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#3 旅についての愛を語る

 昔わたしが物心つくかつかないかの折に、ふと母親から「貴方はね、昔橋の下で拾ってきたのよ」とまるで冗談に聞こえない真面目な顔をして言われたことがある。その時の、わたしの衝撃たるや。想像いただけるだろうか。

 親はどちらも非常にお堅い職についており、他の親戚を見回してもみな悪いことができなさそうな、真面目を絵に描いたような人たちばかりであった。流れ的にはそうすると、わたしが彼らとは違う悪い人間のように捉えられるかもしれないが、正しくその通りだったのである。

 かつてはよくわからないが沸々としたエネルギーがわだかまっており、それだけにちょっとしたことでも負けん気を生かして誰かしらと喧嘩をし、傷が絶えなかった。悪戯も良くした。流石に中学生後半になってからは、その訳のわからない見えざる力は影を潜め、今でもたまに友人と出会うとすっかり丸くなりましたねぇと揶揄されたりする。

 自分でも不思議なくらい、何かに対してほとばしるエネルギーを散らすことはしなくなった。当時のことを考えると、あまりにも他の家族と性格が異なるために、冒頭のようなセリフを言われても致し方ないことである。

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余りあるエネルギーの向かう先

 ではその余りあるエネルギーがどこへ雲散霧消したかというと、それは中学から始めたテニスであったし、大学に入ってからは「旅」であった。とにかく大きかったのは、大学で海外の文化を学ぶにつけ、どうしようもなく自分が住んでいる世界が平凡で退屈なことのように思い始めたことである。

 やがて、大学3年になって東日本を自転車で回り、そして1年ほどカナダへ留学したことによって、放浪癖に火が点いた。その頃塾講師によって貯めたお金と、親から借りたお金を使ってひとりぶらりとバックパッカーの道を歩んだのである。

 学生の頃はヨーロッパをめぐることが中心で、ちょうどその頃になんとはなしに芸術の奥深さを知ることになる。初めてフランスのパリに訪れた時に、どうしようもない華やかさと緻密に計算された美に魅せられた。夜に遠くを照らすエッフェル塔と、ぼんやりと灯る凱旋門。そこから斜線上に伸びる道が、パリの格式の高さを思わせた。

 いくつもの美術館を練り歩いたものの、その当時アートにまったくど素人だったわたしは、ただただ途方に暮れた。どのような視点で眺めればいいのかわからなかったのである。予想よりも遥かに小さなモナリザの絵や、想像したよりも広く大きなピカソのゲルニカの絵を見て、一喜一憂した。

 中でもわたし自身息をすることを忘れたのが、パリにあるオランジュリー美術館の「睡蓮の間」だった。ただただ幽玄的で、ゆらゆらと睡蓮が実際に動いているように見えた。時が止まっていた。ぴたりと、呼吸の音さえもしない。しん、と静まり返り、その場にはわたし一人だけがその空間を占領していた。

 恥ずかしながら、ガイドブックで「印象派」という名前も、「モネ」という名前も知ったのである。その後、日本に戻ってからもモネの印象派展があるたびに足を運んだ。衝撃的な時間だった。今もって、なぜにそこまで没入することになったのか、うまく理由を説明することができない。

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価値観外遊

 それから南米を旅し、社会人になってからはアジアを巡るようになった。残念ながら世界的な流行病によって、わたしの唯一で最大の気晴らしはしばらく断念することになったが、今思うと何かに取り憑かれたかのようだった。わたしはただひたすら、持て余したエネルギーのはけ先を求めていたのかもしれない。

 何か新しい刺激を吸収することに飢えていて、その筆頭が正しく「旅」だったのである。自分が見聞きしたことは全て、ノートに今でも日記として保管してある。その時自分が感じたものを、消し去りたくないと思った。

 基本的にわたしは猪突猛進タイプなので、かつて旅した時には恐ろしい目にあったことも一つや二つではない。それでも不思議と何かに守られているように、今こうして息をすることができている。それだけでも、なんだかすべての物事が尊いような気持ちになってくる。

 少なくとも、わたしは外の世界に旅立つまでは本当の意味での宗教の狭間に生じるさまざまな問題や、多種多様な価値観の違いに対して興味を持たなかった。というより、持てなかったのである。それはきっと、旅を通じて実際に異なる価値観を持った人と触れるまで、誰かの出来事がきちんと自分のこととして腑に落とすことができていなかったからのように思う。

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誰かの世界への敬意

 世の中は、一筋縄ではいかない。

 わたしたちの預かり知らぬ、入り組んだ問題で苦しんでいる人たちがたくさんいて、まずは彼ら一人ひとりが抱いている声に真摯に向き合いたいと思う。彼らは大抵とても心が優しくて、わたしが見ず知らずの人間にも関わらず、手を差し伸べてくれる。涙が出そうになる。

 もちろんそういう人ばかりでないことも知っている。時には自分たちが生きていくのに精一杯で、他人を騙してまでも救われたいと思う人間がたくさんいる。それも、最近では仕方ないのかなと思う。

 彼らには彼らの独自の世界がきちんと成り立っていて、誰かがその場に介入することはできない。理解しきれない部分もしっかり存在していて、だからこそ他の誰かが見たら理解したくもない悲惨な出来事が起こったりもする。

 でも、それに負けてはダメだ。少なくとも、わたしが旅をして出会った人たちはみな等しく現実を必死に見つめて、正しく生きようとする人たちばかりだった。だからわたし自身も、彼らのように物事を曇りなく見られるよう、ゆっくり息を吸って吐き出す行為を繰り返す。

 自分の知らない文化に触れ、彼らに手を差し伸べてもらったこと。それ自体が、なんとなくわたしは自分にとっての愛なのかなと考えるわけだ。

故にわたしは真摯に愛を語る

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