見出し画像

日本のテレビ番組の功罪?

その前にやっぱり英語って難しいんじゃないか・・・という話から。

自分としてはとにかく読めるか読めないかが一番の問題で
発音等は話すことも無いから気にすることも一切ないんですが、
昨日のやつ、ちょっと頑張っても無理があるのはその上記記事の
発音の難しさに起因するだろうと…。

のー いー あわ さぶじぇくと  
 Know ye, Our subjects 
あーいんぺりある あんせすたーず  Our Imperial Ancestors
 はぶ ふぁうんでど あわえんぱいあ
  have founded Our Empire
 ぶろうえんd エバーラスティン    あんどはぶ でぃーぷりぃ
あわ さぶじぇくと
えばー ゆないてっど いん ろいやるてぃ
はぶ ふろむ じぇねれいしょん  じぇねれいしょん
い   びゅうてぃ ぜおろぅふ
ぢす いずざ
ぐろーりー おぶ ざ ふぁんだめんたる きゃらくた おぶ あわ えんぱいあ、
This is the glory of the fundamental character of Our Empire, and herein also lies the source of Our education.
あんひありんおるそらいずざそぅすおぶあわえでゅけいしょん

読みながら聞いても聞きながら読んでも
「うぇ⁉」「はぁ?」「どこ?」…という感じ。
まあそれは完成版ではないので、おかしい場所もまだ多いですけど、
いや待て、平仮名片仮名で完成もへったくれも無いだろうと、賢き人々は
言うかもしれないけれど、読めないものは流石に意味が無いので…。
(読めない物、読まれない物、聞かれない物、見られない物は
 中身がどれ程立派でもほぼ無価値=過剰権利保護に対して時々言う?
 ≒宣伝の必要性)

正しい正しくないより読めることが重要で、
だから日本には和製英語というものがあるんだから、
正規が求められない限りそれでよい、
という基本方針(の人生)で(やむなく必要な)外国語には当たります。

で、まあ、何十年もやってる人が発音が難しいというんだから
改めて仕方ない・・・と昨日今日思った、というだけです。

ただ、僕が聞いて一切分からん…という事は、
…ある意味その人は英語が上手い可能性はあります。

------------------------------

テレビの話、よく番組内でさえ語られることに各種の制限、
時代受け、同じことばっかりやってるとか、
色々と批判されること十数年という感じですが、

確かに番組の質という点でよく出来た海外の番組に劣る
…というのは多く認められる一方、そんなにテレビの影響は悪いのか
という点ではどうなのか...とも思います。

日本人の孤独と外国人の孤独は聞き比べるとちょっと違うのかもしれない
というのも案外TVの影響があるかもしれないし、
未だにしばしば伝えられる日本人が平均的に賢いという話にも
一役買っていた可能性もあるし、何より(特に精神上の)健康問題に於いて、
最近また自殺の増加を伝えてきているけれど、
それでもテレビが相当ストレス緩和に良い面も与えているのではないかと、
時々思う事ですが、最近ニュースを多めに見ていると、また感じます。

だから、功罪…って訳でも無いんですけど、
放送法か何かの範囲で確か教育的番組を
何割以上か放送しないといけないというものがあったと思いますが、
クイズ番組なんかが多いのはそういうのをクリアする為の一種ですよね。


一方、まあクイズ番組もしょうもないと言えばそうなんですが、
もっと批判されるものも多々あって、
もっと現実を見るべき、見せるべきという意見。
(社会的というのはまた別のジャンルとして。)

ここで立ち返って、
テレビやラジオは深刻なものを視聞きさせる為に作られたのかと思えば
そうとは言えない。

日本でテレビを開発・発明した誰だっけは
「いつか家庭を映画館のようにしたい」と語ったとか…。

映画は基本的には娯楽だった。
そこに様々なジャンルが当然に入って高品質、
歴史的ドキュメンタリーのような硬いものまで多く育ち今に至る中
モラルやら模倣やら報道の難しさとでもいうか
或いは広告、スポンサーの影響というか、広く仕組が明かされた、
これも進歩と言えば進歩の筈ながら様々な向き合い方に影響を与え、
多用なメディアに埋まり或いはいよいよそう遠くない将来
終わりを迎えるのではないかとも考えられながら、
毎日毎日世界中で放送されています。

まあ何にしても世界の事は知らないので、
日本のこの多くの娯楽系番組について最近思ったことを挙げると、

しょうもない事のプラス作用として、
ストレスの緩和があるのではないかということ、
海外のコメディとかどうなってるのか本当に分かりませんが、
思うに非常に人権意識に固められた世界を見ると
大人はそんなにただボーっと楽しめないのではないかと思います。

この単純に、何か好きな番組の一つでもで考えた時、
情報(テレビラジオに限らず日常の全て)から潜在的ストレスも
受け取っているとすると、情報を遮断出来ない社会に於いては
寧ろしょうもない番組が薬になっている可能性があるのではないかと…。

瞑想が一時世界的に流行ったようですが、
テレビの視聴って実はそれに近い可能性があるんじゃないかと…?
(モノによるのは確実ですが)

海外の暴動、不健康、それらは社会的環境が根本的問題と、
確かにその通りだと思いますが、日本に暴動が起きないのはともかく、
基本的にそもそも性格が荒い等の違いは遺伝ではなくてもしかすると
テレビの一種の洗脳効果が働いているのでは…?

つまり、テレビを見た方が大人しくなる・・・という意味で。
(日本人はテレビ離れと言っても相当まだ観ている。)

これはアクティブ性を失うとしたら明らかにマイナスながら
行動規制はそもそもストレスなので
日本人はストレス社会に居ながらそういう意味では
勝手にストレスに強くなっているのかもしれません。
(日本は往々にして変化が遅いと言われるがゆっくり慣らされてる?)

つまり現在のウイルス騒動、重症化リスクや感染率で
低水準が続くのは実はテレビのおかげかもしれない・・・という事です。

これだと2分頃かな? (○○に慣れます!)


ただ、それはサブリミナルである可能性もあるんですけどね。
(洗脳或いは行動の誘導に関して)

病は気から、或いは脳波的に可愛いものを見ると癒される、
或いは能力が上がるという研究、より共感にシフトした社会、
問題を問われる、突き付けられると無意識にも混乱する、
見ざる言わざる聞かざるが出来て且つ心身の健康も充分な人には無用、
或いはよく言われる通りテレビは有害かもしれませんが、

意外と多くにとっては「隣人」「友だち」なのかもしれません。

自分にとってどうかと言うと…友達ではなさそうですが、
でも、結構見て話すこともあるし気が合いそうで合わない知り合い
…という事に今日の所はしておきます。

僕は余り癒されてないと思うので・・・。

もし何かあれば報奨金として頂戴します。