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差別と偏見にまつわる人の心

先月、アメリカ・ミネソタ州にて黒人男性のジョージ・フロイドさんが、無抵抗にもかかわらず白人警察官によって殺される、という事件が起こった。その結果、アメリカ国内でたくさんの人たちが、人種差別に対する抗議デモを行う事態に発展している。

21世紀に入ってからは、20世紀以前に起こった出来事を背景に、「人は皆平等、差別を止めよう」という動きが広がった。だけど、たぶんこの手の問題は依然として解決の糸口が見えていないように思う。

確かに今回の事件は痛ましい出来事であることに変わりはないが、抗議デモの状況を見ると、行う側も止める側も歯止めが効かなくなってしまっているような気がする。このままいくと、誰もが納得できない結果を生み出してしまうことを危惧している。

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最近、たまたまだが1970年代を舞台にした作品を立て続けに見た。

まずは、『ビールストリートの恋人たち』という作品。この作品では、今よりも人種差別がまだまだ問題視されていない時代である、ということが背景にある。あらすじとしては、ファニーという黒人男性が冤罪で捕まり、そのガールフレンドと家族が必死になってファニーを冤罪から救おうとする姿が描かれている。

ファニーが捕まった理由や根拠というのは、正直あってないようなものだ。彼が犯人だと証言した警察官は、元々ファニーからちょっとした因縁をつけられて、半ば憂さ晴らしのつもりでファニーを捕まえたのではないかと思う。

そうやって牢獄に入れてしまうのは簡単だが、意図せぬ因縁をかけられた側としてはそこから抜け出すことは並大抵のことではない。警官の軽薄な行動によって、一人の人間と彼を取り巻く周囲の環境が一変してしまうのである。

ファニーも、ガールフレンドのティッシュも、そして二人の間に生まれてくる予定の子供も、全てがその先の人生というものを狂わされてしまった。彼一人のみならず、たくさんの人が被害者となってしまった。どうにも救われない話だ。

原題は『If Beale Street Could Talk』。その時起こった事実を、きちんと証言できる人がいたならば、黒人カップルの運命は変えられたかもしれない。

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次に見たのが、『チョコレートドーナツ』という作品である。

この作品で描かれているのは、人種差別ではなくマイノリティーに対する偏見である。今ほどLGBTという言葉が一般的でなかった時代、人々の目は同性愛者に対して非常に冷ややかだった。

あらすじは、主人公であるゲイのルディが住むアパートの隣人が、麻薬中毒で捕まったところから展開される。隣人の子供はダウン症で、両親が捕まったことによって施設に送られそうになる。そこをルディが救う。

事態を重く見たルディは、ボーイフレンドで地方検事局に勤めるポールと一緒に、不遇なダウン症の子供・モニカの養育権を得る。しばらくはモニカとポールと三人で一緒に幸せな暮らしを送ることができるのだが、ルディとポールがゲイカップルだということが判明して、モニカと離れ離れになってしまう。

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二つの作品に共通しているのは、愛だ。こんなふうに書いてしまうとちょっと野暮ったくなってしまうかもしれないが、誤解を恐れずにいうと相手を思いやる心。

人々は誰かを思いやる心を持っているのに、どうして黒人や同性愛者に対して稀有な目で見てしまう人はいなくならないのだろうか。

それはきっと、基本的に人は”スタンダード"でありたい、と願っているからだという気がしている。

自分と明らかに違う人を見かけると、それだけで拒否反応を起こしてしまったという経験はないだろうか。そうした行動はおそらく、その人は自分からすれば未知で理解不能だからという考えに至るということが理由な気がする。その感情はおそらく畏怖に近い。

私も仮に1970年代に生きていたとして、周囲の黒人や同性愛者の人に対して偏見を持たずに接することができるかと言われると正直自信がない。

まず、他の大多数の人たちが”スタンダード”としてとる態度に逆行することは非常に勇気がいる。加えて、その当時は情報が少ない為、彼らを真に理解することが難しく、恐怖を感じるからかもしれないから。

でも時代は変わり、いろんな人がそれはおかしいことだと気づき始めて世の中の"スタンダード"という物差しを変えようとしている。それって、すごいことだと思うし尊いことだと思う。確実にこの世界は、変わろうとしている。

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話を戻そう。

今回、無抵抗の黒人を白人警察官が殺してしまった事件は確かに痛ましいし、抗議デモが起こったこと自体は、歓迎すべきことではあると思う。もちろん限度というものはあるので、そこは考慮しなければいけないことではあるが。

こうした事件を踏まえて、わたしたちが認識しなければならないのは、何が"スタンダード"の価値基準になっているのかということ。

これだけメディアが溢れている中で、人々の考えも多種多様となっている。その中で、たくさんのものを見て、たくさんのことを聞く。片面だけの情報だと、状況を見誤る可能性がある。

その上で世間のニュースを見て、他人事として捉えず、自分だったらどうするだろうか、相手はどう思うだろうかと考えてみる。そして、 "スタンダード" に対する自分の価値観を改めて問い直してみる。

というのが、今の時勢における正しい姿勢のあり方のような気がする。ときどきわたし自身、見失いそうになるのでその戒めも込めて。

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