ビロードの掟 第16夜
【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の十七番目の物語です。
◆前回の物語
第四章 在りし日の思い出(1)
地面にバチバチと激しく雫が当たり、ぬるい風が頬をすり抜けていく。凛太郎はバッグを上に掲げ、坂道を一気に駆け抜けていた。全く予想だにしていない雨だった。
確か今日の天気予報では一日曇り空だと言っていたはずだ。その予報を信じて傘を家に置いてきたことが仇になる。学校へ行く途中でどこからかゴロゴロとなり始め、それは一気に土砂降りとなった。雨によって濡れた服が体に張り付いて気持ち悪かった。
当時通っていた大学は、駅から20分ほど坂を歩いた場所に存在していた。
事前に雨が降るとわかっていれば通常学生たちはバスに乗る。凛太郎ができるだけ雨から逃れるために坂道を走っていると、途中バスに何台も追い抜かれた。バスの中に乗っている学生たちはいずれも勝ち誇ったような顔をしているか、どこか憐れんだような顔をしているかのどちらかだった。
そのうちの3つ目に通り過ぎていったバスの中にふと凛太郎の目が引き寄せられた女の子がいた。彼女はぼんやり窓を眺めていた。たまたまバスが凛太郎を追い越すタイミングでなにくそと恨みがましくバスを見た時に、窓の外を眺める彼女と目が合う。
その瞬間、彼女はハッとした様子でとても心配そうに見返してきた。なぜかはわからないがそのときの表情がひどく印象に残った。その時後ろから来た車が割とスピードを出していて、バシャッと跳ねた水が凛太郎の顔を濡らした。
「──うわ、ほんと最悪だわ」
学校にたどり着くと、ちらほら凛太郎と同じように傘を持っていないばかりに雨に濡れた人たちをちらほら見た。彼らはいずれも、なんて最悪な日々を生きているんだろうという顔をしていた。
凛太郎も間違いなくそのうちの一人だった。でも中には雨に濡れてもげんなりするどころか逆に嬉々として濡れることを厭わない男もいた。普通の人とは感覚が違う人間はキャンパスの中に一人や二人、いるものらしい。その男は雨の下でなにも防御策も持たない状態で笑っていた。
次の日もその次の日も、雨は降り続けた。その年は例年になく梅雨の時期が長引いた時期だった。誰も彼もが陰鬱な顔をしていた。やはり太陽がないと人はどんどん気持ちが塞ぎ込んでいくものらしい。さすがに天気予報が外れてずぶ濡れになった日以来凛太郎は常に傘を持つ習慣を身につけた。
その日も、降り荒ぶ雨の中を折り畳み傘を開いてバス停まで歩いて行った。屋根付きのバス停の下にはすでに2、3人がバスを待っていた。そしてその中に凛太郎の見知った顔があった。彼女もどこか思い当たる節があったようで、凛太郎がバス停に辿り着いた瞬間、ペコリと会釈をしてくる。
「あの時、雨の中坂道を走ってた人ですよね」
「あ。はい、そうです。あなたはあの時バスの中に乗ってた人ですよね?」
クスリと彼女が笑う。「はい、私は『あの時バスに乗ってた人』です」
凛太郎はまるで自分が鸚鵡のように言葉を返してしまったことを反省した。そして同時に彼女の笑う姿に思わず釘付けになっている自分がいることを自覚した。
「……日は傘を持ってるんですね」
「──はい?」
「折りたたみ傘。この間、バスから見たらあなたとても大変そうだったから。私の友達もあなたのことを同じタイミングでしばらく気にしてたんですよ」
クスクス笑う彼女の横で控えめに佇んでいる、メガネをかけた女の子。その子は恥ずかしそうに「それ、今言う?」と友人の袖を引っ張った。
「あ、ちなみに私、あなたのこと校舎で何度か見かけたことがあります。政経学部の方ですよね?前に一般教養の授業で一緒だった気がします。あの、髪を後ろに縛ってる」
「三沢先生ですか?」
「そうですそうです!あの人の授業面白かったですよねー」
「あ、一緒の授業受けてたんですね。僕、あの人の真似うまいんですよ」
そう言って凛太郎はその大学教授の口癖を真似した。
「えーそれ、絶妙に似てないですよ」そう言って、彼女はまたクスクスと笑った。その表情を見て、思わずドキリと心臓が跳ねる。凛太郎が好きなタイプの顔だった。隣にいるメガネの女の子も、控えめに笑っている。その時後方からバスが来て、凛太郎たちはバスの中へ乗り込んだ。
「そういえば、名前なんて言うんですか?」
「あ、凛太郎です。相田凛太郎と申します」
「凛太郎くんですか!私、芹沢葉月って言います。行政学科専攻。私の隣にいるのは同じ専攻の優里ちゃん」
「あ、よろしく」
芹沢さんの隣にいたメガネをかけた女の子が控えめに会釈をする。それが優里を知ることになったきっかけだった。
<第17夜へ続く>
↓現在、毎日小説を投稿してます。
この記事が参加している募集
末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。