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利用者が織るキレイなさをり織りが売れない理由

私は福祉の学校を卒業し、障がい者福祉施設に入職した。

私はそこで、さをり織りと出会った。

さをり織りとは、専用の織機を使って作る織物である。
様々な色や素材の色があり、模様にルールはない。
好きなように好きな色で織っていいらしい。

 
 
私の入職した施設には、さをり部屋と呼ばれる部屋があった。
そこにはさをり織りの織機が三つと、様々な糸が置かれた棚、織り終わった布がしまわれたタンスがあった。
普段は空き部屋だが、月に一度、さをり織りの日だけその部屋は賑わう。

 
私の職場では、三種類クラブ活動を行っていた。
音楽療法、パドル体操、さをり織りである。
それぞれ外部から有償ボランティアの先生がいらっしゃり
利用者に色々教えてくれた。
クラブ活動は同じ日に行わないので
全て参加する利用者もいるし
好きなものだけ参加する利用者もいるし
全く参加しない利用者もいた。

参加は任意であった。

 
 
私が社会人一年目の頃、それぞれのクラブ活動をそれぞれ別の職員が担当していたが
私が働き出したことにより、全クラブ活動を私が担当することになった。

いくらなんでも新人に押しつけすぎじゃないか……と後になって思ったが
当時の私はき真面目で、言われるままに「はい、わかりました。」と、仕事を任されることに喜びを感じた。
人はこうして社畜として育てられる。

 
 
クラブ活動担当職員は
先生に支払うお金を事務職員に準備していただくよう声をかけ
クラブ活動日誌を記入する。
活動したい利用者を活動場所まで誘導し、ボランティアの先生の補佐及び利用者支援を行う。

先生が帰る前にお礼のお金を支払い、次回活動日の調整を行う。

 
そういった、役目があった。

 
 
クラブ活動の中で一番参加人数が少なく、また特殊なものがさをり織りであった。

音楽療法とパドル体操は一時間だけ広い部屋でみんなで行うが
さをり織りに関しては、一日通して行うクラブ活動であり、少人数交代制のクラブだった。

 
音楽療法とパドル体操は先生が一人しか来ないが、さをり織りの先生は二人来た。
都合がつかない時は一人だけでいらっしゃった。
二人とも、品のいい年配の女性だった。

 
 
先生はまず、さをり織りの織機に糸をかけて用意をしなければいけない。
用意でき次第、私は声をかけられ、利用者3名を指名して部屋に誘導する。

さをり織りの織機は三つしかないので
クラブ活動は3名ずつしかできない。
先生が隅で指編み等も指導するので、指編み希望の方はできるといえばできるが
指編みが好きだった利用者が退所してからは
指編み希望者がいないままだった。
興味を示す人はいても、実際やってみるとあまりの難しさに
あっという間に利用者はリタイアした。

 
 
さをり織りは興味を持つ利用者が限られていた。
そして、できる人も限られていた。

だから、一定時間で利用者交代制なのだが
場合によっては特定の利用者が一日中やり続けた。

 
音楽療法もパドル体操も音楽やみんなの声で賑やかな時間だが
さをり織りの時間はひたすらに穏やかな時間である。
織機の音だけがささやかに響く。

さをり織りの部屋は平和そのものだった。

 
 
さをり織りの織機や糸は先生からの寄付らしいが
織り終わった布は買い取り式であった。
利用者が織った布は、買いたい人が先生にお金を支払う。

さをり織りの布は独特な色合いが見事で、とても素敵である。
だが、織機や糸や布はかなり高い。

 
ある日、片麻痺の車椅子の利用者Aさんが見事なストールを完成させた。
毎日下ネタを言ったり、物事にやる気がない利用者だったが
さをり織りは性に合うらしく、利用者の中で一番美しい仕上がりだった。

 
通常は一枚の布を完成させるまでに様々な利用者が携わるが
その布は完成度が高い為、その利用者が専属で完成させた。

私「Aさん、買っちゃえば?奥さんにプレゼントしちゃいなよ。」

布の価値を知らない私は軽々しく言った。

 
さをり織りの先生「このストールはね…8000円ね。」

 
私「8000円!?」

 
さをり織りの先生「糸が高いからね。大きい作品だと、グラムが重くなるから高いのよ。
さをり織りの服は万単位が普通だしね。」

 
私「先生の服、万単位なんですか!?」

 
私は目をシロクロさせた。
先生は大抵、さをり織りの何かをコーディネートに取り入れていた。

なるほど、布の買い手がいなく、施設に布がたまる一方なわけだ。

 
Aさんは生活保護で暮らしていた。

さをり織りに参加している利用者は毎月の工賃が一万円以下だった。
障害者年金をもらっているにしても、毎月の収入は一人10万以下であり
大半が金銭管理を家族がしていた。

 
一枚数千円~万単位の布を、そうそう買ってはいられないだろう。

 
 
 
私が働き出す前からあった、クラブ活動のさをり織りだ。
クラブ活動をすればするほど、布は着々とたまっていった。

「あのたまったさをり織りの布を、どうにかしなさい!みっともない!」

上は、上司を叱りつけた。

 
 
