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シュリンプ・フルムーン・ナイト

「ジュゥ、パチパチパチ……」

 油の中に、何かが放り込まれた音だ。鍋の中にたゆたう大量の油の中に放り込まれたことによって、音がにわかに反響していく。この弾ける音を聞いただけで、お腹の底から食欲が湧き上がってくる。でも幼い頃は、この音を聞くことをどうしようもなく嫌いになってしまいそうな時があった。



今日は、満月の夜だ。

*

 わたしの家庭の習わしが、他の家庭と少し違うことに気づいたのは中学生の時だった。その頃親しくしていた友人から、普通の一般家庭では十五夜の夜にはお団子とススキを飾って月を眺めるというのが常識らしい、ということを教えられた。

 まさに目からウロコ、という感情が降って湧いた。

 柔らかくて、もちもちとして、まんまるとしたお団子。友人から見せてもらった写真には、何やら神妙なお皿の上に、ピラミッド状で並べられたお団子のかたまりと、花瓶に挿し込まれたススキが綺麗に並んでいた。

 わたしの家では十五夜の日になると、もちもちとした食感とは正反対のものが神棚に飾られ、そのまま食卓に賑やかに並べられることが通例だった。その正体は、海老フライ。お団子やススキとは似ても似つかない。口の中に入れるとサクサクと小気味よく音を立てる。そして、同時に弾力のある海老がプチプチと弾ける。その瞬間が、わたしはたまらなく大好きだった。

*

 我が家では、お団子とススキの代わりに海老フライを食べるんだよ、ということを伝えると大抵友人から怪訝な顔をされた。「なにそれ、聞いたことない!何だか少し変わった風習なんだね」その言葉を耳にした時、わたしは思わずといった体で両頬に手を当てた。思春期の女の子にとって、「普通」と外れることがどれだけ恥ずかしいことか。顔から火が出そうだった。

 当然その矛先は、わたしのお母さんに向いた。これまで給食には必ずと言っていいほどデザートでお団子が出ることに気づかなかったわたしもわたしではあるのだが。世間一般の家庭では、海老フライではなくてお団子とススキを飾るんだよ。わたしすごく、すごく恥ずかしかったよ、とたっぷり情感を込めてお母さんを非難した。わたし、傷ついたよ。

 その言葉を聞いたお母さんは、これまで見たことのないような寂しげな表情で笑った。「ごめんね、恥ずかしい思いさせちゃってごめんね」

 何だかそのお母さんの謝罪の言葉でお茶を濁された気分になったわたしは、矢も縦も堪らなくなり、残業で遅く帰ってきたお父さんにもその話をした。
「どうしてわたしの家では十五夜の日に海老フライが出るの。わたしはそのせいで今日すごく恥ずかしい思いをしたんだから」

 お父さんもお母さんと同じように少し寂しそうな表情をした。その時わたしは初めて、言葉に表すことのできないチクリとした鈍い痛みを感じた。

「お母さんが子供の頃住んでいたふるさとの、昔からの風習なんだよ」

 それからお父さんは、ポツリポツリと昔話を話し始めた。

*

 お母さんとお父さんは、同じ会社で元々働いていたんだ。お母さんは、そのとき事務として働いていた。事務ってわかるかな?いろんな人のサポートをする仕事なんだよ。僕もお母さんにいろいろサポートしてもらううちに、少しずつだけど言葉を交わすようになったんだ。そして、だんだんだんだんお互いのことを知るようになって気づいたら同じ時間を過ごすようになったんだ。

 お母さんはもともとここから遠く離れた漁村の生まれなんだよ。お母さんのお父さん、つまりおじいちゃんだね、は毎日朝早くに海へ出て、魚をとってくる。お母さんのお母さん、つまりおばあちゃんはおじいちゃんが帰ってくるのを待つかたわら、家の掃除をしてご飯を作ってお父さんが帰ってくるのを待っていた。お父さんは帰ってくると真っ先にご飯を食べてお酒を飲み、一言も発さずお風呂に入ってそのまま寝る。それからまた朝の早い時間に家を出ていく。お母さんが小さい頃は、お母さんの目にはおじいちゃんがとても怖い存在に映っていたらしい。

