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鮭おにぎりと海 #66

<前回のストーリー>

「こんにちは、ヤナセさん。」

「おお、生粋くんだね。懲りずにまた来たのかい。」

にっこりとヤナセさんは微笑んだ。見た目は完全におじいさんだが、どこか少年を思わせるような愛嬌がある。

「はい、昨日の話のその後がとても気になってしまって。あまりぐっすり眠れませんでした。」

ヤナセさんは僕に顔を向けると、ほんの少し困ったような顔をして腰をトントンと叩いた。

「そうかそうか、どこまで話したかな。確か息子が出版社でパパラッチになったところまでだったよね。」

「はい、そうです。それで仕事をしている中で、出版社で出た記事が・・その、問題になったというところまでです。」

「おお、そうだったね、うん。それじゃ、そこからまた始めよう。」

おりしも自分が所属している出版社から出た雑誌の記事をきっかけにして、あわやひとりの女性の命を奪いそうになってしまった。その事実と直面したとき、息子は現実と自分の本来の理想との板挟みに苦しむ形となった。

それまではどちらかというと明るい性格だったのだが、それ以来塞ぎ込みがちになり、そして会社もしばらくいけなくなってしまった。当然この社会は働かざる者食うべからず、という風潮があるからね。会社も働かない息子に対して、最初こそは同調してくれたものの、しばらくして冷ややかな目で接するようになった。

息子としては、働きたいと思っても会社に行こうとするたび、何かに押さえつけられるかのように蒼い顔をして家へ戻ってくる。息子自身もついにいたたまれなくなって、結局そのまま会社を退職してしまった。

わかるかい、生粋くん?

道具は持つ人の力量によって、毒にもなるし薬にもなるんだよ。そこのところをよく理解しておかないと、後々苦しむことがあるかもしれない。息子は、写真の力でそれを見た誰かのことを救うことができると信じていた。私が写真館で幸せな人々をカメラに収めてきたように。

まあでも今だから思うけれども、たとえ息子が希望通り報道カメラマンになっていたとしても、きっと同じような壁にぶち当たっていたんじゃないかと思うんだ。

半年ほど、息子は家に引き篭もりがちになった。

僕も妻も、息子に対してどのように接すれば良いか分からなかった。まるで腫れ物を触るかのような接し方だと思う。そんなある日のこと、新しい年がやってきて20日ほど経った時に、関西でとても大きな地震があった。毎日のようにテレビでその時の様子が延々と流れていた。

ある時ずっと部屋に引きこもっていた息子が、目に鈍い光を湛えて血相を変えて飛び出してきたんだ。「このままでは、いけない。」とぶつぶつ呟いていた。息子の顔を見た時には、これまた衝撃的だったよ。妻と僕が寝静まった頃を見計らって風呂には入っていたようだがね。もう髭は伸び放題、髪もボサボサ、本当にどこの山に修行に行っていたんだというかんじ。

息子は突然とりも直さずバッグに簡単な荷物を詰め込んで出かけて行ったんだ。いやはや、本当に人は何がきっかけで息を吹き返すか分からないものだね。息子は毎日のように電気を消した部屋の中でテレビを見て、当時関西で起きた地震によって破壊された街並みを見てどうやら人知れず心を痛めていたらしい。

簡素な荷物を持って、現地へと赴いたらしい。しばらく家に帰ってこないと思ったら、ある時家に戻ってきて憑き物がとれたようなこざっぱりとした顔をしていたよ。自分が生きる意味をどうやら見出したらしい。

息子はパパラッチ時代は忙しくてまともにお金を使う暇がなかったらしく、だいぶ貯金があったらしい。会社員時代に貯めたそのお金を使って、突発的に息子は自転車を買った。

それから「少し旅に出る」と言って、止める間もなく悠々と出発して行ったよ。それからだいたい1年くらい経った頃かな、社会人になる前に見せた屈託ない笑顔で、家に帰ってきたよ。

ただ一言、「心配かけた。」と言ってな。

息つく間も無くヤナセさんはずっと喋り通しだった。こちらが心配になる程。全てを話し終えると、ヤナセさんはどこか嬉しそうな顔をしていた。

「そうだ、いいものを見せてあげよう。」

そう言ってヤナセさんは、僕の前で初めていつも持っている古びたカバンを開いたのだった。

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