叱りつけられた上司は、試しに手芸本を買って、一番簡単なコースターとポケットティッシュ入れを作った。

確かコースターが一枚400円、ポケットティッシュ入れが1個600円くらいだった。

 
高い………

 
布自体は美しいし、作品自体はいいのだ。
だが、正直、高い。
あくまで、上司の手間賃は上乗せしていない。
それでこの値段なのだ。
唯一無二という良さがあるさをり織りだが
なんせ高すぎて買い手がいない。

 
コースターとポケットティッシュ入れは事務所で販売したが、なかなか書い手はつかなかった。
ほとんどを職員が買った。立場上、買うしかなかった。
これでは何も意味がなかった。

 
上司がさをり織りを商品作りをしている間は個室で長々と行っていた為
現場は人手不足になった。
利用者で、製品加工できる人はいない。
製品加工をしても、高すぎて職員以外買わない。

 
暗礁に乗り上げた。

 
上司は製品加工をすぐに辞めた。
上司も私と同じ気持ちだったのだろう。

 
 
上司は次の作戦に出た。

布を会議室にインテリアのように飾り、外部のお客様に見せることにした。
加工しない布自体を買ってもらおうと思ったのだ。

 
なるほど、会議室に飾ることにより
外部の方々はさをり織りに興味を示した。
施設でさをり織りをしていることとさをり織りの布があることを簡単にPRできた。

 
だが、やはり値段が引っ掛かった。

 
なんせストールサイズで8000円だ。
布自体に興味を示した人は値段で顔色を変えた。

 
さをり織りの布はやはり、なかなか売れなかった。

 
 
私と上司は、次の作戦としてSNSを活用してPRした。
だが、やはり売れなかった。

 
 
売れない間も布はどんどんたまっていった。

福祉施設あるあるである。
利用者が作る自社製品はなかなか売れず、倉庫にたまる一方だったり
加工が大変で職員が残業するというのは
自社製品を作る施設の課題の一つであった。

 
 
 
そんな状態が数年続き、ついに転機が訪れた。
アフリカンダンサーとの出会いである。

 
施設の行事のゲストに、アフリカンダンサーの方々が来ることになった。

アフリカンダンサーの方の格好は上下黒のピタッとした服の上に、ジャラジャラアクセサリーをつけ、派手な柄物の腰布を巻いたり、頭に巻くというスタイルだった。
腰布の模様は、さをり織りの雰囲気に近い。

 
これは……いけるんじゃないか?

 
行事を盛り上げるべくアフリカンダンスをする方々に、私や上司はさをり織りの布見本を見せた。
観客をやっている場合ではない。
営業に走ったのだ。

やはり食いつきがよかった。
布は衣裳に使える為、一部買い取り手が見つかった。

 
まさかアフリカと福祉施設がこんなところで繋がるとは思っていなかった。
人生とはどこでどうなるかは分からない。
アフリカ、万歳。

 
 
 
さて、売ったとは言っても在庫はまだまだある。

そんな時に私はくるみボタンに目をつけた。
くるみボタン制作キットは100円ショップにたくさん売っていたし、利用者もこれならできると思ったのだ。

 
実際、地域の行事では特別支援学校や他施設が作ったくるみボタンや、くるみボタンを使った髪ゴムが売られていた。

ポケットティッシュ入れやコースター作りより
くるみボタン(やその製品)の方が簡単だ。
利用者もある程度できるし、職員の手間も減る。

 
試しに、余暇活動時間にくるみボタン制作を試してみた。

だが、さをり織りの布はなかなか固く、想像以上に利用者は手こずった。
ただの布ならば薄いからやりやすかったが、さをり織りの布は加工にも手間取った。

 
職員が試作品で作ったさをり織りのくるみボタンはとてもキレイだったし
ゴムを通せば髪ゴムになるが
後ろに画鋲をつければ、かわいい画鋲が作れることもわかった。

 
一部の利用者しかくるみボタン制作に関われなかったが
余暇活動の一つとして、空き時間にコツコツ作ることにした。
納期はないし、布はたくさんあるので地道にやればよかった。

 
 
ところがそんな時、思いがけない話が入る。

保護者会で全布を買い取り、全て製品に加工して売るという発案があったのだ。

もともと、くるみボタン制作は利用者一人だけではできないし
職員の手は取られる。
仕事はいくらでもある中、あえてくるみボタン制作をしていたのだ。
上から、さをり織りの在庫をどうにかするように命じられて始めたことだ。

 
保護者会が全布を買い取ると言っている以上、私達は何も言えなかった。

 
くるみボタン制作はわずか一ヶ月で打ち切りになり、さをり織りの布はこうして保護者会に全て買い取られ、加工製品にされた。

 
 
さすが保護者会である。

さをり織りの布は筆箱やメガネケース、コースター、ポケットティッシュ入れ、小物入れ、バッグ等
様々な商品が瞬く間にできあがった。

 
さをり織りの布が入ったタンスは空っぽになった。

 
 
