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鮭おにぎりと海 #64

<前回のストーリー>

あくる日の、公園でおじいさんと出会った時と同じ時間帯に公園へと向かった。おじいさんは、昨日見た時と全く同じ姿勢でその場に佇んでいた。公園の遊具と、長い柱の上に備え付けられた丸時計、おじいさんが座っているベンチ。全てがバランス良く配置されているかのようだった。おじいさんは、公園の空気に完全に溶け込んでいた。

おじいさんは、昨日と同じくどこか歴史を感じるくたびれた皮の鞄を横に携えていた。服は紺色のチョッキ、グレーのスラックスという出立ちだった。

「おお、君か。昨日に引き続き早速来るとは思わなんだ。そういえば昨日聞き忘れてしまったが、君の名前はなんだったかな。」

「トダセイスイという名前です。戸口の戸、田んぼの田、セイスイは生粋という漢字を音読みしてセイスイと読みます。」

「ふむ、セイスイくんか。生粋と書いてセイスイと読むなんて、なかなか粋な名前を君の両親もつけたもんだね。」

おじいさんは、ニヤリと笑う。自分では上手いことを言ったつもりなんだろう。反応しないのも申し訳ないので、曖昧にうなずいておいた。

「おじいさんの名前はなんて言うんですか?」

「ヤナセと言うんだ。よろしく頼むよ。」

「ヤナセさんですね。改めてよろしくお願いします。それでヤナセさん、早速ですけど、昨日の続きを聞きたいです。」

僕は、昨日と同じようにおじいさんの座っている横に、静かに座る。

「はて、昨日はどこまで話したかな。写真館を知り合いから譲り受けたところでよかったかな。」

「はい、そうです。」

「ふむ。ではちょっとそこから始めよう。しばらくはね、あっという間に時間が過ぎていった。覚えることが、とにかくたくさんあった。写真の技術はもちろんのこと、接客についても全く知識がなかったから大変だったよ。そこら辺は僕の妻が、トキエと言うんだけどね、本当によく働いてくれた。」

ヤナセさんは、カバンからペットボトルを取り出す。どこにでも見かける、薄緑色のラベルが巻かれたお茶だ。一口飲んでふうと一息つく。

「しばらくすると軌道に乗ってきた。地方の人たちも、付き合いでよく利用してくれるようになった。日本の好景気も後押しして、何百人と言う人たちの写真を撮った。だいたい写真を撮るときは、人々が一番幸せな瞬間をファインダーに収める時だったからね。撮影している側としても本当に楽しかった。」

「なんていうか・・素敵な瞬間ですね。」

「うん、そうなんだ。でもそれでもいつもいつも幸せな瞬間を撮れるわけではなくてね。時々、暗い顔して写真館にやってくる人も中にはいた。今でも忘れられないのが、まだ中学生くらいの女の子が写真館を訪れた時のことだ。なんの前触れもなくふらりと写真館へ来て、写真を撮って欲しいと言うんだよ。そして彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。」

「暗い顔、ですか。写真を撮るにしてはなんだか珍しいですね。」

「そうだろう。なんで写真を撮ってもらいたいんだい、と聞くとこれがもしかしたら家族で過ごす最後の日かもしれないから、と言うんだ。女の子に話を促すと、両親が離婚して父親とは別々に暮らすことになるから、と。彼女は最後に家族が揃った光景を、記念の収めたかったらしいんだよね。」

「家族が揃った姿、ですか。」

突然好きな人ができたと言って出て行ってしまった母親のことを思い出した。胸がちくりと痛む。

「うん、そうなんだよ。僕がどうしようか迷っていると、次の日その女の子は自分の父親と母親を連れてきた。なんとかして親を説得したらしい。その時の彼女の親の狼狽ぶりときたら。それでも不思議とカメラを向けると、形だけでもその二人の親はにこりと微笑むんだよね。カメラとはなんと不思議な道具だと思ったよ。」

「そうですね、でも確かにその瞬間だけはその女の子とそのご両親は幸せだったんじゃないですか。」

「うん、そうだね。でも結局カメラによって二人の関係を修復することはできなかった。女の子の両親は最終的に別れて、女の子は母親に引き取られた。」

ヤナセさんは、少し寂しそうな顔をした。

「そしてもう一つ。決定的にカメラの恐ろしさを感じたことがあった。」

それから訥々と、ヤナセさんは言葉をまたゆっくりと吐き出すように、喋るのだった。

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