見出し画像

鮭おにぎりと海 #61

<前回のストーリー>

自分が何を求めてるのかって、いざとなるとなかなか言葉にできないものなんだよね。

母が入院してから私が家の家事をほぼ一手に引き受けるようになった。時間に忙殺されるようになったものの、相変わらず本を読む習慣だけはやめることができなかった。

英米文学を専攻していたので、海外の文学を読むことが中心だった。どちらかというとイギリス文学の方が個人的に好き。たとえば、ウィリアム・シェイクスピアやエミリー・ブロンテ、チャールズ・ディケンズ、ルイス・キャロルなどなど。

と言いつつも、日本の小説もそれなりに読んでいた。そのうちの一冊が、平山瑞穂さんが書いた『ドクダミと桜』という本。テーマでいうと、生活する上での諸元的な悩みだとか、目に見えない社会格差だとか結構幅広い。

主にメインとなる登場人物は二人だけ。結婚4年目の34歳、三津谷咲良。彼女はなかなか成功しない不妊治療に思い悩み、大学講師の夫と微妙な関係になっていた。もう一人のキーパーソンが徳永多美という女性。彼女は、咲良の小学校からの友人である。恵まれた家庭に育った優等生の咲良と異なり、高校を1年で中退、水商売でお金を稼ぐシングルマザーだ。

二人の生まれ育った環境は正反対ながらも、ともに持ち得た感性が合ったのか、小学生の頃すぐに仲良くなる。でも、成長するにつれ二人の間にある環境の違いのせいで、少しずつお互いの心の距離が離れていってしまう。そのまま20年弱の月日が流れ、ひょんなことから二人は再開することになる。

咲良は裕福円満な生活をしているにもかかわらず、子供ができなくて苦労している。一方で、徳永多美は決して満足な生活を送れていないものの、すんなりと自分の子供を持つに至った。

二人の立場を考えたときに、どちらの立場が幸せなのだろうと思ってしまった。そもそも幸せってなんなのだろう。

徳永多美は、中盤咲良に対して自分が新興宗教に入会しているということを意を決して告白する。最初、徳永多美が得体の知れない”神様”に入れ込んでいる姿を見て、咲良は抵抗を示す。ところが彼女自身興味本位で宗教団体の講話に赴いて衝撃を受けるのだ。

その物語の肝といえる新興宗教のくだり。読み終わったあと、なるほどこんな考え方もあるのだなと思わず唸る。

結局みんな成長するにつれて、それぞれが独自の価値観を築いていく。それは『ロミオとジュリエット』のように、互いのもつ背景なんか関係ない!と情熱だけで生きていければ良いけれど、きっと人は成長する過程でその背景にはさまざまなしがらみがあることに気付いてしまうのだろう。

子供の頃は、もっと世界を単純に考えることができた。とてもとてもシンプルだったのだ。それがどうしたことか、気づけばいろんな荷物を手に抱えてどれを今後も運んでいくのかを考えてしまう。考えて考えて、人は時に大切な人とたもとを分かつ時もある。

本当に嫌な時間を生きている。でも、それがたぶんだんだん当たり前になっていくんだ。

どうせなら神様、もし本当に神様がこの世にいるのならば、また平穏な時間を取り戻してほしい。誰にだって起こりうるかもしれないけれど、私からしたらそれは今ではないのだ。

ある夜のこと、冬の夜空で一筋の流れ星が流れたような気がした。なんとなく自分の心情と重ね合わせてしまった。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

#習慣にしていること

130,548件

末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。