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思いがけない「おかえりなさい」

中学への入学を機に自転車を買い替えた。
今まではライムグリーンの自転車に乗っていたが、通学用に紺色の自転車に買い替えた。

自転車前方にはかごがついていて、ギアや鍵が備え付けられていた。後ろの荷台に荷物をくくりつけることも可能だ。
機能の進化、色合いから大人に近づいたことを実感した。
姉の自転車も同じお店で買った。
昔からある自転車屋さんだ。おじさんとは顔馴染みで、優しいその笑みが印象的だった。

 
どこに行くにも自転車がないと不便な田舎だ。
車の免許もお金も持っていない中学時代、自転車は大活躍であった。
片道40分くらいなら友達と自転車を漕いで目的地へ行った。
中学校の周りは風の通り道だったから、中学校三年間そこに行くだけでだいぶ自転車筋は鍛えられただろう。

 
 
高校の進学を機に、私は自転車二台持ちになった。

自宅から最寄り駅まで自転車Aで行き、電車に乗って某駅に着いたら、自転車Bに乗って高校を目指すことになった。
自転車Aは自宅に余っていたワインレッドのギアなし自転車で、自転車Bは中学入学の時に買った自転車だ。

バス通学も考えたが、駐輪場代金と比較するとバス定期代は非常に高かった。
まして私は本命高校に落ちて私立高校に行く身の為、学費がべらぼうに高い。
電車定期代、駐輪場自転車A、Bの代金だけで、当時の私はめまいがしそうな金額だった。
親からお金を預かり、それを定期的に支払うたびに罪悪感を感じた。
本命高校に受かっていれば、この何分の一の負担で済んだだろう、と。
だから私は自転車Bの駐輪場は一番安いところに即決した。
私は月3000円で三階エリアの隅だった。
三階建ての駐輪場は階が上がるほどに月1000円の違いがあった。
つまり、二階は月4000円、一階は月5000円だ。

  
高校入学前に、親友と自宅から某駅まで自転車Bを漕いで運ぶことにした。
親友とは高校は異なるが、高校までの交通手段は同じだし、高校同士は比較的近かった。
自転車を購入した際は軽トラでお店の人が自宅まで運んでくれたが、自家用車に自転車は乗らない。

親友と軽い気持ちで自転車を漕ぎ出し、最初こそ笑っていたが
段々と口数が減っていった。
想像以上に某駅は遠かった。遠かったのである。
引くに引けない戦いに挑んでしまった。だけど、軽トラがない以上お互いに漕ぐしかないのだ。

一時間以上かけて私達は目的地へ到着した。
体はズタボロだった。
初めての長距離、しかも初めての道ばかりを通り、明らかにレベルは上がった。
私達は確かな達成感を感じたのだ。

 
 
本当の戦いはここからである。
高校に入学してからに備えるべくして、私はレベルを上げていったのだと痛感した。

 
東京の電車事情と異なり、田舎の電車の本数は限られている。
某駅は私の県の県庁所在地がある市で、県内で一番高校が多かった都市である。
東京とは異なり、路線はそんなにない。
高校が異なれど、始業時間は同じだ。

つまり、違う高校だろうがなんだろうが、みんながとる行動は同じということだ。

 
 
私は毎朝7時に家を出て駅に向かった。
当時は朝早く起きることが苦手で、しかも朝ご飯は食べられない人だった。
朝早く起きて手早に支度しただけで私は小さな達成感を感じてしまう。
 
自転車Aで最寄り駅へ向かうと、同じく同様の目的の高校生が駐輪場へ次から次へと足早にやってくる。
電車は満員だ。田舎なのに満員でみんなが立っている。
電車で座れないということを私は高校に入学してから初めて体験した。

某駅に着いてからは更に戦場だった。

まず、駅に着いた途端にみんなが階段を駆け上がった。そしてそのままの勢いで改札を通り、駐輪場まで走った。
最初はその殺気立った意味が分からなかった。
人の流れに身を任せて歩いた。
駅から駐輪場まで続く近道は細道で横幅二人分しかなかった。
だから皆はいち早くここを目指したのだとここまで来てようやく理解した。
そして駐輪場に着いてから私は愕然とした。

駐輪場が渋滞していた。

今まで地元の小さな駐輪場しか使ったことがなかった私は三階建ての駐輪場を本当の意味で理解していなかった。
螺旋階段を上り、自分の自転車まで辿り着いたらさぁ自転車を漕ぐよ!とはならないのだ。
駐輪場は大渋滞で出口から離れた場所まで東西南北から長蛇の列ができていた。
駐輪場は出口と入口がそれぞれ専用に分かれていた為、入口から螺旋階段を上った時は状況把握には至らなかったのだ。

