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哲学者を隣において生活をしてみたら

最近、哲学書を読みたい欲求が強くなってきて、ツァラトゥストラはこう語った、人間の条件、死に至る病など、いろいろとつまみ食いしてます。(いわゆる積読)

しかし、ささっと内容を一瞥してみると、そこには《哲学語》がひしめき合っていて、一言で言えば、「わけわからん」という感じ。

藁にもすがる思いで、本著を読んでみました。

歴史上重要な哲学書50冊分を、各々10ページ程度で纏められており、各々の書物の要旨や構造、または哲学が歩んできた『共通了解の言語ゲーム』が、どのような変遷で構造を変化してきたのか、体系を俯瞰できるいい著作であると思います。

読んでいる中で、日常の断片で、哲学的に何か(意識、思考、解答など)をアウトプットできたらいいな、と思うようになりました。

それによって、価値や認識が一律に決まらない事柄に対しても、それらを吟味する行為の持続力や耐久性を磨いていける気がするんです。

しかしながら、哲学の教えを理解することも難しいのに、それを活用することなんてもってのほか。


有能な哲学者が常に自身の横に居てくれて、その都度課題へのアドバイスをくれたらどんなに良いか。(その態度が怠惰。)


***


ということで、最強哲学者が隣に居たとしたら、一体どんなアドバイスや示唆をくれるのか。と、さまざまな場面で妄想してみました。



理想を求めて筋トレをする私

自分:筋トレするぞ!マッチョになってやるぞ!

プラトン:おいお前、どうしてそんなに意気揚々と筋トレをしてるんだ?

自分:モテたいからだよ。男はマッチョになってなんぼだからな。

プラトン:そうなのか。確かにそうかもな。恋においては、やっぱりエロティックな側面は必要だ。そうなりたいと思うお前は、「善き者」だ。

自分:だよな!ありがとう!やる気出てきた!

プラトン:だがしかし、たまには理性的になれよ。お前がどんなにマッチョになってモテたとしても、安易な恋心には流されるな。

自分:どういうこと?

プラトン:相手の中に、「憧れめいたもの」こそをまず見つけよ、ということだ。そこが恋愛においては肝要だ。それを愛でれるように、魂も日々トレーニングしとけよ。

自分:なるほど!心も体も鍛えろってことか。頑張る!


著書:「饗宴」/プラトン、「パイドロス」/プラトン


全てに懐疑する私

自分:最近のニュースも、SNSも、何にも信じられない。フェイクなニュースばかりだ。

アリストテレス:そう思うお前はどこからきてるんだ?

自分:どこからだろう?当の自分から来てるのかな?

アリストテレス:フェイクがフェイクなら、それを見抜けないお前が悪い。しかしそうも言えないかもな。人はそれぞれ均一的な質のある時間を過ごせない。だから、フェイクをフェイクと思う原因や結果は、個々の解釈に依存するんだ。お前がフェイクだと思う根拠は妥当か?

自分:そうだけど、フェイクだっていう人が多いじゃん?それは、解釈の有意性がフェイクに偏ってるということなんだから、フェイクじゃないのか?

アリストテレス:実際にお前が検討したのか?そもそも、データというのは斜状的述語が含まれてると考えろ。ブラックコーヒーが飲みたかったのに、甘いコーヒーがきたとしてさ、その見分けがつかないコーヒーを、自力でブラックにできないだろ?お前はブラックコーヒーを求めるが、目の前にきたのは分離不可能な甘いコーヒーだ。甘いコーヒーを見ているんだ、お前は。

自分:じゃあどうしたらいいんだよ、アリストテレス…。

アリストテレス:物事を正確に知ることだ。物事の後ろにある背景を知ることだ。その背景の背景を知ることだ。最後まで遡ることはできなくても、より正確な背景を知れ。

自分:そんな時間はないよ。

アリストテレス:それなら、日頃から背景を知ることを意識しろ。日常の中で学べ。十分に学んだら、因果関係を吟味してみろ。そうすれば、概念ができる。お前はそれに基づいて、高い位置からニュースについて吟味や判断ができるんだ。


