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鮭おにぎりと海 #13

<前回のストーリー>

「あ、試食の人。」

思わず、という感じで私は無意識下に彼のことをそう呼んでいた。実際にそれが口に出てしまった。忘れもしない半年ほど前に、彼は私が働いているスーパーに、あろうことか白昼堂々と試食巡りをしにきた不届き者だったのである。まさか、同じ大学に通っているとは思わなかった。

彼は、半年前にスーパーに来た時よりはずいぶん顔ツヤが良くなっているようだった。その時の彼の狼狽ぶりと来たら。何やら思春期の女の子並みに頬を赤く染めていた。それは恥ずかしさからくるものなのか、それとも別の何かか。固まったままわたし達は数秒間を共にした。

その瞬間が過ぎ去った後、突如わたしは自分が片方のピアスをなくしてしまったことに思い立った。すぐに我に返った後に、「ちょうど今、わたしはピアスをなくしました。途中で見かけませんでしたか?」といった言葉を口にした。

彼はその言葉によりようやく体の硬直が解けたらしく、「あ、あー見ませんでしたね」と口を少しモゴモゴさせながら喋った。見た目とは裏腹に、ちょっとかすれたようなハスキー声でちょっと意外だった。

わたしは、試食のことは黙ってあげますから、という思いを込めた視線を彼に投げかけた。その思いが通じたかどうかわからないが、「ちょっと来た道探してみましょうか。」と先ほどよりは少し落ち着いた声で喋るのだった。

彼はどうやら次の授業があるようだったが、せっかくなのでピアス探しを手伝ってもらうことにした。下を向きながら、二人してよろよろと歩く姿はさぞかし他の学生たちから見たら頭のおかしい人たちに映ったことだろう。

「今日学校に来た時は、確かにあったんですか?」「うん、間違いなくもう片方の耳たぶにくっついていたのよ。耳をなんとなく触った時には確かな感触があったもの。」その日の朝、何だかいつもより柔らかい風が吹いているな、と思って目を閉じたときの光景が頭に浮かんできた。「ところでどんな形のピアスでしたっけ?」「星型のピアスなの。わたしのお気に入りで、なくなったら困る」

実際にそうだった。そのピアスは、わたしの母が大学入学祝いとして買ってくれたものだった。金色の星の形をしたシンプルなピアス。わたしは毎日このピアスをつけることが習慣の一つになっていて、身につけるだけでなんだか気持ちが引き締まった。これだけは絶対になくすことができない。

わたしたちは、不自然な体勢のまま歩き回った。道行くすがらすれ違った人にも声をかけて、まるで指名手配犯を探している警察のごとく必死になって星型のピアスを見ていないかを尋ねた。そんな風に探し歩いた結果、20分後くらいになってようやく古びたのっぽの校舎の前で、鈍く光る星型のピアスの存在を認めることができたのだ。

やっと見つけることができて、ひと心地ついた。すると、どういうわけだかお腹がすいてきた。そういった訳で、手伝ってもらったお礼も兼ねて試食の彼を学生食堂に誘った。


わたしはおにぎりと天そばセット。今日のおにぎりの具材はなんとわたしの大好きな鮭だった。なんだか良いことが起こりそう。対して彼が注文したのは、学生食堂で一番安くてボリュームのあるカレーだった。具材がほとんど溶けてわからなくなっている代わりに、カレーのルーは大量にご飯の上にかけられている。

学生食堂は、ランチにはまだ早いためか、学生の姿はまばらだった。心なしか、食堂のおばちゃんたちも暇を持て余しているような雰囲気がある。

彼の名は、「とだせいすい」という名前だった。「生粋(きっすい)」という漢字で、「せいすい」という名前だそうだ。わたしがこれまで生きてきた中で初めて見た名前だったので、妙に新鮮な気持ちになった。

最初こそどこか浮浪者然としていた感じだったので警戒していたのだが、思いの外喋ってみると柔らかい笑みが印象の、落ち着いた雰囲気の男の子だった。ミッション系の大学ということもあって全体的に大人しめの男の子が多いこの大学では、割とスタンダードなタイプかもしれない。

最初はどこか幼い感じだったのだが、いざ対面で喋ってみると普通に大学生という感じの年恰好だった。聞いてみると、今現在経済学部に所属しているそうだ。

「今もそうだけど、けっこうお金に困った期間が長くて。少しでもお金にまつわることを理解したいと思ったんだ」

ちょっと皮肉を込めた感じで彼は言う。そのあと軽く話しをして別れたのだが、それ以後、大学の中で彼を度々見かけてその度に軽く話をした。

出会う前までは彼の存在が全く入ってこなかったのに、不思議な気がした。何がきっかけで交流が広がるのか、わからないものだ。

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