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もしも日露戦争に負けていたら日本は植民地になっていた?

明治38年(1905)極東の小さな島国・日本が大国ロシアに勝利し、世界に衝撃をもって伝えられました。

皆さんご存じの日露戦争です。

凍らない港を求めて朝鮮半島進出を狙うロシアと、半島がロシア領になったら日本の安全の脅威となるために阻止したい日本の戦争は、単なる日本の安全のための戦いにとどまらず、世界の大きな転換につながる戦争でした。

さて、この日露戦争でよく言われることの1つが

「ロシアに負けていたら日本はロシアの植民地になっていた」

です。

ですが、実際に植民地になっていたかというと、そうならなかったと思います。

一番の大きな理由は、当時のロシアに日本を植民地にして運営するだけの余力がなかったからです。

そもそも、ロシアがルーズベルトの仲介でポーツマス条約を締結したのは、ロシアのバルチック艦隊の壊滅や旅順要塞の陥落など軍事的な打撃の大きさ、戦争による財政難、それに伴う社会不安の増大があったからです。

そんな状況で日本の植民地化と運営はとうてい不可能です。

そして、この時の日本は、近代国家として国際社会で、ある程度の地位を築いていました。

この状況で日本を植民地にするなどと言い出したら、同盟を結んでいたイギリスや仲介をしたアメリカなどがとうてい許すはずはありません。
それに日本も財政的に戦争継続は限界でしたが陸海軍は健在ですし反発は必至です。

歴史にifはありませんが、仮にロシアが勝ったとしても領土の一部割譲や賠償金で終わっていたと思います。

しかし、歴史的な結果として、日露戦争での勝利者は日本であり、ロシアは敗北を喫したのでした。

そして、世界は大きく変わることになったのでした。

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