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鮭おにぎりと海 #51

<前回のストーリー>

部屋に一歩足を踏み入れると、まるで自分が立っている場所が深い森の靄の中にいるような錯覚を受けた。

聞き慣れない外国語が飛び交い、皆楽しそうだった。音楽も流れていたが決して嫌な騒音ではなく、心地よいBGMといった方が良いだろうか。その部屋に滞留していた若者たちは、スペインの他の地方から来た人たちか、あるいはブラジルやアルゼンチンなどの南米からやってきたものたちがほとんどだった。

だから、自然とポルトガル語やらスペイン語やら英語やらが会話の中に混じっている。俺は残念なことに英語しかろくに話すことができなかったので、なんとか覚えつかない英語を使ってその場にいるたちとコミュニケーションを交わした。その部屋は男女関係なく、ミックスで寝るドミトリーのようだった。普通性別が違うと恥じらいもありそうなものだが、その部屋にいるものたちは少なくともそんな壁はお構いなしに皆打ち解けた雰囲気だった。

その話の中心にいたのが、リオンという青年だった。あとから聞いたところによると、弱冠19歳らしい。そのためかどこか垢抜けない雰囲気を醸し出していた。彼はどちらかというとひょうきんな性格らしく、垢抜けない笑顔が酷く印象的だった。

他の奴らの格好を見るからに、皆俺と同じくらいの20代前半のものが多いようだった。そんな中で最年少と思われるリオンは、不思議と歳の差を超えてその日ユースホステルに泊まっていた奴らの中心的な存在となっていた。彼が話に加わることで、周りがパッと明るくなった。

「僕の名前はリオンって言うんだ。君は一体どこから来たの?見たところアジア人かな?」

「そう、日本から来たんだ。神木蔵之介というんだが、よかったらsakeと読んでくれ。今海外を転々として旅しているんだが、どこに行ってもそう呼ばれるんだよ。」

「お、sakeか。知ってるよ、Japanese sakeは、僕の生まれ故郷であるブラジルでも有名だからね。同じ部屋になったんだし、こっちにおいでよ。」

♣︎

リオンは、部屋の入り口のまえで足踏みしている俺を手招きした。他の奴らも陽気な顔で俺を受け入れてくれた。初めて知り合ったものたちは、互いのコミュニケーションを円滑にするためにビールやらワインやら飲んで、滑らかに喋るための潤滑油とする。時間が過ぎゆくうちに、俺とその部屋の住人たちは次第に出来上がっていった。その部屋でただ一人を除いては。

その一人とは、リオンだった。彼はもちろんまだ酒を飲む年齢に達していないということもあったけれど、それにしても律儀な男だった。酒をみんなが飲んでいても、一切飲もうとしない。それでいて、その部屋ですっかり出来上がってしまった住人たちの言葉を聞き、時々茶々を入れた。その相槌にすっかり気を良くした酔っ払いたちはますます陽気に話を続ける。

次第に何人かが輪になって、紙タバコのような物を吸い始めた。その周辺からは何か得体の知れない、井草を炙った匂いがする。カナダでも、夜道で時々吸ったことのある匂いだった。酔っ払った頭で見知らぬ部屋の住人からタバコを受け取った俺は、勧められるがままそのタバコを受け取った。今思えば、それは普通のものとは違ったのだろう。横目で、リオンが鼻を摘んで大袈裟に胸の前で手を振って、臭い臭いというジェスチャーをしているのが目に写った。

その後の出来事というのは、本当に朧げにしか覚えていない。もともとそれほど酒が強いという体質でもなかったので、酔いに痺れた頭を抱えてそのままベッドの上に寝っ転がった。目を瞑ると、いろんな突拍子もないイメージ図がグルグルと回った。思い出すのは、ビートルズのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandというアルバムのジャケットだ。彼らもこんなふうに奇妙な世界を見ていたに違いない。

瞼が重くて目を開けられず、俺はそのまま自分のベッドの上で深い眠りに落ちてしまった。

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