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ビロードの掟 第31夜

【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の三十二番目の物語です。

◆前回の物語

第六章 白猫とタンゴ(3)

 芹沢さんとすっかり話し込んで、気がつけばお店の閉店ギリギリの時間となっていた。

 表に出ると、雨はすっかり止んだ後だった。あの時のように土砂降りの中、駅まで走ることにならなくてよかったと凛太郎はほっと胸を撫で下ろす。

 その胸中をまるで覗き見たかのように、芹沢さんが「よかったね、帰る頃には雨が止んでて」とからかうような調子で凛太郎に言った。

「本当にね。あの時傘がなくて本当に大変だったんだから」

「ごめんね」と悪戯っぽく芹沢さんが笑った。

「あ、改めて今日は夜遅くまで付き合ってくれてありがとう。おかげで色々知れたし、楽しかったよ」

「私も。やっぱり昔馴染なじみに会うと、思い出話にひたれて楽しいな。あの甘酸あまずっぱい青春を思い出すよ」

 芹沢さんはやっぱり相変わらず可愛かった。むしろ年齢を重ねたことにより、大人の色香いろかにじみ出ているような気がした。

「何言ってるんだよ。君は今もきっと青春を謳歌おうかしてるんだろう」と言うと、彼女はふふふと蠱惑的こわくてきな表情を浮かべる。

「それじゃ、帰り気をつけてね」

 凛太郎は芹沢さんが電車に乗るまでホームに立ち続けた。ちょうど芹沢さんが乗る電車がホームへと入ってくる。

 ガタンガタンガタン、プシュッ……。彼女が履いているハイヒールのカツンコツンという音が響き渡った。電車に入る間際、芹沢さんがくるりと振り返る。

「あ、もう時効だと思うから言うけどね」

 彼女は言うかどうか迷ったかのように、一瞬言いよどむ気配を見せた。次には吹っ切れた様子で、再びを口を開く。

「──私も凛太郎くんのことちょっと気になってたんだよね」
 
 最後少し恥じらったような様子でそう言うと、彼女はそのまま躊躇ためらいもなく車両の中に入っていった。車両全体が緑に包まれた電車は、そのままホームからガタゴトと遠ざかっていく。

 凛太郎は突然の芹沢さんの告白を聞いて、しばらく呆然としていた。

「このタイミングで言うなんて、ずるいよなぁ」

 酒で少し鈍くなった頭をガリガリとかいて、凛太郎は帰途についた。

*

 芹沢さんと会った次の日の夜、意を決して凛太郎は優奈にLINEを送った。

『ねえ、優奈。昨日、芹沢さんに会って話を聞いたんだ』

『知ってるよね?優里の大学の時に仲良かった友達。俺、ちょっと君からも話を聞きたくて』

 優奈に送っても返信が返ってこなかった。芹沢さんの話を聞いた帰り、ずっと頭の中でいろいろな考えが駆け巡ってぐちゃぐちゃとしていた。今まで気がつけば結構な頻度で優奈と会っていた。彼女に、優里のことを話すという目的のために。

 ── 一体、君は誰なんだ。

 優奈のLINEには既読がついたまま、返信が返ってこなかった。まるであの遊園地の次の日に優里に連絡をした時のよう。LINEを送ってから最初の1週間くらいは、すぐに反応できるようにスマートフォンを体の近くに置いていた。今か今かと待っていても、梨のつぶてであった。

 当然返信が返ってこないものだから、日曜の予定も空白のまま。どこか胸の奥側がぽっかりと穴の空いたようになる。彼女との連絡手段がLINE以外ないことに気がついて愕然がくぜんとする。

 優里のことも聞きたいのに、接点を失ってしまった。芹沢さんにまた聞いたところであれ以上の情報は出てこないだろう。こんなものなのだろうか、人との関わりなんて。

 この世から電波が失われてしまったら、俺は誰ともつながることができないのかもしれない──。

 12月は烈火のごとく過ぎ去り、気がつけば除夜の鐘が遠くで鳴り、また新しい年がやってきた。少しずつだが、優奈と会わない日常が当たり前になりつつあった。会社の同僚や大学時代の友人から「あけましておめでとう」というLINEが届いている。

 だんだん歳を重ねるにつれ、新年を迎えることに新鮮味を失っていく。こうやって気がついただ俺はヨボヨボの爺さんになっているのだろうか。

「凛太郎、どうしたのぼーっとした顔をして」

 ハッと我に返った時、目の前に奈津美の顔があってびっくりする。彼女のつぶらで大きな瞳がじっと凛太郎の顔を覗き込んでいた。

「なんかどうも新しい年を迎えたのに、覇気がない顔してるよね。困ったもんだ」

 奈津美は本当に困ったような素振りで首をふりふりと振り、再びこたつに潜ってゴロンと横になる。

 思えば年を越える半年前、いっとき元カノの妹と会ってばっかりいて申し訳ないことしたな、と今更ながら後ろめたさがじわじわと迫り上がってくる。今のところ奈津美は、クリスマスの大喧嘩がなかったことのように振る舞っている。

「奈津美、今年はどこか旅行に行こうか」

「お、いいね。私、今すごく行きたいところあるんだよね」

「ん、どこさ?」

「沖縄よ、沖縄。もうミーハーって言われるかもしれないけど、真っ青な空と真っ白な砂浜で一日ぼーっとしてたいの私は」

 そう言って奈津美はだらしない格好でみかんを頬張る。思わず凛太郎はふっと笑みを漏らした。このどうしようもなく気の置けない感じ──。

 この子はなんだかんだ言っても、一緒にいると気が楽だし満ち足りた気持ちになる。優里のことはもちろん気になるけど、もう今さらどうやってもこちらから積極的にコンタクトできる状況ではないし、もう忘れようと思った。

 過去に縛られていても、良いことはない。見るのは、彼女との未来だと思った。

 やがて季節は流れ、冬と春の狭間の時期に差し掛かりつつあった。

<第32夜へ続く>

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