著書:「形而上学」/アリストテレス


ミニマリストな私

デカルト:お前の部屋は、何にもないな。

自分:そうそう。最近意識して物を減らしてるんだ。ミニマリストってやつ。

デカルト:ミニマリスト。初めて聞いた。

自分:ミニマルな生活を心がけて生活する人のことだよ。物も少なくて、地球にも優しい。個人的にも、全人類的にも、心地いい試みだと思うな。

デカルト:確かにな。ものが溢れることを肯定するわけじゃないが、物的なまたは心的な欲望は失うなよ。

自分:ある意味、ミニマル自体への欲望、というものはあるってことかも知れない。

デカルト:それならいいのかも知れないな。人類の歴史上、不可欠なのは、何よりもまず、人間自体が動くことにある。その動きの原動力になるのが、欲望だ。お前の、ミニマルへの欲望が、お前自体のいろんな感情に働きかけ、それが何か「善い事」につなげていくんだ。例えば、恋の感情とかもそうだな。

自分:なんとなくやる、は避けろ。ということか。

デカルト:そうだ。なんとなくのうちに「求めない生き方」を実践するということは、欲望の喪失、ひいてはお前という人間の歴史の滞留を生み、「善き者」を目指せなくなる、ということだ。

自分:欲望までミニマルにならないよう、意識していくよ。


著書:「情念論」/デカルト


周囲の人に合わせる私

自分:自分の意見に自信が持てなくて、つい周囲の他人に合わせちゃう性格、どうにかならないかなぁ。

ロック:それは仕方のないステップかも知れないぞ。

自分:というと?

ロック:お前はまだ経験が不足してるってことだ。経験ってのは、如何様にも深めることが可能だ。それはお前次第だが。そして、経験がいろんな知覚に対して変化をもたらすこともあるんだ。

自分:周囲に合わせる性格も、自分の経験によって変化できるってこと?

ロック:その性格が悪いということではない。お前は生まれた時、心が白紙だったはずだ。お前の性格が、今まで生きてこれた時間を否定はしないだろう。しかし、まだまだおまえには余白がたくさんある。おまえの心は、いろんな経験によって、能動的にいろんな認識や主観を生み出せるはずだ。

自分:確かにそうかもしれん。今の自分は、現在の自分でしかない。これからの経験とか意識とかでその考え方も変わるのかも。

ロック:そうだ。おまえは、おまえの世界を生きている。言うなれば、おまえが下す解釈やその意味しか得ることはできない。しかし、俺と話したことで、俺自身の認識も確認できただろ?そんなやり取りの経験を、たくさん積むことだな。前向きに、な。

自分:そうだね。自分に過信せず、しかし卑下せず、感じたことを内省しながら生きたくなったよ。


著書:「人間知性論」/ロック


宇宙に興味のある私

自分:宇宙の外側ってどうなってるんだろうなぁ。

カント:宇宙の内側のこともまともにわからんのに、外側のことなんてわかるわけないだろ。

自分:分からないことも、分かりやしないだろ?だから、宇宙について考えることは、どうあっても万人に平等だ。

カント:まぁ別に妄想するのはかまわんが。しかしながら、その全体像的な宇宙に過信するのは、他への思考にも影響しかねないぞ?

自分:他?

カント:さまざまな判断が、おまえの色眼鏡を通した結果だとしたら、それは物自体にとっての「素」ではないんだ。その判断法則で世の中を見ることで、本来の判断から逸脱することも、想像できるだろ?

自分:でも宇宙は存在するよ。だって、いろんな研究がそう示しているもん。イーロンマスクは火星へ、ジェフベゾスは月を目指しているんだぞ?

カント:それはそうだし、否定はしてない。しかし、全体像的な観点から言えば、宇宙の存在観については、「そうかも知れない」ってだけなんだ。宇宙の物理法則を信仰するのもかまわんが、この前に俺に相談してきた恋愛話についても、物理法則を適応することになるぞ?笑

自分:それは飛躍しすぎだよ!!

