見出し画像

地球は自転し回ってる、いつまでも

 半年ぶりくらいに、いつもお願いしているカメラ屋さんを訪れて以前預けていたフィルムの現像を取りに行った。ついでと思ってフィルムを8本預けたら、なんと諭吉さんが一枚吹いて消えた。突然のことすぎて、声を出す暇もなかった。久しぶりに現像に出しに行って忘れていたが、こんなに現像するのにお金がかかったんだっけ?と若干震える手でクレジットカードを差し出す。

*

 緊急事態宣言だから、と自分に言い聞かせてこのところフィルム現像を取りに行くことをサボっていた。昔は少なくとも1ヶ月に1回くらいいっていた気がするのだけど、どうしても自分のなまり癖のせいなのか一度行かなくなるとしばらく足が遠のいてしまう。

 帰ってきたネガフィルムは、驚くべきことに1年前のものもあった。もうそこまでになると。自分の記憶は定かではない。と同時に、そんなに期間が経つまで放棄していたのか。本当に極端だなあ、と自分のことながら思う。

*

 フィルムは、その撮影したイメージを写しとる感光剤のことを指す。わたしが小学生の頃は、そもそもデジタルカメラなんてものは存在しなくて、だいたい記念撮影をするときにはフィルムカメラが使われていた。近頃はめっきり見ることは少なくなってしまってけれど、今でも一部の写真好きの人には使われている。絶滅危惧種だ。 

 デジタルが主流になってしまったのか、ここ最近のフィルムの押しやられっぷりは半端ではない。

 だいたいフィルムというと、Kodak社と富士フイルム社の二代派閥で成り立っている。かたや凡人には手が出せないほど年々値上がりし、かたや廃盤になるフィルムが絶えないといった心苦しい状況に。いずれもフィルム好きにとってみたら、悲しい末路を辿っている。

 それでもフィルムカメラで撮ることをやめることができない。それはフィルムカメラのシャッターを一回押すごとに、自分の中できちんと思いが伝えられると錯覚しているからだと思う。ファインダー越しに広がる景色、機械仕掛けの重厚なシャッター音、取り返しのつかない空気感。そういったものが自分の胸に去来する。

 デジタルの編集技術を磨くことから逃げている、という人も中にいるかもしれない。でも。私自身はフィルムが持つ独特の空気感の誘惑から逃れることができない気がする。この先もずっと。

*

 例えば、空の限りない青。空は、必ずしも青ではない。そこには時折水色であることもあるし、下へ目線がずれるにつれて白が混じることもあるのだ。どこか胸が締め付けられるような空気感。息を吐き出せば、白い息がふわりと広がる。どこからか懐かしいフォークソングが流れている。多少写真が傾いていても、気にしない。なぜならこの世界は常に回り続けているから。

*

 どうしようもない焦りとともに、自分自身が今果たしてどこに立っているのかわからなくなってしまう。とっくにそんな感傷的になる年齢は超えたと思っていたのに。

 いまだに道に迷う子羊の如く、全てを投げ出してだだっぴろい荒野の上に寝転がりたいという衝動に駆られてしまう。誰かに強制されてさせられていると思いながらやることは、全然面白くない。自分の心が向く先に対して正直であれば良いと思う。

*

 目に見えないものを、恐れる。私の目の前に突然現れた、訳のわからない代物に対して。至る所に、出口と書かれているのに、一向に最後までたどり着くことができない。誰かの後ろについていこうとも、人の姿はまばらである。私は本当に正しい道を今歩いているのか、わからなくなる。いつまで立っても終わりが見えないこの道筋はいつになったら最後を迎えるのだろう。

*

 不規則に触れ動く影、いつもの倍以上に足を早める不穏な雲。あっという間に頭上を黒い影が多い、地上へ冷たく細い雨が降り落ちる。後にはコンクリートから立ち上る埃っぽい匂い。雨が降ったことによって自分の何かが浄化されたような気がするのに、なぜかいまだに私自身の心は晴れないままなのだ。

*

 たとえ今、私の大切な誰かがいなくなったとしても、いっときは嘆き悲しむかもしれない。でも次第に、記憶は少しずつ薄れていく。誰かと過ごした思い出も、その時は悲しいと思ったとしても次第に消えていく。それは自分がはっきりと自覚しないままに、少しずつゆっくりと。まるで昨日見た夢の終わりの如く。街は今日も昨日と変わりなく機能していて、誰か欠いたとしてもその人は不特定多数のうちの一人なのだから。

*

 地球は自転し、回っている。何事もなかったかのように。

*

 それでも私だけはその瞬間を、この先ずっと覚えていようと思う。胸の中にわだかまる一筋の鈍い痛みを伴いながら。決して消えることのない懐かしさと、そして一抹のどうしようもないもどかしさを抱えて。



この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

最近の学び

末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。