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鮭おにぎりと海 #65

<前回のストーリー>

「息子がね、ある時ジャーナリストになりたいと言い出したんだ。」

家の周辺で出会ったヤナセさんというおじいさんが、静かに言葉を発する。僕は時々相槌を打ちながらも真剣にヤナセさんの言葉に耳を傾けていた。

「小さいころからカメラに慣れ親しんできた私の息子は、物心がつく頃には当たり前のように写真を撮っていた。私が写真館を始めた時は、まだまだカメラが一般家庭に普及する前だったから需要はあったんだけどね、息子が成人する頃にはカメラが一般家庭に普及し始めた全盛期で、わたしたちの商売もだいぶ傾いていた。時はバブル時代だ。バブルって知ってるかな?」

「なんとなく、聞いたことはあります。その頃は景気がうなぎのぼりで、とても贅沢な時代だった、と親が話していたのを聞いたことがあります。」

「そうそう。でもあれはあれで異様な時代だった気がするなあ。みながみな、こぞってブランド品を買いあさり、お金が人生における重要なステータスだと思っていた。みんなお金に心を捕らわれていたような気がするよ。それでも、1990年代になって突然バブルがはじけると、それまでの魔法が突然解けたかのように人々の顔つきが変わった。」

おじいさんは一度、腰を軽くトントンとたたいた。しばらく同じ姿勢でいるのはやはりしんどいらしい。

「息子は、人一倍正義感が強い子だった。困っている子を見ると助けずにはいられなかったんだね。だから、ある時ジャーナリストになりたいといったときは、僕も妻もどこか納得してしまった。僕たちがやっている写真館も先が見えているしね。今はどうかわからないけど、当時マスコミ関係は入社するうえで非常に倍率が高かった。」

「たぶん、今も高いと思います。僕は今大学2年なんですが、今の年でマスコミ入社するための専門の予備校に通っている人もいるんです。」

「おお、そうかいそうかい。まあ倍率が高かったけど、うちの息子はなんと運よく某出版社に入社することができたんだ。」

「すごいですね。」

「そうだろう?僕も妻も息子のことが誇らしかった。初めて会社に行くときに息子が背広を着て家を出る姿を見て、それがとてもまぶしかったことを覚えているよ。でもね、息子は当時どちらかというと報道カメラマンのポジションを希望していたのだが、何の因果かパパラッチのような仕事を請け負うことになってしまったんだ。・・・おっと、パパラッチは死語だったかな?」

「いいえ、意味自体は分かります。あれですよね、ゴシップ記事を追っかけるような人たちのことですよね?」

「そうそう。特にバブル時代はゴシップ誌の隆盛期だった。みなが豪華絢爛な生活を送る一方で、人の闇のような部分に飢えていた時代だったのだと思う。息子は毎日忙しそうで、家に帰ってこない日もざらだった」

「ある時、息子が所属していた出版社が訴えられた。ゴシップ誌に載った記事がきっかけで、女優業を始めたばかりの子が自殺未遂を起こしたんだよ。」

「その出来事があってから、息子の様子がおかしくなった。僕と妻が心配して声をかけてもうまい反応が返ってこなくなったんだ。今でこそ当たり前のように聞かれるようになった言葉だけど、間違いなく息子は精神を病んでいた。どうしようもない現実と直面して、心が壊れてしまったんだろうなあ。あの時期は本当につらかった。」

ヤナセさんの息子さんの心境がわかるような気がした。自分が撮った写真によって、誰かを傷つけるなんて耐えられなかったのだろう。

「そのあと息子さんは・・・どうなったんですか?」

「うん。それはまた今度にしよう。ちょっと日が落ちてきて寒くなってきたからね。寒さは年寄りの体には拷問だよ。明日も同じ時間に来れるかい?」

「はい、大丈夫です。」

よっこらしょういち、と言ってヤナセさんはゆっくりと立ち上がった。その一連のゆったりとした動きは、長年生きてきた中で培った悲壮を表しているようだった。

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