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ビロードの掟 第28夜

【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の二十九番目の物語です。

◆前回の物語

第五章 日曜日よりの使者(6)

 12月に入って、どことなく現在の彼女である奈津美からの連絡がぎこちないものになった。

 これはなかなか言葉で言い表すのは難しい。凛太郎自身、どうもこれは雲行きが怪しいと自分の中の警戒アラートが点灯していることを自覚せざるを得なかった。

 師走はその名の通り、怒涛のように時間が過ぎていく。気がつけば、1年も残すところあと1週間程度といったところ。本来であればキリストの生誕祭であるにも関わらず、企業の思惑により恋人の日と化したクリスマス・イヴの日。

 凛太郎としても、この日は意識しないわけにはいかなかった。優里と優奈のことがあるとはいえ、奈津美が自分にとってこの世で最も大切な人であるという事実に変わりはない。

 彼女が前から欲していたイヤリングを予めプレゼントとして購入し、当日はベタだがみなとみらいでゆっくり過ごす予定だった。その後夜は、高級ディナーを食べるというシナリオである。

 この日は待ち合わせした時からどうも奈津美の様子は心ここに在らず、といった感じだった。当然倫太郎もこの違和感に気がつかざるを得ない。

 ただこれは彼女に直裁的ちょくさいてきに尋ねていいのか計りかねていた。とりあえず彼女から話をしてくることを待つことにする。都度、彼女のことを気にかけているという体でさりげなく言葉をかけながら。

 ついに彼女が自身の感情に関して口火を切ったのは、よこはまコスモワールドの大観覧車に乗った時のことである。

 観覧車は、元々凛太郎が奈津美に告白した場所で毎年その時の気持ちを忘れないようにと、クリスマスに乗ることが通例となっていた。

「ねえ、凛太郎──。ここ最近、あなた私とのやりとりに対して何か思ったことある?」

 凛太郎はついにきたと思った。心臓がドクドクと脈打つ。

 いかにも思わせぶりな言い方をしてくる。これまで曲がりなりにも何人かの女性と付き合ってきた中で凛太郎の方でもなんとなく察するものがあった。

 これは女性の心理的には気がついて欲しいというサインだ。そしてこれは返答の仕方によっては地雷を踏んでしまう恐れがある。

「うん。なんとなくシコリがあるような気がしてた。ただ──どのタイミングで奈津美に言うべきか自分でも整理がついていなかった。なんとなく君の中でも整理されていないみたいだったから」

「そっか、気づいてたんだ。意外。凛太郎って、そういうところ鈍い気がしてたから」

 奈津美の言葉をどう受け止めていいか、判断に困った。彼女が次に続ける言葉を待つことにする。

「私実はね、たまたま見ちゃったの。あなたが誰か他の女性と一緒に歩いてるところ。12月に入る少し前かな。でもその時点で仲がいいとは判断がつきにくかった──。二人の間に距離があるように感じたし」

 喋っている間、凛太郎は目の端で奈津美がぎゅっと拳を握っていることに気がついた。この子は、たぶん自分が想像していたよりも自分が見た光景に思い悩んでいたはずだ。

「でも私が何よりショックだったのは、それが元々私たちが会うことになっている日曜日だったから」

 彼女が見たのは、十中八九優奈と自分だろう。ここ最近、奈津美以外に会った女性といえば優奈意外にはあり得ないからだ。

「これ、どういうことか説明してくれない?私が納得できるような形で」

 凛太郎が直面している事柄を、彼女へどう伝えたものか考えあぐねていた。頭の中でさっと今の状況を整理する。さて、どう言葉を紡げば奈津美を納得させることができるのか。

 ここで嘘を言うのは得策ではないと結論づけた。全てを正直に話す。

 元々失踪の相談を受けたのが、男性ではなく女性だったというところから遡って謝る必要がある。そして、嘘をついたことの根拠も誠心誠意できちんと説明しよう。

「まずは俺、奈津美に嘘をついていた、ごめん──」

 凛太郎は失踪した人物となぜ自分がその妹と会うことになったのかということをかいつまんで話した。

 その間、口を挟むことなく奈津美はじっと凛太郎の話を聞いている。彼女自身、ここで感情的になるのは良くないと思っているのかもしれなかった。

「話はわかった。ぼんやりとだけど理解はできる。でも、納得はできない──」

 奈津美は少し体を震わせ、凛太郎の顔をじっと見る。本来であれば恋人同士楽しく過ごすべき日であるはずなのに、今日まで言うことを我慢してきた彼女の気持ちを思った。

 奈津美は目に大粒の涙を堪えて、必死に自分の感情を抑え込んでいるように見える。凛太郎はギュッと心臓を掴まれた息苦しさに襲われる。

「本当に誤魔化したような感じになっちゃったね。でもこれは神に誓って言うけど、失踪した優里の妹とは本当に何もないんだ」

 これまで何度も優奈と会って話した時のことを思い出す。あれは確かに楽しい時間だった。もしかしたら奈津美といる時よりも。でもそれは単純に、優奈とは深い関係ではなかったからであるような気がした。

 ここで、感情を顔に出してはさらに奈津美を傷つけるだけだ。

「ただ俺は優里の行方が一刻も早く見つかるようにと思って協力しただけだよ」少しでも真実が伝わるような思いで、凛太郎は慎重に言葉を発した。

 しばらく奈津美は口を閉じ、重苦しい空気が観覧車の中に漂う。やがてハァと彼女が息を吐き出した。心の底から吐いたようなため息の音だった。

「私はどこまでを信じればいいのかしら?真実はどこにあるの?私は凛太郎の言葉をそのまま鵜呑みにしていいのか、心が揺らいでる」

 凛太郎の心もこの時グラグラ揺らいでいた。態度には示していないつもりでも、感情は少なからず表情などに出る。この時凛太郎はひたすら奈津美のことを考えた。彼女を心から愛していて、自分の中には彼女しか見えていない。

「俺は、本当に君しか見えてないんだ。奈津美を、傷つけたくなかった」

 まるでこれが免罪符だと言わんばかりに、そっと奈津美のことを引き寄せて抱きしめた。彼女の呼吸が浅い。普段なるべく感情にならないように気を配る彼女なりに、自分自身の湧き上がる思いと葛藤しているんだろう。

 俺は大切な人を疑心暗鬼ぎしんあんきにさせてしまっていったい何をしているのか。そうまでしてまで見つけたい真実なんてあるのだろうか?

「……太郎。あんた、抱きしめればすべて解決すると思ってるでしょ」

 思わず凛太郎は抱きしめていた腕を緩め、逆に体から離して彼女の顔を見た。おそらくハッとした顔つきになっていたに違いない。奈津美は切長の目を凛太郎に向けていた。

「次嘘ついたら、絶対私許さないから」

 奈津美がギュッと凛太郎の袖を強く掴んだ。思いの外力が強くて凛太郎は痛みに顔を歪めたが、これは自分の罰だと思った。

 今日は偉大なるイエス・キリストが生まれた日。なんとしても今後は彼女のことを無碍むげにしないことをここに誓う。

 海で優奈に抱きしめられたことを思い出しそうになり、凛太郎は慌てて頭を振った。何が自分にとって一番大切なものなのか、わからなくなっていた。

<第29夜へ続く>

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