保護者会が作った製品は行事の際に売られて見事完売した。

保護者会様々と私は感謝の気持ちでいっぱいだったが
売上金を全て施設に渡す派と、制作に関わった保護者役員と施設に折半したい派で
保護者会は揉めたらしく
私は双方の保護者から内密に相談され、板挟みになった。

 
個人的には「布を全て処分する」というのが上からの命令であり
職員と利用者ではなかなか業務中にどうにかするのは厳しかった為
保護者会に感謝しかないのだ。
長年ネチネチ言われていた悩みの種を解決してくれた以上
こちらとしてはお金はどちらでもよかった。
保護者会のみんなで決めてください、としか言いようがなかった。

 
何かを始めれば、何かしら問題が起きる。

利用者が楽しい余暇活動として始めたクラブ活動は
こうして職員や保護者会に一石を投じる結果になった。

 
 
結局話し合いの末、売上金の半額を施設に寄付してくれたわけだが
その件で保護者会役員は決裂したらしく
次の年から保護者会参加率が下がるという結果になった。

人間関係はなかなかに難しい。 

 
 
 
さをり織りの布が全てさばけた後
さをり織りの部屋をリフォームした。
それがきっかけで
さをり織りのクラブ活動がなくなることに決まった。

むしろリフォームが決まっていた為
在庫処分を上が急かしていたという背景があった。

 
さをり織りの織機は置き場所がなくなるため、欲しい方に寄付し
高価なさをり織りの糸は
全て先生が持ち帰った。

 
 
私が入職する前はクラブ活動は五種類あったらしいが
社会人8年目の頃にはさをり織りが終わりを告げ
パドル体操もその前に終わりを告げていた為
クラブ活動は音楽療法のみとなった。

 
学校から行事が消えたり、簡略化や短縮により
授業に特化する時代になったように
福祉施設も作業に特化する時代へと変わっていった。
クラブ活動や余暇活動、行事は次々になくなっていき
作業効率を上げなければいけなくなった。

それが、国の方針だからだ。

毎年、前年よりも作業工賃を上げないと
施設は補助金を減らされる制度があった。

 
 
作業は利用者のやりがいであることは間違いない。
だが、余暇活動や行事が利用者の楽しみであることも確かなのだ。

利用者の人権が叫ばれ
年々利用する利用者の障がいが重くなっていった。

重度の利用者でも作業をやらせてほしいと要望は強くなっていった。

施設は受け入れるしかなく
人手不足の中、作業支援と生活支援に追われ
利用者にとって一番何が大切なのか
職員は常に自問自答になった。

 
利用者ファーストにしようとすればするほど
サービス残業や休日出勤は増えていく悪循環に陥った。

 
福祉事業は慈善事業ではない。
あくまで、経営で運営でビジネスだ。

 
「利用者の笑顔を増やしたい。」
「利用者のできることを増やしたい。」

その気持ちに嘘はないけれど
時代と自分の力量と施設のやり方と他の職員や仕事との兼ね合いで
施設の動きは年々変化をせざるを得なかった。

 
 
 
私は11年勤めた職場を、退職した。

 
 
 
 
 
 
先日、他施設を見学に行った。
大手施設であり、その施設では様々な取り組みを行っていた。

コロナ前は海外旅行に利用者と職員で行っていたらしい。
かなりアグレッシブな施設だと思った。

様々な製品を作ったり、様々な作業をし
活き活きと働く利用者を見ていると
私は気持ちが明るくなり、前向きになった。

 
福祉業界で、年々制度が厳しくなっても、人手不足が叫ばれていても
こうしてよりよいサービスを目指して実践している施設はある。

それを知れただけでも、大きな発見で収穫だった。
世界は、広い。

 
その施設では、さをり織りを利用者がやっていた。
みんなが手慣れた手つきで
穏やかににこやかにさをり織りを作っていた。

私「これ、さをり織りですね。」

 
職員「ご存じですか?」

 
私「…昔、少しだけやっていました。」

 
私はさをり織りを手に取り、ジッと見つめた。

 
やはり売られている加工製品は高い。
私の前職で売っていた製品と値段は大差ない。

施設で販売している製品が月どのくらい売れるかが
密かに気になった。

利用者はただ黙々と、ただ黙々とさをり織りをしていた。

 
 
自分のできることを増やし、自分のできることを仕事にできたらどんなに素晴らしいだろう。
自分で何かを行い、お金を稼げたら
それはやりがいやいきがいに繋がる。

 
障がい者福祉施設の職員は、ただ介護をやればいいだけの仕事じゃない。

利用者ができる仕事を探したり
利用者ができる仕事を提案したり
利用者ができるように自助具等も作製する。

生活支援をしつつも
作業支援をして納期に間に合わせなければいけない。
ナマモノを扱う仕事は賞味期限切れの問題があるから在庫処分しなくてすむように頑張らなければいけないし
賞味期限がない製品は、売れ残りがないように、様々な機会に売り込みが必要になる。

 
 
見ている分には美しいさをり織りに、私は色々なことを学んだ。

さをり織りの布が美しければ美しいほど
障がい者がお金を稼ぐ厳しさを感じる。


  









 




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