カント:真にもなり偽にもなるって観点から言えばどうだ?宇宙の存在については、論理の展開の仕方によって、真偽が分かれる。恋の告白ついても、思考や行動の展開によって、成否が分かれる。どちらかに傾倒しないんだ。それは要するに、《唯一の何かを信仰すること》への疑義へとつながる。ここでは「宇宙は存在する」という確信や、「恋の告白の行方」の偏重した妄信、だな。
宇宙が存在する、つまり、物理法則がこの世の神のようにおまえは崇めるのか?

自分:いやまぁ、告白の行方は神のサイコロで決められたくはないけど…やっぱ飛躍しすぎだよ!!告白するとしたら、成功すると信じて臨みたいし…。うーん。

カント:気持ちはわかるが…。まぁ、そこらへんの理解はうまく腑に落とせるかどうかだな。統一的な回答を期待する神的なものは、常に二律背反だ。宇宙も、恋の成就も、二律背反なんだ。
告白の後の結果について、特にあれこれと悩む必要はない。行動しないと分からないんだから。しかし、その気持ちは、おまえが告白という行動をしたからこそのものなんだ。

自分:告白が成立することを盲信しても仕方がないのはわかるけど、振られることなんて考えられないよ!俺は普通に落ち込みそうだ…。

カント:………健闘を祈る。


著書:「純粋理性批判」/カント


日々の無意味さに嘆く私

自分:最近何をしていても、死が待つ私自身を想像すると、無意味さを感じちゃって、どうでも良くなっちゃうんだよね。

キルケゴール:なるようにしかならんし、どうでもいいや。ってこと?

自分:そういうこと。

キルケゴール:あなたはあなたの実存に対する必然、死について、絶望してしまってるんだね。

自分:絶望、なのかな?

キルケゴール:私の考える絶望には2種類あるんだが、その内の1つが、「夢想することで現実を見れなくなること」だ。死に対する夢想をしてやいないかい?

自分:なのかな?そういう意味なら、絶望なのかな?

キルケゴール:絶望は、死に至ることもありえるかもしれない。

自分:そしたら、私のは絶望ではない、と思う。

キルケゴール:まぁ、それなら個人的には安心した。しかし、私自身という存在の先に無意味を見いだすのは、色々と良くない。無意味の中に希望を見出そうとしても、その内実は現実味がない可能性ばかりで、一種の絶望だ。

自分:無意味と思う自分が、私自身を現実から引き剥がしているってこと?

キルケゴール:そういうこと。あなたは、あなた自身に関係している。人間の精神が自己を他者化し、自己/他者の自己、の2者関係を作っていることからも、そうと言えるし、これはその副作用かも知れない。

自分:他者である自己…?

キルケゴール:なりたい自己について考える時は、あなたは別のあなたを想像しているかも知れない。その、今のあなたと別のあなたとの〈隔たり〉に、人間の精神があるんだ。その精神とは、いわば自分の主観そのものだ。

自分:というと?

キルケゴール:今のあなたが見る他者としてのあなたは、「死を待つしかない無意味な存在」になっている。その存在を夢想しながら〈隔たり〉を目指し吟味する意味が、どこにあるというのか。

自分:そうしたら、無意味な自分を想像するんじゃなくて、無意味な自分こそが現実で、そこから別の自分を見つけていくための行動をすればいいのかな?

キルケゴール:その通り!!そうやって、今の自分を少し転換すれば、「無意味なあなた自身」は非常に強力なんだよ。


著書:「死に至る病」/キルケゴール


読まずに死ねない哲学書

哲学は「世の中の真理の奥深さ」を教えてくれます。
それはいわば、真理が見えない、ということです。しかし、そういうところに、面白さと利便さを感じます。

上記のような解釈であっているのかだいぶ不安ですが、日常で哲学的思考を活用できたら、素敵ですね。

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