鮭おにぎりと海 #39

<前回のストーリー>

シカゴのダウンタウンから少し離れた、周りにはどちらかというと木々が生い茂るような、都会の喧騒とは縁のなさそうな場所に俺はいた。

目当ては、『Old Days Cafe』というちょっと小洒落たカフェだった。このカフェの何を俺は楽しみにしていたかというと、提供されるメニューである。

後ろでポニーテールに結んだウエイターさんがメニューと水を運んできてくれたのだが、メニューの内容を見ると「老人と海」、「エデンの東」、「ハックルベリーフィンの冒険」など、アメリカ文学の名称が掲げられた料理名が並んでいるのだ。

俺はこうした遊び心が割と好きだ。俺自身、大学では英米文学を専攻していることもあって、だんだんとアメリカ文学を読んで興味をもち始めていた。だからこそ、そうしたタイトルを目にすると料理の中身はわからないにしても心が弾んだ。

とりあえず一番気になっていた「老人と海」と題されたランチセットを注文した。どうやらタマゴやレタスの入ったサンドウィッチのセットらしい。料理の名前が何故「老人と海」というタイトルなのか気になりはしたが、先ほどメニューを持ってきたポニーテールのウエイターに注文をした。

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そういえば『老人と海』は、タイトルに惹かれて珍しく図書館で本を借りて読んだ本だった。他の作品と比べると、本の厚さがだいぶ薄っぺらかったこともあるかもしれない。

本のストーリーとしては、漁師をやって生計を立てている一人の老人の話だ。

ある日老人が漁に出たものの、いつもいるはずの助手がその時おらず、そういう時に限って、老人が扱いきれない大きな魚を釣る。老人はなんとかその魚を仕留めたものの、あまりの大きさで船に積めず、横付けして自分のいる島へと船を漕ぐ。ところがその大きな魚から流れ出る血を嗅ぎつけて、大量のサメに襲われる。老人がその危機的状況を脱するためにあれやこれやと奮闘する、という話だ。

読み終わった後に、なんとも救いようのない話だとは思った。それでも、話の展開としてはこれはこれで人の生き様の儚さのようなものをあわらしているのかもしれないな、と思った覚えがある。

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ウエイターが運んできたランチセットは、流石と言うべきかなかなかのボリュームだった。サラダとコーヒーがついて、大体¥1,000を超えるくらい。なかなか物価の高いシカゴの街にしては、良心的な値段だった。

昨夜の宿泊場所を追い出されるという何とも悲劇的な出来事から一夜明けてほぼ何も食わずじまいだった俺は、夢中でそのサンドイッチの頬ばった。一口噛むたびに、何ともいえないおいしさが口の中に広がっていく。

サンドイッチに頬張っていると、何やら騒がしいと思ったら先ほどまで試験勉強をしていたと思われる大学風情の青年が、最初入ってきた時に見かけた柑橘系の香りを振りまく女の子に声をかけているところだった。

女の子は我関せず、といった感じで青年の言葉を受け流している様子だった。何だか一つのドラマを見ているようだった。日本では、決して見られない光景である。飲み屋で口説かれているのならまだしも、こうも白昼堂々とナンパをする青年の精神の図太さを褒め称えたい気持ちだった。

やがて青年は話しかけても効果がないと思ったのか、意外とあっさり引き下がり、会計を済ませてそそくさと店を出て行った。

その流れを俺はひたすら目で追っていたのだが、ふとした拍子に女の子と目があった。彼女は、いたずらっ子の様な顔で控えめに笑ったのだった。

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次第に店は込み始めて昼時になると、カフェに入るのに待つ人が出始めた。その様子を察してかどうかはわからないが、柑橘系の香りを振りまいていた女の子が突如、席を移動してもいいよ、と店員さんに話をした。彼女はそのままカフェを後にするのかと思いきや、何と俺がいるテーブルの方へやってきたのだった。

「ちょっと悪いんだけど、この席空いているかしら?」

俺が座っているテーブル席は、本来二人席と思われた。断る理由もないと思い、彼女の申し出に俺は素直に従った。

彼女が席に座ると、にっこりと微笑んだ。そして突如として、彼女が喋り始めて、俺は思わずその姿に見惚れてしまったのだった。

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