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鮭おにぎりと海 #59

<前回のストーリー>

祖母の葬儀の夜、しめやかに親戚同士の精進落としが行われた。どちらかというと祖母は老衰という形で亡くなったので、全体的にそれほど暗い雰囲気は漂っていなかった。ほとんどの人たちが、祖母は天寿を全うしたと口を揃えたかのように言う。またその時、そこかしこで祖母のことを懐かしむようなエピソードを耳にした。

♣︎

祖母の人生は、決して順風満帆なものではなかった。

もともと祖母が営むことになった惣菜屋については、俺の祖父に当たる祖母の夫が、気まぐれで始めた商売だったらしい。祖父は町の町長を務めるなどそれなりの有力者で、そして新しい物好きだったために、当時にしてみればかなり派手な暮らしをしていたらしい。最初は曽祖父が築いた財産で裕福な暮らしをしていたらしいが、祖父の生来の甲斐性のせいでみるみる間に祖母の家の貯金は減っていった。

そのうち、祖父はその当時はまだ珍しかった自動車を、祖母の断りもなく購入してしまった。その挙句、ある時交通事故によって突然この世を去ることになる。当時6人の子供を抱えていた祖母は、女手ひとつで自分の子供たちを育てることになった。

20代で神木家に嫁いだ祖母は、花盛りの時期だったにも関わらず子供たちを食べさせることに手一杯で、おしゃれをする時間もなかったに違いない。

♣︎

祖母が若い頃忙しい合間を縫って、唯一見に行った映画がジャン=リュック・ゴダール監督の『女と男のいる鋪道』だった。映画を見に行った夜、興奮冷めやらぬ様子で電話してきたことは今でも忘れられないよ、と祖母の昔からの顔馴染みの女性が話していた。どうやら一目見てその映画の虜になってしまったらしい。

その後もその映画のことが忘れられなかったらしく、ことあるごとに私の夢はいつかフランスに行くことなんだ、と叔母に話していたらしい。

結局祖母は、フランスに行くことなくこの世を去ってしまった。

まだ俺が物心つく前、祖母と一緒に東京へ行った時のことを思い出す。あの日祖母が東京タワーを見て涙を流していたのは、もしかしたら自分がフランスに行ってエッフェル塔を見る姿を思い浮かべたからかもしれない。帰りの電車の中で、祖母が俺の頭をなでてくれたその手からは暖かな温もりをはっきりと感じ取った。

♣︎

祖母の葬式の日に教えてもらった『男と女のいる鋪道』という映画は、俺も気になってTSUTAYAで借りて一度だけ見た。

1960年代に公開された映画で、まだカラーも普及していない時代だったから、当然モノクロだ。1時間30分ほどの尺で、12編にわたる小さなエピソードが織り込まれていた。

俺からしたらそこまで感動を覚えるものでもなかったが、その映画の中のナナという情婦の表情が強く印象に残った。

俺が幼い頃、祖母に対してどうにもむしゃくしゃして悪態をついてしまった時がある。その時祖母はひどく寂しそうな顔をして、

「正しい言葉を見つけなさい。言葉は愛と同じなのよ。」

と俺の手を握って言ったのだった。俺はその真意を見出すことができず、祖母を困らせてしまったことにただただ狼狽えた。以後はできる限り祖母を傷つけないように言葉を選んだ。

そういえば映画に出てきたナナの表情と髪型は、俺の知り合いの葛原南海という女の子にどことなく似ているような気がした。

エッフェル塔は今日も、暗い夜空を明るく照らし続けている。


(本作品は『鮭おにぎりと梅』という連載小説の、59番目のお話です)

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