりだから話したいことあるでしょう?話していていいわよ。」

と二人きりにしてもらえた。

 
私は転職先で今こういった仕事をしていたり、発見があったと
活き活きとAさんに話し
Aさんは私の話を笑顔で聞いてくれた。

 
Aさんは最後に私の職場の製品を大量に買ってくださった。
あまりの量に施設長から「真咲から無理矢理買うように言われたんじゃないですよね?(笑)」と言われる始末だった。

  
……私には分かっていた。
これはAさんなりの、私へのエールだ。

 
転職先でも頑張れ!と
私の顔を立てて
たくさん買ってくれたのだ。

私の施設の製品は
同僚や家族にプレゼントするとも言っていた。

同じ福祉施設同士だから
売り上げに貢献しつつ 
同僚に今の私を伝えつつ
同僚と家族にプレゼントをして日頃の感謝を伝えつつ
敵情視察を兼ねているのだろう。

 
一石二鳥であり三鳥でも四鳥でもある。

 
見学許可を施設長からもらった上で納品に来てくれたらしいし
主任であるAさんが今日わざわざ来たのは
繋がりがない施設であることもあるだろうが
他ならぬ私の転職先であるからだ。

 
「お互いに体に気をつけて頑張りましょう。」
「みんなによろしくお伝えください。真咲は元気に頑張っている、そう伝えてください。」

私は玄関先でAさんを見送った。 

Aさんは終始笑顔で誠実な姿勢を崩さなかった。
再会して共に過ごしたのは30分程度だったが
私には特別な時間だった。
一年半ぶりに再会したとは思えないくらい
自然体なままの再会だった。
 


私の元職場の商品は大好評であり
また自社製品も大量に売れたことから
職場内でしばらく話題になった。

 
退職してから偶然再会した元職場関係者の皆さんが
私の転職先の製品をたくさん購入してくださり
本当にありがたかった。
涙が出る。

皆さんがたくさん購入してくださるのは
私へのエールや思いだと私には分かっている。

 
 
 
大人の一年と子どもの一年は違う。

久しぶりに会えても
自然体なまま会話ができる。
まるで昨日のことのように色々なことが蘇り
懐かしい気持ちになる。

 
 
Aさんはあの日
私がどんな風に見えただろうか。

今の私や転職先の施設のことを
元職場の人にどんな風に伝えただろうか。

 
また次に会える日を
早くも楽しみにしている。

きっとこれで終わりなんかじゃない。
 
 
 
 
本当にたまたまだが
Aさんと再会する前の日に元保護者から連絡があり
次の日にAさんと再会し
その次の日に偶然元利用者と元保護者の姿を見掛けた。
そしてその次の日に元利用者から手紙が届いた。

過去と今と未来が繋がる。

 
 
手紙には

「ともかさんのいない毎日は寂しいです。」

そう書かれていた。

 
 
私は手紙を返した。

「コロナが落ち着いたら再会できる日を楽しみにしています。」

「私は今でもあなたと○○(元職場)が大好きです。」

 
 
元職場のみんなと再会できる日を楽しみに
私は頑張っている。

私が生きていれば
頑張っていれば
きっと元職場と繋がれる。

 
みんなとの再会を夢見て
私は今日も頑張れるよ。

 
 



 


 







 
 
 




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