鮭おにぎりと海 #52

<前回のストーリー>

次の朝は7時に目が覚めた。どこかの窓からか細い日の光が差し込んてきていて、それが俺のベッドに向かって伸びていた。どうやら、そのじんわりとした暑さで目が覚めたらしい。とは言いつつも冬なので、汗はかいていなかった。

改めて昨日のことを思い出そうとしてみる。その時点で記憶は酷くあやふやで、覚えているのはリオンという若い青年が陽気に笑う姿と胸の前で手を振って拒否する姿だった。

あたりを見渡してみると、昨日どんちゃん騒ぎをした部屋の同胞たちは泥に沈んだように深い眠りに陥っていた。あれだけ騒いだにも関わらず、意外やゴミは脇にきちんと固められて一見すると、とても清潔に保たれている部屋のように見える。

その場で他の奴らを起こさないように、忍び足で部屋の入り口まで歩いていくと、そこでベッドに座る人影が目に入った。見ると、それなりに上背があると思われる女の子がベッドに腰掛けていた。その瞳にどこか物憂げな表情を湛えて。

その子の横を通り過ぎようとした時にふと目を向けると、たまたま目があって彼女が、

「昨日は大変だったみたいだね。」

と話しかけてきた。その子は、確か部屋で行われた若気の至りの会に参加していなかったと思う。少なくとも、記憶にある限りでは思い出せなかった。その子は決してとびきりの美人というわけではなかったのだが、何やら言い知れぬ柔らかな魅力を持っていた。思わず彼女の雰囲気に引き込まれて、数秒返事することを躊躇ってしまった。

「ああ、そうなんだよ。気づけばベッドの上さ。」

「あいつらは基本的気のいいやつだと思うけど。所詮1週間程度寝床を共にする人たちさ。言ってみれば、赤の他人。何かがあっても結局は関係ない。だから気をつけたほうがいいよ。特にアジア人って、他の国の人間から見られた時に何かと舐められるようなところがあるからさ。」

と言って乾いた笑みを浮かべた。

「お、おう。気をつけるよ。」

俺はそう言ってその場を後にした。昨日浴び忘れたシャワーを浴びた後再び部屋に戻ると、彼女の姿は消えてしまっていた。もしや寝ぼけていて見た幻かと思ったが、彼女が座っていたであろうベッドの上にはさっきまで座っていたであろう跡がマットレスの上にくっきりと残っていた。

♣︎

その日は日中、マドリードを気ままに練り歩いた。

スペイン内戦の悲惨な光景を描いた『ゲルニカ』が展示されている「ソフィア王妃芸術センター」やヨーロッパでも有数の規模を誇るマドリード王宮、宗教画で有名なエル=グレコやベラスケスの絵画を展示しているプラド美術館など。

どの場所に行っても、俺がこれまで触れたことのないものが転がっていた。特に美術館では、俺のそれほどあるとは思われない知的好奇心を刺激した。正直、宗教画は退屈なものばかりだった。だいたいがイエス=キリストやらマリア様やら聖書に関係あるものばかりを取り扱ったものだったが、ミロやピカソなのの後期印象派と呼ばれる画家たちの作品は、どれもが新鮮なアートばかりだった。

芸術のような、やたらと見るものの想像力に委ねられるアートは徒労感を感じてしまう。ある程度美術館を渡り歩いた後でバルに入る。軽く生ハムや白ワインを食べる。それだけで、なんだか生きていてよかったという気分にさせらえる。なぜだかわからないが、昼間から飲むお酒は背徳感を感じることと並行して、どうしようもない高揚感を生み出す。

気づけば、プエルタ・デル・ソルという交差点の中心にあるような広場に出た。中央には、クマらしき物体が木に寄りかかる姿があった。行き交う人々は皆なんだか楽しそうだった。先ほど飲んだ酒が、心地よいこころのゆとりをもたらした。何もかも、平穏な日常そのものだった。

すると、そこに俺より明らかに若いと思われる何人かの若者たちが近づいてきた。そして気さくな感じで、聞いてくる。

「今、お時間よろしいですか?」

海外を旅すると、なかなか同年代から声かけられることがないのでドギマギした。思わずといったていで「何でしょう?」と返事を返す。そこでまた、海外の洗礼を受けることになるのだった。

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