私と親友は呆気にとられた。
こ、これは一体…。

駐輪場から脱出するまでに15分程かかってしまった。
先輩方が走ったのはこの為だったし、1階の人がそれだけ月額料金が違う理由が骨身に染みた。

 
さて、脱出してからは別の戦いになる。
自転車を漕いで目指すは各自の高校である。
最初はルートが分からず、王道な道を走っていたが
やがて皆が独自のルートで先回りをしていることを知った。
私も朝や帰りの時間を使い、研究に研究を重ねた。
どの道がライバルや信号機が少なく、また休憩ポイントがあるかを調べて実践した。

某駅から高校までは自転車で30分。
このルート選びがキモとなる。

私の高校は一学年1000人のマンモス校だった為、指定された駐輪場がだだっ広く、また校門までが遠かった。
駐輪場に自転車を停め、校門まで着くのに徒歩10分は見た方がいい。
そしてそこからがまた戦いだった。
校門から校舎がまた遠く、自分の教室がまた遠いのだ。
校舎はいくつもに分かれていた。 

私は一年生の時、三階の教室だった。

中学校一年生の頃も私の教室は三階だったのだが
中学校と高校では校舎の規模が違いすぎる。
なんせ中学校は学年100人足らずだ。

そんなこんなで自宅を出てから教室に辿り着くまでの交通手段は正式には

自宅→自転車A→電車→走る→自転車B→走る→教室

が正しかった。
ここに教科書や辞書等荷物5kgが加わった。
花のJKどころではない。
息が上がり、顔が赤くなり、髪がボサボサになり、汗だらけだ。
恋の予感の一つもない。食パンをかじるくらいなら足を動かせの口だ。

もし本命高校に受かっていれば、学費が安かっただけでなく
自宅から10分という近さだった。

勝負に負けた敗者というのはこういうことだと痛感した。
私は高校を卒業するまでの三年間、朝から運動部なみの動きを強いられることになる。

 
 
段々とその朝のハードな動きに慣れてきた頃、次は別の戦いが待っていた。

自転車泥棒である。

私の高校はとにかく自転車泥棒が後を絶えなかった。
高校入学を機に私は鍵を二つつけていたし、それは周りの人も同じだった。

友人は一年で自転車を三回盗まれた。鍵を三つつけても、自転車に大々的に名前を書いてもなお盗まれた。特別高級な自転車だったわけではない。
同じ高校だった親戚も三年間に三回盗まれた。こちらも鍵をつけていたし、特別高級だったわけではないが盗まれた。
 
朝は運動部なみのハードな戦い、授業は進学校故に鬼のような授業の速さで一日が濃すぎた状態で
さぁ早く帰って予習と宿題をやらなきゃな…という私達を容赦なく無差別に狙った、自転車泥棒。

「私の自転車がない!」

友人やクラスメートのその悲嘆を目の当たりにして、私はどうすることもできなかった。  
駐輪場はいくつかあったが、どこの駐輪場でも自転車盗難は勃発した。
自転車は入り口そばのものが盗まれるわけでも、高級なものが盗まれるわけでも、鍵がついていないものが盗まれるわけでもない。

分かっているのは平日昼間に盗まれ、盗まれた自転車はまず見つからないということだ。

私は悲しむ友人や怒る友人を何人も見てきたし、私も帰り際自転車がなくなっていたらどうしようといつも不安だった。
駐輪場に行って自分の自転車を見ては毎日安堵した。

 
私の自転車は高校三年間盗まれることはなかった。

それで私はどこかで油断していたのだろう。

 
 
高校を卒業し、私は大学生になった。

大学までは自転車で駅まで行き、電車で大学最寄り駅まで移動したら徒歩で行く、という交通手段だった。
あの体育会系な戦場は高校と共に卒業できて本当によかった。

私は中学時代の自転車で自宅近くの駅まで向かった。
高校時代使っている駐輪場は管理人の人の目が厳しくて色々言われたことから、大学入学を機にもっとフランクな管理人の別の駐輪場を使うようになった。
今にして思えばあの厳しさ故に盗難されずに済んでいたのだろうが、私はそれをまだ知らずにいた。

 
 
大学二年生の5月だった。

いつものように講義を終えて駐輪場に戻ってきた時、私は事態が把握できなかった。

自転車が、ない…

あれ?私はここに朝自転車を停めたよな?歩きで来た?いや、んなわけない。毎朝雨だろうが自転車だろうがお前は。
え?じゃあなんでないの?誰かに寄せられた?あれ?あれ?あれ?