 そんな二人の姿を見て育ったお母さんは、次第にお母さんの生まれ育った家に次第に息苦しさを覚えるようになったんだ。おじいちゃんとおばあちゃんの暮らし方は、お母さんからしたら毎日代わり映えがしなくて平凡なものに映ったんだね。そして、お母さんにとって村はあまりにも狭い世界だった。何かいつもと違う出来事が起こると、次の日になれば自分も含めた身近な人のプライベートなことが、村の人たちに伝わっている。

 おじいちゃんやおばあちゃんにも知って欲しくない自分の秘密が、気づけばいろんな人たちに知れ渡っている。多感な時期に反抗心を燻らせていたお母さんは、いつか絶対に村の外に出て、今よりもずっとずっと広い世界を見ることを望んでいた。そして高校を卒業すると同時に、生まれ育った村を飛び出て、お父さんの会社に事務員として働くことになった。

 それから数年後、お父さんとお母さんは出会った。

 その当時、お父さんから見ても、お母さんはすごく必死な様子に見えた。お母さんは何かから逃げるように必死で働いているようだった。その姿を見て、何だか守ってあげたいと、柄にもなく思ってしまったわけなんだけどね。

 お父さんは、ちょっと恥ずかしそうに少し俯いて頬をかく。

 そしてお母さんと付き合ってしばらく経ったときに、その話を聞かされてお父さんは珍しくお母さんとケンカをした。村を出て以来、おじいちゃんとおばあちゃんと一切連絡をとっていないのだと聞いて、それは絶対に今からでも連絡を取るべきだと説得したんだ。

 最初はお互いの主張がぶつかり合って平行線を辿っていたのだけど、ケンカしてお父さんもお母さんもお互い口もきかなくなって2日経った夜。ついに、お母さんが折れた。お母さんはお父さんの部屋にあった黒電話からダイアルを回して、昔自分が住んでいた家に電話をかけた。そして、おじいちゃんとおばあちゃんと話をしたんだ。当時お母さんが抱いていたわだかまりと葛藤と、一つずつこれまで絡み合った糸をほぐすように、お互いの思いを話をしていくことになった。今では、月に1回、手紙を交わすくらいまでになっているようだ。何だか照れ臭くて、まだ自分の子供を連れていくまでには至っていないようだけどね。おばあちゃんはともかく、お母さんとおじいちゃんはお互い似たもの同士で頑固だから。

お父さんが、クスリと笑った。

*

 お母さんが住んでいた村では、お月見の日に海老フライを作ってお供えすることが習わしになっていたらしい。

 そもそもなんでお月見の日にお団子とススキをお供えするか知っているかい?

 お団子は月を表している。それからススキは悪霊や災いなどから収穫物を守り、次の年にたくさん農作物が取れるように、という願う意味が込められているようだ。

 その一方で、お母さんの村では農作物ではなくて海産物で生計を立てている。

 海老は夜行性だから満月のような明るい夜に姿を現さない。月が普段現れるときに見ることのできない海老をお供物として、お母さんの村では月に宿る神様にお供えした。来年も無事に魚や貝などの海産物をたくさん取れますように、という願いを込めて。そして村人たちも、それに合わせて海老を食べるようになったそうだ。

 だから、我が家でも十五夜の日にはお団子やススキを飾るのではなく海老フライを飾る。それは、遠く離れたふるさとをお母さんが思い出すということにもつながっているんだよ。

 最後、お父さんはにっこりと笑い、その大きな手でわたしの頭をなでた。わたしだって、もう子供じゃないのに子供扱いしようとするんだから。

 わたしが少しむくれたような顔をすると、
「もう少ししたら、みんなでお母さんのお父さんとお母さんに会いに行こう」
と言って再びわたしの頭をなでた。それが何だかくすぐったくて、照れくさかった。

 お父さんの言葉を聞いて、半ば納得したわたしはその5日後にやってきた満月の日の夜、素直にお母さんが揚げてくれた海老フライを食べた。いまだ見ぬおじいちゃんとおばあちゃん。そのうち会えることに、期待を膨らませながら。

「ジュゥ、パチパチパチ……」

鍋の中で遠いふるさとを思いながら、海老が今年も跳ねている。

月は、今日も変わらず、綺麗だ。



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