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鮭おにぎりと海 #49

<前回のストーリー>

アメリカは、さまざまな国から移住してきた人たちも多いのでやはり混沌とした街だった。洗練されていて、どこか人を寄せ付けない空気感。途中で出会ったアメリカ人が、「同じ国に暮らしているというのに、どこか気持ちがバラバラのように感じる」と言っていたのはきっと気のせいではない気がする。

とりあえずニューヨークの街をひと通り巡った後で、次の旅路へと進んだ。

向かった先は、モロッコだった。特に何か目的があったわけではない。ただ、カナダに留学していた時に仲良くなった日本人から、あそこは旅人なら誰もが好きになる場所だよ、と言われて気になっていただけだ。

ニューヨークから飛び立ち、モロッコまではだいたい6時間程度。ニューヨークの街はすでにかなりの寒さだったのだが、モロッコに至っては恐ろしく快適な気温に保たれていた。日本で言うところの、春の気候に似ているかもしれない。

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モロッコは、アメリカとの大都会とはだいぶ景色が異なっていた。そのあまりのギャップの大きさにしばらく頭がついていけなかった。

アフリカというとなんだか大自然ばかりが広がっているようなイメージだったのだが、どちらかというとモロッコは建物の外観がとても印象に残った。あまりにも居心地が良すぎて、モロッコにはだいたい3週間程度滞在した。

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まずは同名の映画も存在する「カサブランカ」という街から、巡り歩いた。旧市街の「メディナ」は特に交易の町という感じで、食料や金銀、香辛料などが所狭しと立ち並ぶマーケットがある。それだけで俺の心はどうしようもなく弾むように踊り回ったのだ。

そして次に鮮やかな記憶を残したのは、シャウエンという町。

以前インドに行った際、ジョードプルという町に立ち寄った。それが俺にとっての初めての海外の旅だった。この町は、ブルーシティという名前がついていて、小さいながらも青い塗装で街全体が統一された場所だった。

シャウエンも同じく、全体が青かった。そしてその壁の色は、よく見てみると建物ごとの青さのばらつきがある。そんな雰囲気自体も、インドと非常に似通っていた。その厳然たる事実が、俺の中に安堵感をもたらした理由かもしれない。

お世辞にも、町自体は綺麗な町とは言い難かった。そしてどこの観光地に行っても日本人はチヤホヤされるらしい。行商たちからあちらこちらで声をかけられ、それを断ることにも難儀した。

それでもそうした町の汚さや、うざったい人々のアクションに対しても、どこか許せる、それどころかホッとしてしまう自分がいた。人ががむしゃらに生活しているという空気感に飢えていたのかもしれない。

そしてもう一つ印象に強く残ったのは、空だ。モロッコはどこに行っても、恐ろしく空が広かった。空の広さなんてものは、普通だったら世界中どこに行っても同じはずなのに、なぜか本当にどこまでも続いているのではないかという気分にさせられた。

シャウエンのまばらな青と、空の青さの対照的な色合いが、鮮烈な形で脳裏に刻まれた。

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シャウエンでは、至る所に猫がいる。まるでこの町は自分のものだと言わんばかりに、彼らは飄々と動き回ったり道路に寝転んだりしていた。

大都会はいろんなものが揃っていたのに、息苦しさを感じた。それに比べて、モロッコはなんて自由なんだろう。もちろん中にいるのと外にいるのとではだいぶ感覚が違うとは思うけれど、彼らは自分の生活に十分満足しているように感じられた。大都会で感じたような無限の飢餓感みたいなものはそこには感じられなかった。

シャウエンを後にして向かった先が、タンジェというそれなりに大きな港町だった。シャウエンの鮮やかな青色の建物と比べると、とてもシンプルな色合いだったがそれはそれで温もりを感じるような外観だった。

モロッコはイスラム教の国だ。インドに行った時も思ったけれど、イスラム教の人たちが作る建物は、美しい。どこか柔らかい輪郭を持っていて、見るものに対して、彼らの文化をすんなりと受け入れさせてしまう独特の感性がある。過去を紐解くと、なかなか受け入れられ難い局面もあるだろうが、それはおそらく本質ではないような気がする。

なんとなく後ろ髪を引かれながらも、俺は港町から小ぶりなフェリーに乗った。次に向かう先は、情熱の街・スペインである。

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