混乱しながら私は駐輪場をぐるぐる回りながら自転車を探した。
私のかわいい自転車ちゃん。どこに行ったの自転車ちゃん。
探した。探して探して何度も自転車を見た。
だけどない。確かにないのだ。
管理人さんに藁にもすがる思いで半泣きで問い合わせたが、自転車を寄せてはいないという。

盗まれたんだ………

私はその事実に打ちひしがれて、トボトボと自宅まで歩いた。
特別高級品でもなく、新品でもなくて、傷もあるあの自転車がまさか盗まれるなんて。
あの自転車泥棒がうごめいていた高校時代を無事に生き抜いたのに、まさかこんな田舎で盗まれるなんて。
私は自分の身には起きないとタカをくくっていたのだ。
その日私は寝坊し、意識的に鍵は一カ所しかかけなかった。
それもまた災いしたのだろう。
ものぐさがらずに、二カ所鍵をかけていればよかった。

私は家族に泣きながら自転車が盗まれたことを伝えた。
正直に、鍵を一つしかかけなかった自分の落ち度も話した。
家族は私を責めなかった。
ただ「警察に届けるか?」と尋ねた。

だから私は「…届けなくていい。もう無理だよ。」と伝えた。

友人や親戚が学校や警察に届けても盗まれた自転車が戻ってこなかったことを私は知っていた。
まして私は鍵を一つしかかけなかった。
完全なる私の落ち度だ。
一番悪いのは盗んだ人なのだろうが
鍵を二つかけていたら防げたかもしれないのに、油断した私が全て悪いように思えて仕方なかった。
もし警察に話したら「鍵はつけていましたか?」と聞かれて責められそうで怖かった。

だから私はワインレッドの予備の自転車で再び通学することになった。
我が家から駅まではたいした距離ではなかったし、ギアがついていない自転車でも何も問題はなかった。
鍵は必ず二つつけるようにした。
もう盗まれたくない。

 
 
それから半年が経ったある日のことだ。
家の電話が鳴り響いた。
受話器をとったのは父親だった。相手は警察で私宛てに電話だという。

「け、警察!?なんで!?」

私、何かしたっけ?
悪いことが何かバレた?落ちていたお金を拾っちゃったこととか?
法に触れることはしていないつもりだけど、何か引っ掛かっていたのかな?
え?あれ?え?

保留音が鳴り響く中、色々な思いが頭の中を駆け巡り、息を整えてから私は電話に出た。

「真咲ともかさんですか?○○署の△△です。●●●にともかさんの物と思われる自転車が放置されていたのでお電話しました。特徴は紺色で(以下略)」

………え?

 
それはまさかの、盗まれた自転車が見つかったという電話だった。
どうやら自転車登録ナンバーから私の物だと特定されたらしい。
明らかに乗り捨てられた形で放置されていたらしく、警察の方が親切に電話をしてくれたのだ。
 
私はそこで正直に、駅そばの駐輪場で半年前に盗まれたこと、鍵を一つしかつけなかった負い目から盗難届けは出さなかったことを伝えた。

その警察官の方は責めるどころか「見つかってよかったですね!今からご自宅にお届けします。」と伝えてくれた。

 
え?警察が今から自宅に来るの!?

 
私はまたも慌てた。
警察から電話だけではなく、自宅に来るとは。
初めてのことだった。

 
 
受話器を置いてから一時間も経たない内に警察の方が自転車を届けてくれた。

それは一目で私の自転車だと分かった。

大きな損傷はなく、諦めていただけに思いがけない再会に私は泣きながら「鍵かけなくてごめんよ…。おかえり…。」と自転車に伝えた。
泣きながら笑った。夢みたいだ。

家族一同、警察の方に頭を下げた。
警察の方は爽やかな笑顔で去っていった。
警察は怖いものと恐れていたけれど、担当の方は優しく、親しみを込めた笑顔を見せてくれた。

 
探していた自転車があったのは我が家からたいして離れていない地区だった。
親友の家の近くで、私もよく行っていた場所だった。
灯台下暗し。
まさかこんなに近くにあったなんて。
 
私はその日いつまでもいつまでも自転車のことで頭がいっぱいだった。

 
 
私の田舎では18歳になったら自動車免許を取得し、一人一台車を持っているのが当たり前だ。
私は大学入学前に免許を取得し、自家用車を所有していたが
大学が自転車と電車通学であること、また運転に自信がないことから
週に数える程、短距離しか車を運転しなかった。
自転車での移動を好んでいた。


だがやがて車に慣れてくると、ちょっとコンビニに行くだけでも車を頼るようになり
自転車がパンクしたことも重なり
私は自転車に乗らない大人へとなっていった。

 
 
 
 
去年久しぶりに友達とサイクリングをした。
緑の中を話しながら漕いだ。
自転車を漕ぐごとに爽やかな風と陽射しを感じながら、やっぱり自転車は気持ちいいなぁと私の顔は綻んだ。

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