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鮭おにぎりと海 #17

<前回のストーリー>

今思えば、今の自分の置かれている環境が、過去の自分と同リンクしているのかがわからなくなることがある。高校を卒業するとき、周りが何とはなしに自分なりの信念をもって学部を選んでいることに対して、自分が果たしてどうなりたいのかということを明確にイメージしていなかったような気がする。

大学進学の際に英米文学を選択したきっかけは、至極単純なことだった。父親が昔から「英語を覚えておけば将来敵なしだぞー!」と、酔っぱらった赤ら顔で何度も何度もタコができるくらい大声張り上げて言うものだから、自然と幼心ながらに「ああ、英語勉強しなくては」という気持ちにさせられたことが一番大きかったと思う。

おまけに唯一の習い事は、英会話教室にいくことだった。幼い頃俺が住んでいた場所のご近所さんに、マックスという名のフィリピン人が住んでいた。父親が彼に毎月月極の駐車場代くらいの月給を渡して、俺に英語を習わせていたのだった。

おかげで、英語に関していえばほかの教科と比べると群を抜いて成績が上向きだった。残念ながら、ほかの科目に関してはからきしだったのだが。そんなわけで、大学受験の際には国際関係の学部を片っ端から受けまくった。しかし残念ながら世の中はそんなにうまくできていないもので、極端に成績差のあったほかの科目が足を引っ張り、最終的に合格できたのが今の大学の英米文学専攻のみだったわけだ。

正直大学に入る前までは、全く本なんて興味がなかった。それが大学に入ってから、山のように課題が出されてひいひい言いながら読む羽目になる。ほとんどの文学作品には性格上興味が示すことができない、というよりも毒手に集中力を発揮できなかったのだが、中には面白いという作品にもいくつか出会えた。

♣︎

もともと物おじしないかつ、かねてより周囲の人から嫌われないような振る舞いを心掛けていたこともあり、なぜだか自分の周りにはいつもいろんな人が集まってきた。昔祖母が、「どんなことがあっても周りの人に親切にすることを心掛けるんだよ。そうすれば、自ずとその行為が自分に返ってくるんだ」と言っていた。

気難しくていつもマシンガンのように話し続ける祖母だった。今も存命ではあるものの、ときどき父方の実家に行くとどこか息苦しさを感じてしまう。それでも、割と人の意見を聞き流せない性格なのか、なんとなく彼女の言葉も俺の行動に多少なりとも影響を与えていた。

そういえば、俺が「もう少し大学に残ること決めた」と祖母に話すと、鬼のような形相で俺のことをにらんでいたっけ。

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英語は文法やら書くことやらは得意でも、残念ながら喋るとなるとからっきしだった。それを思い知ったのは、昨年の8月にインドへ行った時のことだ。インドでは様々な方言が存在しており、少し場所が違うだけで全く言葉が通じないらしい。そういった困った文化を解消するために、元々イギリスの植民地だったこともあり英語が母国語の一つとなったそうだ。

まあいわばにわか英語なわけだからそれなら俺も理解できるだろうと思ったのだが、そんなことも全くなかった。にわか英語は英語なりにおそらく普通の英語圏の言葉とは異なるアクセントやイントネーションで、それがまた俺のスピーキングとヒアリングにおける理解不足を露呈させる結果となったのである。

しかしインドで見たこと聞いたことは確実に俺の血となり肉となっている。だから今年の夏休みが終わった後に、海外を一人放浪しようと思っているのだよ。そう話すと、その話を聞いていた葛原南海という俺の後輩にあたる女の子は、珍しく目を輝かせて俺の言葉に同調して「わー素敵な人生!」といっていつもよりも少し身を乗り出して俺の話を聞いてくれたのだった。

そして、相変わらず「なまいきくん」は大して羨ましそうにもせず、どことなくは気のない目で俺の話をぼんやり聞いているのだった。

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そういや、いつしか俺は同級生たちから「神様」と呼ばれるようになった。困った奴がいた時にはなんとなく手を差し伸べてあげるようになった結果、彼らは面白さ半分からかい半分といった形で俺のことを「神様」と呼ぶようになったのだ。その呼ばれ方は嫌ではなかったが、大教室なんかでそのあだ名で呼ばれるとやっぱり恥ずかしかった。

人は歳を重ねるごとに、人に言えない秘密や暗い淵の底にいるかのような思いを抱くような気がしていた。ある時、「なまいきくん」とたまたま学校の外で飲んだ時もそうだった。そう、人は明るい部分と暗い部分を常に並行して持ち合わせているのだ。相反する感情たち。

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