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ものがたりの終着点

ようやく『鮭おにぎりと海』という中編小説を書き終わりました。

ちょうど10月1日から書き始めて、約3ヶ月弱。始まりと終わりのエピソードだけ頭の中に構想があって、半ば見切り発車のような形で話を進めました。最後のエピソードを書き終えた時、何か自分の中で達成感と、全てを消化しきれなかった未熟さとが同居して複雑な気持ちになりました。

何かが始まる前は、いつだってワクワクします。ところがいざ始まって次第にストーリーを練っていくと、ところどころ綻びが出てきたりして、そしてついには最後はどうやって収めたら良いのだろう、としばらく悩みました。最初書くときにエンディングをぼんやり頭の中で思い描いていたにも関わらず、です。最初から最後まできちんと形にするのって難しいな、と自問自答し続ける時間でした。

話は変わりますが、昨年の4月あたりから本格的にコロナが世間で蔓延し始めて、自分のこれまでの人生について回想するようになりました。果たして自分の中に何が残っているのだろう、他の人に対して伝えられるものはあるのだろうか。その思いを吐き出すかのように、半ば衝動的にnoteで書くことを始めました。

その上で、ふと言葉にしていく中で考えるわけです。今こうして自分が息をして生活をしている瞬間というのはどこにつながっているのか。もちろんそもそもその意味自体を見出すのさえおかしいという話もありますけど、どうせ生きているのであれば自分の頭の中にあるものを人に伝えることで、それが誰かに認められれば、自分自身のモチベーションにもなるし、誰かの心にも残る。

誰かに認められたい、と思う飽くなき欲求です。心理学的には、承認欲求といった言葉に置き換えられます。きっと、人が言葉という伝達手段を身につけた段階で、他の動物にないような、特殊な本能みたいなものが身に付いてしまったのかな、と最近考えるようになったのです。(でももしかしたら、ライオンのオスがメスに自分の存在を示すために狩りをするようなのかも。)

まだまだ他の方々のお眼鏡に叶うような文章をかけていないのがもどかしいどころですが、定期的に私の文章を読んでコメントしたり反応してくれたりする人もいて、それだけでももう文章を書いていてよかった、と思う近頃。

しばらくは他の人のnoteを読んで、文章のまとめかたについて勉強してみたいと思います。これまで80篇というそれなりに長い内容の物語を読んでいただいた方、本当に本当に本当にありがとうございました。またいつか自分の文章力と構成力が上達したな、という段階でまたなんらかの形で文字に起こしたいと思います。(noteの記事自体は、つらつらと無理ない感じで綴っていきます。)

かしこ

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